第2話 かつての恋人の息子
「……君が……マッカーシー博士とドクター真由美の息子さんか?」
「はい。アルバート・伊東です。日本では母方の旧姓を名乗ることにしました、アメリカでの名前はアルバート・伊東・マッカーシーです。本日から、よろしくお願いします」
古めかしい英国風の仕立ての良いスーツを着込んだその男は、硬い表情のまま挨拶をした。アルバート・伊東と名乗った男は、日米の混血だった。どちらかと言うと、痩せ型の高身長、細田は平均的な日本人男性の身長だったが、その細田よりも一〇センチ以上は高い。
「日本人の血が入っているとはいえ、国籍はアメリカ人だ。よく日本の医師免許がとれたね?」
「ハーバード大学で医師免許を取ったのは21歳のときです。その後すぐに学内の医療関連施設『マサチューセッツ総合病院』で働きました。それから、医師としての経験を積みたくて三十歳になったとき『国境を越えた医師団』に応募して五年働きました。その後、母の故国である日本の医療を学びたくて日本の医師国家試験を受けました」
1971年から2025年まで存在した『国境なき医師団』は『国境を越えた医師団』と名称を変え、規模はずっと大きくなっていた。二十一世紀になったころは、3万人のスタッフだった。さらに、2036年現在では、6万人のスタッフが世界中で活動していた。
医師の資格は、基本的にその国だけの資格である。途上国では先進国の医師免許がそのまま通用する場合もあるが、先進国同士では相互認証されていない。それを問題視する批判の声は2010年代にもあったが、長い時間を経ても解決には至っていなかった。それだけ「医師」は、責任の重い資格なのだ。
「そうか、まあ、大変だったね」
細田の言葉にアルバートは日本の礼儀に倣い、ぺこりと細田へ一礼しながら「はい」と短く答えた。180センチは優に超えるアルバートだが、お辞儀をした瞬間、頭のてっぺんが見えた。細田は、自分の頭髪が淋しくなったことを思いながら、金髪で多毛なアルバートの頭頂を凝視した。当然ながら、アルバートには、母親である真由美の面影がる。真由美も鼻筋の通った美人だった。真由美と全く違うのは瞳の色が、アルバートの場合は透き通ったグリーンであることだった。背の高いところは真由美から、髪の色や瞳の色はマッカーシー博士からの遺伝だろう。細田はアルバートのお辞儀を診ながらそんなことを考えた。しかし、頭を下げる時間が妙に長いことに違和感を覚えた細田は止してくれというように彼の肩を指で叩いた。
「どうもアメリカ人がお辞儀をするのは変な感じを受ける、私もアメリカで四年ほど医学の勉強をしたんだがね」
「変とおっしゃいますと?」
「いや、良いんだ、気にしないでくれ。さて、真由美から話は聞いているよ。なんでも、私や彼女よりも優秀なドクターだと……」
真由美は、細田と一緒に米国留学した友人だ。現在はアメリカで医師として働く彼女から、ぜひとも細田医院の正規医師として受け入れて欲しい、と念を押されていたのが彼女の息子でもある、アルバートだった。
「私はドクター・マユミから多くのことを学んだ上、自分でもこれまで豊富な経験を積んで来ました。ですから彼女より優秀です。処置の時間さえあれば、現代における要手術治療は97パーセントの確率で完全な治療が可能です」
アルバートの言葉に、細田は少し眉根を寄せて答える。
「心強い。が、彼女からコミュニケーションの取り方は習ったのかな?」
細田は、世界中の医師の知識や技術をすべてと言い切るばかりか自分の母親を「ドクター・マユミ」と呼ぶアルバートの言葉に違和感を覚え、思わず含みのある言葉を発した。いわばこれは直属の上司からの皮肉だ、普通の者なら怖じ気づくことさえあるだろう。しかしアルバートは、ぴくりとも表情を変えなかった。
「私の母国語はアメリカ英語です。日本語は不慣れです。とは言え、医師国家試験も日本語で受験し合格しています。治療に問題が生じることはないと思います」
アルバートの固い返事に細田は苦笑を漏らした。それにしても日本語の発音は完璧だった。声だけ聴いたら外国人であることは分からないだろうと細田は思った。笑いの意味が理解できないのかアルバートは、首を傾げ、眉を寄せる。困ったような表情を見せたアルバートに、また細田は頬をひくつかせた。
「まあ……慣れていないのは仕方ない。日本人なんかより海外の人間の方が難しい言葉を使うこともままあるしな。今から救命医療部門のチーフを呼ぶから、彼に病院内の設備説明を受けるといい。それと、私の病院は外国からのVIP患者も多い、英語と日本語以外の言葉は話せるかね? 『国境を越えた医師団』にいたなら、フランス語も話せるのかな? 最近は、アラブ諸国や中南米からの患者も多くて、時々困ることがあるんだよ。ハラールには何とか対応しているんだがね」
