第11話 柴崎の疑念
次の日も気温が高かった。うだるような暑さにうんざりしながら、圭子は食堂で冷たいうどんを啜っていた。
「や、圭子先生、相席いいですか?」
「柴崎さん。どうぞ」
うどんを咀嚼していると話しかけてきたのは柴崎だった。白衣を着ているというのにカレーうどんを食べようとするその心意気がすごい、そう感じつつ思わず眺めてしまう。圭子と向かい合うように座った柴崎はいただきますと手を合わせ、迷いなく箸でカレーうどんを啜り始めた。圭子は、スープが跳ねないかと心配そうに柴崎を見る。
「そういえば午後の検診だけど」
「ん? ああ、それ私じゃないな」
「えっ、そうだっけ?」
圭子は半分ぽかんとした顔で答えた。そんな様子に、柴崎は心配そうに言う。
「一昨日からちょっと意識抜けちゃってますね。そんなにショックだったんですか?」
「そりゃショックよ……」
圭子にとって、一昨日ほど絶望的なことはなかった。強いていうなら、母が亡くなったときだろうか。あの時は相当荒れたなぁ、とうどんを啜った。肉親が亡くなったときの衝撃を思い出すほど、シンジという小学生の死は圭子にとって強烈だった。そのショックを飲み込もうとしているときに……、また屋上でのアルバートの言葉を思い出した。
「はぁあ~」
「ため息ばかりですね、それでね、圭子先生が話していたA・I先生の言ったことなんですが、どうも変なんですよ」
「何が変なの?」
いまいち、事情が飲み込めていない表情をする圭子に、柴崎は納得いかない様子で続けた。
「あの子の容体に関しては、誰もA・I先生に話していないんです。場合が場合だったし、そもそもA・I先生もそんなことを聞いて回る人じゃありません」
圭子はあの少年についてのアルバートとの一件を、柴崎に話していた。それほど、圭子にとっては衝撃的な出来事で誰かに話したかったのだ。一人で抱え込んでいれば、おそらく業務にも支障をきたしていただろう。
その点、柴崎はあの手術にも関わりがあり、話し相手としては最適だった。
「そんなことを言ったって、あいつは酸素の血中濃度や血圧のことまですべて知っていたのよ。私がカルテを纏めたのはその後なんだから、誰か手術室にいた人間が教えた訳でしょう? 瀧先生に訊いてみた?」
「瀧先生にはもちろん最初にお訊きしましたよ。ところが、A・I先生からそんな質問は受けてないそうです。それにA・I先生元々無口な方ですから、そんなことは訊きませんよ。そもそもあの人、人に何かを質問することなんてないじゃないですか」
ますます訳が分からず、圭子は思わず考え込んでしまう。
「じゃ、どうしてあんなに詳しくあの子の容体を知ってた訳……?」
どう思い返しても、アルバートの言葉は最低でも手術室内にいた人間から得た情報がなければ、憶測で口に出せるものではない。なにしろ、術中だった圭子がすべて目にしたことを、正確に口にしていたのだ。
「圭子先生、笑わないでくださいよ。……これはエンジニアとしての私の想像です」
柴崎は急に真顔になり、辺りを気遣うように小声で話し始めた。
「何よ、急に改まって」
「しっ! 声が大きいです。……私には、仮説が二つあります。一つは、A・I先生がアメリカのスパイで、あのズレた会話は全て演技だということです」
圭子は、レンゲでスープを口に入れようとして、口を開けたまま固まった。
「それ、子供映画の見過ぎじゃないの」
笑いながら、半分あきれて圭子が言った。
「また、ちゃんと話を聞いて下さいよ。昨日の朝、A・I先生が記者の取材を受けた話を聞きましたか?」
「詳しくは知らないけど、そうらしいわね」
「でも、そんな記事は何も出てないですよ。今回は、事件のことは出ていますが、この病院のことは一行も書いてありません。もみ消されたんですよ、きっと」
「今日あたり載るかもよ。第一、この病院で何をスパイするのよ!」
「だって、この病院には、海外の要人が患者としてくるじゃないですか!」
「それと、今回のことにどんな関係があるのよ?」
「だから、方法は分りませんがこの病院の様々なデータを盗んでいるとかです」
柴崎は、自信があったこの仮説に圭子が乗って来ないことにイライラしているように見えた。
「そうかもしれないけど、何もそんな手の込んだことしなくても、いいんじゃないの。第一、スパイがコミュニケーション能力不足を演技するわけ? 意味が分かんないわ!」
