第20話 非常停止

 アルバートの手が動き出した。圭子も久しぶりに見た。この病院に来たとき以来だ。速い、すでにこの患者を手術したことがあるような速さだ。切除範囲はそれほど小さくない。事前検査では転移は見られなかったが、万一のこともある。食道癌の手術はどうしても広い範囲を切開して転位を確認する必要がある。また、今回の食道癌部位は、最も発生が多い胸部中部食道癌である。食道癌の半数以上はここで発生する。食道癌は、開胸開腹を伴う手術であり、消化器癌手術の中でも最も侵襲の大きな術式だった。短い時間で早く終らせることは、患者の負担を下げる効果が大きい。アルバートの手術は数分で患部を確認出来るところまで切開が進んだ。

 圭子は自分がやっても10分や20分は掛かるだろうと思いながらアルバートを見ている。指先の動きはやはり見事だ。今まで、コミュニケーション能力ゼロのイカレタ日系人だと勝手に思っていた自分がなんとなく恥ずかしくなっていた。やはり、医者はその能力で評価されるべきだ。アルバートは、ヘッドルーペを付けないため横で見ても瞳の動きが良く分かる。

「癌組織と見える部分をレーザーメスで切除します」

 圭子がアルバートの声を聞いたときには、既にレーザーメスを手にしていた。いつ、持ち替えたのか分からなかった。しかも、左手に持って、そのまま切除を始めている。アルバートは右利きではなかったのか? そう言えば、両手のどちらでも縫合ができると聞いたことを思い出した。また、圭子は、アルバートがバイタルサインをほとんど確認しないことにも気がついた。聞いていたことだが本当にそうだった。だが、投薬の指示もまったく間違いなしの正確さだった。

 主要な施術を終えたとき、圭子は時間を確認した。14時だった、残り時間で縫合は終るだろう。「1時間20分」とミーティングで言ったとおりだ。また、圭子はここで手術室の雰囲気が普通と異なることにも気がついた。妙に静かなのだ、計測器の動く音がハッキリ聞えるほど静かだ。考えてみればすべてが予定通り、問題が起きないから、手術室が静かなのだ。最初、そんなことを感じるゆとりもなかった。

 開腹、切除と順調に進み、もう縫合となったとき、圭子はアルバートの動きに違和感を覚えた。

 次の瞬間、アルバートは、縫合糸を摘まむピンセットを床に落した。しかも、右手が痙攣している。

 圭子は、すぐにアルバートの異変に気付いた。

「アルバート先生、どうしたんですか? 何かありましたか? さっきから変ですよ!」

「圭子先生、縫合を、代わって、ください。指が、・・・うごきません」

 アルバートは、妙にゆっくりした間をおいて、声を発した。圭子にはそれが、人間の声と思えなかった。まるで、スピーカーから出る声のようだった。手術室が急にざわめきだした。皆が心配そうにアルバートを見る。

「分かりました。場所を変わってください、私が縫合します。アルバート先生のようにはできないけれど、後は縫合だけだから心配はいりません。早くそこを動いてください」

 ぎこちなく動くアルバートの足は、以前見たことがある、院内の故障したアンドロイドの動きと同じだった。圭子はすぐに察した。アルバートの隣から手術台を挟んで反対側に移動した。

「福田さん、血圧と脈拍を確認してください、縫合を始めます。皆んな心配しないで後は縫うだけだから」

「血圧、脈拍ともに正常です! 血中酸素も、問題ありません」

 圭子は、ヘッドルーペを付けて縫合を開始していた。0.4ミリの針は、釣り針のようにJの字に曲がっている。針先の反対側には黒い糸が繋がっている。圭子は、ピンセットで針を摘まみ、切開した部分を丁寧に縫合いていく。食道癌の切開部分は広く長い。だが、圭子の手の動きは正確だった。しかし、頭の中ではアルバートに何が起きたのか気になっている。集中しろ、何度も自分に命じて縫合を終了した。

「終了」

 時間を確認したら14時五15分だった。アルバートは、手術のときと同じ場所で立ち尽くしている。手術が終っても動かない。看護師たちは心配そうに声を掛ける。アルバートは声に反応するものの体の動きが異常だった。

 圭子は、アルバートを心配して、背中を手で擦るようにした。何となく熱い。そう感じながら手を背中の下の方に下ろした。熱源は、背中と腰の間辺りだった、人間の体温ではない、四十度以上はあると思った。

 異変を感じた圭子は、看護師たちに患者をSICU(外科用集中治療室)に移すように命じた。その後、アルバートのことは自分に任せるようにと説明した。また、麻酔医である大谷には、院長にアルバート先生の具合が悪くなったことを伝えて欲しいとたのんだ。全員が、一斉に動き出した。圭子は、手術室にアルバートと二人になってから、柴崎に電話を入れた。

