第2話【承】

これは、俺が大学に入って、初めての夏を迎えた頃に体験した話だ。


前回、俺は心霊サークルのオフ会で出会った、怪しげなゴシック少女、√(ルート)と名乗る少女から、何の因果か河童のミイラを預かる事となった。


呪いの河童のミイラ……持ち主は火事で焼け死ぬと言う曰くつきのミイラだが、実際に俺がこのミイラを預かる事になった際、謎の子供の泣き声を耳にしてしまった。


果たして、これは本当に河童のミイラの仕業なのか?そして、√が最後に言い残した言葉、


「私、それが河童のミイラだなんて、一言も言ってないから……」


この言葉が意味するものとは……



「ああ、マジどうしようこれ……」


俺はアパートの部屋に帰り着き、改めてアタッシュケースをテーブルの上に置いて、中身を確認するかどうか思い悩んでいた。


ケースのロックを外し、蓋を開けようか迷っていると、ふと√の言葉が頭を過ぎった。


『大丈夫、別にケースから出して部屋に飾っておかなくても、ケースの中に入れたままで十分効果あるから』


出さなくてもいいのか……。


正直、霊障云々と言うより、ただ単にミイラの見た目自体気味が悪い。


「このままでいいか」


俺は再びロックを掛け、アタッシュケースを部屋の隅へとどかした。


音楽をかけ流し、側にあった読みかけの雑誌を手にとる。


別に焦らなくてもいい、時間ならある。


オフ会と喫茶店で耳にした子供の声だって、あれが本当に河童のミイラの仕業なんて確証はない。


そう自分に言い聞かせるようにしながら、俺はその日、極力何も考えないようにして過ごす事にした。


どれぐらい時間が立っただろう。


気がつくと、俺は座布団を枕にして、いつの間にか眠りについていた。


「寝ちまった……」


腕時計に目をやると、短い針が八を示している。


ぽつんぽつん、ぽたぽた、


不意に聞こえる音、雨だ。


「やべ、洗濯物」


ハッとしてベランダに出る。


干してある衣服を回収していると、


「おはよう」


お隣さんからベランダ越しに声を掛けられた。

慌てて俺も挨拶を返す。


歳は三十代、前に本人からこのアパートの近くの飲み屋で働いていると、聞かされたことがある。


「そういえば、親戚の子でも遊びに来てるの?」


「えっ?」


子供?突然何の話だ?


「なあにとぼけちゃって、昨日私がお店から帰ってきたら、あなたの部屋から子供の泣き声がずっとしてたわよ?私はいいけど、下の階の人、けっこう神経質だから気をつけないとだめよ?」


女性はそう言い残して、洗濯物を取り込み部屋の中へ戻っていった。


「まさか……」


俺はずぶ濡れになっていく衣服を取り込むのも忘れ、すぐさま部屋の中へと引き返した。


テーブルの上、√から預かった黒のアタッシュケース。


特に変わりはない。俺は中を確かめようとケースに手を伸ばした。


「なっ……!?」


ロックが……外れている。


おかしい。

昨日確かにロックは掛けたはずだ。


壊れた?


そう思いチェックするも壊れた様子はない。


『あなたの部屋から子供の泣き声がずっとしてたわよ?』


お隣さんの声が、不意に俺の頭の中で再生された。


何だか急に寒くなってきた。

夏だというのに身震いがする。


これはまずい……


俺はアタッシュケースを手に持つと、タバコと財布、スマホをポケットに突っ込みながら、着の身着のまま慌てて部屋を後にした。


「えっ?いいの?まじで?」


俺は近くの喫茶店で朝飯を済ませると、スマホで大学の友人と通話をしていた。


友人は大学で教授の助手をしており、何かと調べ物をする時にかなり重宝している。


そう、俺はこの河童のミイラを科学的にも調べてみようと思い、大学の友人に調べてもらえないか頼んでいる最中だった。


《ああ。夏休みで暇だし、今は教授の留守を預かってるだけだしな。エックス線でもMRIでも使って調べてやるよ》


なんと驚いた事に即答。よほど暇なのだろうか?


