第28話 ジンとマユミの告白

 海を挟んだ日本では、圭子と柴崎が細田の部屋に来ていた。細田の部屋にある大型のモニターはそのまま、インターネットの通信装置と繋がっていて、複数の相手と会話することが可能である。また、自動翻訳装置も付いているため、翻訳された言葉は字幕で見ることができる。だが、言語学的に遠い言葉では、翻訳の精度はそれほど良くはなかった。

「これから、アメリカのプロフェッサー・ジンとドクター・マユミに連絡を取る。私は2人と面識があるが、二人とも軍の手先になるような学者ではない。それは保証できる。今回のことは何か深い事情があってのことだと思う。そのことは圭子も柴崎君も先に理解してくれ」

「院長、それは分かります。事情が事情ですからそこは慎重に聞きましょう」

 圭子は、硬い表情で答えた。柴崎は、黙って頷いている。

「それでは、始めよう! 現在、向こうは夜の9時くらいのはずだ。まだ寝てはいないだろう」

 細田は、そう言って、グループ会話のアイコンをクリックした。相手は、ジンとマユミである。

「プロフェッサー・ジン、ドクター・マユミ。話があるんだが可能ですか?」

 呼び出しの音だけが響いている。応答はまだない。細田は、続けて同じことを言った。三十秒ていどの時間の後、マユミの声がした。

『収、私よ。マユミ。しばらくぶりね。アルバートのことをお願いしたとき以来かしら。そちらは、土曜の朝よね。おはようと言った方がいい?』

「いや、まあ、そちらは夜だろ。こちらはその通り朝だが、もしかしてベッドの上かい? 寝るにしては早いだろ?」

 ジンが、割って入った。

『ドクター・細田、おそらくアルバートのことだと思う。それは私が説明する。マユミは病気なんだ。それも命に関わる病気なんだ。すまんが彼女は休ませてくれないか』

 細田は、驚いた表情でモニターを見た。しかし、マユミは笑っている。

『大丈夫よ、今、治療が終わって落ち着いているの。あなたの顔も見て元気になったわ。アルバートのことでしょう。本当にごめんなさい。ここは、軍の施設なの、私たちはここに軟禁状態。すべてが監視されているわ』

「それじゃ、この話も盗聴されているのかい?」

『いえ、それはないわ。この通信は盗聴されないから大丈夫よ。ジンが考えた通信方式で絶対に盗聴できないの。最初、あなたに送った通信装置があったでしょう。あれを付けた同士だと盗聴はできないのよ。だから今は安全に話せるわ。電話にも付けられるから、付けておいて。確か3つ送ったはずよ』

「マユミ、それは分っている。受け取ったよ。しかし、そんなことよりも君の顔色は良くないようだね」

 細田は、モニターをのぞき込むようにして話した。

 圭子は、ドクター・マユミと面識がない。しかし、心臓外科の世界的権威としてマユミ・マッカーシーの名前は知っていた。

「ドクター・マユミ、初めまして。細田圭子です。院長である細田の娘で、普段は圭子と名乗っています。アルバート先生から知らされていますか」

 圭子は、母親が亡くなった大学生のとき以来の苗字を使って、自分の名前を言った。

『ええ、アルバートから聞いているわ。優秀でチャーミングな女性ドクターだって』

 圭子は、アルバートが、そんなことは言うはずがないと思いながら、顔が熱くなった。「本当に、顔色がすぐれませんね。余計なことかも知れませんが、お休みになった方がよいと思います」

『大丈夫よ。いいから説明を聞いて。もう、分かっていると思うけど。アルバートは、私の夫、ジン・マッカーシーが開発した、アンドロイドのドクターよ。もちろん、依頼主は国防総省。長期の宇宙旅行や極地での作戦で宇宙飛行士とか兵士の命を救うことを目的に作られたアンドロイドなの。バイタルの測定器だけで20以上も内蔵されている。指先は1ミクロン単位で制御されているの。世界中の医学論文もたった1晩で1万本以上取り込むことができる。どんな医者よりも優れたドクター、それがアルバートなの』

