スーパードクター・アルバート伊東

@takumi296

第1話 天才女医の驚き

「これはどういうこと?」

 医師である若林圭子は独り言のようにつぶやいた。彼女が勤務するのは「細田高度治療センター」と言う都内の病院だ。その救急搬送入り口付近で圭子はストレッチャーで運ばれた怪我人を診ていた。ストレッチャーに乗せられているのは、交通事故に遭った少年だった。身長の高い圭子は、背中を少し丸めルーペを使って患部を診ていた。患部を詳細に診察した後、彼女は、体を起こし背筋を伸ばしながら、今度は少年の胸に聴診器を当てた。心音も呼吸音も安定していた。体を起こすとすらりとした彼女の長身が目立った。少し茶色っぽいセミロングの髪は、ゆるくカールが掛かっている。髪の長さと、背の高さのバランスが良かった。

「圭子先生、どうしたんですか?」

 不思議そうな表情で、女性看護師が圭子に声をかける。医師である圭子は白い白衣だが、看護師の方は薄いピンクの白衣を着ていた。どちらの白衣も丈は短めだ。

「麻衣ちゃん。……いやね、ないのよ。金属もガラスの破片も」

「通りがかりの人が、応急処置をしてくれたんですよね?」

「そうらしいけど、医療用具も何も無いところで処置したのよ、こんなにきれいに……」

 圭子はマスクを外しながら看護師に応えた。麻衣と呼ばれた看護師は、圭子と交代するようにポケットからルーペを出して傷の回りを観察した。明るい笑顔で患者から慕われる彼女、佐藤麻衣も圭子の言葉が信じがたいのか不安げな表情を浮かべる。

「麻衣ちゃん、とにかく治療室に運んでしっかり診ましょう!」

 圭子は首を傾げる麻衣を促すようにストレッチャーのストッパーを外した。いつもの麻衣なら、ここで「この子の守護霊が守ったんですよ、きっと!」と言い出すところだ。しかし、流石の麻衣も尊敬する圭子の真剣な顔を見てそれ以上は続けなかった。

 圭子が救急隊員からざっくりと聞いた事故の内容はこうだ。

 今から25分ほど前、病院から車で5、6分ほどの地点で車がコンビニに突っ込むという事故が発生。その際大破したショーウィンドーの破片で通学中の男子小学生数名が怪我を負い、そのうち重傷の子供が運ばれてきたということだ。

「ありえないのよ。たとえば誰かから突き刺されたのならまだしも、事故で何かの破片が刺さった場合は、破片が残るのが当然じゃない」

 救急隊員の報告によれば日本語の上手い外国人の男が処置を施したようだった。その際、ピンセットを使ったのかどうかは分らない。しかし、素手ではここまでできないだろう。

 圭子は再び訝かしい表情に戻った。腹部に大ケガをした少年の傷口が、破片がないだけではなく傷口がきれいだったのだ。つまり、医療技術に長けた人間が応急処置を行ったことを意味する。本来なら小さな破片でさえ傷口が広がらないよう搬送先の病院で慎重に抜き取る。拡大鏡などを使って小さな破片が残っていないか丁寧に探すのが当たり前の処置だ。

 だから今回も、いくら応急処置が手早くてもと思い、拡大鏡を使って傷口を診ていたのだ。だが、いくら探しても目的のきらめきは見当たらなかった。細かな破片を取るつもりで持っていたピンセットが宙をさまよっている。

「これが、何んの処置具も無いところで私にできる……? いえ、無理よね」

 圭子は、独り言のようにつぶやきながら目の前の傷口を見つめた。

 一体どんな名医が処置を行ったっていうの。圭子はひとつため息を吐きながらストレッチャーを押した。

「破片もなし、傷口も内臓や動脈を傷付けているわけじゃない。このまま縫合手術に入りましょう」

「はい」

 縫合手術の準備に取り掛かる看護師の佐藤や他の看護師を横目に、圭子は鎮痛剤を飲んで眠る少年の顔を見た。とても穏やかな表情だった。腹部に数センチものガラス片が刺さっていたとは思えない。

 不意に、圭子の脳裏に救急隊員の「内臓および動脈の損傷はないそうです」という言葉がよぎる。

腕利きの医師だろうと救急隊員は言っていたらしいが、検査器具も医療機器も何も無いところで内臓や血管への影響がないと分かるのかしら?

 浮かんできた問いに、圭子は、あり得ないわ。と心の中で否定する。救急車搬入口からこの場所まで約40秒、拡大鏡を使いながら圭子が所見した時間はおおよそ2分。大小のガラス片をすべて取り除くのにいたってはどれだけかかるかさえわからない。いくら処置が手早くできるとしても、さらにその判断を事故直後の混乱の中でできるとは思えなかった。

 そんな圭子の自問をよそに、少年を乗せたストレッチャーが手術室に運ばれた。

「先生、準備できました」

「よし。じゃあ……手早くいきましょう」

 圭子は拳をギュッと握り、集中力を高める。今はよけいなことを考えている場合ではない。圭子は数人の看護師が見守るなか、ピンセットで縫合糸を摘まんだ。

 これなら、この子の親が病院に着く前にすべての処置が終わるだろう。そう思いながら。

 西暦2036年6月18日、水曜日。都内の私立病院、細田高度治療センターでは通学途中交通事故に遭った小学生の被害者を受け入れた。受け入れ先は救命医療科、この病院の看板だ。

 この病院は一般外来を受付けていない。そのため入り口はそれほど混雑することはない。受付の事務的な手続きは全てロボットが対応していた。ずらりと並んだロボットの方が待っている人間よりも多いようだ。人間といえば入院から通院に切り替わった患者がいるくらいで、病院側のスタッフにいたってはほとんどいない。そこにあるのはロボットだけがせっせと受付業務を行っている光景だ。

 企業や官公庁、病院の受付はロボットやアンドロイドの作業である。アンドロイドは人型で二足歩行だが、その分電池の消耗が激しく高価だ。そのため、高級ホテルのようなところで使用されている。企業や病院などはタイヤで動くロボットが使われていた。胸の辺りにはモニターが付いている。特に病院のそれは受付・病院案内に特化されて作られているため、人間のように愛想を言う。また、多言語対応になっているため外国人にも対応可能である。さらに、モニターに図や映像を映し出して説明できるため、ここ細田高度医療センターでも人間より説明が分かりやすいと評判だった。いまや資金力のある病院は、積極的にIT関係に投資を行っていた。日本の総人口が1億1千万人を切ろうとしている今、人手不足をロボットで補うのは当然なのだ。

 今も、カンドゥーラを纏い、頭にクゥトラを被った男性がロボットに話しかけている。アラブ人男性の正装だ。ロボットが発するアラブ語の発音は、ネイティブにも十分通用するようだった。

廊下やエレベーターを見れば、搬送ロボットが静かに物流管理をしている。

一昔前のように受付で走り回る人間の姿はない。

 その細田高度治療センターの看板でもある女医、若林圭子が子どもの手術にあたっているころ、同病院の院長室には院長細田収の他にもうひとつの影があった。

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