第30話 最後のバージョンアップ

 圭子は、日曜に出勤していた。明日は2件の難しい手術があるため、そのシミュレーション手術を行うつもりだった。どちらも3、4時間は掛かる手術である。患者はどちらも、働き盛りの年齢だった。若いからと言う訳ではないが絶対に失敗できない。何としても助けるのだ。そんな決意が心の中にあった。

 一方、アルバートのことも気になっていた。昨日は、足の動きが思うように行かなかったらしい。しかし足だけの問題だったので手術は最後まで一人で終らせることができたのだ。これなら、一か八かの危険なバージョンアップをするよりも、何とか直す方法を考えた方が良いのでは? そんな考えもが圭子の頭を何度もよぎった。

 今回の方法は、アルバートが再起動できない可能性も高いと聞かされた。ドクター・マユミも、そのときに死んでしまうかもしれない。彼女の意志が強いのはアルバートを死んだ息子と同じように考えているからだろう。例え、余命が残り少ないとしても自ら命を縮める行為は医師として賛成できない。そんなことを考えながら、3Dプリンターの模型を手術台に置いた。そこへ、看護師の佐藤麻衣が入ってきた。

「圭子先生、おはようございます。明日の練習ですね? 圭子先生なら失敗なんてするはずないのに!」

「おはよう、麻衣ちゃん。そんなことはないわよ。私が、もし失敗しないと言うならそれは、必ずこの練習をするからよ」

「え、そうなんですか? 私は、圭子先生の守護霊が強いのかと思っていたんですよ。ほら、今そこに・・・・・・」

 圭子は後ろを振り向きながら叫んだ。

「もう、止めてよ。麻衣ちゃん。こっちは真剣なんだから。でも今日は出勤日なの?」

「そうなんですよ、来週は土日お休みを頂くので、今週は昨日も今日も仕事です。昔はこんな職場をブラック企業って言ったらしいですよね?」

「今は、そんな言葉はないわ。仕事の量はすべて個人の裁量だから。医師は元々そうかもしれないけど。でも私達は人の命を助ける仕事をしてるんだから、いいじゃない。感謝される仕事なのよ」

「ええ、そうなんですけど。私の霊の力だけで何とか助けられれば、もっと良いんですけど」

「麻衣ちゃん、それならこの病院も、私の練習もいらないわ」

 圭子は、肩を落しながら佐藤に言った。佐藤もまた、頷きながら、部屋を出て行った。どうも、あの子は変なところがある。どこまで本気で言っているのか分からない。気は利くし良い子なんだろうけど。理解できないところがある。圭子はそんなことを思いながら、3Dモデルを見た。

 一人目は胃を半分切除する胃がんの手術だ、深度はⅡB。明日の午後一番に手術することになっている。真理香ちゃんという幼稚園の娘さんがいる男性患者だった。圭子は、その真理香ちゃんとお父さんの病気を治すと約束している。

 圭子は、女の子の顔を思い出しながら、3Dモデルにメスを入れた。その合間に、アルバートの顔と、ドクター・マユミの声が入り交じる。

「集中しろ! おまえはドクターだ」

 自分の声が、頭の中で響く。医師とは何か。その声に圭子は、反問する。

 3Dモデルと一時間半の格闘の末、胃を半分切り取って終えた。手術の映像を見ていた、判定機は無事終了の表示を出している。

「よし! 次!」

 誰もいない、手術室の中で、圭子は拳を握った。

 次は、心臓のバイパス手術だ。冠動脈バイパス手術は、心臓手術の中でもっとも多く行われる手術だった。狭くなった心臓の冠動脈に、iPS細胞を使って作った人工血管を繋いで、迂回路を作る。昔は、体の他の部分から血管を切り取ってそれを繋いだ。iPS細胞のお陰で、切り取る必要は無くなっている。

 しかし、それでも、直径二ミリや一ミリ半程度の血管につなぐ細かい作業であることから、手術の出来不出来は執刀医の腕によって大きく異なる。また、手術時間が長くなると合併症を加速度的に増加させるため、スピードも要求される手術である。本当ならアルバートの方が執刀するはずだった。

「彼みたいに早くはできないけど、何とかする!」

 そんな声がまた、頭の中で響く。

「やっぱり、彼は必要なのよ。この病院にとって必要なのよ」

 昨日の手術の後、アルバートの言った言葉が思い出された。

『圭子先生、あなたがいてくれたお陰で、思考回路の負担が減ったようです。それで、制御の方は、足の問題だけで済みました。ありがとうございます』

『アルバート先生、私は何もしていません。ただ横にいただけです』

『いえ、だから万一の時の心配をしなくて済んだんです。手術を成功させられないなら、私に存在価値はありません』

『アルバート先生、絶対にそんなことはありません。この病院の皆んなが先生を頼りにしています』

 そのとき、アルバートが笑ったように見えた。アルバートの笑顔を見たのは初めてだった。人の命を助けるために存在するアンドロイド、それがアルバートだ。では、自分はどうだろう。圭子の頭の中を再び言葉がよぎる。マッカーシー夫妻の話によれば、アルバートは患者の痛みや苦しみを知っていても、理解はしていないと言う。でも、自分は理解しているだろうか?

 胃がんの患者の娘さんと約束はしたが、もしそれが守れなくても、ごめんなさいと言うだけではないか? そもそも、人の気持ちを理解できるか? アルバートは、手術の成功だけに全力を尽くす。昨日の手術では、出血が多くなったとき以降、指の動く早さが二倍ぐらいになった。あれは、人間の動きではない。あんな早さで手術したら、誰もがアンドロイドかと疑ってしまう。幸い、昨日は看護師達もアルバートを賞賛するだけで終った。アルバートは、どうするつもりなのだろうか?

「とにかく、こっちを終らせよう。今夜にでも、もう一度アルバートと会って話そう」

 圭子は、そんなことを考えながら、3Dモデルを切っていた。そのとき、突然アラーム音が鳴った。表示を見ると、血管を傷つけたようだ。

「ダメだわ。やり直し。でもこの患者さん、血管が奇形なのね。気を付けなきゃ!」

 圭子は、念のためと必ず模型を二つ用意している。

 予定の時間を大幅にすぎて、後片付けを終ったときは、夕方になっていた。圭子は、時間が気になっている。何か、妙な胸騒ぎがすることで、佐藤麻衣を思い出しながら、アルバートに連絡を送った。

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