第35話 バッテリーは大丈夫よね!

 その時、圭子の脳裏に、ひとつの答えが浮かんだ。

 論理の外に転がっていた、ひとつの、答えが。あまりに馬鹿げた、しかし、なぜか確信のある彼女の最適解が。

「……わたし、バカだな」

 突然、圭子はそうつぶやくと、アルバートの頭に手を添えてそっと持ち上げた。その、人間にしか見えない顔にささやく。

「待ってるわよ、アルバート。プロフェッサーが病院のみんなが患者さんたちが、ううんそれだけじゃない、きっとこれからあなたが救っていく世界中のたくさんの命が……」

 いいながら、圭子はさらにアルバートの顔を持ち上げ、そこに自分の顔を近づけた。

「なにより、わたしが。だから、ね、起きて」

 二人の距離が近づく。

「アルバート」

 と、その時だ、アルバートの唇に触れようとした圭子の乾いた唇に、静電気が作り出した小さなスパークが飛んだ。

「いたっ」

 圭子はその痛みに対する当たり前の反射で顔を遠ざけようとした。しかし、そんな圭子の頭を後ろから優しく引き寄せる手がいつのまにかそこにあった。

「え?! アルバ……」

 その手は、優しく、しかし力強く、2つの顔の距離をゼロにする。

 圭子の躰から力が抜け、唇を触れ合わせたまま訪れるしばしの沈黙が続いた。やがて、ふたつの唇はゆっくりと離れた。

「はぁ、普通キスで起きるのはお姫様でしょ」

「すいません、これからたくさん勉強していきます」

 そういったアルバートは、少し目を伏せたような気がした。恥ずかしそうに目を伏せたように圭子には感じられた。

「もう、いいかな?」

 突然の声に圭子は目を上げる。

 すると、いつの間にそうしていたのか、玄関先に銃を構えた男たちがひしめくようにずらりと並んでいた。

「デリカシーないんですね、国防総省って」

 圭子の言葉に男は銃をおろし、ピクリとも表情を変えずに問う。

「直った(・・・)のか、それは」

「ええ、治った(・・・)はずよ」

 圭子はそう言うと、ゆっくりと立ち上がって続けた。

「だからあなた達に、アルバートは渡せない」

 そう言って男を睨んだ圭子の横に、アルバートは寄り添うように立ち上がった。

 それを見て、男は再び銃を構えなおす。

「そういうわけにはいかない。わたしたちはそのアンドロイドを引き取るのが任務なんでね。たとえ、スクラップになっていたとしてもだ。粉々に跡形もなく吹き飛んででもいない限り、な」

 男はそう言うと、ゆっくりと二人に近づくべく、土足で部屋に上がり込んだ。

「さぁ、おとなしく渡すんだ」

 三メートルほど向こうで、男は優しく催促する。

 だが、その誘いにアルバートがゆっくりと答えた。

「申し訳ありませんが、その命令にはお答えできません」

「なに?」

「わたしには待っている人がいます。それは、あなたの連れていこうとするところにはいません」

「おかしなことを、お前のようなものを何が待っていると言うんだ」

 男の言葉に、今度は圭子が一歩前に出て答えた。

「医師を待っている人なんて、患者に決まってるじゃない」

 圭子はそう言うとアルバートの手を握りしめた。

「アルバート、いやドクター・アルバート・伊東はこれから先たくさんの命を救うわ。彼を待っているのは、そんな彼にしか助けることのできない数え切れない命たち。彼の手で生きながらえることのできる、たくさんの未来」

 いいながら、圭子はふと表情を緩めた。

 そうこの手なら救える。私には救えない患者も、きっとこの手なら救える。数多くの患者さんたちを、途切れるはずの未来を繋ぐことが出来る。

「それに、そんな命のひとつはあなたの大切な人かもしれない」

「馬鹿げたことを」

 男は、今度は心底苦々しい表情を浮かべる。それを見つめながら、今度はアルバートが口を開いた。

「馬鹿げてはいません。私には私にしか救えない命がある。そのひとつがあなたの大切な人である可能性はゼロではありません」

 そう、それはゼロではない。

 データベースに照会しなくとも、高度な計算をしなくともわかる。医師の持つ可能性という名のゼロではない数値だ。

 医師がいる限りゼロになることのない、形を持った、希望という名の数値だ。

「根拠は?」

 男は、今にも銃爪を引きそうな気合をみなぎらせてアルバートを睨む。

「ありません」

 それに怯むことなく、アルバートはそれがさも当然であるかのように答えた。

「ない、のか」

「ええ、医師が命を救うのに理由は必要ないのです」

「理由はない。そうか、そうなのか」

 男はそう言うと、フーっと大きなため息をついてゆっくり銃をおろした。

「わたしが命じられたのは、故障寸前の危険なアンドロイドの回収だ」

 いいながら、男は後ろを向く。

「青臭い理想論を唱える、人間臭い医者ではない」

 そう言うと、男はハンドサインを送って後続の人間になにかの指示を送ると「まったく、なんて仕事だ」とつぶやきながら玄関へゆっくりと足を進めた。

 玄関を出るその時、小さな声で意外な言葉を放った。

「土足で入って、悪かったな」

 その言葉に、たまらず圭子は「プッ」と吹き出した。

「礼儀正しいんですね」

「ああ、だってここは」

 そう言うと男は軽く手を上げ、頬に張り付くインカムに向かって「目標の破壊を確認。指定のアンドロイドは跡形もなく消失していたため回収は不可能。以上」と早口で告げると「ここにアンドロイドはいないようだ。どうやらここは、人間の住処のようだからな」と言い放って風のように去っていった。

 いままでのことが嘘のような静けさに包まれた部屋。

 残されたアルバートは、呆然と呟く。

「人間の……ですか?」

「ええ、そうよ、ここは人間の住んでいる、家よ」

 アルバートの問いに、圭子はそう答えるとウーンと大きな伸びをした。

「ああ、もう、最悪な夜だったわ!」

「すいません、でも、本当にこれでいいのでしょうか?」

 アルバートはそう言ってうなだれる。

 そう、彼は、うなだれたのだ。

 人間のように。

 当たり前に、人がそうするように。

「さあ知らないわよ、わたしは医師、政治家じゃないわ。でも」

 そんなアルバートを優しく見つめながら、圭子は少し楽しげに、そして優しく続ける。

「でもね、キスで目覚めた王子様の命が助かったんだから、結論はひとつしかないのよ」

「えっ?」

 戸惑うアルバートを圭子は正面から抱きしめる。それに答えるように、アルバートの大きな手が圭子の背中をそっと包むように抱きしめた。

 そのとき、二人が持つスマートフォンが赤色に点滅し、ビープ音とバイブレーションを発した。赤の点滅は、最高レベルのドクターコール、緊急呼び出しだった。

「圭子先生、命を助ける仕事が入ったようです」

「そうね、行きましょう。バッテリーは大丈夫よね!」


「スーパードクターアルバート・伊東」完

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スーパードクター・アルバート伊東 @takumi296

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