 柴崎は、手帳に話をメモしている。その後顔を上げて、口を開いた。

「そのアルバート先生なんですが、故障と言うか何かトラブルが発生しているようなんです。それに、たとえどんなに優れたアンドロイドでも、直接手術にあたるのは、法令無視になります。それは日本でもアメリカでも同じはずです」

 細田が、柴崎を制止するように話し出した。

「マユミ、とにかく、分かってしまった以上、このままでは拙い。この病院の存続に関わる大事だ。分解しろとは言わないが何とか安全にアメリカに返すことを考えている」

 圭子は、ハッとした顔で細田を見た。

「ちょっと待って、まだそんな話は何も・・・・・・」

「圭子、そんな話も何もそれ以外に方法はない。今なら、知らなかったことで何とかなるが、これ以上は無理だ」

「今日の手術はどうするつもり?」

「圭子! おまえが何とかするしかない」

『収、ちょっと待って。気持ちはわかるけどちょっと待って。あなたの病院に迷惑をかけることはないわ。ねえ、ジン、最悪の場合でももみ消されるでしょう』

『ドクター細田、それにドクター圭子。この実験にはアメリカ側から日本政府にも圧力が掛かっている。万一のときでも表沙汰にはならない。むろん、それで良いとは思っていない。もちろん、マユミもだ。先ほど、そちらの男性が話したとおり。今、アルバートは深刻な問題を抱えている。彼の制御を司る、OS部分のコアにバグが発生している。彼のロジック回路に矛盾が生じて、それが手足の制御に影響を与えているようだ。日本時間の昨夜、尽くせる手はすべて試したが今のところ直っていない。問題点がどこにあるのかすらも分からない状態だ。現在もプログラムのチェック中だ』

『収、アルバートは、12年前、交通事故で亡くなった私達の息子なの。彼のDNAからiPS細胞で再生した本物の息子の肌を持っているのよ』

「凄い技術ですね」

 柴崎がまた、口を挟んだ。

「しかし、それとこれは別の話だ。機械に手術をさせて万一のときはどうなる!」

「院長、いえお父さん。それは私達が手術してもおなじことでしょう。それに故障さえ直れば、アルバートの方が失敗の可能性はすくないのよ。プロフェッサー・ジン、そうですよね? それに直るんですよね。アルバートは!」

『ドクター・圭子、ありがとう。昨日は、アルバートのことも助けて頂いたようね』

 その直後、マユミはまた激しく咳き込んだ。口を覆ったハンカチには血が付いていた。

「ドクター・マユミ、大丈夫ですか? こちらからよく見えませんが本当に苦しそうです。お休みになった方が・・・・・・」

『いえ、このことだけは、収にお願いしたいの。私達二人は命に替えてもアルバートを直してみせる。だから、もう少しのあいだアルバートのことは秘密にして』

「直せる見込みはあるのかい?」

『ええ、必ず直る方法があるの。ねえ、ジン、直るわよね!』

 ジンは、黙って首を横に振った。

『いかん、その方法はダメだ!』

『もう、決めたわ。あなたがダメと言っても私はやるわよ!』

「2人とも、もう少し説明して頂けませんか? どうするんです?」

『人の思考データをアルバートの回路に融合させるのよ。そうすることで、自己矛盾に悩まされることがなくなるのよ。あなたたちだって、自分の中に矛盾した自分はいるでしょう。でも、人間はそれで制御不能になったりしないのよ。今、アルバートは、人の気持ちを理解し始めているの。上手くいけば、患者の苦しみや辛さを理解できるスーパーアンドロイドになるのよ』

『マユミ、待ってくれ。あまりに危険だ。なぜ、そう・・・・・・』

『私には、時間がないのよ! 分かるでしょう』

「プロフェッサー・ジン。それにマユミ、どんな危険があるんだね。教えてくれ、そうすればこちらも協力できるかもしれない」

「そうですよ、ドクター・マユミ。今、プロフェッサー・ジンが言った危険って何ですか。教えてください」

 柴崎は、黙って聞いていたが口を挟んだ。

「ドクター・マユミのデータを取り出すつもりですね。それで若しかしたらドクター・マユミは、そのときのショックで死んでしまうかも知れない。それに、アルバート先生も制御不能に陥る可能性もある」

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