第37話 迷子。
瑞稀が立ち去ってからしばらくした後、私達もひとまず帰途につくことにした。移動中、私は重苦しい沈黙を味わいながら、ただひたすらに暮色に沈む街並みを横目に見続けていた。
家に帰っても私達は相変わらず無言のままだった。じっとしていると思考がどんどんと憂鬱な方向に沈んでいってしまいそうだったので、取り敢えず交代でお風呂に入ることにした。
二番目に入った私がお風呂から上がると、居間の電気は消えていた。カナは、ソファの上で膝を抱えて蹲っている。私はしばし迷った末、その隣にゆっくりと腰を下ろした。カナは白いほっそりとした手で、霊具の手鏡を包みこむようにして持っていた。
「……それ、誰もいなくなっちゃったね。ついさっきまで、あんなにうるさかったのに」
カナからの返答はない。私は口を閉ざして、眼帯を外して再び手鏡を凝視してみる。でも、そこにあるのは薄汚れた鏡面だけで、眺めているだけで物悲しい気分にさせられた。
思考は自然と、瑞稀と沙条さんのことへと流れていく。私とカナが仲直りできたように、瑞稀と沙条さんも対話してすれ違いを解消した末に、円満なお別れができるものだと考えていた。でも、それはあまりにも浅慮が過ぎた。沙条さんにとどめを刺すときの、痛ましいことこの上なかった瑞稀の背中。死に際に憎しみの言葉を投げかけた、悲痛なんてものではない沙条さんの泣き声。こうして思い出すだけでも、胸の奥底が締め上げられるような心持ちがした。
「……ごめん、なさい。……私の、せいだ。全部……全部」
隣からすすり泣くような声が聞こえてきて、私は息を呑んだ。
「……私の、せいだ。全部、私のせい。私が馬鹿だったせい、なの。……瑞稀さんがあんなに辛い思いしてたなんて、考えなかったから。自分勝手な我儘で、あの二人を引き合わせたりしたから。きっと綺麗な終わりになってくれるって、何の根拠もなく、信じ込んでて……」
「カナ……。別に、カナのせいってわけじゃ……」
「っ、違うの。私の……私の、せいなの。……だって私、気がついたんだ。私がしてきたことって、きっと、単なる善意の押し付けっていうか、私のエゴに過ぎなかったんだなって」
「エゴって、そんなことないよ。だってカナは、未練を抱えて成仏できずにいる霊魂に、少しでも救いがあるようにって、頑張ってきて――」
「っ、違う!」カナが伏せていた顔を上げる。私の両肩に手を当てて、顔面を近づけてくる。ピスクドールのように端麗な顔立ちが、今は丸めて握りつぶしたチラシのようにクシャクシャになっていた。
「違うの。そうじゃないの。……やっと気づいたんだ。私ってね、きっと、綺麗なものが見たかっただけなんだと思うの。フィクションとかで描かれるような、綺麗な離別が。それで自己満足に、感動的な気分に浸りたかっただけ。でもそれって完全に、ただの私の偽善じゃん……!」
私はハッとした。昨日の夜、エアさんに言われたことが脳裏に蘇る。あの人は、カナのやっていることは押し付けがましい、と口にしていた。それはこういうこと、だったのだろうか。
「私の我儘のせいで、瑞稀さんのことも沙条さんのことも傷つけた……! あんな悲劇的な結末になっちゃうくらいなら、無理に合わせたりなんかするべきじゃなかったのに……!」
カナが私にしなだれかかってくる。その背中は震えていて、あまりにも脆弱そうで。
だけど私は、カナに慰めの言葉をかけることができなかった。だって、私も同じように考えてしまっているから。あの二人を無理に対話させたのは間違いだった、と。
瑞稀は元々、沙条さんと話なんかせずに回収するつもりだった。沙条さんだって、瑞稀と再開したところで苦しめるだけだから殺して欲しいと言っていた。あの二人は、ちゃんと理解していたんだ。再開したところで、自分たちには哀しい別離しか与えられることはないのだと。
だけど私達は、それを短絡的な考えで否定してしまった。あの二人の胸中に巣食っていた一抹の希望を拾い上げて、きっと綺麗に別れられるよ、と無責任にそそのかしてしまった。いくらなんでも、その考えは浅はかすぎた。
「……瑞稀さんの言ってたとおり、霊魂回収なんて美しいものじゃない。何もかも、私が間違ってたんだ。私があんな馬鹿なことやりださなければ、こんなことにはならなかったのに……」
