第14話 アルバートの正体

 一方そのころ、柴崎はパソコンを使ってアルバートに関する疑問を調査していた。エンジニアの気質なのか、気になり出すと解決するまで落ち着かない、しかしこれほど気持ちが高ぶったのは久しぶりだった。柴崎が調べていたのは、iPS細胞に関する論文だった。アルバートが、怪我をしたことは知っている、圭子は「やっぱり人間だったと言った」しかし柴崎には、それだけでアンドロイドではないと思うことができなかった。

 論文には義手や義足にiPS細胞を使って再生した皮膚を移植する実験例が取り上げられていた。義手や義足に再生した皮膚を移植するのは不可能ではないらしい。しかし、今のところ、外からの養分補給は上手く行っていないせいか、一、二ヶ月でダメになってしまうようだ。アルバートがこの病院に来てからすでに一月半を過ぎた。もし、人工的に移植した皮膚ならもう限界だ。柴崎は、必死でアメリカの論文を調べたが今のところアンドロイドに本物の皮膚を移植して長期間使用することは不可能であることが分かっただけだった。

「ダメだ、軍関係の技術に関する論文にはアクセスできないし、もし、そんな軍事技術が使われているなら今のところ調べようがない」

 柴崎は、勘を信じるタイプのエンジニアだった。大学時代、工学部の恩師中尾教授に「エンジニアは違和感を覚えるようになれ」としつこく教えられた。それを思い出していた。

 柴崎はアルバートの能力、行動、話し方に違和感を覚えた。だから、自分の違和感を信じ、それを確認していた。今日は、妻や子どもの待つ家に帰ることすら忘れている。『あれは、絶対に変だ』。柴崎は最初、アルバートの体に磁石が張り付いたところを目撃した。そのときは、アルバートの言った「磁気治療器」と言う言葉を鵜呑みにした。しかし、その後のアルバートを見ていてひょっとして、と考え始めたのだ。圭子に話したのは、疑念を持ち始めた直ぐ後だった。

 柴崎は妻と子を愛し、何より家庭を大切にしている。普段は二時間ぐらいしか残業などしない。そんな柴崎には珍しく、今日は通常の勤務時間を大きくオーバーするまで、パソコンに向かっていた。その机の上にも家族の写真があった。ときどき、家族の写真を見てはニンマリしている。

「あの、磁石のとき、もっと調べれば良かった。あの時点で予兆はあったんだ。中尾先生に話したら怒られるだろうな」


 23時を過ぎて、柴崎はアメリカの小さな新聞記事を見つけた。そこには、十年前の交通事故のことが書いてあった。「人工知能研究の第一人者、ジン・マッカーシー博士の息子、アルバート・マッカーシーが自動運転の車で事故に遭遇し死亡」

 この記事を見つけた瞬間、柴崎は「なんだこれ? どういうことだ?」と混乱した。また、タブロイド版の記事だったため、にわかに信じる気にもなれなかった。

「まあ、これも一つの収穫だな、圭子先生にメールで送っておこう。今日はここまでだ」

 柴崎が、圭子にメールを送ろうとした瞬間、病院内が停電になった。バッテリーによるバックアップは瞬時に稼働したが、生命維持に関する機器類が優先される。二十秒後には自家発電装置が稼働した。柴崎は、パソコンを離れ自分の持ち場を確認し、看護師達と話をしてからパソコンの前に戻ってきた。しかし、メールの内容は消えていた。明日、送ろう、今日はもう帰ろう。急に疲労感に襲われ、柴崎は駐車場へ向かった。柴崎の車は自動運転ではない、自分で運転しなければ家に帰ることはできない。


 柴崎が家路についているだろうその時、アルバートもまた、いつもどおりの道をたどってちょうど帰宅したところだった。そんなアルバートの脳内には、圭子に怒鳴られた一件、亡くなった少年の親とのやり取りが不可解な解けない謎として渦巻いていた。果たして自分は何を間違えたのだろうか。ネットワークに繋げても、その疑問に合致するような答えは見つけられなかった。

 玄関で靴を脱ぎ、リビングへと入る。アルバートの自宅は実にシンプルな内装で、家具はほぼ白色で統一されていた。ただ普通の部屋と異なるところがあった。台所には何も置いていない。コップ一つない。いわゆる生活感のまったくない部屋だった。

 アルバートは白い二人掛けのソファに深く腰掛けると、右の靴下をおもむろに脱ぎ捨てた。アルバートの足裏、その素肌には並行した二つの細長い穴が空いていた。アルバートはソファ横に置いていたコンセントのプラグを手に取ると、足裏の穴に挿し込む。そのプラグは部屋の隅にあるコンセントへと繋がっており、今まさにアルバートは体内に電気を供給している状態だった。

