第23話 人が人らしいということ

 アルバートは、着替えをすまし足早に病院出入り口に向かった。そこには、約束通りすでに圭子がいた。

「アルバート、念のため聞くけどバッテリーは後どれくらい保つの?」

 圭子が小声でアルバートに囁く。

 アルバートは、心配しなくて良いと言うような仕草で、圭子に答えた。

「バッテリーの残量は1時間程度です。でも、家までは30分あれば到着できます。念のため余分な制御に関しては省エネルギーモードに変更ますが、問題ないと思います」

アルバートの言葉に、圭子は安堵の表情を見せた、この時間ではタクシーを拾えない歩いて行くしかないと思っていたからだ。しかし、病院を出て数メートルも歩かないうちに、先日の事故で亡くなった子供の父親に会った。

「あんた、このあいだの先生だろ? 俺のこと覚えているよね?」

 アルバートは頷きながらも、圭子の前に出た。圭子も女性としては背が高い。170センチぐらいはある。だが、アルバートは、180センチを少し超える長身だから圭子はその影に隠れてしまう。圭子は、アルバートが、自分を守るように前に立ってくれたことが嬉しく、思わず顔が赤くなったような気がした。だが、子供の父親は、先日のように敵意むき出しで近寄ってくることはなかった。アルバートは、先日の父親の表情と今日の表情をデータで比較していた。危険を示すシグナルは出ていない。

「先生、俺、謝りにきたんだよ。この前は、シンジが死んだばかりで頭に血が上ってたんだ。犯人は元、俺の会社の従業員だった。昨日捕まってニュースに出たから知っているかもしれないけど」

 圭子は、言われて、昨日の夜見たニュースを思い出した。アルバートはテレビを見ないため、瞬時にニュースをサーチした。二十件以上の記事が検索された。しかし、圭子もアルバートは、何も言わなかった。これまでのアルバートであれば、むしろ事件の詳細を相手に向かって話していたかもしれない。しかし、今日は言語回路がそのように働かなかった。

「あの男は、勤務態度があまりに悪かったんで、何度か怒鳴って・・・、それでも直らないからクビにしたんだ。それでそのことを根に持って……だから悪いのはむしろ俺だったんだ」

 男は、肩を落としてやっとの思いで話している。アルバートは自分の思考回路がこれまでと異なる反応をしていることに気がついた。しかし、それがどうしてなのか分からなかった。意表を突く言葉を男に言った。

「あなたは、悪くありません。悪いのは犯人です。それに、お子さんを助けられなかったのは我々の力が足りなかったからです」

 アルバートが言葉を続けようとしたとき、圭子が遮った。圭子は、アルバートの後ろから一歩前にでた。

「確か、青山さんでしたよね。シンジさんを治療したのは私です。私の力が足りなかったんです。だから、ご自身を責めるのは止めて下さい」

「先生、あっ、そっちの男の先生。なんかこの前と雰囲気ちがうな! そう言えば、あの後、おたくの上野っていう弁護士が来たんだ。丁寧に謝ってくれたよ。とにかく、ことを荒立てないでくれれば、病院としてはできるだけのことはしてくれるって。こっちも、あのときは弁護士を探して裁判にするつもりだったけど、あの上野っていう弁護士はすごい優秀でやり手らしいね。まあ、こんなすごい病院が雇っているんだからそうなんだろうけど。それで、元々病院の落ち度はないから、裁判はよせってこっちの弁護士は言ってたんだ。そうしているうちに、元従業員のあいつが捕まって……それで警察から連絡が来たんだ」

 男は、うなだれながらゆっくり話した。アルバートは黙って聞いている。子どもの父親はうつむいて、鼻をすすっている。圭子は、アルバートを見ながら、人が泣くと言うことをアルバートがどう思うのか気になっていた。自分は涙を流さなかったが、先日の屋上では、アルバートが来なければ泣いていたかもしれないと思った。

 アルバートは、男の方に寄って、話しかけた。

「青山さん、私から申し上げることではないのですが、とにかく気を落さず、残された家族を大切にしてください。あのご老人はあなたのお母様ですか?」

「いや、あれはかみさんの母親なんです。つまり俺にとっては義理の母親。先生が手術してくれたんだろ、助けてくれてありがとう」

「私は、助けられる命を助けただけです。お義母さんの生命力が強かったのです。私が助けたのではありません」

 圭子は、少し驚いてアルバートを見上げた。これまでのアルバートであれば、こんなことは人に言わなかったはずだ。今日の故障と何か関係があるのだろうか? そう考えながら二人を見ていた。

「とにかく、どうもありがとうございました。先日の失礼は謝ります」

 そう言って、男は歩いて行った。アルバートと圭子は、男の姿が見えなくなるまでその場で立ち止まっていた。しかし、圭子はふと我に返った。十分も経過している。アルバートを早くマンションに送らなければバッテリーが切れてしまう。アルバートを急かすようにマンション入り口まで送り届けて、帰りを急いだ。

「アルバート先生、今日は色々とありがとう。私も勉強になりました」

 アルバートは、圭子の言う意味が解析できず、言葉を返せなかった。やっとの想いでデータベースから見つけた言葉を返した。

「いえ、こちらこそありがとうございます。命を助けていただきました」

 圭子は、微笑んで軽く頭を下げ、帰りの道を急いだ。


 アルバートを自宅へ送った後、圭子は直ぐに病院へ戻った。それから二時間、圭子は、気になる患者の回診を済ませた。三浦の症状もすっかり治まっていた。今は、笑顔を見せている。それから、圭子は柴崎の元を訪れた。時間は二十時を過ぎていた。

