第26話 秘密の露見
細田は、バスの片付けと駐車を終えて、走ってきた。息が上がっている。
「大塚君、君のお兄さんだが、取りあえず、CCUと言って、冠状動脈集中治療室に入れる手はずになっている。そこで検査をしてから再手術かどうかを決める。それで良いかね?」
「先生、でも医療費の方は・・・・・・?」
「心配ない! ここは私の病院だ。こんな緊急事態なんだ気にすることはない。これからも向こうで私の仕事を手伝ってくれれば良いんだ」
話している間に、病院の入り口に到着した。事務方の責任者である、齋藤が待っている。他に数名の看護師もいた。
「細田院長、お帰りなさい。お疲れさまでした」
皆が、一斉に言う。
「ああ、挨拶はあとだ。この患者さんと患者さんの弟さんだ。大塚さんという方だ。冠状動脈集中治療室へ入れてくれ。圭子が、診るのは難しいのか?」
圭子は、考えてから答えた。
「院長、このあと詳細を話しますが、今日は午後からアルバート先生の手術を手伝います。今回はできれば他の先生にお願いしたいと思います。大塚さん、すみません」
大塚は、とんでもないと言ったそぶりで首を振った。
「とんでもありません。ここまでして頂いて。先生を指名するなんてできませんよ。兄だってそんなことは考えていません。それにこんな凄い病院ですから皆さん名医なんでしょう?」
「大塚君、その通りだ。まったく心配はいらない。齋藤君。それじゃ心臓外科の桐生先生に頼んでくれ」
「細田院長、桐生先生は丁度本日出勤されています。すぐに連絡します」
「それじゃ、宜しく頼む。これまでのカルテはすぐに君と桐生君に送る」
「承知しました」
齋藤は、言われたとおり、心臓外科の桐生医師に連絡を取り始めた。看護師たちはストレッチャーを押している。大塚はその後を追った。
細田と、圭子、他に柴崎が後に残った。
「院長、それで今回のことは説明して頂けるんでしょうか?」
「説明も何も、見たとおりだ。もう隠すつもりはない」
「いえそう言う話じゃなくて。あのバスを見て、さっきの大塚さんの話を聞けば大体の想像はできるわよ。私の訊きたいことはそうじゃない。どうして、こんなことを病院の誰にも言わないで、秘密にしていたのかってことよ。だから説明してよ」
細田は、黙っている。しかし、何か考えたように頷いた。
「そこに座らないか。柴崎君も時間があるなら座ってくれ。実は、昨日の夜中のうちにバスで向こうに向かって心臓の手術を終らせた。疲れているんだ」
「院長、そうでした。どうぞ座ってください」
入り口のラウンジ部分にはイスやテーブルが置いてある。柴崎は、細田や圭子にイスを勧め。自分は、コーヒーの販売機から三人分のコーヒーを持ってきた。
細田は、礼を言いながら、話し始めた。
「圭子、柴崎君。このバスは6年前から首都圏で医療不足になっている地域を回っている。と言っても、この病院から片道3時間以内でいけるところだけだ。医療崩壊の酷いところを木戸君に調べてもらって、現地の人たちと話し合いで決めている。これは私のライフワークみたいなものだ。回数で言えば、ひと月に10~11回だ。土曜は行けるときだけ、日曜日はなるべく2箇所を回っていた。」
圭子は驚いて、コーヒーを溢しそうになった。
「日曜は全部使っていたの? 休み無しで!」
「そうだ、それでも・・・・・・」
細田は言いかけたが、口を濁した。
圭子が、細田の言葉を補った。
「1人じゃ、それほど出来ないわよね、1人じゃ」
細田は、頷きながら続けた。
「おまえ達に、ゴルフと言っていたのはすべて嘘だ。主に健康保険に入っていない人たちを診てるんだ。繰り返すが、日本の医療が上手く行かなくなっているのはおまえも分かっているはずだ。だから、このバスの診療は、ほとんど無料で診ている。とは言え私が助けている人たちは、数百人に過ぎない。微力とも言えないほどの小さな働きだ。だが、これは節子の願いでもあった」
圭子は、驚いた顔をした。また、日曜日は、政財界の人たちとゴルフだと言っていたことも思い出した。考えて見れば、ゴルフと言っていながら日焼けした細田を見たことがなかった。しかし、ここで細田が母のことを言葉にしたところに意識が向いた。
「お母さんがどうしたっていうの? 私は多分何も聞いてないと思うけど」
「節子は医者じゃないが、病院の経営には明るかった。彼女もこのままでは、日本の医療制度が崩壊すると思っていた。今のビジネスは節子も一緒に考えていたことだ。その病院が出来たときに亡くなってしまったのが残念だったがね。本来は国がしっかり医療制度を守るべきだ。しかし、目の前で患者の相手をする我々が、行政を批判しても事態はなにも変わらない。だったら自分たちの手でできることをすればよいのだ。節子もそう考えていた」
「……そう、そんなことがあったのね。私、あのころまだ医学部の学生だったから」
「良いんだ。私もちゃんと説明しなかった。私にも落ち度はある。ただ何となく、いつか分かり合えるとも思っていた。ただそれだけだ」
「そう言えば、子どものころ、院長、いや、お父さんが言ってたわね。一隅を照らせって。でも皆んなでやればもっと出来たんじゃない。バスだって二台とか三台にして」
