第5話 アルバートの手術

 過去の実績が何もヒットしないアルバート・伊東という男。少々顔はいいが、その実詳細なプロフィールは渡米経験のある者ですら知らないというイレギュラーな男。たった一か月で圭子の十年を追い越して行った男。


 それはアルバートの行う手術の悔しいまでの完璧さが物語っていた。

 施術に一切の躊躇いはなく、容態の急変にも焦らず対応する。考えている時間は長くても五秒程度で、その後の指示は結果として的確。助手として手術に圭子が参加したのも最初の一週間ほどのみで、またその一週間で彼がどれほど優秀な人間であるかを思い知らされた。逆に圭子の助手としてアルバートが入ったのは初日の一度しかなく、その手術後アルバートが言ったのは「よくわかりました」という一言だったのだ。そんなことをふと思い出しながら事務所の椅子に腰を下ろした瞬間、若手の医師達三人の姿が入り口の外に見えた。圭子の少し後輩にあたる三十代前半の医師達だ。


「……あれ? もう終わったの?」

 またアルバートのことを考えてしまったと自己嫌悪に陥っていたとき、数名の若手医師達が事務所に入って来た。つい一時間半ほど前に三時間以上の見込みがされていた手術に臨んだ医師たちだ。誰も彼もスッキリとした顔立ちで、予定の半分で終わった手術の批評を口々に話していた。

「ああ、圭子先生。やっぱりすごいですね、A・I先生!」

 杉原という、太めの医師が満面の笑顔で言う。

「何かあったの? そっか、今回の心臓手術はあいつが担当だったのね」

 先ほどまで考えていた相手の名前に、圭子は辟易しながらも納得した。アルバートなら、この時間でも納得だ。

「いやぁ、オレも見習いたいです。どうやったらあんな風に血管を上手く避けた切開ができるのかなー」

 杉原は、圭子の表情が変化したことに気がつかず続けた。

「取り付けまでも速かったよな。シミュレーションは相当してたつもりだったんだけど、ちょっと速すぎて混乱したよ。それでさ、もっと驚いたのは、A・I先生自身はシミュレーション練習をしてないってことだよ!」

 そう言ったのは、山田という医師だった。

 口々に言い囃す同僚たちの会話すら圭子には気に食わない。モヤモヤと不機嫌オーラを漂わせる圭子に気付かないまま、若い医師たちはアルバートへの絶賛を続けた。

「まるで臓器の反対側まで見えているような感じですよ」

 今度は、柿崎という髭を蓄えた医師が目を丸くしながら言った。

「縫合見たか? あの緻密さ! オレはまだまだだなぁ」

 杉原も、それに続ける。

「それに今日はヘッドルーペなしで手術なんですよ、必要ないからって」

 山田は、いかにも驚いたと言うように、圭子を見た。

 圭子はその話を聞いて、流石に驚いた。必要ないとは、どういうことだろうかと。

 確かに、ヘッドルーペは視野を狭くする。場合によってはいちいち指でルーペの位置を動かさなければならない。しかし、微細な血管や神経のある部位を手術する場合ヘッドルーペなしに肉眼で見ることはできない。

 もちろん医師が操作するロボット手術ならば話は別だ。微細な動きが可能であり高倍率で患部をみることができるため、患者への負担が少ない手術が可能になっている。しかし、手術ロボットは一台数億円の医療機器であり、この細田高度治療センターでも二台しか設置されていない。また、手術ロボットも万能ではない。例えば手ごたえの触感を感知する機能が弱い。縫合糸の操作で手加減が難しく糸を引き千切ってしまう事例も多く、そのせいで、糸を引き千切ってしまわぬようにと医師が必要以上に手加減するあまり、逆に縫合が不完全になってしまうこともあった。さらには、ロボットを操作する医師は、数メートル離れた場所にいるため別に患者のそばにいる医師が縫合状態などを確認するといった手間があった。

 加えて、複雑なメカであるが故に故障やトラブルも多かった。手術中に動かなくなるという致命的なトラブルもごくまれだが発生していた。

 しかし、アルバートは、機器に頼らないで手術をするのだ。まして、ルーペまで使用しない。そのうえ、施術が早く、短時間で終了するため患者への負担はすくない。病院内では、ロボット手術の上を行く『スーパードクター』と評判だった。

「僕も驚いたね、ヘッドルーペなしで一ミリ以下の血管を縫合するんだから。しかもさ、左右どちらの手でも縫合ができるんだよ。要するに両手利き。ふつうあり得ないでしょう」