 ふと、アルバートの耳が着信を告げる音を感知する。それに応答するように、はい、と返事をすると、女性の声がアルバートの脳内に響き渡った。

『ハァイ、アルバート。調子はどう?』

「バッテリー以外は良好です。五感制御すべて問題なし。水分の浸透もありません。バッテリーの消費が来日当初よりも八分速くなりました。このままだと一年後には活動できる時間が現在の十五時間から十四時間になる可能性が大きいです」

『やっぱりバッテリーは改善の余地ありね。今、改良版を実験しているから、もう少し待って。それと、バッテリーの温度上昇はどう?』

「今のところまったくありません。CPUもメモリも温度上昇は正常範囲内です。強いて問題点を挙げれば病院の中はノイズが多く、ネット環境に支障を来すことがあります」

『繋がなくて良いときは無理に繋ぐ必要はないわ。日本の医療機器は今でも高周波リークが多いようね』

「ネットの通信に関しては承知しました。高周波リークは米国の三倍以上あります」

 突如として始まった通話の相手は、マユミ・マッカーシーという女性だった。アルバートの親のような存在だった。

 マユミ・マッカーシー、夫は、ジン・マッカーシー。夫妻は人工知能を搭載した複雑なアンドロイドの開発を手掛ける研究者夫婦だった。ジンは二十代のころから人工知能──A・I技術の開発の最前線を担う存在だった。一方でマユミ──旧姓伊東真由美──は米国で働く敏腕外科医。双方ともに現在は定年を越え、セカンドライフを楽しんでいるはずの年齢だった。また、真由美は、若いころ細田の恋人であり、共に米国へ留学し医学を学んだパートナーでもあった。

 そんな彼らがアルバートと通信をしている理由は至極単純である。アルバート・伊東の開発者が、このマッカーシー夫妻だからだ。

「本日得たデータを転送します」

『ええ、よろしく、準備はできてるからすぐ送って』

 そう言った瞬間、真由美が2度咳を発した。アルバートは、敏感に応える。

「承知しました。今、変な咳でしたが、ドクター・マユミの咳は風邪ではないと思います? 検査しましたか?」

『ごめんなさい。聞き苦しいわよね。でも、検査はしたの、何でもなかったわ。あなたの周波数解析機の方が問題だわ。このところ外の空気も吸ってないしね。疲れはあるけど、こんな施設の中にずっといるんだから仕方がないわ』

「分りました、咳の音に関してはデータを集めて修正します」

 アルバートは、素直に真由美の言葉に従った。

『私のことは心配しなくていいから、始めましょう。こちらでは細かいバグの修正をアップロードするから。主にテラヘルツ光透視装置のドライバーだけど、これで今までより三〇%ぐらい解像度が上がるらしいから』

「了解です」

 アルバートは、無表情で答えた。アルバートの画像処理装置に真由美の顔が映し出された。


 夫妻は米国防総省秘密プロジェクトからの強い要望により、二〇二〇年ころから人型アンドロイド医療機器の研究開発でリーダーシップを執っていた。そのころはまだ五十代前半だった。その研究によって開発されたアンドロイドは指先の動きを一ミクロン単位で調整する緻密な制御を可能としていた。また、目はテラヘルツ光とレントゲンの機能を搭載、赤外線カメラ機能もあり、見ただけで患部の温度をチェックすることができる。さらに、一倍から百倍までの連続可変ズームを持つスコープにもなっている。指先はほんのわずかな振動や温度変化をも感知し、二十を超すバイタルサインをその身ひとつでチェックすることができる。加えて、五メートル離れた人間の心音や呼吸音をチェックすることができ、鼻や舌から取り入れた物質を分子レベルで分析できるのだ。そんな超高性能アンドロイド、それが“アルバート・伊東”だった。

 アメリカでは宇宙開発、極地での任務などで人間のドクター以上に医療行為をすることができるスーパードクターアンドロイドの開発が求められていた。二〇六〇年ころには商用化可能と言われている、火星への有人探査にも必要不可欠と予想されている。宇宙船という限られたスペースの中で、他の医療機器を持ち込む事無くアンドロイドだけで医療行為が完結すればこんなに心強いことはない。十数年前から米国に対して、敵意を見せるようになった東洋の赤い帝国に対し、宇宙開発でも軍事でも圧倒的な優位を保つためにこの開発は極秘に続けられていた。

