第24話 下層のモンスター

「なんで! 第八階層に! ゾンビが! いるのよっ! スケルトンとスケルトンメイジだけのはずでしょ!?」


 レナが俺に食って掛かってきた。


 ティアも俺の服をつかみ、目を吊り上げて見上げて来る。


 シェスはというと、ゾンビからドロップした魔石を拾っていた。


 育ちのいいシェスが一番ゾンビを忌避きひしそうなんだが、意外に平気そうだった。


 俺は人差し指で床を指さした。


「下層のモンスターが上がってくることがたまにある」


 本当に階段を上がってくる訳ではない。下のフロアのモンスターが、それより上の階層に出現する現象だ。滅多に起こることではないものの、観測はされている。


 案内人は、この現象に遭遇したら冒険者ギルドに報告することになっていて、統計を見るに、特定の誰かのフロアにだけ出現するわけではなく、ランダムに発生する事象のようだ。


「今のがそれだっていうの!?」

「ああ、第九階層にはゾンビがいるからな」


 ティアが、がーん、という顔で俺の服から手を離した。


 気持ちはわかる。フロア全体がにおう。避けられるものなら俺だって避けたい。だが第十階層のボスを目指すなら、避けて通れない道だ。耐えろ。


「倒せば消えるって分かってても、剣で切るのは抵抗があるわね。体液が顔に跳ねてきたりしたら……」


 レナがぶるりと体を震わせた。


「顔につくだけならまだいいだろ。口に入ったら悲惨だぞ」

「どうしてそう言う事をわざわざ言うの!?」

「心構えはあった方がいいだろ」

「そんな心構えいらないわよっ!」

 

 そうか?


 いきなり飛び込んで来るよりいいだろ。


 俺の忠告を聞くつもりはあるらしく、レナがきゅっと口を引き結んだ。


 そうそう、口は閉じておくのが賢明だ。剣を振るときに雄叫おたけびを上げたりなんかしたら、容赦なく入ってくるぞ。


「……燃やす」


 ぐっと両手でこぶしを握って、ティアが声に怒気をにじませた。


「そうだな。そうしてくれ」


 幸いゾンビの弱点は炎で、ティアの得意分野だ。


 その怒りをそのままゾンビにぶつけて一掃してくれりゃあいい。

 



 第九階層で、ティアは宣言通り、ゾンビを燃やしまくっていた。


 姿を見せる前から火だるまにしていた。匂いでどこにいるかわかるらしい。


 とにかく臭くて臭くてたまらないとのことだった。


 コントロールは得意ではなはいずなのに、ファイヤ・ボールを器用に角の向こうに飛ばしていた。気のせいか、威力も強くなっているように思えた。


 何番目かの部屋でゾンビを倒した時。


「何これ!?」


 ゾンビが燃えた後に落ちていた物を見て、レナが驚愕きょうがくの声を上げた。


 青緑色のドロッとした物体だ。


「腐った肉。ゾンビのレアドロップ品だ」

「……くさい」


 見れば、ティアはめちゃくちゃ後退していた。


「これのどこが腐った肉なのよ。肉は腐ってもこんな風にはならないわ」

「俺に言われてもなぁ」


 文句があるなら名付け親に言ってくれ。


「肉が腐ったってこんな色にはならないし、こんなドブが腐ったような悪臭にもならないし、こんなぐにょっとした物にはならないわよ!」

「だから俺に言うなよ」


 実際にゾンビの肉が腐った物のかは知らん。すでに腐っているゾンビの肉が腐るという概念もよくわからない。


「こんなの触りたくない……!」


 レナが自分で自分の体を抱きしめた。


「いらないのか? なら俺がもらうぞ?」

「いらない!」


 よっしゃ!