柴崎は、少しがっかりしたように肩を落した。しかし、次の瞬間、圭子の背筋がゾクッとするような気味の悪い笑顔を見せながら、柴崎は続けた。
「それじゃ、二つ目の仮説です。本当は、一つ目の方が、現実的で自信があったんですけど、せっかくだから聞いてください。私は、A・I先生が本当にアンドロイドなんじゃないかと仮説を立てたんです。つまり正真正銘の人工知能で制御されたアンドロイド」
「はぁー?」
圭子はあっけにとられた顔で柴崎を見た。口はまたもや半分開いたままである。
しかし、柴崎は真剣らしく、真顔でヒソヒソ続ける。
「初めは、ちょっとしたことがきっかけだったんです。A・I先生が私の検査室に用があってきたとき、偶然そこにあった強力な磁石がA・I先生の体に張り付いたんです」
「あっ、その話は、私も聞いた。でもエレキバンを貼ってただけって聞いたけど」
「それは、我々が勝手にそう判断しただけです。確認したわけじゃありませせん」
「そうなんだ? でもどんなに強力な磁石だって人間に付くはずないじゃない」
圭子は、あまり興味がないといった態度で下を向いたまま返事をした。
「私は以前、人工知能に関して興味があって調べていたことがあるんです。そのときアメリカで人型アンドロイドに人工知能を搭載する実験を行っているという論文を読んだんです。あれから六年経っています。もしかすると、それが本当に完成して……」
「本気で言ってる? SF小説みたいなこと言わないでよ」
一蹴する圭子だが、柴崎も一つ目の仮説を却下されているためか食い下がる。
「でも、そう考えるとすべて辻褄があうんです。たとえば……圭子先生、A・I先生が食事しているところ見たことありますか? 私ね、これに気がついたとき家に帰って妻の淳子に話したんです。本当に大発見だと思ったもんで。そしたら、うちの淳子がまったく興味を示さないんですよ」
「当たり前じゃない、それが普通でしょう!」
「いや、でも自分の愛する夫の言葉ですよ、ふつう聞き流しますか?」
「聞き流すわ!」
圭子が、あまりにもきっぱりと言ったため、柴崎は話を戻すことにした。
「じゃ、もう考えてください。A・I先生を食堂や喫茶室で見たことはないですよね。先ほども言いましたが、食事はおろか飲み物を飲んでいるところも見たことないでしょう?」
圭子は考えながら不思議そうな顔をした。
「そう言えば、ないわね」
食堂に来たのを見た記憶もなければ、彼が院内の売店で何か購入しているのを見たこともない。確かに言われたとおりだ。お弁当という選択肢を一瞬考えたが、出勤してくる彼の姿を思い返す限り、持っている気配さえなかった。他にもこれまで、手術で信じられないことが多々発生している。柴崎はそれも伝える。
「0.1ミリの針をピンセットで摘まんで縫合するとき、ヘッドルーペなしでできますか?」
「私にはできないわね……。脳外科の瀧先生でも、まず無理だわ」
我が意を得たりとばかりに、柴崎はさらに続ける。
「彼は手術のときに、汗もかかないらしいんですよ。看護師でA・I先生の汗を拭いた人はいないんですから。あの密閉空間で術衣を着ていることを考えても……いくら先生が冷静といったってそれも変でしょう。さらに、A・I先生は腕時計をしていません。それなのにいつ時間を訊いても正確に何時何分と答えるんです! 私は怪しいと思ってから、何度か試して時間を質問しています」
「……それ、本当なの? サヴァン症候群かも?」
「それはないですよ。自閉症の兆候はありません。どんなときでも必ず挨拶は返します。通常の世間話はしないだけです。だから、プログラムで動いているのでは? と考えたんです」
いくらアルバートが優秀な医師でも、確かに聞くほどに妙なことが多すぎる。最初、柴崎の妄想かと考えた圭子も、何となくもしかしたらと思い始めてきた。
「だけどありえるの? 大げさに言ってるんじゃないの?」
「そんなこと、言うわけないじゃないですか。私はエンジニアです。事実だけを客観的に見て言ってるんです。前から何となく変だと思って疑っていたんです。まだありますよ……たとえば」と無理矢理話を続ける。
どうやら、柴崎は、この話を圭子にしたくて仕方が無かったようだ。動き出した口は止りそうにない。
