第10話 少年の親

「このッ……人殺し!」

 という罵声と共に、ハンカチが飛んできた。アルバートはそれを難なくキャッチする。彼が細田高度治療センターに到着した瞬間浴びせられた言葉が、それだった。病院のスタッフが通勤などに利用するドアを塞ぐように立つのは目を真っ赤に腫らした四十代程度の男と女。男は腕組みをしてこちらをひたすらに睨んでいた。

 アルバートは思考を一瞬巡らせ、回答する。


「こちらは従業員用の入り口です。診察を受けられる際は自動ドアのある方へお願いします」

「うるさい! こんな病院に連れてかれたばっかりに、シンジは……!」

 シンジというのは、昨日脳死判定が下された小学生の少年の名前だった。どうやらこの男女は昨日搬送された老人とその孫の家族らしい。奪い取るようにアルバートからハンカチを取り戻したシンジの母親は、仇を見るような表情でアルバートを見ていた。その息子が死んだ原因は自宅を襲った犯人だというのに。

 このままでは出勤を完了できない。出入り口を塞がれてしまったアルバートは無理に入る訳にも行かず、少し迷っていた。ただ、対人の事態であるから事を荒立てるのは得策ではないことはアルバートにもわかった。どうすることもできない。とはいえこのまま職場へ入ることができない。警察に通報しようと端末を取り出すため、カバンへ手を伸ばした。

「そこで何をしているんです?」

 そのとき、シンジの両親の背後、アルバートの正面から小綺麗な格好をした男がやってきた。ガチャリと従業員ドアを開いた男はシンジの両親を一瞥すると困るんですよねぇと続けた。

「彼、ウチの医師ですよ。そこに立たれては彼が出勤できません」

「誰だアンタは! こんな病院さっさと潰れてしまえ!」

「話になりませんね……警察でもお呼びしますか?」

「警察ゥ! ハッ! 呼びたきゃ呼べばいいだろ! こっちは息子を殺されてんだぞ!」


 垂れ気味の目を半分にしながら親たちに応対する男は『弁護士・上野翼』と記された名刺を出した。しかし、両親は受け取らなかった。上野は細田高度治療センターお抱えの弁護士だった。上野は会話の成り立っていない親たちと相対しながら、アルバートを出入り口へ呼び寄せた。

「待てよ。テメェ人の子ども死なせたクセに謝罪のひとつもねぇのか……?」

 アルバートは、最短距離を行くためにシンジの両親の間を突っ切って歩きだした。すれ違いざま、こちらを睨んでいた父親がアルバートの肩をグッと掴んだ。その力は異常に強く、歩みを止めざるを得なかった。父親の方に顔を向けると、上野の真似をして呆れたような表情を浮かべた。

「言葉の意味を理解しかねます。少年に行った医療措置は昨日担当医が説明した通りです。心臓が動いたとしても脳が死んでしまっていたのです」

 事実を伝えても、まったく納得できない様子の父親は、アルバートを混乱させた。

「死んでしまうものを救うことは、たとえどんな医師であろうと出来ません。ですから助けられる老人は、助かりました」

 アルバートは、事実を告げた。しかし、男は黙ってアルバートを睨み返す。妻らしい女は、鼻を啜っている。

「お袋は、自分の命なんてどうでも良いから、シンジの命を救って欲しかったんだ。あんたは、子供がいないのか?」

アルバートは、首を横に振りながら「子供はいません」と短く答えた。

 助けられる患者の命を優先すること。それが、医師であるアルバート使命だ。年齢の問題ではない。そう教えられてきた。

「ウルセェ! アイツは……アイツは小学生だったんだぞ……! 小学六年生! まだ、まだ死ぬには早すぎるだろうが!」

「お父さん、辛いお気持ちお察しいたしますがどうかお手を」

 上野が遮って話した。

「それをテメェらが見殺しにした!」

 父親がアルバートを掴んでいた手を力強く払った。想定外の方向にかかった力にアルバートのバランスが崩れる。よたた、と二歩ほど下がったまま父親を見ると、男は涙を浮かべていた。

「医師のクセに、命救うのが仕事のクセになんでだ……! なんでウチの息子が死ななきゃならなかった!」

「それは昨日説明をいたしました」

「ちょーっ……とだけ伊東先生口を閉じていてもらえません?」

「わかりました」

 上野に笑顔のまま釘を刺され、アルバートは上野の依頼通り口を閉じた。アルバートが黙ったことで従業員出入り口は一瞬静かさを取り戻した。上野は一度咳払いをすると、改めてといった声でシンジの両親を窘める。

「それで……ご両親。このままですと業務妨害として警察に通報いたしますが、穏便な解決のためにここは一度お引き取り願えませんでしょうか?」

「テメェ……!」

「申し訳ありませんが。しかるべき措置をお望みであればこちらも相応の対応をさせていただきますので、悪しからず」

 そういうが早いか、上野はサッとアルバートの手を引き、従業員出入り口の中へとアルバートを移動させた。

「伊東先生、いやA・I先生、お気になさらず。そのまま業務へ向かってください。これは私の役割ですので」

「ありがとうございます」

 上野に礼を言ったアルバートは言われた通り、そのまま病院内にある自分のオフィスへと歩いて行った。背後ではシンジの両親の怒鳴り声がしばらく響いていたが、その後彼らは無事帰宅していったらしい。今日聞こえてきた看護師たちの世間話のなかで、訴訟やら上野やらという単語がやたら多かったのが印象的だった。

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