<第一話 空魚>

(場面:書斎/昼間)

先生が窓辺で白紙の本を開いて外を見ている。

窓の外は穏やかな青空と小さい雲がいくつかゆっくりと流れている。

先生 「こういう現象はありふれているけれど、なかなか多種多様で面白い」

ミトス「はぁ……」

外には色彩豊かな魚が無数に泳いでいる。

    しかし、通りを行き交う人達にはそれらが見えていない。

先生 「本来魚は陸で息を吸えない。あまつさえ空を飛ぶなどあり得ない」

ミトス「トビウオは飛びますよ」

先生 「ふむ。」

先生が本を閉じると、ふっと本が消える。

  先生は壁に掛けてあった外套を羽織る。

先生 「さて、ここで見ていても始まらない。行こうか。ミトス」

ミトス「はい」

先生は事務所の書斎からミトスと共に外へ出る。


(場面:石造りの街並みのメインストリート/昼間)

人の往来は激しく物売りや物乞いなどが混在している。

人が行き交う道の中央では自動車はあれど、まだ馬車の方が多く行き交っている。

  先生は上手く人を交わし、空を見ながら歩いている。

その後にミトスが付いて歩く。

先生  「こんなに空が澄み渡っているのは久しぶりじゃないかね」

ミトス 「この空まで幻想だったりしないでしょうか」

先生  「心配性だねぇ」

   先生は通りで靴磨きをしていた少年に3ペンス払い靴を磨いてもらう。

先生 「君。今日は良い天気だよね。」

少年 「? はい。お出かけ日和だと思いますよミスター」

先生はミトスに向き直る。

先生 「ほらね」

少年は何の事かは問わずに黙々と靴を磨いている。

先生 「ちなみに、あの鳥のような魚のような変なものが見えたりするかな?」

先生は空を泳いでいる魚を指さす。

少年 「いえ」

先生 「いや、ありがとう。気にしないでくれたまえ」

先生はもう片方の足を差し出す。少年は気になりながらも先生の靴を磨く。

先生 「うむ。ぴかぴかだね。それじゃあ」

先生は再び歩き始める。

先生 「気になったら聞いてみればいいさ。君のように見える人はそうそういやしない。

慣れればどんなにリアルに近い幻想でもそれが幻想だと分かるようになるさ」


(場面:メインストリートから少し離れた重合住宅/昼間)

先生は空の魚が密集している真下のタウンハウスを指さす。

先生 「あの4階建てのタウンハウスにしよう」

ミトス「いきなりじゃ入れてくれませんよ。」

先生 「後ろ側のミューズから様子を見て忍び込もう」

ミトス「まったく」


(場面:重合住宅のミューズ(中庭のような通り)/昼間)


先生は窓を見て確認する。

先生 「どうやら居ない様だ」

ミトス「外からじゃよくわかりません。いっそ事情を説明した方が……」

先生 「本当の事を言っても信用してくれるわけがなかろう。なに、

見つかった時の言い訳ぐらいは考えているさ」

先生は裏口の鍵をいとも容易く開錠する。

先生  「何気なくさりげなく。ここの住人のように。もしくは友人のように堂々として入れば誰も気に留

めないさ」

ミトス 「えぇ……」


(場面:重合住宅の屋根/昼間)

先生とミトスの周囲を魚が渦巻くように泳いでいる。

先生 「詩情を浮かべ幻想を言葉に再構成し直す。簡単な仕事だ。」

先生は左手を本を持つように動かすと、そこにふっと本が現れる。

先生 「では網漁といこうか。」

先生が本を翳すと光る編みが空に広がり、一帯を泳いでいる魚を捕らえ、

それらが本の中に雪崩れ込んでくる。


ミトス「先生。本から一匹漏れていますよ」

先生 「おっとっと、いけないいけない」


先生の指先から光る紐のようなものが現れて、逃げ出した一匹の魚を釣り上げ、

それを本の中へ押し込める。

先生 「一本釣りも悪くない。今度行ってみるかね?」


ミトス(アントロギカ……。名詩選集。出現させれば触れられるし、読む事が出来る。

けれどそれには最初は何も書かれていない。世界に溢れ出した幻想を、

    文字として封じ込める力を持っているのは先生だ。そしてその力が私にもあるらしい。)


先生 「どうした? ぼーっとして」

ミトス「いえ。私に出来るのかと」

先生 「釣りかい?」

ミトス「幻想をアントロギカに封じる事です」

先生 「出来る。それより早くここから退散しよう。家の人が帰ってきたら厄介だ」

ミトス「そうですね。あ……」

先生 「どうした?」

ミトス「高い所が苦手なのを忘れていました。」

先生 「やれやれ。手のかかる弟子だ」


先生が手をミトスの手を取って、屋根裏の出窓まで誘導する。


―― 一話 了 ――



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