「これは誰でも感じていると思いますが、A・I先生って会話が成立しないときがありますよね? あれは、本当に日本語が苦手だからだと思いますか? スパイ説なら演技ですが、アンドロイド説ならあれで普通の状態です」
「……」
圭子は黙って聞いている。もちろん、思い当たる節はいくつもある。
「私も、こんなことがあったんです。病院の正面玄関でA・I先生と遭ったとき、何となく雨模様だったし、天気予報では午後から雨だと知っていました。それでA・I先生に、『なんだか、午後から雨みたいですね、嫌だなー』って言ったんです。そしたら、何て答えたと思いますか?」
「分からないけど、雨が降る確率は60%ですとでも言ったんじゃないの? 私も夏、暑いのは当たり前みたいに言われて頭にきたことあるわよ!」
「私には、こう言ったんです『柴崎さんは午後お出かけですか?』って。それで、イヤァ、出掛けるわけじゃないんですけど、何となく雨って嫌だなー! と思っただけですよ、そんな真面目に反応しないください。私が外出することなんてほとんどないんですから!」
柴崎は、まるで、その時を再生するかのように、表情やジェスチャーも交えて話した。
「そしたら、『出掛けないなら、雨を嫌う理由はありません。雨は必要なんですから』って言うんです。流石にこの温厚な私もムッと来ました」
柴崎はムッとした表情をして見せた。圭子は自分のときを思い出して可笑しく笑った。
「でも、それがどうしたのよ?」
「いえ、そこなんです。圭子先生はチューリングテストをご存知ですか?」
柴崎は、急に話を変えた。
「詳しくは知らないけど、人工知能の会話能力が人間を騙せるかチェックするテストでしょう?」
「その通りです、流石ですね。そのチューリングテストなんですが、まだ本当に合格した人工知能はないんですよ。1991年から始まっていますから、もう45年もやっているのに」
柴崎は、圭子にチューリングテストの概要を説明した、ローブナー賞が設立され、それが人工知能として最も人間に近いと判定された会話ボットに対して毎年授与されていた賞であることも説明した。ローブナー賞が実施するテストの方式はチューリングテストそのものであったが制約条件を許していた。ローブナー賞では、人間の審判員が二つのコンピューター画面の前に座って行う。審査者には知らせないが、片方のコンピューター画面にはコンピューターが表示を行い。もう一方には人間が表示する。審査者は両方の画面に対して質問を入力し、応答を得る。その返って来た応答に基づき、審判員はどちらが人間でどちらがコンピューターかを判定するというものだ。しかし、2020年になる前、英語が苦手なウクライナの少年と言う設定でテストに合格するAIが完成した。
これには賛否両論の議論があった。結局、その後、そのような制約条件は認めず、フリートークで人と会話をする本来のテストに戻ったのだ。以来、テストに参加するAIは、人を騙すことは出来なくなった。圭子は柴崎の話を聞きながら、感心したという表情を見せていた。しかし、
「それが、どうしたのよ?」
と柴崎を急かす。
「いえ、ちょっと待ってください、今順番に話しますから。要するに、現代最高の人工知能であっても、このテストに合格は出来ていない訳です。ですからもしA・I先生がアンドロイドだったとして、人との会話に難があるのは仕方がないんです。と言うよりもむしろ、あの外れた会話がアンドロイドの証しかもしれません」
圭子は、首を傾げながらも、なんとなく認めざるを得ないといった表情になっていた。
「そうとも言えるわね。外国人だからと言う訳ではないということね? 柴崎さんがこんなことに詳しいのは意外だったけど」
柴崎は自慢げに続ける。
「いえ、それだけじゃありません。それは前置きです。ちょっとこんな場面を想像してください。私の奥様と子どもたちが、リゾートホテルに遊びに行って、私は淋しく一人で家にいます」
「あなたは、どうして一緒に行かないのよ?」
「それは置いといてください。とにかく私は家で一人になっています。それで、日曜の朝、起きたら洗濯物が溜まっていたとします」
「何が言いたいのよ!」
圭子は長い前置きにイライラし始めている。
「もう、せっかちですね。短い話ですから最後まで聴いてくださいよ」
圭子は分かったというように無言で頷いた。