「そうはいかん。何しろ、無料の診療であり治療だ。世界中の金持ちからこの病院でお金を集めて、このバスで金を使っている。ビジネスとしては成り立たない。この先、どう発展させようか考えていたところだ。私はね、圭子。節子が、おまえの母親が癌で亡くなったとき本当に後悔した。しかし、節子の残したノートを見たとき、救われた。節子は、おまえが、いつか立派な医師になって病気で苦しむ患者を助けて働いてくれることを本当に望んでいた。私は、いつか分かり合えると思いながら、おまえにも自分で考えて欲しかった。これからの社会の中で医療はどうあるべきで、医師はどのような医療を行うべきかをだ。病院は経営が成り立たなければ倒産する。しかし、医療というものは経営だけを考えていてはダメだ! 節子は、私にそのことを教えてくれた」
圭子は、自分が知らないところで、両親は結ばれていたことを知った。また、自分が、医療の中の医術だけを見て、病院の経営ということをまったく考えていなかったことも思い知らされた。細田が圭子の顔を見ると、いつの間にか、顔が明るくなっていた。細田は続ける。
「おまえも、医師のジュネーヴ宣言は知っているだろ? あの通りだ。しかし、あの宣言を守るために私は、おまえ達に隠し事をしていた。許してくれ。こんど病院の会議の席でこのことは皆んなにも話す。うちの病院が給料面で大したことがないのもこれが原因だ。分かって貰えなければ、退職されても仕方がない」
ジュネーヴ宣言とは、1948年9月の第二回世界医師会総会で規定された医の倫理に関する規定だ。ヒポクラテスの誓いの倫理的精神を現代化・公式化したものである。数回の改定を経て、現在の版に至る。
現在のジュネーヴ宣言の主だった内容は、
全生涯を人道のために捧げる。
人道的立場にのっとり、医を実践する。(道徳的・良識的配慮)
人命を最大限に尊重する。(人命の尊重)
患者の健康を第一に考慮する。
患者の秘密を厳守する。(守秘義務)
患者に対して差別・偏見をしない。(患者の非差別)
など、11の項目があった。
「ジュネーヴ宣言なんて、言わなくても、皆んな分かってくれるわよ。ねえ柴崎さん」
柴崎は、何も言わずに頷いた。
「こんどはおまえ達の話を聞く番だ。何かあって私を探していたんだろう。木戸君も困っていた」
柴崎は、ついに来たかといった顔をした。今度は、圭子も話しにくそうな顔をしている。
「木戸さんのことは……彼女を責めないで、お願いだから」
「ああ、それはもう良い。責めたりなんかしない。彼女だけがこの活動を知っていた。だから、外部との連絡や調整も彼女に頼んでいた。逆に謝らなければならん。それよりも、おまえ達の話だ」
圭子は意を決したように頷いて話を始めた。
「お父さん、いえ、院長はアルバート先生のことを知っているの? 知っているなら教えて欲しいのよ。どうして彼がこの病院に来たのか? どんな知り合いなのか?」
「ん……? それはどう言う意味かね?」
「彼が、その……、彼の……」
細田は、いつもと様子の違うハッキリとしない圭子をみて驚いた。こんな歯切れの悪い娘を見るのは初めてかもしれない。ふと、細田は思いついたように言った。
「圭子、おまえまさか、アルバート君と。えっ! まさかそうなのか? 彼の子どもを妊娠したのか?」
その言葉で、柴崎は吹き出した。コーヒーがこぼれている。
「何言ってんのよ! まったく分かってないわね。何で私が妊娠する話になるわけ」
圭子は、顔が赤くなっていた。
「いや、おまえがあんまり歯切れの悪い言い方をするからね。それじゃ一体何かね?」
柴崎が助け船を出した。
「院長、アルバート先生はアンドロイドなんです。ですから圭子先生を妊娠させることはあり得ません。でも、院長はやはりアルバート先生のことを知らなかったようですね」
「アンドロイド? 一体そりゃどういうことかね?」
細田は、驚きながらもあまりに突飛な話が理解できないようだった。
「アンドロイドであることは、もう間違いないんです。昨日手術中にハッキリしました。圭子先生の助けがあって患者さんは無事です。でも、その私なんかには想像も付かない超が付くような高級複雑なメカで、今、問題が起きているようなんです。今日も十五時からアルバート先生の手術があります。ですから、今後のことを考えなければなりません。これは病院の危機です」
圭子が、口を開く。顔の色はふつうに戻っていた。
「医師法違反、医療機器等法にも違反。でも、彼の医療技術は素晴しいし、病院の宝。人の病気を治すことが目的のアンドロイド。それが彼の本当の姿」
柴崎が補足する。
「これも推測ですが、開発元は米国国防総省のようです」
「国防総省? それは、本当かね? 戦争をする組織がアンドロイドのドクターを開発しているのか? とにかく対処しないといけないな。アメリカじゃ夜中かもしれないが、プロフェッサー・ジンとマユミに連絡を入れてみよう。私は、大塚君を見てから部屋に向かう。十五分後に私の部屋に来てくれ」
細田は、立ち上がりすぐにエレベーターへ向かった。圭子と柴崎は、時計を確認して頷いた。
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