第29話 医師の責任とは何か?
「ええっ! そうなの柴崎さん。それ、本当?」
圭子は、あまりの驚きで柴崎の肩をゆさぶりながら叫んだ。
「多分ですけど。前にそんな話を科学雑誌で読んだことがあります」
「マユミ、そうなのか? それじゃ、認める訳にはいかない。そんな危険なことはできない」
『収、私の命は、もう数日しか持たない。もう、助かる見込みはないのよ。だったら、私は、私の命でアルバートを助けたい。もちろん、アルバートにも危険はあるわ。でも、私のデータなんだから、きっとアルバートは直るはずよ。親子なんだから! それに、私達は研究者なのよ。それも世界最先端の研究をしているのよ。お願いだから、分かって!』
マユミは、嗚咽するように叫んだ。細田も、ジンも圭子も、柴崎ももう何も言えなかった。沈黙の時間が過ぎる。
「マユミ、君は本当に変わらないな。私と別れてアメリカに残って。あのときから、お互い別々の道を歩いた訳だ」
『そうね、そしてあなたにはその素敵なお嬢さんがいる。私のアルバートを助けるチャンスが欲しいの』
「分かった、こちらからはもう何も言わない。いつ、やるんだい」
『準備が整い次第よ。明日か、明後日。でも、とにかくあなたたちは、一切関係しないで。知らなければ何も悪いことはないんだから』
「でも、もしアルバートが直らないときはどうなるんですか?」
圭子は、厳しい目で見つめながら、最後の質問を投げた。
「もしかすると、国防総省の工作員が来て、破壊するなんてことになりますか?」
マユミは、驚いた顔をして、しかし、しっかりと言葉を返した。
『・・・・・・そうはならないから。心配しないで。あなたのような女性と知り合えてアルバートは幸せなはずよ。あなたのためにもきっと直るから。信じて!』
同じころ、アルバートは、午後の手術の準備を始めていた。圭子は参加しなかったが、ミーティングも終了している。手術には立ち会うと連絡があったから問題はないだろうと考えた。手術前の回診も終えている。三浦真理子はすっかり元気になっていた。
事務所に戻ったとき、ふと机の上に置いてあった新聞が目に入った。
アルバートはネットワーク上からデータとして拾い出すため、文字データを目にすることはほとんどなかった。
「これは……」
地方新聞の中ほどにあったのは、『医師の責任とは何か?』という、そんな題名で書かれた、匿名の投稿だった。弱小の新聞社は、投稿記事などネットでは掲載していなかった。アルバートが目にした記事には、見覚えのある老人の容体と、圭子が最後まで手を尽くしながらも死んでしまった、あの少年の事件のことがあわせて載せられている。
投稿者は20歳の医大生で、医師を志して勉強している中で見たニュースに、ショックを受けたと書いてある。女子学生は自分の祖母を事故で失っていたが、治療してくれた医師には感謝しているという。
その理由を、彼女はこう書いていた。
『先生は祖母が助からない可能性の方が高いのに、手術をしてくれました。手術には人件費も、労力も、機材のコストもかかります。また先生が手術をしなければ、その費用を私たち家族は負担しなかったでしょう。でも、そんなことよりも、助けるといって最後まで頑張ってくれた先生に憧れて、私は医師を目指すことにしました。手術のあと、祖母は一時的に元気になり私と話しもできました。ほんの数日でしたが、最後のお別れの話ができたのです。助けられないからと言って、患者を見捨てるような真似をするのは、いくら優れた先生の判断でも、私は疑問を感じてしまいました。医師の責任は、医師が決められない。患者が決めるものだと、私は思うからです』
彼女の意見に賛同するような投稿が、そのあとに三つほど続いていた。
読み終えて、アルバートはそれが世間の意見であり、事実なのだと認識できた。実際、データ上にも同じような記事や意見は、多数存在していた。だがそれをアルバートは、事実だからと処理していたのだ。
「……事実? そう、事実だ」
アルバートにとって、事実は言語を決める一つの理由でしかなく、そのせいで何かを制限されるべきではない。自身が制御するために扱うデータの一つでしかなく、アルバートには患者を救うべきという使命と条件があるのであって……「違う」……急に強い否定の言葉が思考回路に入ってきた。
アルバートは、考える。
圭子の顔が、過る。
自分の医療はなんだったのだろうか。そんな答えはデータのどこにも、ネットワークにも、マユミから教えられた知識にももちろんない。ふと、「助けられる命とはなんだろうか?」という疑問がメモリ内に浮かんできた。続けて、「人は、助けられるかどうかをどのように判断しているのだろうか?」と二つ目の言葉も浮かんできた。またしても、自分の中の自分と話しながら机の前の椅子に座った。こんどは、足の制御に問題が発生しているようだ。
アルバートは、圭子に連絡を入れた。手伝って貰うしかない。
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