<第五話 理想郷>

(場面:教会/午前中)


先生とミトスは日曜の教会で神父の説教を聞いている。

ブレイク「今日の旧約聖書から45篇を朗読しました。

 『わたしの心はうるわしい言葉であふれる。わたしは王についてよんだわたしの詩を語る。  わたしの舌はすみやかに物書く人の筆のようだ。』と、17節までツロの王を謳う詩が書かれて

 おります。

 徳の高い人は王でなくとも慕われます。王だから徳が高いのか、慕われたから王だったのか

 分かりませんが、これは人一人においてもそうだと思っております。

     ツロは繁栄を極めますが、エルサレムへの嘲りやギリシャへの裏切りのよって

 滅亡してしまいます。自らの心を徳によって治め、そして裏切らないようにしましょう。

     では、今日はここまで。

     主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、

     あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられます

     ように。……アーメン」

一同   「アーメン」

信徒達はゆっくりと退場していく。

最前列の先生とミトスだけが残り、神父に一礼する。

ブレイク「ホートン卿。名詩選は書き込まれましたかな」

先生  「ブレイク神父。こちらに。それから爵位は叔父が継いでいます。私には領地も領民も何もない。 そこらの労働者となんら変わりありません」

ブレイク「それは失礼した。ではミスター、クリストファー。アントロギカを拝借」

ブレイク神父は十字架にキスをした後、それをアントロギカに翳し、祭壇の十字架に掲げる。

すると文字として書き込まれた幻想が光り輝いて消えていく

その後は自然と先生の手の中へアントロギカが還る。

先生  「浄化と祝福感謝いたします」

ブレイク「幻想が無くなればよいのですが。信仰だけでは難しい」

先生  「人が生きていく限り、共に在るものかと」

ブレイク「そうですね。ミス・ミトスにも祝福を」

ミトスは手を合わせてブレイク神父にひざまずく。

二人は一礼してブレイク神父と別れる。


(場面:教会近くの公園/午前中)

先生  「恨みと憎しみによる創作ほど恐ろしいものはない」

ミトス 「なんですか。急に」

先生  「いやなに、単純にそういう思いの幻想は、力が強いんだ。

ツロは繁栄の為、外敵から羨望され憎まれしょっちゅう攻撃されていたが、

この国の貴族も民から憎しみを買いすぎると滅ぼされるんじゃないかってね」

先生は町中の職に溢れた労働者達を見て嘆く。

先生とミトスはしばらく無言で歩いていると街のあちこちで鐘が鳴る。

先生  「いや、これは幻想の音。幻聴か?」

ミトス 「私にも聞こえます。他の人には聞こえてないみたいです」

先生は懐から懐中時計を取り出して時刻を確認する。

先生  「やはりこんな時間に鐘は鳴らない」

ミトス 「先生。上です」

先生はミトスの声で上を向く。

鏡に映したような逆さまの都市がぼんやりと現れ、それがゆっくりと降りて来る。


先生  「なんて大きさだ。早く封じねば」

ミトス 「いっそ、そのままにしておいてもよろしいのでは」

先生  「? 何を言うミトス」

ミトス 「見てくださいあの幻想を」

上空の街に行き交う人は幸せそうに笑顔で歩いている、それと対比するように地上は薄汚い。

ミトス 「皆幸せそうです。」

先生  「幻想は幻想でなくてはならない。そうでなくてはならない。例えそれが楽園だとしても幻想だ」

ミトス 「理想郷。幻想の方が現実になったら。今の荒んだ現実が消えます」

先生  「ミトス。惑わされるな」

先生は両手でミトスの両肩を力強くつかむ。

先生  「あれが現実になってしまったら現実の存在が無くなってしまう矛盾が起こる。とんでもない

大災害になる。そうならないために私や君が居る。やらねばならない」

先生は一番高い教会の鐘楼へ駆け出した。ミトスは俯き歩いて先生を追う。


(場面:鐘楼/午前中)

先生  「苦手な高い所へよく来た」

ミトスは苦笑いをした。

ミトス 「忘れてました」

先生  「やるぞ」

先生は手を翳してアントロギカを開く。

都市の端から崩壊してアントロギカの中へ入っていく。

しかしその勢いが弱くなっていく。

先生  「大きすぎる……。私のアントロギカでは封印しきれない。ぐぁああ」

ミトス 「先生!」

先生が膝をつき、口や鼻から血に混じった文字が溢れて苦しそうにする。

先生  「ミトス……。詩情を浮かべなさい」

ミトス 「え、今? 私がやるんですか」

先生  「他に誰が居る。大丈夫。アントロギカは応えてくれる」

先生はミトスの右手に自分の右手を添えて、空に翳す。

するとミトスの手からアントロギカが出現し、先生のアントロギカに続いて封印を始める。

空の都市がアントロギカに詩として書き綴られ、ミトスの手の中で消えていく。

ミトス 「先生。できました……」

先生  「うむ。よくできた。どんな詩情を浮かべたのかね?」

ミトス 「エミリーさんのティーハウスもキーツさんの本屋もブレイク神父が居る教会も、先生の事務所も

幻想に呑み込まれて欲しくなかったですから……」

先生  「君の詩情は守ろうとする意志からアントロギカを生み出した。幻想を封じるには

とても良い詩情だ」

先生  「現実は現実の中で変えていかなければならない。所詮あれらは現実に仇成す幻想なのだ」

    血と文字を拭ってミトスに向き直る。

先生  「これからも頼むぞ」

ミトス 「はい」

先生  「さて、私はまたブレイク神父の元に行かねば。一回で許容量を超えるなんて初めてで焦った」

ミトス 「私もお供します。報告をしなければ。」

先生  「そうだな。おや、足が震えているぞ」

ミトス 「高い所は苦手なので」

先生は笑い、ミトスの手を取って鐘楼の階段を降りていく。



―― 五話 了 ――



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アントロギカ【脚本】【e-Story大賞落選】 片喰藤火 @touka_katabami

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