第24話 父と娘
翌朝、圭子は院長の細田と話をする前に、自分の患者を診ておこうと思った。病院には朝7時に出勤していた。今日は土曜日のため平日よりも出勤してくる医者や看護師は少ない。
真っ先に向かったのは四階のナースセンターだった。ナースセンターでは宿直の看護師が作業をしていた。
「おはよう!」
「圭子先生、ずいぶん早いですね。どうしたんですか」
「ええ、今日はちょっと色々用があるものだから、早く来たの。三浦さんのことも気になっていたしね。アルバート先生からは何か連絡はない?」
「あっ! メールは入っています。腕の麻痺は大丈夫だから今日の手術は予定通りに行うそうです。それだけです」
「そう、良かった。取りあえず、三浦さんの様子を診てくるわ。夜中はどうだった」
「いえ、昨夜はよく眠っていたようです。熱もないし苦しがっていることもありませんでした。お薬も寝る前に」
「そう、まあ行ってくる」
「はい、わかりました」
圭子は三浦の部屋に向かった。三浦は、ここ数日間の睡眠不足のせいか七時を回った今もまだ眠っていた。圭子は、額に手を当て熱がないことを確認した。すると、三浦は目を覚ました。
「先生……あっ、おはようございます。今、何時ですか?」
「ごめんなさい。おこしちゃったわね! 今、七時を過ぎたところ。でも、大丈夫そうね。これならもう心配ないと思うわ」
「ええ、ありがとうございます。嘘みたいに体が楽です。これならリハビリも始められます!」
「そうね。でも今日は土曜日だから、月曜日までは休んで。後で看護師さんが点滴も持ってくるから。どうしても動きたかったら、ベッドの上で体を起こすぐらいにしといて」
圭子は、微笑みながら三浦に告げる。
「ありがとうございます。そうします」
「うん、それじゃ。あとでアルバート先生も来ると思うけど。こちらからも連絡しておくから」
「はい、分かりました」
圭子は、ナースセンターに向かい、点滴の指示を行った。その後、自分が担当する患者の元へ向かった。6階の部屋の18名が圭子の担当だった。6階のナースセンターでも、あまりに早い圭子の出勤に看護師達は驚いていた。圭子はとにかく18名全員の回診を終え何事もなかったことに胸を撫で下ろした。こんな日は予定外の治療で時間を奪われたくないと思っていたからだ。自分の診察室にもどり、他の予定なども確認を終えた。月曜日には手術が2件入っている。本当は今日と明日でシミュレーションを終らせるつもりだった。しかし、今日は止めておこうと思った。明日、二つのシミュレーションをやれば良い。そう決めた。時計はもう8時半を過ぎている。柴崎に連絡を入れた。
「おはよう! 柴崎さん、これから院長のところに行くけど。用意はどう?」
「やっぱり私も行くんですね? あっ、すみません。おはようございます」
「来てよ、メカの説明は柴崎さんがしてよ。もちろん、向こうが分かっているなら必要ないけど」
「その、院長の怒りに触れてクビになったりしませんよね?」
「さあ、それはどうかしら?」
圭子は、電話で話しながら笑っている。
「勘弁してくださいよ! お願いですから、万一のときは助けてください」
「ああもう、分かったからとにかく来て」
病院は、20階建ての建物であり、院長細田の部屋は20階にある。圭子は院長室に向かった。エレベーターを降りて部屋に向かうと、細田の部屋の前には秘書である木戸さゆりがすでに座っていた。
「木戸さん、おはよう。院長に緊急で話があるんだけど、いる? 昨日の夜も伝えたわよね?」
「圭子先生、おはようございます。それが、院長は急用で埼玉の秩父まで出掛けています」
「えっ! 今日は土曜日よ。秩父って? ……一体急用って何? まさかゴルフじゃないわよね?」
圭子は、細田が国会議員などとよくゴルフに行っている話を聞いたことがあった
「それが、私も詳しくは伺っておりません。申し訳ありません。すでに向こうを出発されて、十時ころにはこちらに到着するはずです。ゴルフではないはずです」
確かに、時間的なにはゴルフと言うことはないだろう。
「まったく、何やってんだか! それじゃ待つしかないわけね。モニター電話でも良いけど……?」
圭子は、電話で話す内容ではないと思いつつ、早く話を終わらせたいととも思っていた。
「それにしても、朝早く、向こうを出たってことは昨夜のうちに秩父まで行ったってこと? 自分の病院を放っておいてまったく何をやってんだか」
「いえ、院長はそんな方では……」
「木戸さん、あなた何か隠しているでしょう、教えてよ。別にあなたから聞いたなんて言わないから。院長は、こんな時間に秩父にいるわけでしょう。一体何があったの? 私、昨日の夜、院長に話があるって伝えたじゃない」
「すみません。本当に詳しいことは知らないんです」
病院が出来た当時から働いている木戸のことは圭子も良く知っている。おろおろする彼女をこれ以上責めたくはなかった。しかし、圭子は、母の具合が悪くなって危篤状態になったときのことを思いだし、腹が立ってきた。あのときも何度連絡を取ろうとしても父親である細田には、電話さえ繋がらなかった。この病院を建てるために奔走していたと聞いたのは後の話だった。圭子から見ると、細田は、死ぬかもしれない妻のことであってもそれをおいてビジネスを重視しているように見えた。
「分かった。それじゃとにかく待つことにする。10時よね?」
その言い方には棘があった。しかし、木戸は気に掛けずに答える。
「圭子先生、その通りです。途中で連絡が入ると思います。でも院長を誤解なさらないでください」
「誤解も何も、内緒で秩父まで行っているのは事実なんだから。まさか急病人という訳ではないでしょうに」
若葉の怒りをおさめようと木戸は柔らかく返す。
「えーと、そのー……、その院長も多忙な方ですから、実のお嬢様である圭子先生にはご理解頂きたいと思っております」
「木戸さん。私は若林節子の娘であって、細田収の娘じゃないのよ!」
圭子は、死の床で夫を待っていた母を思い出した。父は、その前から、ずっと家庭を顧みずビジネスに熱中していた。具合が悪くなった母を見舞ったのは数回しかなかった。
「そんなことをおっしゃらなくても、院長も本当に……その御苦労されているはずです」
「木戸さん、何を言ってるの? とにかく待ってるから」
圭子は、足をエレベーターに向けた。ここにこれ以上いても仕方がないと思ったからだ。いずれにしても、細田が到着するまで1時間以上はある。エレベーターの前に立ったときドアが開いて、丁度柴崎が出てきた。
「圭子先生、どうしたんですか? 目がつり上がっていますよ。殺気のオーラが!」
「バカなこと言わないで! 院長は留守!」
「えー! 良かった。それじゃまだ何も言ってないんですね」
「そう、でもあと1時間で到着するらしいわ」
「?? ……意味が分かりません。どこから戻られるんですか?」
「よく分からないけど、昨夜の内に秩父まで行ったらしいわ」
圭子の言葉に柴崎は、驚いたと言った表情を見せた。
「どうしてまた、秩父なんかに? 鮎釣りじゃありませんよね?」
「院長は、釣りなんてしないわよ。ゴルフはするけど時間が変だし。ビジネスの話でも時間が合わないわね、夜中なんだから」
「でも、それじゃどうするんですか? 例の話は」
「1時間で帰ってくるんだから、一度患者さんのところに戻って、また来るわよ。柴崎さんもそうして」
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