カナは嗚咽を漏らしながら、私の胸の中で泣いていた。でも、次第に泣くのにも疲れてきたのか、定期的に鼻をすする音だけが聞こえてくるだけになる。私はいたたまれない気持ちになって、「今日はもう寝よっか」と口にした。カナはコクリと頷くと、私の腕の中から頭を離した。
ソファから立ち上がり、「おやすみ」と挨拶をしてから自室へと移動した。ベッドに寝転がり、暗い闇色に沈んだ自室の天井を見上げる。
「……あんなふうに泣いたりするんだな、カナも」
私はこれまで、強靭な信念に則って自らの決めた道を果断に突き進むカナの姿しか、見てこなかった。ああして心が折れて、塞ぎ込むことがあるだなんて思ってもみなかった。それどころか、明確な信条として掲げてきた霊魂回収までをも否定してしまうことになるなんて。
「……ねえカナ。私達のやってきたことって、一体何だったのかな」
私はひとりごちる。当然、返事が返ってくることなんかないけれど、構わず続ける。
「私の憧れていたものって、一体何だったの? 私は……カナみたいに、なりたいと思ってた。カナみたいに、誰かのためを思って笑えるようになりたいって、願った。……だけどカナは、あんなものは偽物だったって、言うんだね。私が憧れたあの笑顔は、ただの欺瞞だって」
だとしたら、私はひどく滑稽だ。あの日、私の胸の底から湧き出した強烈な情動。誰かのためを思って泣いたり笑ったりするカナの、筆舌に尽くしがたい美しさ。それすらも、私にとって都合のいい虚妄に過ぎなかったってことなの――?
そのとき、枕元に放置してあったスマホがいきなり鳴った。思考を一旦止めて画面を確認すると、真澄さんからの電話だった。連絡先を交換してはいたけれど、電話がかかって来たりすることは今までなかったので、ちょっとだけ緊張しながら通話ボタンをタップする。
「あ、もしもし澪ちゃん? ごめんね、こんな夜に。今、大丈夫?」
「大丈夫ですけど……あの、どうしたんですか?」
「いやね、荒れた部屋の掃除とかが丁度、今日終わったところだったから。一応、報告をしておこうかなと思ってさ。澪ちゃんの声も聞きたかったし。どう、二人とも元気してる?」
「元気……まあ元気、ですけど。はい」
「あれ。なんか、明らかに元気なさげな声じゃない? ……もしかして、何かあった?」
明るげだった真澄さんの声色が、急に温かみのあるものに変化する。それはまさに歳上の頼りがいのあるお姉さんの声そのもので、一杯一杯になっていた私の心に急速に染み入っていく。
「……その。実は、霊魂回収のことで色々あって。……話、聞いてもらってもいい、ですか?」
「ん、当たり前じゃん。いいよいいよ、何でも好きに話してくれて。私で良ければね」
真澄さんは屈託のない声で言う。私は早速、これまでのことを真澄さんに滔々と語り始めた。さっきまでは、カナが私よりも傷心してたから我慢してしまっていたけれど、私だって結構な精神的ダメージを食らってしまっていた。吐き出したい思いも、言葉も、沢山あって。
私の吐露する整理されてもいない混沌とした話を、真澄さんは穏やかに相槌を打ちながら耳を傾けてくれた。その反応が温かくって、私は語っている途中に軽く涙ぐんでしまった。
「……とにかく、そういうことがあって。私もカナも、自分がどうしたらいいか、わからなくなってしまって。結局、私達のやってたことって、ただの偽善に過ぎないのかなって……」
「うん、そっかそっか。それは辛いよね。自分たちのせいで、誰かを傷つけてしまったわけだから。……確かに話を聞く限りは、二人には短慮なところがあったのかも知れないね」
聞き取りにくい泣き声で訥々と語る私とは対照的に、真澄さんは落ち着きのある声で、淡々と言葉を紡いでいく。第三者である真澄さんに、短慮だった、と冷静に突きつけられて、改めて胸が詰まる思いがした。
「やっぱり、死者と生者を引き合わせるっていうのは、すごくデリケートなことだとは思うからさ。話し合いのテーブルに立たせさえすれば、あとはあっちが勝手に上手いこと別れてくれるっていう考えは、些か無責任だとは思うかな。――でもね、これだけは言わせて」
穏やかだった真澄さんの語り口に熱が籠もりだす。私は思わず、伏せていた顔を上げていた。
「それでも私は、澪ちゃんとカナちゃんに感謝してるよ。二人が恵美とまた合わせてくれて、良かったって思ってる。心の底からね」
「真澄、さん。……そっか。そうですよね。少なくとも、真澄さんは私達の霊魂回収を、悪いことだとは思っていないんですよね。……よかった」
