第39話 芥子粒。
「……は? 復讐って……何を言っているの、お姉ちゃんは」
「だから、復讐だよ。憂さ晴らしであり、意趣返し。大丈夫? 澪、ちゃんと国語の勉強してる? 私は澪に対する怨恨から霊魂になったの。だから、その未練を晴らして無事に成仏するために、あんたに復讐しにきたってわけ。至極当然の流れでしょ。違う?」
「……ま、待って。待って待って待って⁉ わけわかんないよ⁉ なんで、お姉ちゃんが私に復讐なんてするの⁉ だってお姉ちゃんは、いつもいつも優しかったでしょ⁉ 私の遊び相手になってくれて、私の話し相手になってくれて……。それが復讐って、どういうこと……?」
「澪はさ、家の人達が夜見塚の呪いだ、って散々騒いでたの、覚えてるよね?」
夜見塚の呪い……そのフレーズには当然、聞き覚えがある。私達のことを排斥する家の人達が何度も口走っていたのは今も鮮明に記憶に残っている。私はコクリと頷いた。
「でもあれって、単なる悪口じゃないって気づいてた? 夜見塚の呪いっていうのは、私達の血筋に代々伝わる呪い……いや、遺伝的に受け継がれる体質といったほうがいいのかな」
いきなりうちの家の話を出されて困惑するも、今のお姉ちゃんには私が口を挟むのを許す雰囲気は毛頭なかった。私は背中に冷や汗が滲んでいくのを感じながら、黙念とお姉ちゃんの話に聞き入る。お姉ちゃんは、氷の彫像のような冷たさを湛えた顔つきのまま、淡々と続ける。
「私ね、謎の熱病に冒された直後に、蔵に入って昔の記録とかが残されていないか調べてみたことがあるのよ。だって、なにか妙じゃない? 現代医学でも原因の解明できない、日に日に身体が衰弱していくだけの奇病なんてさ。そしたら、わかったの。魔眼の継承者っていうのは決まって姉妹で、贄である姉が病気で死ぬと妹の魔眼が目覚める仕組みになっているんだってことが。……つまり私ね、あんたのこの魔眼のために死んだようなものなのよ」
お姉ちゃんの声と眼差しが、一段と冷え込んだ。吐き気にも似た気持ち悪さに襲われる。
私はここまで話されてようやく、お姉ちゃんの言う復讐の意味を理解した。
お姉ちゃんが亡くなったのは、うちの家系に代々伝わる夜見塚の呪いのせいで、お姉ちゃんは私に魔眼を授けるための贄となって亡くなった。生前にその事実を知ってしまったお姉ちゃんは、私の魔眼覚醒のための犠牲になるのが受け入れられなくて、霊魂となってしまった。私に復讐をする機会を背後霊として虎視眈々と狙い続けていたお姉ちゃんは、五年経ってようやく転がり込んできた意趣返しの機会をものにしようとしている……ということ、なのだろうか。
「で、でも……待ってよ。お姉ちゃん。確かに私、お姉ちゃんが私の魔眼のために死んじゃったなんてことは知らなかったし、凄く申し訳ないって思う。だけどそれは、夜見塚の血筋がそうだったってだけで、私が望んで、お姉ちゃんを殺したわけじゃ……」
私は目を伏せながら、途切れ途切れにお姉ちゃんのことを宥めようと言葉を発する。
いきなりお姉ちゃんと再会できたと思いきや、その目的が私に対する復讐で、実はお姉ちゃんの死は私の魔眼覚醒のための必然だった、なんて言われて、私の頭と心はこんがらがるどころの話じゃない。だけど、これだけははっきりと口にできる。私は決して、お姉ちゃんのことを自分の意志で犠牲にしたわけじゃない。お姉ちゃんには悪いけど、お姉ちゃんが私のことを恨むのは筋違い、だと思う。
「だからなんだって言うの⁉」路地裏にけたたましい怒声が響く。お姉ちゃんは私の言葉で気を静めるどころか激昂し、爛々と両目に憎悪の炎を湛えだす。
「悪いけど、そんな正論で割り切れるほど私は大人じゃないの。だって澪、あんたにわかる? 妹に異能を授けるためだけに死んでいった、私の気持ちが。……だって、私の人生って一体何だったの? あんたに魔眼を授けるためだけに生きてたっていうの? うん、きっとそうなんだろうね。それが夜見塚の呪いだから。でもさ。そんなのって、あんまりじゃない⁉ 私、まだ十七になったばかりだったの! 今の澪より一つ歳上なだけだったの! それなのに、あんなド田舎に閉じ込められたまま、何もできずに死んでいくのが運命だったっていうの……⁉」
物凄い剣幕で言い募るお姉ちゃんに、私は圧巻されるばかりで何も言えない。怒り以上に哀しみや無念を滲ませた顔面を突きつけられて、心臓を押し潰されていくような感覚を味わう。
「だから私は、霊魂になったんだ! あんたの背後霊になって、あんたのことを今までずっと観察し続けてきた。私はその魔眼のせいであんたが辛酸を嘗める度に、ざまあみろって思ってた。……だけど、あんたにとって呪いでしかなかった魔眼は、カナと出会ってからは二人を繋ぎ止める縁へと変化したのよ。私には、それが許せなかった。私の人生奪って手に入れた異能であんたが幸福になるなんて、私は、死んでも許せない……っ!」