「すぐ行く!」


俺は直ぐに返事を返し通話を切ると、今度はネットを使って心霊サークルのHPへと飛んだ。


実は朝飯を食う前に、サークルの掲示板を使って√に連絡を取っていた。


どうしても知っておきたい事があったのだ。


「おっ、レスついてる」


確認する、√だ。レスには、T・Kと書かれていた。


俺の知りたかった事、それは例の火事で焼け死んだという、河童のミイラの生前の持ち主の名前だ。


√の話をまったく信じていないわけではない。ただ、やはり自分の目で確認してみないことには、この件に関しては謎が多いような気がした。


時間がない。俺は名前を書き留めると、√に〖連絡先教えてくれ、掲示板だと何かと不便だ〗と、レスを書き込みスマホをポケットにしまった。


喫茶店を出た俺は真っ直ぐ大学へと向かった。


途中顔見知りの何人かと出くわし、アタッシュケースの事を聞かれたが、まさか中には河童のミイラが、と答えるわけにも行かないので、なるべく人目を避けるようにして、友人の待つ研究室へと向かった。


「悪いな、急に変なこと頼んじゃって」


「おっ意外と早かったな、コーヒーでも飲むか?」


研究室に入ると、友人のHが丁度コーヒーを作っていた。


「ああ、一杯もらうよ」


俺はそう言うと、空いていた研究室のテーブルの上にアタッシュケースを置いて、手近にあった椅子に腰掛ける。


「それか?例のものは?」


Hがコーヒーを入れながら、アタッシュケースを顎でしゃくって見せた。


「あ、ああ、まあな……」


俺はHから手渡されたコーヒーを手に取り、すぐに口に含んだ。少し苦いが落ち着く。


「元気ないな、オカルト好きなお前には願ってもない代物だろ?」


「願っても……ないか」


確かに願ってもない代物のはずなのだが、何だろう……何か今回の件に関しては嫌な予感がする。


今までも何度か霊体験はあったが、ここまで不安な気持ちになるものは初めてだ。


勘ぐり過ぎかもしれないが……


「さてと、んじゃ早速そのミイラとやらの分析を始めるか」


「ああ、頼む。時間かかるよな?適当に時間潰してるから、終わったら教えてくれ」


「あいよ」


Hはそう言ってからアタッシュケースを手に取ると、コーヒーを片手に奥の部屋へと入っていった。


相変わらず軽いやつだが、腕は確かだ。

気さくで人付き合いも良い、教授に気に入られて助手になれたのも頷ける。


さて、俺はどうしたものか。


あたりをキョロキョロと見回すが、特に興味を引くものはなく仕方なしに、そこら辺に積まれていた難しそうな本に目を通すことにした。

これならよく眠れそうだ。


本を開き椅子によっかかりながら、しばらく本と睨めっこをしていると、案の定大きなあくびが出てきた。


そのまま本を置いて腕組しながら目を瞑る。

意識が淀み、体から力が抜ける。


どれくらい立っただろうか、寝ているのか寝ていないのか、自分でも識別できないでいると、不意に腕を引っ張られた事により、俺の意識は戻った。


「おっ、もう分かったのか?」


そう言って後ろを振り向く。


誰もいない。


「H?」


辺りを見回すがやはり誰もいない。


おかしいなと頭を捻っていると、またもや腕を引っ張られた。


「おい、さっきから何な、」


少しムッとしながら後ろを振り向いたその時だ、


能面のような子供の顔があった。


まるで血の通っていない、生気のない青白い顔の子供が、着物姿で俺の後ろに立っていた。


叫び声を上げそうになった、が、声が出ない。


首が動かない、目が子供から逸らせない、いや、体が動かない!?


心臓が恐ろしいほどの速さで鳴っているのが分かる、早すぎて止まりそうだ。


俺の体は椅子に縛り付けられたかのように、その場で固まってしまった。


目の前で子供が動く。


両手がスゥッと上がり、青白い両の手が、俺の首にまとわりついた。


まるで氷の塊を首に押し当てられたかのように冷たい。


必死に首を振ろうとするが無駄な抵抗だった。


両の手は俺の首を握り、やがて、


「グっ!?」


その手に、徐々に力が込められていく。子供の力とはとても思えない力で、


息ができない、圧迫され血が逆流していく、意識が……


ガチャッ、


突然ドアの開く音が鳴った、と同時に首にまとわりついていた手の感触がスッと消えた。


「ぐはぁっッ!?」


堰を切ったかのように、俺の口からは咽るような咳が漏れた。


突然のことにHが俺の側に駆け寄ってきた。


「おいどうした?大丈夫か!?」


「ゴホッ、はぁはぁ……」


視界が鮮明になり、辺りを見回すが子供の姿はもうない。


あれは……なんだ?


