第12話 細田の秘密

 次の日、圭子は予定の手術を無事に終えた。難しい手術だったが問題は発生せず、患者の術後も良かった。明らかに快方に向かっている。

 そんな日、圭子は帰り間際に院長細田の部屋へ向かった。ドアをノックすると細田の声が聞こえた。

「どうぞ」

 圭子がドアを開けると、そこには顧問弁護士の上野がいた。

 細田は、すでに外出用のスーツに着替えている。明るい色のスーツだから、仕事ではないだろ。宴会か、パーティにでも行くように見えた。また、接待かもしれない。

「こんにちは、圭子先生、色々大変ですね」

 満面の笑顔で話しかける上野だったが、圭子はこの男が好きになれない。こいつも父である細田と同じで金の亡者だ。しかし経営や弁護士としての能力は認めざるを得ないとも思っていた。この時代、やはりこんなスキルに長けた人も必要だった。圭子は、そういう人の美点を、素直に認められるだけの度量は持っている。

 ただし、人間的に好きか嫌いかでいえば、嫌いの一言に尽きた。

「院長、お話しがあるんですが、お忙しければ後にしますが……」

「イヤ、大丈夫だ。上野君との話は終ったところだ。どうしたんだい、珍しく改まって。聞ける話なら聞いてやろう」

 圭子は、上野の方をチラリと見た。

 上野は直ぐに察したらしく、

「それでは、院長、今回の件は私の方で上手く纏めます。こちらにミスはありません。向こうも子どもさんを失って今はショックが大きいだけでしょう。そもそも悪いのは殺人犯なんですから」

 と、話を切り上げにかかった。

「悪いがよろしく頼むよ、あの調子で病院に来られたら他の患者に迷惑だ。丁度、外国の元外務大臣やら大企業の会長やらVIPだけで百名以上が入院している。変な噂が立つだけで病院の評価が下がる、インターネットで情報が拡散するからね」

「承知しました。お任せください。場合によっては記者会見を行います。そのときは院長もお願いします。あとA・I先生にもお願いします」

 上野は、身内とは言えないが、アルバートを病院内の通り名で呼んだ。その言葉に、細田はどことなく不思議そうな顔をした。

「アルバート君もかい、圭子はどうする」

「圭子先生は、出ない方が良いと思います」

 上野の言葉を、圭子は否定も肯定もしなかった。しかしその沈黙を気にせず、上野は続ける。

「向こうもなぜか、A・I先生に絡んできてますし……。A・I先生は、感情が表に出ませんから実際に治療を担当した圭子先生より、A・I先生の方が記者会見を纏めやすいと思います」

「分かった、すべて君に任せる」

「それでは、今日はこれで」

 上野は、圭子を上から下まで見回した。

「圭子先生、本当に綺麗ですね。美人オーラが漂っていますよ!」

 圭子は返事も挨拶もせず、軽く会釈だけした。上野は上機嫌で、部屋から出て行った。その足音が完全に遠ざかったところで、細田は圭子の顔を見上げた。

「今日の手術は無事に終わったそうじゃないか? 大和電気自動車の社長夫人だからね、社長には無事終わったことを伝えておいたよ」

「私は相手が誰でも全力で処置します、誰でも助けるのが医師です」

「そりゃ分かっているよ、私だってそうさ」

 圭子は、見え透いた言葉を吐く父親の顔を正面から睨んだ。

「圭子、そんな顔をするな、おまえは私を誤解しているんだ」

「今日は、そんな話をしに来たんじゃありません。……しばらくの間、手術は誰かの助手ぐらいにさせて欲しいんです、それをお願いにきました。疲れてるんです」

 浅く頷いて、細田は尋ねた。

「なるほど、それは先日の事件で亡くなった子どものせいかね?」

「いえ、そういう訳では……」

 とっさに否定した自分に、圭子は言葉を詰まらせる。実際のところ理由はそれだと、自分の心の中では分かっていたからだ。

「おまえは今まで名医だ、天才だと言われ、ミス無く難しい手術を成功させてきた、それでショックが大きいのかね?」

 圭子は何も答えなかった。何だか自分の頭の中を見透かされているようで嫌な気持ちになった。

「私も名医と言われたが、救えなかった命はたくさんある。それをいちいち気にしていたら医師なんて務まらない。そうじゃないか?」

 それは、その通りなのだろう。

 だが圭子は、やはり何も答えられなかった。でも自分の今の気持ちは違うとも思った。子どもを死なせたショックで手術が出来ないわけではない。今日だって、上手く患者を助けているのだから。

 ひと呼吸おいて口を開いた圭子の脳裏に過ったのは、アルバートのあの澄ました顔だった。

「……確かに、それはその通りだと思います」

「なら、どうして?」

「アルバート……先生を見ていて、自らの未熟さを思い知らされました」

 思わず、いつものように呼び捨てにしそうになって、とっさに圭子は先生を付け加えた。

「彼のように割り切って医療を行う医師もいる。ですが私自身、彼とは違う角度から真摯に患者に向き合っているという自負もあります。しかし技術面で、知識面で、彼の領域にはまだたどり着けていない。そのことが……納得できていないんです」

「……ふむ」

「少しだけ、自分の技量を見つめなおす時間が欲しいのです。まだ私は、立ち止まるわけにはいかないのですから」

 細田は、静かに頷いた。

「確かに、そうした心の葛藤を抱えたまま手術にあたり続けてもらうのは、こちらとしても不都合が起きかねないだろう。幸い、病院内で今は医師が圧倒的に不足している状況でもない。しかし、君を頼りに来る患者もいる。そこは理解しているかい?」

「はい。ですから一週間ほど……いえ、もっと短い期間でも構いません、お願いできませんか」

 下手に出た圭子の言葉に、細田はどこか戸惑ったような気配をうかがわせた。彼自身、これまで娘からかけられる言葉に、どこか棘のあるものが多かったせいかもしれない。

「ひょっとすると、アルバート君の助手になることもあるだろう。……割り切れるかね?」

 圭子はそれに、自信をもって強く頷いた。むしろ望むところだと、彼女は不敵に微笑んで見せる。その笑みを向けられた細田は、まるで眩しいものを見たように目を細めた。

「分かった。……そのようにしよう」

 その言葉に圭子は軽く頭を下げ、部屋を出ていった。ドアが閉じる静かな音を聞きながら、細田は椅子へゆっくりと背を預けると、妻の笑顔を思い浮かべた。娘の圭子は歳をとるほど、妻に似てくる。病院設立当時、忙しさにかまけた結果異変に気づけず、手遅れとなった妻は最後まで、細田と娘の圭子……圭子のことを案じていた。

 と、秘書の木戸ゆかりが部屋に入ってきて尋ねる。

「院長、午後のお出かけは予定通りで宜しいですか?」

「ああ、頼む。バスには……」

「すでに治療器具、薬剤も用意してあります」

「ありがとう」

 細田は立ち上がり、帰宅の支度をして病院をたでた。送迎のための車に乗り込むが、車は彼の自宅ではなく離れた駐車場に停止した。そこには一台の超大型バスが駐車してあった。辺りの目を気にしながら、細田は駆け足でバスに乗り込んだ。

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