「柴崎さん、圭子です。二階のC手術室まで来て貰えませんか、大至急です」

 柴崎は、圭子の声から何か重大なことが起きていることを感じた。

「わかりました、すぐ行きます。丁度、手が空いたところでしたから大丈夫ですよ、気にしないでください」

 手術室には、アルバートと圭子だけがいる。柴崎の部屋からここまで来るのに三~四分は掛かるだろう。そう考えながら圭子はアルバートの顔を見た。

「何が起きたの? 背中がもの凄く熱くなっている!」

 アルバートは、頷いた。

「手術では助けて頂いて、ありがとうございます」

「こそんなとを訊いているんじゃない、背中の熱さは何なの? 人間の体温っていう感じじゃない!」

 数秒の沈黙があった。アルバートは、ゆっくり頷きながら口を開いた。

「病気ではありません、バッテリーの異常消耗です」

「バッテリーって? まさか本当なの? あなたアンドロイドなの?」

「その質問には答えられないようになっています。でも、故障かという質問には答えられました。ロボットとかアンドロイドと問われると違う回答をするようにプログラムされています。すみませんが、もう一度背中の腰の辺りを触っていただけませんか? 温度が分かると良いのですが」

 圭子は言われたとおり、手術着を脱がせ、服の上からアルバートの背中を触った。どう考えても四十度~五十度はある。

「服の上からでも、病気で高熱になった人の額より熱いわ」

「原因は不明ですが、バッテリーの異常消耗が起きているようです。……このままでは一時間から二時間で完全停止になると思います」

「ちょっと待って、頭が混乱してる! あなたのことは、何となく怪しいとは思っていた。どう考えてもなにもかにも変だった。柴崎さんももう来ると思うけど、最初に気が付いたのは彼なの。でも、こうやって面と向かってアンドロイドと話していると思うと混乱する。本当にアンドロイド? ……あっ、これじゃ答えられないのよね? 私が訊いていることは本当なの?」

「本当です。ただし、詳細を聞き出そうとしても無駄です。答えられないようにプログラムされています」

 アルバートがそう告げたとき、柴崎が手術室に入ってきた。

「圭子先生、どうしたんですか?」

「柴崎さん……、あなたが正しかった」

 圭子は、目に涙を浮かべている。どうして涙がでるのか自分でも分からなかったが、なぜか酷く悲しい気持ちになっていた。

「正しいって……、なにが正しいんです?」

「アルバートが、アルバート先生がアンドロイドだったってこと。今、彼は故障して瀕死の状態……」

 圭子はうつむいてそう話した。柴崎は、アルバートの方を向いた。

「アルバート先生、何がどうなったんですか? 私にも教えてください。こんなときは、協力しますよ」

 圭子が口を挟んだ。

「自分のことに関しては、話せないようになってるらしい。だから直接アンドロイドかと訊いても答えられないようなの」

「そうなんですか?」

 アルバートは何も言わずに黙って頷いた。

「それに、今はとにかくこの状況を何とかしないと。この手術室は十七時から別の手術があるはず」

 圭子は、自分の妙な気持ちを振り払い患者を助けるときと同じ自分になっていることに気がついた。アルバートは、細田高度治療センターにとっても、多くの患者にとっても、自分にとっても必要だと自覚できた。

「そんなに急に言われても無理ですよ」

 柴崎は手を振って無理だというジェスチャーを見せた。

 短い沈黙のあと、圭子は何かを決意したように口を開いた。

「柴崎さん、もし、アルバートが人間で、今瀕死の状態だったら同じようにする? そんなわけない。何とか助けようと全力を尽くすわよね? 医療に携わる人なら誰だって、そうするでしょう? 助ける方法はあるはず。今日、アルバートの手術を見てて思ったの。彼は、必要なのよ。患者さんのためにも、この病院のためにも。彼には、患者を助けるという純粋な思いしかない。今となっては、アンドロイドなんだから当たり前かもしれないけど! でも功名心とか、名声とか、お金のためとか、そんな雑念がないのよ。患者の命を救うことだけを目的にメスを使っている。私も誤解していたけど、私たちよりも純粋に患者の役に立とうとしているのよ」

 柴崎は、黙ってうなずく。

 圭子はアルバートの方を向いて話しかけた。

「こんなときのためのデータとか、修理方法はインプットされてない訳?」

「公式データにはありません」

 アルバートは、の沈黙を挟んで再び口を開いた。

「開発者の一人が、万一のときのためのリセットスイッチを教えてくれました。データとして入力ではなく、口頭で教えてくれました。しかし、その方法が正しいのかどうかわかりません。私自身の構成図や回路図は持っていないのです。シーケンスラダーも、自分では見ることも触ることもできません」

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