「おい、その首!?」


Hが気味の悪そうな顔で俺の首元を指差している。


「えっ?」


思わず首をさすりながら、近くにあった鏡を見ると、


「こ、これ……!?」


俺の首には、薄っすらと赤黒い痕がついていた。よくみればそれは小さな手のような痕にも見える。


あれは、夢じゃない……


ゾクゾクとした悪寒が体中を駆け巡り、今すぐにでも胃の中のものをぶちまけたい衝動に駆られた。


「おい、まじでどうしたんだお前?その首といい……もう今日は病院行って休め。とりあえずデータ採取はできたから、あとは成分表と照らし合わせるだけだ、何か分かったら連絡するからさ」


Hは俺の肩を軽く叩きながら、心配そうに言ってくれた。


「あ、ああ悪い、そうするよ……」


その後、俺はHに言われるまま預けたアタッシュケースを返してもらい、大学を後にした。


Hに首の件は病院に見せたほうが良いと言われたが、それはおそらく無駄だろう。

気遣いはありがたいが、今はこいつの情報が少しでも欲しい。


「T・K……」


不意に、俺は呟いた。


√が教えてくれた名前だ。

こいつの……ミイラの生前の持ち主。


俺はすぐにスマホを開くと、名前を打ち込み、火災事件のキーワードと共にその名前を探した。


検索を続けること数十分、おそらくこれではないかという事件にヒットした。


亡くなった人物は生前変わった趣味があり、コレクションの数々を別館に収めていたらしく、火元はそこから上がったとの事。


変わった趣味のコレクション、名前も一致する。おそらくこれに間違いはないだろう。


有難い事に場所もそう遠くはない。大学前の駅から二駅行った先だ。


俺はスマホをしまうと、おぼつかない足取りで駅を目指した。


正直今日はHの言うとおり無理せず休みたい、しかしさっきの研究室で見たあれは……。


ふと、視線を地面に落とす。


あれが一体何なのか、それが分かるまでは家にいても落ち着けはしないだろう。


ジリジリと音がしそうな午後の日差し、照り返すアスファルトに眩暈を覚えながらも、俺は顔を上げ、再び駅を目指し歩き始めた。


やがて駅に着いた俺は、切符を買いホームへと向かった。

夏休みに入ったせいか、電車を待つ人の姿もまばらだ。

椅子に座ろうか迷っていると、案内のアナウンスが流れ始めた。


《間もなく、電車が……》


俺は座るのを諦め線路側に立つと、向かってくる電車に目をやった。


ドンッ


「えっ?」


一瞬だった。


腰の部分に衝撃があった。体勢を崩しながら瞬間後ろを見た。


子供だ、着物姿。

だが顔が……顔がグチャグチャだ。顔の中央が陥没したかのように窪み、頭は割れてしまっているのか赤黒いものが飛び出ている。


一瞬で心臓が凍りつく。


「うわぁぁっ!!?」


思わずアタッシュケースを放り出しながら、俺の口から絶叫が漏れた。


線路に転倒寸前で、俺の脚はなんとか線路際で踏みとどまった。


そのまま足から崩れ落ち、その場にへたり込む。


「はぁはぁっ……!?」


息を切らしながら辺りを見回す、子供の姿は……ない。


何だ今のは……子供の顔が……


大学で見た子供の顔とは違う。


顔が潰れていた、グチャグチャに……いや、それよりも今俺は……


押されたのか?


あの子供に?いや……得体の知れないあの何かに?


──ガタンゴトン。


電車がホームをゆっくりと過ぎていく。


突如襲ってくる身震いに、俺は両手を肩に回し、震える自分の体を押さえつけた。


殺されるのか……俺?


「あの、大丈夫ですか?」


不意に声の方に振り向くと、駅員が心配そうにこちらを見下ろしていた。

手には俺が落としたアタッシュケースが握られている。


俺は駅員から差し出された手を取り立ち上がると、


「す、すみません」


と慌てて礼を言い、アタッシュケースを受け取りながら、丁度開いた電車の中へと急いで飛び乗った。


ふらついた足取りで空いた席に座り、今起こった事を思い起こす。


「何なんだ一体……くそっ!」


ドガッ、


先ほどまでの恐怖が一気に怒りへと変わり、俺は座っていた椅子を強く殴りつけた。


が、すぐに電車内にいた数人の乗客が一斉にこちらに振り向いたため、俺は視線を避けるようにして、寝たふりを決め込むことにした。


20分程電車に揺られ、やがて目的の駅へと到着。


先ほどのこともあり、俺は警戒心を強めながらホームに降り、急いで改札口を抜けた。


続く。

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