 アルバートは、これまでの二十年近い研究開発の成果であり、収集されたデータはすべて軍の秘密プロジェクトチームに渡されていた。これまでに掛かった費用からも実験の失敗はゆるされない。数十億ドルの研究費がつぎ込まれている。

ゆえに、マッカーシー夫妻は、軍の施設に軟禁状態であり、軍の関係者が同行していなければ、事実上そこから外にでることもできない。

 そんなある日、アルバートの実験を日本で行うと決定が下った。もちろん軍の命令だ。マユミ・マッカーシーは、命令に従い昔の恋人であり共に医学を学んだ仲間でもある細田にアルバートを託した。もちろん、アルバートがアンドロイドであることは話していない。それが、細田に対する重大な裏切りであることも承知している。日本の医師法にも、医療機器等法にも触れる犯罪行為であることも分かっている。しかし、逆らうことはできなかった。夫の命も、自分の命も彼らに握られている。

 もちろん、軍のこういったやりようがわからないわけでもない、二十一世紀初頭より極東地区での軍事的緊張が高まってから、軍はその力を増していった。世界全体にその傾向はあったが、アメリカでは一層顕著だった。結果、公にならない軍の秘密任務は増えていた。また、軍にとっては、アメリカ国内での医師法に触れるより、実験を日本で行いたかった。アメリカでは、軍の秘密プロジェクトに対する規制や監視は今でも機能していた。その点、日本で何かがあれば、アンドロイドは破壊して太平洋に沈めてしまうこともできる。

 軍のプロジェクトリーダーたちは、「あの国は、アメリカが守っている。いざとなれば軍を引き上げると言えば静まる」と言ってマッカーシー夫妻を黙らせた。外交など、所詮力の強い者のいいなりなのだ。

 この時期、あくまでも中国当局の発表だが、中国のGDPは、日本の八倍、軍事予算は十二倍だった。これは、僅かではあるが、アメリカの予算をも上回る金額だった。すでに、日本単独では、日本を守ることができない状態といえた。韓国も、数年前に南北が統一され日本やアメリカとの同盟から外れている。まさに、日本は極東地区の孤児であり、遠く太平洋を挟んだアメリカを頼って生きている状態だった。軍事的な安全保障はもとより、食料やエネルギーに関する安全保障もアメリカに握られている。アンドロイド・ドクター一体程度の実験でアメリカの国益を損なう外交問題に発展することはないと言うのが、軍の考えだった。

 また、マユミにとって、もう一つ今回の実験を積極的に手伝った理由があった。それは交通事故で亡くした息子の細胞から、アンドロイド・ドクターの外皮を作るという条件だった。当初は、あまり気にしなかったが、実際に皮膚ができてダミーの人形に張り付けたら、その触感は、まさに息子の肌だった。マユミは、息子の肌を持ったアンドロイドが自分と話をすることを想像した。夫であるジン・マッカーシーに止められたが、声も体型も顔も実は息子がモデルになっている。

 アンドロイドの皮膚は息子のDNAからiPS細胞を使って作りだした本物の人の皮膚だった。切ると出血し、時間が経つと再生する。アルバートは、一日に一回ゼリーのような特別な栄養素を僅かに取り入れている。今回の開発で最も難しい部分の一つだった。しかし、人に触れることも多い医師という役目を果たすうえで、本物の人間の皮膚を持っていることは、実に重要な要素であった。

『データを無事受信したわ。大変だったのね』

「病院の人たちはとても慌ただしくしていました」

『そう。あなたの患者も無事でよかったわ』

「今日受け入れた患者が死亡する確率は、治療したことで二パーセント以下となっています」

 平坦な言葉だが、マユミは嬉しそうに笑った。

『ウフフ……それじゃあ、あなたは明日も早いでしょう。今日はもうおやすみ』

「おやすみなさい。ドクター・マユミ」

 アルバートがそう言うと、ブツリという音を立てて通信は切られた。アルバートはコンセントの繋がっている右足を上げるようにして足を組むと、そのまま目を閉じスタンバイ状態へと移行した。活動中の充電では六時間掛かるが、スタンバイ状態の場合は四時間で完了する。さらに機能を停止するスリープ状態もあるが、これはアルバートに搭載されたOSのバージョンアップ時など特別なときにしか使用しないモードである。

 見た目だけなら、どこからどう見ても、眠る白人男性にしか見えない。しかし、アルバートはスタンバイ状態時にインターネットにアップされた医学論文を検索し解析していた。

 自然言語で書かれた一万文字の論文を解析する時間はおよそ二~三秒。四時間の充電時間中に4000本から6000本の論文を自分のデータベースに取り込むことができた。

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