第17話 アクシデント

 落ち着きを取り戻した病院の中で普段通りに時間が過ぎていく。そんな一日は、意外と早く終わるように感じるのだろうか。いつもより若干の体温上昇と顔面の紅潮が見られる看護師たちを追い越すように、アルバートは最短経路で帰宅した。彼は、慣れた手つきで充電を開始していた。同時に報告データの送信が行われ、いつものようにマユミが声をかけてくる。

『アルバート、調子はどうかしら?』

 言葉を発するときに、また咳がでた。

「特に支障はありません。稼働時間についても、目立った変化はありません。それよりも、咳の周波数が前回と異なるようです。検査はしましたか?」

『ええ、大丈夫よ。ただの疲れよ! それとここの空気が悪いのかも?』

 そう言って、マユミはカップを取り、コーヒーをゆっくり口に運んだ。

 マユミは、アルバートがマユミのことを心配して言っているのでないことは承知している。彼は、病気の人間を治すことを目的に作られている。病気と思われる人間には必ず同じようなことを言うのだ。体内にある分析器を使った結果が、病気の兆候をしめしたからそう言っただけだ。だが、実の息子と同じ顔、同じ声で自分の健康を心配してくれる言葉を聞いたとき、マユミは思わず相手を心配させないように嘘をついた。自分たちが作り上げたアンドロイドに嘘を吐く意味などないことは真由美にも分っていた。しかし、真由美は検査などしていないにも関わらずアルバートに嘘を吐いた。本当に自分の息子であれば同じように言うだろうと考えながら。

『そう。今のところは、ひとまず安心できそうね。もちろん、今後バッテリーを交換する可能性はあるけれど。それと、今日はOSのコア部分をバージョンアップするわ。だから、普段のスタンバイより、もう一段深いスリープ状態になるの。論文の検索と取り込みはできないから、そのつもりで。……えーと、初めてじゃないわよね?』

「スリープ状態は承知しました。でもアメリカで一回行われただけです。日本へ来てから遠隔での操作になりますから、初めてです。OSバージョンアップは履歴もありません」

『そうだっけ、あなたみたいに何でも記憶できたら良いんだけど。それはむりね』

 回路内に響く声へ几帳面に返答しつつ、アルバートは小電力モードに移行し、ソファへ身を沈めた。体のバランスを取るときと取らないときではバッテリーの消耗が異なる。

『それじゃあ、今日のデータ報告をお願いね』

「了解しました」

 ややあって、マユミが驚いたような声を上げる。

『……あら、今日は病院全体でも手術が少なかったのね』

「はい、もとより私の予定としても一件しか入っていませんでした。病院全体でも普段の半分以下でした。それに、緊急手術もありませんでした。昨夜、院内の停電というアクシデントはありましたが、通常業務に支障は出ていません」

『ええ、そうみたいね。嵐の前の静けさじゃなければ良いんだけど。それじゃ、バージョンアップ開始するわ。スリープに移って』

「準備OKです、30秒でスリープ状態になります」

 ゴロゴロと、遠くから雷鳴が聞こえてくる。それはアルバートの耳という名のマイクを通して、マユミにも伝わったらしい。

『あら? そちらは天気が悪いみたいね?』

「はい。日本時間午後六時ころより、急速な気圧低下により、日本全体が悪天候に見舞われている状態です。後十秒でスリープです」

 真由美はアルバートの状態を確認して、バージョンアップをスタートさせた。

『OK、始めるわよ』

 真由美は独り言のようにそうつぶやく。さらに……

『アメリカほど落雷の被害はないけれど、万一があるから充電を予備電源の方に変更……』


 その時だった。

 モニターを見ていたマユミは、カッ! と激しい閃光に驚いた。アルバートの瞼を貫いた稲妻の光がデバイスを通して米国にいるマユミまで届いたのだ。一瞬の後、アルバートとの通信が途絶えモニターはアルバートの状態を映さなくなった。

「アルバート? アルバート?」

 すぐさまマユミは、周辺情報をチェックした。反応が遅い、データがすぐに来ない。マユミは何度も、アルバートを呼び出す。じりじりと待っていると、アルバートのマンション自体が完全に停電していることが分かった。どうやら、マンションの避雷針に落雷した結果、マンション内が停電してしまったらしい。アルバートの住まいは、築三十年以上の古いマンションだった。なるべく、住民が少ない住まいを選んだための結果だった。また、これはマッカッシー夫妻も危惧していたことだが、日本では、インフラ施設の老朽化が目立っていた。緊縮財政を続けてきた結果だが、アルバートの実験を決めた国防総省にはむしろ都合が良かった。途上国や未開の地でもアルバートが無事動くことが確認出来るからだ。とは言え、いきなりジャングルや砂漠で実験はできない、先進国でもなく、未開の地でもない日本。それが、アルバートを日本へ送った理由の一つだった。

「どうした、マユミ」

 あまりに慌ただしい気配に、夫であるジンが近づいてくる。ジンは、数メートル離れた作業机でバッテリーのチェックデータをパソコン画面で見ていた。ジンと一緒にが面を見ていた軍服の男もマユミを見つめる。