 山田が、両手を動かしながら表現している。

「そうなんだよ。それでしかも、メスやピンセットを持つ手が早いのなんのって」

 杉原も、まるでアルバートの動きを真似るように続けた。

「本人に言ったら、“視力は親から貰ったのです。両手で縫合ができるのは、そのほうが便利なので練習しました”だって」

 柿崎も、縫合の真似をしながら話す。

 そのとき、山田が、話を変えて割り込んだ。

「それとさ、今日見ていて思ったんだけど、バイタルサインをあまり確認しないよね、あれでわかるのかね?」

 山田は、何度も首を傾げていた。

 杉原も、同調するように山田の話に続けた。

「俺も不思議だった。でも投薬のタイミングも量も正確だったよ。昇圧剤なんか本当はあまり使いたくないわけだから、なるべく少量にするだろ。この前の手術だけど患者の血圧が急降下してそれを告げたけど、半分以下の量しか投与しないんだよ。それで先生大丈夫ですか? って訊いたら、体温の変化から問題ないと言われてさ」

「体温? どう言う意味」

 柿崎が、髭を撫でながら割り込んだ。

「いやー? 患部の温度が分かる訳ないから、あのときの言葉の意味はわからない。もしかしたら日本語を間違えただけかも。でもそのあと、血圧は段々戻ったんだよね」

 杉原は、いかにも不思議という顔で柿崎に告げた。

「それにしてもあの指の動きは速すぎだよ、それなのに正確!」

 山田が話を戻した。

 圭子もアルバートが赴任して来た当初、一度だけ見学室から彼の手術を見ていた。仲間の医師達の話を聴きながらそのときの驚きが鮮明に蘇った。

笑いながら、山田が言う。

「個人的にA・I先生は趣味でレースを常に編んでると見た」

 どっとその場が沸き上がり、茶化すように柿崎が言う。

「あとで初心者向けのモチーフとか聞くか」

「でもさあ、その上A・I先生は、医師国家試験でも満点だったらしいよね?」

 杉原が、急に話を変えた。

「えっ! そうなの? でも彼なら驚かないよ」

 山田は、まるで自分の話であるようにいう。

 医師の国家試験は、毎年二月中ころ二日間の日程で行われる。かつては3領域×3ブロック=9ブロックでの出題だったが。2022年以降は再生医療の問題が加わり10ブロック550問の問題を解答しなければならない。現在の合格基準は75パーセントの正答率。上位の成績者で85パーセントの正解率である。

 それが、アルバートは97パーセントだと言う。

「でも、日本の医学部では授業を受けていないんだろ?」

 柿崎は、いかにも感心したという顔で続けた。

「うちの大学は、医師国家試験予備校の授業や模擬試験を採用して、試験対策を随分やってましたよ」

 杉原は、柿崎を見ていう。

「彼はそんな授業も受けてない訳だ」

 信じられない、と天を仰ぐ面々。圭子も85パーセントの点数は取ったが、97パーセントがとれるかと言われると、現役医師として活躍する今も自信はない。

「まして、日本語ネイティブじゃないし」

「まあ、最近は英語の臨床問題も取り入れられているからね」

「アメリカじゃあんな医師が他にもいるのかね?」

「あっ! そう言えばさ、この前臨床工学士の柴崎さんが変なことを言ってたな」

「どんな話ですか?」

「いや、大した話じゃないけど。A・I先生が柴崎さんの検査室に来たとき、机の上に置いてあったネオジムⅡ磁石がA・I先生に向かって飛んで行ったらしいよ。それで腰の所にピッタリくっついたらしい」

「なんで? 腰痛でエレキバンでも貼ってたのかな?」

「まあ、ネオジムⅡだからね」

「でも人間だから、金属みたいに磁石は付かないさ」

「あの磁石、指を挟んでも痛いから、飛んできて張り付いたんなら痛かったろうね」

「さすがのA・I先生でも、いつもの済ました顔じゃ無かったろうな!」

 三名の医師達は圭子に気づかず笑っている。雑談は止まらない。アルバートを知るほど、誰もが驚かされるのである。

 ガタッ。イライラが止まらず、圭子は無意識に大きな音を立てて立ち上がった。意外と響いてしまった音に、圭子もハッと正気に戻る。何をしているんだ自分は。医局で仕事をしていた他の医師たちが心配そうに圭子を見ていた。

「……ちょっと、リフレッシュしてくる」

「ああ……いってらっしゃい」

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