 俺は荷物から革袋を一枚出し、裏返しにして手にはめた。


 ゾンビの腐った肉は耐毒ポーションの材料として高く売れるんだよなぁ。


 ほくほくとした顔で近づこうとしたとき、さっと近寄ったシェスが、腐った肉をぐにっと素手で鷲掴わしづかみにした。


 指の隙間から、液体がぬちゃっとこぼれて糸を引いた。


「腐った肉……初めて見ましたわ……ふふふ」


 シェスがにやりと笑いながら手の上の肉を眺めている。


「シェ、シェス……?」


 レナが恐る恐る呼びかけた。


「何でしょう?」 


 可愛らしく首を傾げたその顔には、「レアドロップ品を拾っただけですが何か?」と書いてあった。


「よ、よくそんな物を触れるわね……」

「ふふ。ここいう汚い物はずっと制限されていたので、嬉しくなってしまって。お恥ずかしいですわ」


 恍惚こうこつと言っていい程うっとりとした表情で手の中の物を見ている。


「あ、そう……」

「……つよい」


 後ろからティアの声も聞こえてきた。


 さすがの俺もドン引いていた。


 これまで色んなヤツを案内してきたが、ここまでぶっ飛んでるヤツはいなかった。……いや、方向が違うだけで、ぶっ飛んでるヤツはいるか。 


「こ、これ……」


 レナが急いで荷物から革袋を取り出し、シェスに差し出した。少しでも近寄りたくないらしく、目一杯手を伸ばして。


「ありがとうございます」


 シェスはにこりと笑って、大事そうに革袋の中に腐った肉を入れた。


 汚れた手を握ったり開いたり、指をこすり合わせたりして感触を確かめている。


「あの……シェス、手を洗った方が、いいんじゃない……?」

「そうですわね」

「あ、持っててあげるわよ」

「ありがとうございます」


 恐る恐るレナがシェスから革袋を受け取った。指の先でつまむようにしてぶら下げている。


 もう革袋に入っているんだから汚くないぞ。


 気持ちはわからんでもない。


 革袋の上からでもにぎるとグニッとするからな。慣れないうちは背筋がぞわりとしたもんだ。


 シェスはウォーター・ボールを唱えて水を出し、手を洗った。


 そして、レナの持っていた革袋をにこにこしながら受け取って、自分の荷物に入れた。


 それ渡して大丈夫なのか? 後ででたりしないよな……?


「……大丈夫?」


 ティアが恐る恐るシェスに近づき、手を取ってくんくんと匂いをかぐ。


 そしてぴきんと体を硬直させると、その場にバタンと倒れた。


 耳と尻尾の毛がぶわりと広がっている。

 

 そりゃそうだろうよ。水ごときであの強烈なにおいが取れるものか。ゾンビそのものよりもきついんだぞ。

 

「ティアさんっ!」

「ティア!」


 シェスとレナがかがんでティアの顔をのぞき込む。


「レナ」


 俺はレナを呼んで小瓶こびんほうった。


 パシッとレナがキャッチする。


「何よこれ?」

「気付け薬だ」

「いらないわよ。どうせお金取るんでしょ?」

「タダでやる。ティアにがせて起こしてやれ」

「タダ!? なんか怪しい……」

 

 怪しいもんか。ちゃんとした気付け薬だ。


 清涼な香りで鼻の奥にこびりついたにおいまで取るというすぐれもの。しかも獣人仕様のやさしい香りだ。


 こんなことになろうかと、わざわざ持って来てやったってのに。


他人ひとの善意を無駄にするな。あとシェス、お前はこっち来い」

「何でしょうか?」


 シェスがティアを気にする素振りを見せながら近づいてきた。回復魔法を唱えようとしないのは、それではティアは回復しないと分かっているのだ。


「これで手を洗え」


 渡したのは黒い色の石鹸せっけんだ。消臭効果がある。これで悪臭が落とせる。……腐った肉程度ならな。

 

「ありがとうございます?」

「それもサービスだ」


 このまま放置していたらティアが使い物にならない。


 一応、第十階層突破を請け負っているからな。


 シェスが石鹸で手を洗うと、悪臭はきれいさっぱり消え去った。


 と同時に、ティアが上体を起こす。


「あ、ティアさん、ご無事ですか?」


 シェスがティアに近づこうとした途端、ティアはシェスを見て一瞬で部屋の隅まで退却した。


「あ……」


 逃げられたシェスが少し寂しそうにしていた。

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