「ああ、ジン。日本で停電があって、アルバートと通信ができなくなっているわ。ちょうど、充電とOSのバージョンアップを始めたところだったの!」

 どこかヒステリックに叫んだマユミに、ジンは落ち着かせるようにその背を撫でる。

「落ち着いて。まずは再起動をまとう。停電を復旧させるなんて芸当は、こちらからはできない。OSのバージョンアップというタイミングは……」

 ジンは何か言いかけたが、マユミを必要以上に心配させまいとそれ以上続けなかった。

「大丈夫だ、アルバートには保護機能も修復機能も何重にも付いている」

「だけど……!」

 マッカーシー夫妻は、過去に息子を亡くしている。だからこそ彼らにとってアルバートはただのアンドロイドである以上に、まさに息子のような存在だった。現にアルバートの皮膚は、彼らの息子の細胞が使われている。たった数ミリの厚さの皮膚でさえ、自分たちの手で生み出した可愛い子どものものだ。その子どもが、自分達の息子が危機に瀕しているかもしれない。

 そう思うと、マユミはいてもたってもいられなかった。

「大丈夫かしら」

「アルバートを信じよう、マユミ」

 ジンにそう言われて、彼女は顔を上げる。

「僕らのアルバートは、停電程度でどうにかなるような子じゃない。そうだろう?」

「……ええ、そうね」

 信じたいように、すがるように、マユミは頷く。

 日本との時差は、ここが東部なら十三時間程度だろう。アルバートの研究は軍の非常に特殊な研究だったため、二人は自分たちが今米国内のどこにいて、どのような施設の中にいるかも分からないのだ。出掛けるときは目隠しをされる。祈るような気持ちで、マユミはモニターの前に座り続けた。

「応えて……アルバート」

 しかしその祈りもむなしく、アルバートとの通信が途絶えてから四時間が経過した。ふいに軍服の男が口を開く。

「OSのコア部分に問題が生じた場合は、規定に従い、アルバート回収のための人員を手配します」

ジンとマユミは、見つめ合って息をのんだ。しかし、軍服の男は構わず続ける。

「私は人間だから、博士達の気持ちは分ります。また、博士達が合衆国政府に対し、貢献していることも承知しています。しかし、これはあくまでも実験です。今回上手く行かなければまた、アンドロイドを作ればいい。博士たちが望むなら同じ外見でも構いません」

 男は、鋭い眼光でマユミを見ながら、丁寧でハッキリとした口調で続けた。

「もう、間もなく4時間になります。規定ではOSの不具合から四時間で回収指令を出すことになっています。だが、あと30分、特別に目をつぶりましょう。しかし、あと30分待って再起動しなかったら、横須賀のエージェントに回収命令を出します。私にはその義務があります」

ジンもマユミもそのとき、アルバートがどうなるかは分っている。そのときアルバートは回収、解体されメモリや、記憶装置が抜き取られ他の部分は、海に沈められることになるだろう。

マユミは、何度もアルバートに呼びかけた。呼びかけながら、アルバートの状態を示す画面を見ていた。

 それから、さらに20分が経過した。ジンもマユミも時計と画面を何度も見ている。軍服の男は、無表情に腕時計をときどき見ている。マユミには、時計の針の動きが速く感じた。時計が進むのが早すぎる。そう感じた。25分が経過しようとしたそのとき、モニターが変化した。マユミは素早く近づき声をかける。

『アルバート? 聞こえるかしら』

「……再起動、完了しました」

 ノイズ混じりだった回線のかなたから、はっきりと声が聞こえてきた。ジンも、マユミもほっとする。

 軍服の男は、なにも無かったように再びバッテリーのデータを映した画面を見始めた。

『よかった……アルバート、何か変化は感じられる?』

「いいえ。内部の温度上昇、バッテリー異常も見られません。落雷による一時的な電気の過剰供給に伴うショートと考えられます」

『アルバート、OSのバージョンアップの結果はどうかね?』

 ジンが、割り込んで質問した。

「記録では、完了になっています」

『そうかい、こちらには何も表示されていないんだ。失敗とも成功とも出ていない。もう一度、見てくれないか』

「了解しました、……異常はありません。バージョンアップは終わっています」

『分かった。念のため調べるが問題はないようだ』

 マユミは、安心したように加える。

『そのようね。……こちらからも特に異常は見られなかったわ。でも今後のことを考えると何か対策を考えなくちゃね』

「はい。院内で落雷が発生した場合、同様のケースが発生する恐れがあります。一時停止による周辺への被害は、相当なリスクを伴います」

 研究所とのやり取りの最中も、アルバートからは今のショートに関するデータが転送されてきている。会話に関する部分はもちろんだが、身体の制御関係、医療機器検査機器関係もエラー表示はない。ネットワーク関係、バッテリーに関する回路等も支障はないようだ。

 キーボードを叩きながら画面を確認していたジンが、マイクに向かって話した。

『アルバート、私だ。何かエラー表示があったらすぐに報告して欲しい』

「了解しました」

 ジンは、満足そうに頷いた。

横にいた、マユミはその平坦な声にほっとしたような笑みを浮かべて、愛おしそうにモニターに表示されるデータを眺めるのであった。

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