「それで、溜まった洗濯物を洗い終えたとき、急に天気が変わってにわか雨が降ってきました。私はそのことを圭子先生にこう伝えます『せっかく、洗濯物を干したら、急に雨が降ってきて急いで取りこんだんですよ、もう嬉しくて涙がでました』といった感じです」
「だから何よ?」
圭子は、訳が分からず聞き返す。
「今、私は『嬉しくて涙がでました』と言いましたよね。でもそれ本当にうれし涙を流したと思いますか?」
「思う訳ないじゃない! そんなこと当たり前でしょ」
圭子は急にハッとした表情を見せた。
「流石、圭子先生お分かりですね。これは人間なら当たり前のことなんですが、人工知能では当たり前に出来ないんです。人間なら小学生くらいでも分かります」
「冗談とか皮肉は理解できないと言うことね」
「忖度もできません。もし、さっきのうれし涙の話をA・I先生にしたら『どうして、そんなに嬉しいんですか?』と来るはずです。今度試してみますから、結果は期待してください」
柴崎は、自分の正しさを確信するかのように頷きながら説明する。若林圭子と言う名医を説得できた優越感に浸っている。
柴崎の説明はさらに続く。
気温に付け加えて湿度まで正確に把握していること。しかも、どんな状況でも正確に答えること。患者と目を合わせて、触診しただけなのに、一瞬である程度のバイタルを把握してしまうこと、などなど。
柴崎が一つ一つアルバートの謎の能力と行動について語るうちに、圭子も疑念を強めていった。
「もし、本当にアンドロイドだとして、細田院長は知っているのでしょうか? この仮説が正解なら法律上大問題になりますよ。マスコミが飛びつきます」
柴崎は院長の娘である圭子に対し、そんな質問を投げかけた。
「さあ、それは分からないわ」
肩をすくめ、圭子は言う。
「でももし、院長が知っていてアンドロイドを雇ったならそれはお金のためね。あの男はそう言う男よ、あなたもそう思うでしょう?」
柴崎は自分の雇い主である院長をそこまで言うことはできなかった。心の中では、そう思っていたとしても、だ。
「いえ、まあ、ビジネスが上手な方だと思っています」
「金の亡者よ!」
「いや、流石にそこまでは言えません」
唇の前に人さし指を持ってきて、柴崎は黙り込む。圭子もそれ以上は追及せず、話をアルバートが本当にアンドロイドなのか確認する方法について切り替えた。
「でも確認できれば、アルバートの変なところが説明できるわよね。どうすれば確定的な証拠を掴めると思う? さっきの質問でもしてみる?」
「言葉のやりとりだけでは決定的な証拠にならないですよね。レントゲンでも撮らせてくれれば一発ですけどね。それか、採血させてもらえないでしょうか?」
「医師に採血? 何か理由がないと拒否されるわよ」
「そこをなんとか」
二人は黙り込んだ。
圭子は心に妙なモヤモヤを感じた。アルバートが機械だとして、もしそれが本当ならどうなるだろう。日本の法律である、「医療機器等法」ではそんな自立的に動いて、患者を手術する医療機器を想定していない。医療機器はあくまで、医師や看護師等が使う道具に過ぎない。今はまだ、自立的に診断や治療を行う医療機器など、法的に許されていないのだ。海外ではそうしたプログラムの研究も進んでいることは分かっている。しかし、日本ではいまだに治療も診断も業として行うことができるのは、医師だけである。リスクを嫌う厚生労働省の役人も医療機器メーカーのエンジニアや経営者達も最先端の技術を駆使して新しい医療機器を開発する気力がない。
圭子は頭が混乱してきた。連日の疲れもある。明日も大きな手術もある、少し休みたいと素直にそう思った。
「柴崎さん、さっきの話は誰にも言わないで。私も気にして観察するから」
「こんなこと誰にも言えませんよ」
その日の昼は、それで終了した。
しかし、二人の疑念はちょっとした事故によって消し飛んでしまった。アルバートが事務室の中で軽い怪我をしたのだ。親指の付け根の部分から数滴の血が出た。看護師のミスで切ったらしい。その話は、柴崎にも圭子にもすぐに伝わった。柴崎は自分の推理が外れたことで「はずはない」といった顔をしていた。しかし、圭子は何となく安心していた。
どうして安心したのかは、分からなかった。
でもとにかく、アルバートがアンドロイドでないことが分かったのは、圭子にとって良い知らせのように思えたのだった。
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