お姉ちゃんが私の襟首を掴み、壁へと強く打ち付けた。ガッ、と鈍い音がして後頭部に鋭い痛みが走った。私は歯を食いしばって痛みに耐える。でも気づけば、お姉ちゃんから私のことを強引に壁に押し付ける力強さは消え失せていた。それどころか逆に、脱力して私にしなだれかかってくるばかりで、その様子はあまりにも痛々しくて。
「……返せ。返せ返せ返せっ! 私の人生を! 私の青春を! あんたのその下らない魔眼なんかに奪われた、私の命を返してよ……っ! ねえっ!」
私はただ、ふるふる、と首を横に振ることしかできなかった。お姉ちゃんの遺体はもうとっくに火葬され、骨は墓の下に埋まっている。今更、夜見塚咲として蘇らせることは、できない。
「なら……ならせめて、あんたのその魔眼を奪ってく。そうすれば証明できる。私は、あんたの魔眼覚醒のための道具なんかじゃないってことを。私の人生にもちゃんと意味があったんだって、納得できる。……奪われ虐げられるだけの人生なんて、真っ平だ」
お姉ちゃんがポケットから何かを取り出す。見ると、折りたたみ型のナイフだった。格納されていた刃を展開すると、街路灯の冷たい光を受けてギラリと光った。その光は何故か、お姉ちゃんが心の中で流した涙のようにも見えて、私は胸が痛かった。
お姉ちゃんが私の眼帯にナイフを押し付ける。お姉ちゃんの呼吸は荒くなっていた。ハァ、ハァ、と激しい呼吸音が静謐な暗がりの中に染み入っていく。切っ先が眼球を押してくる。お姉ちゃんの手は震えていた。込められた力が増していく度に、その震えも大きくなった。
何故だろう。今まさに眼帯越しに眼球へナイフを突き立てられているというのに、不思議と抵抗する気にはなれなかった。お姉ちゃんが私に復讐心を抱くのは、やっぱり筋違いだと思う。けど私を恨みでもしなければ、お姉ちゃんはやり場のない怒りと無念を延々と胸中に抱え込むことになってしまう。誰のせいにもできないということは、裏を返せばそういう運命だったのだと認めるということに他ならない。それは、神ならざる人間にとってあまりに酷だ。
お姉ちゃんがギリと奥歯を噛みしめる。右目の赤く変色した瞳に、憎しみの炎が迸る。何かを決意した表情だった。私はやられる、と思って、全身を強張らせながら両目をきつく瞑った。
でも、いつまで経っても眼球を斬り裂かれる痛みが襲ってくることはなかった。
恐る恐る、瞼を開く。すると、そこには。
「……なんでよ。なんで、刺せないんだよ」
今にも慟哭の叫びを上げそうな、悲痛に打ちのめされたお姉ちゃんの泣き顔があった。
お姉ちゃんが、ナイフを握る右腕をゆっくりと下ろしていく。私はその様を安堵や悲哀や同情や憐憫や心痛や悔恨や、その他諸々の感情がない混ぜになった心持ちで、じっと見つめる。
だが、次の瞬間。「あぁぁぁぁっ!」激しい叫び声を上げながら、獣のような俊敏さで迫りくる人影があった。私たちが顔をそちらに向けたのと、その人物が携えていた長い得物が横薙ぎに振るわれ、お姉ちゃんの後頭部に叩きつけられるのは同時だった。
「……あ。……み、お」お姉ちゃんの手からカラン、とナイフが滑り降ちる。ひどく虚ろな、それでいて悲しげな視線を私に向けたのを最後に、お姉ちゃんはその場に倒れ込んだ。
「澪、大丈夫⁉」聞き慣れた声に、私は張り詰めていた精神が一気に弛緩していくのを感じる。カナは霊槍を放り投げると、切羽詰まった形相で私の両肩に手を置いてきた。
「怪我はない⁉ どこか、痛いところとか⁉」
「う、うん。大丈夫だけど……でもカナ、どうしてここに?」
「どうしてもこうしてもないよ! 澪が何も言わずに家を出てくもんだから、心配になってこっそりついてきたら、こんなことになってて……。ねえ、瑞稀さんに澪のお姉さん――咲さんが憑依してるって話、本当なの?」
怒涛の展開に脳みそが耐えられず半ば呆然としている私とは対照的に、カナは安堵と混乱の入り混じったような顔つきになっている。私はカナを落ち着けるためにも、なるべく余裕のある表情でうん、と頷いた。
「それを知ってるってことは、カナも話は盗み聞きしてたってことでいいんだよね?」
「うん、そうだけど……って、それより。瑞稀さんは大丈夫かな。一応、ギリギリ気絶するくらいの力加減で殴ったんだけど」
カナは慌ててしゃがみ込むと、うつ伏せに倒れ込んでいるお姉ちゃん……の憑依した瑞稀を仰向けにして、脈を測りだす。心臓も動いているし呼吸もしているらしく、私達は互いに胸を撫で下ろす。いくら剣呑な状況だったとはいえ、殺してしまったりでもしたら大問題だ。