「悪いわね、残業させちゃって! こんど本当にアイス持って行くから許して」

「いや、そんなことはどうでも良いですけど、子どもが喜ぶからアイスはお願いします。それよりももう詳しく教えてください。私は、さっき話した通りアルバート・マッカーシーが事故で死んでいる新聞記事を見つけたんです。タブロイド版の新聞一件しか取り上げてないので不思議なんですけど」

 圭子は、静かに頷きながら聞いている。この段階では、いずれにしても正解にたどり着けないことは分かっている。今は、ことの全貌を解明するより、この状態をどうするのが最善かを考えるべきだ。そう考えて、柴崎の方を向いた。

「これは、あくまで推測なんだけど、アルバートの背中のボタンというかさ、あのリセットスイッチ。要するに国防総省のマークでしょう? 彼は軍の秘密プロジェクトで創られたアンドロイドだと思うのよ。費用だってとんでもない金額が掛かっているはずよ。うちの病院にある手術ロボットの『ミケランジェロ』でさえ、三億円ぐらいするわよね。でもあれは人間が操作しないと動かないでしょう。アルバートは、まるで意志があるように自分でなんでも出来る訳でしょう。まったく次元が違うメカよね?」

「本当にビックリです。でも、これで頭の中にあったモヤモヤはスッキリしました。圭子先生は、院長のところに行くんですか?」

「それが、いつものお出かけなのよ。さっき木戸さんに確認したんだけど今日は帰らないらしいの。明日にするわ。でももし米国からお金を貰って手伝っているなら許せないわ。医師法にも違反しているし、公になれば間違いなく逮捕ね」

「この病院はどうなります? 圭子先生が後を継いで頂けるんですか?」

「はあ? 私は医師よ! 経営者じゃないわ。病院経営なんて冗談じゃない! 柴崎さんは路頭に迷うかもね!」

「えー! それだけはご勘弁を! 今長女は医大の受験なんです。私立に行くかもしれないし、お願いします。何とかしてください」

「私は知らないわよ。そんなことより患者さんのことを心配して!」

「それは分かってますけど」

 柴崎は、うなだれてもじもじしている。妻である淳子にもいつ連絡すべきかを考えているようだ。圭子には、それが妙に可笑しかった。

「大丈夫よ、淳子さんなら柴崎さんと別れてもお嬢さんを育てていくはずよ。自分の心配しなさいよ」

「それはないですよ。私たち夫婦は深い愛情で結ばれています」

 圭子は、がくりと肩を落して柴崎の方を見る。

「分かった、今日は帰るわ」

「えー! 本当にこの病院大丈夫ですよね?」

 圭子は無言で、柴崎の部屋を出てナースセンターへ向かった。


 そのころアルバートは、部屋で充電をしながらジンやマユミと通信を行っていた。アルバートからのデータは一部解読できないデータになっていた。ジンは、応急処置として部分的な修正を試みたが上手く行かなかった。

『アルバート、不思議な現象だが原因は間違いなく昨夜のバージョンアップとそのときの停電だ。OSの重要な部分のバージョンアップだったから、急な電源遮断でインストールミスが発生したのだと思う。バージョンアップ部分のバグではない』

「了解しました。でも、ハード系の故障ではありませんから……すぐには直りませんか?」

 ジンは、首を傾げながら難しい顔で黙っている。マユミは不安な表情で送られてきたデータとジンの顔を交互に見ている。

『今日は直せないかもしれない。明日は、手術があるようだから休むわけにはいかないだろう。今日のようなことにならなければ良いが、正直なんとも言えない』

 マユミは黙り込んでいたが、急に口を挟んだ。

『今日、あなたを助けてくれたドクター圭子は、明日も手伝ってくれるの?』

「それが、今の段階では何とも言えないのです。頼んでみることは可能です。しかし、アンドロイドのことが分かってしまってそれはどうなるのでしょうか? 病院にも迷惑がかかるかもしれません……あるいは、ドクター圭子にも。彼女は私の恩人です」

『アルバート、すでにその言葉が君の状態を示しているんだ。君にとって、人の命を助ける、助けられる命を優先する。最後に自分がアンドロイドであることを知られないようにする。これが君の三つの原則だ。だからそれ以外を重要な考慮項目に入れることはないはずなんだ。しかし、今君は周りの人の迷惑まで考えている。その範囲がどんどん広がるとフレーム問題を引き起こしてしまう』

 アルバートは、黙って聞いている。

「私が人間のように考えているということですか?」

『簡単に断言するわけにはいかないが、今の状況はそれを示している。ただし、人間は、その思考範囲を“常識”の中で限定する。これが人工知能と人間の知能が大きく異なるところだ。残念ながら今もって、どうすればそれが克服できるのかわからない』

「すぐに解決はできないということですね?」

『取りあえず、そちらの時間で朝まで時間をくれ。今、日本は何時かね?』

「間もなく22時です」

『間もなくか? 実に人間的な言い方だ』

 ジンは、マユミに目配せしながら微笑んだ。

『上手く行く保証はないが、とにかく手を尽くしてみる。そちらは、充電をしっかりやってくれ。今日は停電にならないだろうね?』

「今日は天気が良いですから大丈夫だと思います。間もなくスリープモードに移ります」

 アルバートは、再び「間もなく」と言う言葉を使った。

『分かった、後はこちらに任せてくれ』

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