私は途端に救われた心地になった。カナに付き添っていただけとはいえ、私だってれっきとした当事者ではあるから。霊魂回収が極悪非道な行為であるだなんて、思いたくはなくって。
だが真澄さんは引き締まった調子で、「そういうわけじゃないよ」と返してきた。
「私は、二人のしようとしていることを全面的に肯定したわけじゃない。善行だと言い切れないのは事実だからね。私が言いたかったのは、少なくとも悪いことばかりじゃない、ってことだけ。澪ちゃんとカナちゃんに救われた人間も確かにいるんだって、伝えたかったの」
「……で、でもっ! それじゃ答えに、なってないじゃないですか。善くも悪くもないだなんて曖昧なことを言われても、どうすればいいのか、わからないですよ。……教えて下さい、真澄さん。私は、どうしたらいいのかを、ちゃんと……」
だって、私にはわからない。瑞稀に言われたとおり自分たちのしていたことはただの偽善だから、カナと一緒に身を引くべきなのか。それとも、カナをどうにか説得してまた二人で霊魂回収に臨むべきなのか。真澄さんには、ちゃんと導いてくれなきゃ困ってしまう。
でも真澄さんは私の期待に反して、冷然とした声で突き放してきた。
「それは私にはできないよ。私にできるのは話を聞いて、それに対する所感を述べることまでだから。自分の身の振り方を決めるのは自分だけだし、自分じゃなくちゃいけないんだよ」
突きつけられた正論に、私は二の句が継げなくなった。……そのとおりだ。私は自分で考えることから、結論を出すことから逃げていた。自分の幼さを実感し、唇を噛む。
「澪ちゃん自身は、どうしたいわけ? 澪ちゃんは、なんで霊魂回収なんてやってるの?」
「……それは。私はカナに、憧れたから。誰かの為に必死で動くカナが、眩しくて。それで」
「ああ、なるほどね。澪ちゃんの動機はカナちゃんだったんだ。それで、カナちゃんが傷心してしまった今、自分がどうすればいいのかわからなくて迷子になってしまっている、と」
電話越しだから意味なんてないというのに、頷いた。考えてみれば私は、大切な選択は全てカナに任せっきりだった。私の目的はあくまでカナに付き合うことであって、自分がどうしたいのかなんて考えてもこなかったんだ。私は自分の無責任さを実感し、忸怩たる思いになる。
「まあ、私に手伝えるのはここまでかな。後は澪ちゃんたちが自分で悩んで、決断するだけ。でも、なんかごめんね。偉そうな態度取っておきながら、大して力になってあげられなくて」
「あ、いえ、そんなことは。ちょっと心が軽くなったっていうか、気持ちに整理はつきました。……本当にありがとうございました。自分で色々と考えてみます」
「うん、それは何より。迷ったりしちゃったら相談くらいは乗るから、いつでも電話してよ。――でもまあ、もし答えが見えたなら、そのときは二刀流の精神で行こうぜ。二刀流の」
「は? 二刀流?」唐突に投げかけられた謎の文言に、私は戸惑う。なんだそれ。
「そ、二刀流。盾なんか持ったりしないで、攻撃全振りの精神で真っ直ぐ前に突き進んでいく、みたいなね。それじゃ、私はこれで。落ち着いたら遊びにでも来てよ。またね」
呆気に取られる私をそのままに、真澄さんは電話を一方的に切ってしまった。ツー、ツー、という機械音だけが鼓膜の奥でぼんやりと残響している。私はスマホを耳元から外して、ベッドの上にぽん、と置いた。それから、ふぅ、と息を吐き出しながら、なんとなしに天井を見る。
私はどうしたいと思うのか、か。真澄さんの言う通り、カナみたいになりたい、という理屈でいつまでもカナにコバンザメみたいに寄りかかっているだけじゃ、駄目なのだろう。私も私で、霊魂と対話するという行為の是非を、考えなくちゃいけないのであって。
私はしばし黙考する。だがそのとき、再び着信音が鳴り響いた。気を抜いていたところだったのでビクッとする。真澄さん、何か言い残したことでもあったのだろうか。待たせては悪いと思ったので、誰からなのかも確認したりせずに慌てて通話ボタンを押した。
スピーカーから流れてきた音声は、思いも寄らない人物のものだった。
「あ、澪? ちょっと今から二人きりで会いたいんだけど、いいかな?」
「え? ……瑞稀さん?」
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