「力みすぎてなくてよかった。さ、澪。目を覚まさないうちに、やるべきことをやっちゃおう」
「え? やるべきことって……?」私が戸惑いの言葉を漏らすと、カナは憤然と立ち上がって。
「そんなの、咲さんの霊魂の回収に決まってる! さっさと澪の魔眼で咲さんの憑依を解除しちゃってよ。肉体から出たところを、私がすかさず回収するからさ」
カナは足元に放り出した霊槍を拾い上げる。それを構えたところで、未だに眼帯も外さずにボサッとしたままでいる私のことをジロリと見ると、カナはハッとした顔になる。
「待って、澪。……まさかとは思うけど、咲さんの心象世界に行こうだなんて考えてないよね?」
詰問するような口調で問われ、私はきまりの悪い心地になった。だけど私は、それに押しつぶされることはしなかった。しばしの静寂の後、コクリと頷く。ゆっくりと、首を大きく縦に振って。カナが憤りを隠そうともしない表情でにじり寄ってくる。私もカナから逃げたりせずに、飲み込まれそうなほどのブルーの双眸を正面から見つめ返す。
「ちょっと澪、正気なの? だって咲さんは、澪の目を潰そうとしたんだよ。そんな人の心象世界に行って、どうしようって言うわけ? 冷静な話し合いなんて、できるわけない」
「だけどお姉ちゃんは、さっき、自分の意志でナイフを下ろしたの。それに私、お姉ちゃんのことをこのまま蔑ろにしちゃ、いけない気がして……」
「なにその理想論」カナは呆然とした声で呟く。その肩は、怒りでわなわなと震えていて。
「馬鹿じゃないの。瑞稀さんのあの記憶を見た後で、なんでそんな馬鹿げたことを言えるわけ? 霊魂と話なんかしたところで悲劇しか招かないって、まだ理解してないの? なら、はっきり言ってあげる。……こんなことはもう、やめにしよう。私達、現実が見えてなかったんだよ」
カナの瞳にはいつものように強い意志を湛えた光が宿っていて、見る者にかぶりを振らせない圧力がひしひしと伝わってくる。その猛禽類のような鋭い視線に気圧されそうになるけれど、私は両手をぐっと握りしめてどうにか耐える。真澄さんは言っていた。大切なのは私がどうしたいのかだって。だからもう、何も考えずにカナに唯々諾々と従い続けるのは、やめにしよう。
私は一度、すぅ、と息を吸う。そして真正面から、カナのことを堂々と見据える。
「たとえ芥子粒ほどの些細なものであっても、希望という名の可能性は確かに存在している」
私が朗々と言い放ったその言葉に、最初、カナは面食らっていたようだった。だがすぐに、「はぁ?」と眉間に皺を寄せてきた。怒り心頭に発しているのは疑うまでもない。
「なに、その綺麗事。澪それ、本気で言ってるの? ……呆れてものも言えないよ。そんな馬鹿みたいな理想論、瑞稀さんが聞いたらどんな顔をするか――」
「これを言ったのは瑞稀さんだよ、カナ」
カナがハッとして、大きく目を見張る。胸が詰まったような顔つきになって、唇を震わせる。でも漏れ出るのは音のない吐息ばかりで、何らかの言葉が発せられることはなかった。
私は一歩前に出て、カナの両肩にぽん、と手を置く。澄み切った湖面のようなカナの瞳が、私に焦点を合わせてくる。私はそれを正面から覗き込みながら、言葉を続ける。
「確かに私達のやっていることは、手放しで褒められたことじゃないと思う。でもね、私は否定したくないの。カナの心の中にある、霊魂が穏やかな終りを迎えて欲しい、っていう願いを。私だって、まだ確信は持てない。でも、可能性があるっていうんなら、私はそれを追求したい。これからも、カナと一緒に」
カナはしばし、無言のまま押し黙る。けれど最終的には観念したような顔になって、「わかった」と苦笑しながら頷いた。私もつられて微笑する。
「そこまで言うなら、私ももう少しだけ頑張ってみる。自分の思い描く理想を、どうにか実現する方法がないか。だから、見せて。澪が咲さんと向き合うところ。話をするところ。それを見ながら、私もよく考えてみる。自分がどうすべきなのかを。どうすべきだったのかを」
私達は頷きあうと、瑞稀に並ぶような形でアスファルトの上に腰を下ろした。眼帯を外して、霊視の魔眼でカナの霊魂を捉えて、出力先を瑞稀に憑依したお姉ちゃんのそれへと変えていく。続いて私自身のも。
深く、終点のない夢の奈落へ滑落していくような感覚を味わわされる。いつしか現実世界での意識は消えて、プツン、と。何かが途切れるような幻聴を最後に、私の世界は切り替わる。
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