第22話 仕事は患者の命を救うこと

 そのとき、手術室の隅に置いてあったアルバートと圭子のスマートフォンが鳴った。圭子は、すぐに画面をチェックした。四階のナースセンターからだ。病院内では、外から救急患者が運ばれてきたとき、「一階・救命」と点滅する。また、自分が担当する入院患者の病変ではそのフロアーのナースセンターから連絡が入ることになっていた。

 圭子は、アルバートと一緒に見た不眠を訴えた女性であると直感的に感じた。

「アルバート、たぶんあの患者さんだわ、急ぎましょう。あなたと最後に診た人。できるわよね?」

「三浦真理子さんですか?」

 人の名前は瞬時に検索できるが、アルバートには事態を理解することができなかった。そのため行動に移ることができず、訳がわからないと言いたげな顔をしている。しかし、圭子は患者の名前よりもあのときの苦しみを訴える表情が頭の中にあった。

「そうだった三浦さん。さすがね、早く! あ、白衣はこれ着て」

 圭子は、手術室にあった予備の白衣を渡す。しかし、アルバートには丈がだいぶ短い。

「ちょっと変だけど、この際仕方がないわ。早く行きましょう」

 圭子に急かされ、アルバートは動きだした。圭子が見る、アルバートは自分の中の違和感を無視して、患者の元へ駆けつけることを優先しようとしている。そこには、普段の妙にすましたアルバートとは別の姿のアルバートがいた。今、アルバートは、容体が急変した患者の元へ行くことを優先させている。これが、本当にアンドロイドなのかとの思いがよぎった。

 圭子は、振り向きざま柴崎にも叫んだ。

「柴崎さん、ありがとう。あとで時間をください。取りあえず、ここはもう大丈夫」

「わかりました、後は片付けますから患者さんのところへ急いでください。アルバート先生もどうぞ」

 圭子とアルバートは、柴崎に頭を下げ、四階へと向かった。


 走って駆けつけた二人は、連絡を受けてから患者のところまで三分とかからず到着した。しかし、患者の容体は午前中とまったく変わっていた。看護師が熱と脈を測っている。

「圭子先生、十数分前から急に苦しみだして! 局所的な腫脹、疼痛、紅斑も診られます。体温は三十九度、脈拍は百二十ぐらいです」

 アルバートは、なにが起きたのか判断できなかった。データの中にはない症状、また、午前中までの患者のデータからは予測できない症状だった。アルバートは、患者の脈を診ながら首を傾げる。

「これは?」

 圭子は、看護師に血液検査の結果を訊いた。

「まだ、出てないんです。こちらに連絡が来てません」

「えっ、午前中に頼んだのに? それじゃすぐに問い合わせして。それと、クリンダマイシンⅡを持ってきて!」

 アルバートは、その言葉を聞いて圭子を見た。

「劇症型溶血性レンサ球菌感染症ですか?」

「おそらく、そうだと思うわ」

 そのとき、電話で話していた看護師が圭子につげた。

「圭子先生、A群溶血性レンサ球菌、陽性でした。一時間以上前に分かっていたのに連絡が遅れたそうです。申し訳ありません」

「まったく何やってんだか! 分かった、でも大丈夫よ」

 圭子は、すでに患者に注射を打っている。

「以前は手遅れになると助からない場合もあったけど、今はこの薬もあるし、発症してまだ三十分も経っていないでしょう。大丈夫よ」

 アルバートが、話を聞いていた圭子につぶやく。

「圭子先生、私は何を見落としたのでしょうか? イヤ! 圭子先生はどうして劇症型溶血性レンサ球菌感染症を予測できたのですか?」

「私も、予測できたわけじゃない。でもなんとなく気になって血液検査は頼んでおいただけ。アルバートは、検査の数値を信じたんでしょう。私は、この患者さん、三浦真理子さんの表情と苦しいという話を信じただけよ」

「なんとなくですか?」

 アルバートが聞き返した。

 圭と子は、アルバートの表情を見ながら、アンドロイドに「なんとなくは理解できないか?」と思った。しかし、アルバートの真剣な表情を見ていると、言葉が出なかった。

 しばしの沈黙のあとアルバートは圭子の方を向いて話した。

「今日は、あなたに2回助けられました。本当にありがとう」

「そんなことは、どうでも良い。私達は、患者の命を救うことが仕事でしょ。この三浦さんの命も、あなたの命も」

「私の命ですか?」

「そうよ、あなたの命」

 圭子は、笑顔でそう言った。

「それよりも、今日は帰った方が良いわ。三浦さんは私が診るから心配しないで」

 看護師は、心配そうにアルバートを見ながら言った。

「そうですよ、手術中に手が麻痺したって、お話でしたよ。もう大丈夫なんですか?」

「多分……大丈夫です。ご心配をお掛けしました」

 圭子はそれを聞いて、アルバートの耳元で囁く。

「バッテリーが切れたら大変だから、今日は帰って!」

 圭子は、アルバートにそう告げてから、これは家まで送って行った方が良いかもしれないと考え直した。アルバートのマンションは歩いても三0分程度のところにある。少し急げば直ぐに病院に戻ってこれる。

「あっ、アルバート先生、やっぱり気になるから家まで送るわ。すぐに行くから先に玄関に行ってて。私はまた戻るから白衣のままで行くから」

「圭子先生、大丈夫ですよ。そこまでしなくても。」

 アルバートは、首を横に振りながら、圭子に言う。

「万一のことがあると、大問題になるわよ」

 圭子は、小声でアルバートに耳打ちした。

「分かりました、ありがとうございます。お言葉に甘えます」

「そうして」

 圭子と看護師に頭を下げて、アルバートは去った。圭子は、患者の三浦を再び診察して、表情からも苦しさが消えて落ち着いたことを確認した。さらに、看護師が測った体温を見た圭子は満足そうに頷いた。圭子は、この後、アルバートを送って病院に戻らなければならない。細田とアルバートのことを話すつもりなのだ。できれば、柴崎にも一緒にいてもらいたいと考えた。そのため、柴崎にメールを送った。

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