「はい、英語と日本語の他は、フランス語、ロシア語、アラビア語、スペイン語、ポルトガル語、スカンジナビア半島の言葉もすべて話すことが可能です」
「凄いな。どこで覚えたんだい? その『国境を越えた医師団』にいたときかね?」
アルバートは軽く頷き、細田もそれに応じて頷きながらもすこし考えてから口を開いた。
「アルバート君と呼んでいいかな?」
「アルバートで構いません、日本語の敬称は複雑で良く分かりません」
細田は笑って、続けた。
「それじゃ、君は医師だから日本風に言えば、おそらく『伊東先生』か『アルバート先生』と呼ばれるだろう。私も『先生』、または『君』とつけて呼ばせてもらおう」
「はい」
そう簡潔に答えたアルバートの返事を満足げに受け取ると、細田は、一変して硬い表情になってこう続けた。
「アメリカは医療保険制度が日本と異なることは知っているだろ。しかし、いま、世界のどの国も福祉や医療制度は綻びを見せている、日本は特にそうだ」
アルバートは、黙って頷いた。細田は、窓縁に向かって歩き出した。やがて、都内の風景を見ながら話を続けた。院長室は二十階にあるため、都内の景色は一望にできた。
「日本では、どこの病院も経営に行き詰まっている。都会の病院はまだしも、田舎に行くと目も当てられない状態になっている。まさに医療制度の崩壊だよ。本来、医療というものは、すべての人に平等であるべきだが、現在はそんな状態ではない。世界一の医療保健制度などと自慢していたのは、十年以上昔の話だ。君はアメリカ人だから、これは知らないかもしれないが、日本の経済成長は四十年前から止まっている」
細田は、指で都内の景色を指し示しながら説明口調でアルバートに言った。
アルバートは、それを聴いて口を開いた。
「米国でも有名な話です。GDPは日本円にして五百兆円を越えたぐらいで平坦なグラフになっています。アメリカの政治家は……、主に大統領ですが、自分の政策が上手く行っていることを示すために、よく日本のGDPとの比較をコメントします。現在の大統領は昨年だけで12回もそのことに触れています」
細田は、ほぉーと言った表情で続けた。
「それでも、日本人はあまり不平を言わない民族だから、みんなで我慢してそれなりにやっている訳だ。しかし、このままで良いはずはない。現状でさえ、大都市近郊に住む人以外は重大な病気になっても医師の診察を受けにくくなっている。今後、改善されなければますます状況は悪くなるだろう。君は途上国の医療事情にもくわしいだろう。今のところ、日本よりもっと劣悪な状況になっている国は多い。しかし、このままでは、遠からず日本も途上国レベルになってしまう。私は日本をそんな状態にしたくはないのだ」
細田は、窓の外を見ながら何かを決意するように、その言葉を発した。
「医療制度の改革を行うということですか?」
アルバートは、遮って話した。
「いや、それは政治家の仕事だ。私はあくまでも医師であり、病院の経営者だ。医療制度の崩壊を避けつつビジネスとして医療サービスを提供して行きたいと思っている。制度そのものが崩壊したら病院の経営もできない。我々医師も生活ができなくなる。経営危機に瀕している病院のコンサルティングを行っているのもそのためだ。君にも色々手伝ってもらいたい!」
細田の言葉には、力がこもっていた。
「伝教大師最澄が言う『径寸十枚、是れ国宝に非ず。一隅を照らす、これすなわち国宝なり』ですね」
細田は、目を丸くして言った。
「君は、仏教の信者じゃないだろ?」
「今のはネットを検索して知った単なる知識です。日本に来るために日本の歴史を多少調べました」
「いや、恐れ入ったよ。単なる知識のレベルじゃない。それじゃますますお願いしたい」
細田は、立ち上がり、握手を求めるように右手を差し出した。
「共に医療ビジネスを成功させよう!」
アルバートが、その手を握り返す。白人らしい薄い皮膚の手が、細田の右手を握る。ぎこちなさのない、自信にあふれた握手だった。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
にこりともしないあたりは、もはや性格だと割り切るしかないだろう。細田は苦笑しながら、浅く頷いた。
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