訪問者は後悔の情景を連れてくる02

 カイル・ロックウェルとホリィ・ゴールズワージーの婚約が結ばれたのは、二人が9歳のときであった。

 カイルの母は王家と縁遠い伯爵家の血を引く側室であり、王宮の中でもやや立場が弱い。その補強をするために、後ろ盾として王弟でもあるゴールズワージー公爵の娘が選ばれたのだ。


 柔らかいプラチナブロンドと湖のように澄んだ青い瞳を持つホリィは、美しく利発な令嬢であった。

 学べば学ぶだけ吸収し、クロム王国と主な交流がある国だけでなく数多の言語をも習得した。

 話も上手く貴族たちの心を掴む術を心得ており、カイルが苦手とする貴族社会の渡り方もよく心得ていた。


 未来の王妃となるにはまたとない逸材である。

 カイルはそんな婚約者のことを誇りに思っていたし、愛をはぐくもうと努力した。


 しかしカイルが貴族社会での腹の探り合いが苦手なように、人間であれば誰しも欠点がある。

 優秀な婚約者であるホリィに、瑕疵となる部分が目立ってきたのは自分たちが17の時だった。


「ホリィ、俺は自分と意見の違うものを切り捨ててはいけないと思う。確かに君は間違っていなかったけれど、彼の意見ももっともだった。もう少しよく話し合えないか?」


 そう婚約者に告げたのは、贈り物とともに彼女を茶に招待した時だった。

 王宮の庭に特別に建てられた白亜の東屋の中である。女中と騎士に見守られながら最近貴族間で流行しているという茶と菓子に舌鼓を打っていたホリィの動きが、ぴたりと止まる。


 婚約者は己の言ったことが理解できないのか、目を瞬かせてこちらを見つめている。

 カイルは先日の会議で起きた出来事を思い出しながら、再度ホリィに忠告した。


「アリソン伯爵は慎重な意見をだしたが、慎重すぎるということは無かっただろう。お互いの意見の妥協点を探してみては?」

「カイル様。あの方は平民の子供のための魔法学校を作るべきではないとおっしゃったのですよ。彼らに魔法は必要ではないと!」

「今は、と言っていただろう。学び舎を作るにも金がかかるし、民は魔法になじみがない。それに未来へ繋がる学びは大事だが、今現在子供が働かなければ食べていけない農家もあるのだ」


 冷静に告げたつもりだが、ホリィの柔らかい頬はかっと朱に染まった。

 美しい柳眉はつり上がり、唇はふるふると小刻みに震えている。


「子供が働くと言うことが間違っているのです!彼らは国の財産!しっかりした学びを子供が受ける権利を、カイル様は奪うおつもりですか!?」

「そんなことはしない。ただ段階が必要なのではと俺は思うのだ。少しずつ政策を行きわたらせていき、ゆっくりと民に学びを……」

「聞きたくありませんわ。貴方も平民を差別なさるのね」


 ぷい、と顔を背けたホリィがそれ以上話を聞くことは無く、茶会はお開きになった。

 二人の間に溝ができ、広がり始めたのもこれがきっかけだったように思う。

 そしてこの会話で火がついてしまったのか、さらにホリィは自分の意見と違うものを悪とし遠ざけるようになっていったのである。


 将来のためと出席していた会議ではとにかく意見の異なる貴族に反論し、自分の意思を主張した。


 子供のための学び舎を始め、ホリィが信じるものは何よりも民を優先する政策であった。

 傲慢な貴族主義にうんざりし、これを覆そうとしていた者たちはこぞってホリィを褒めたたえた。


 確かにホリィの案には夢があるとカイルも思う。長い年月でこれを施行出来れば、国の生活水準はぐっと高くなることだろう。

 だがクロス王国は近年人口が増加傾向にあり、じきに食料が足りなくなる可能性や、それに伴う備蓄に対し金策をする必要もあった。


 現実問題、民のための魔法学校を作ることは難しく、養うために働きに出ている子供が勉学に取られれば、一家が飢えることもある。

 だがホリィや一部の貴族たちは、それを認めたくないようであった。

 むしろ反論されれば反論されるほど意固地になり、何が何でも民のために動くと声をあげ始める。


「カイル様、力なきか弱い民たちを差別なさるのはもうおやめくださいませ。あなた方は醜悪な貴族主義から目覚めるべきですわ」


 あの日から数年後の会議のあと、相手の貴族を完膚なきまでに言い負かしたホリィが、苦言を呈したカイルへ吐き捨てた言葉である。

 その時ホリィの周りには彼女に賛同しかせず、過激な意見を持つ者しかいなくなっていた。


 ヴィンス・ジェイミソン…当時は侯爵子息も、その中に含まれていたとカイルは記憶している。

 彼を含め、現ロックウェル王朝に批判的な立場の貴族が彼女の仲間に含まれており、このことにも気をつけろと口を酸っぱくして言った。


 しかし忠告も虚しく、ホリィはヴィンスといることが多くなっている。反比例して自分たちの仲はすでに冷え切り、修復できないほどになっていた。


 このわだかまりは後に二人でこの国を治めるときに、大きな障害になってしまう。

 どうするべきかとカイルは悩んだが、貴族社会の腹の探り合いにはいささか自信がない。

 いたずらに時間が過ぎていく中、とある令嬢に出会ったのは己の母である側妃が主催した夜会でのことであった。


「王太子カイル様。お初にお目にかかります。ローランズ男爵が娘、アマンダと申します」


 デール・ローランズ男爵に紹介された娘は、己に淑女の礼をして自らそう名乗った。

 男爵は遠方の小さな土地を納める領主で、秀でたところもないが特に大きな問題を起こしたこともないごく平凡な貴族である。


 彼に娘がいたことは初耳であった。詳しく聞けば、どうやら彼女は男爵の今は亡き弟の一粒種らしい。


 弟は貴族ながら奔放な性格で、決まった相手を持たず各地に愛人を作っていた。

 その中の一人が生んだ娘がアマンダ。父に捨てられ、母にも先立たれた彼女を男爵は哀れに思い、養女として引き取ったのだと言う。


 確かに二人に共通するところは少々たれ目がちな所と、亜麻色の目と髪くらいだ。父娘というよりも、叔父と姪と言った方がしっくりくる。

 彼らを交互に見つめながらカイルは「なるほど」と頷き、男爵へ微笑みかけた。


「よい行いをしたな、ローランズ男爵。アマンダ嬢、貴族社会は大変なことの方が多いが、無理はせずに頑張ってくれ」

「勿体ないお言葉でございます」


 男爵と娘は、再び粛々と礼をして去っていった。

 その時何故あまり交流の無かった男爵がわざわざ己に娘を紹介していたかに気が付けば、カイルの運命も少しは変わっていただろう。


 だが結果として人々の口にのぼるようになったのは、カイルはローランズ男爵令嬢であるアマンダに心奪われ、不当な罪で婚約者ホリィをなじったという不名誉な噂であった。

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