第5話 感動の対面……の前にはひと悶着あるものです。

 途中で昼食休憩を挟みつつ、計二時間ほどのドライブで目的地に辿り着いた。


 そこは、東京の郊外の住宅地に佇む、二階建てのアパートだった。オートロックはついていないので、こちらとしては都合がいい。あそこの部屋です、とカナが二階の角部屋を指差す。ベランダには洗濯物が干してあり、カーテンは引かれているが窓は開いたままになっていた。


 入口付近にバイクを止めると、カナは流石の厚顔無恥さでアパートの敷地内にズカズカと闖入し、何食わぬ顔で外階段を登って二階へ移動。一番奥にある部屋の前で、足を止めた。


「今回ばかりは、説明で嘘を言ったりはしません。こちらの事情を伝えてから恵美さんと対面してもらいます。一旦、私の方から話を通すので、恵美さんは待っていてもらえますか?」


 鏡の中の恵美さんがこくり、と首肯する。それを見届けた後、カナは先程同様、少しも迷うことなしにインターホンのボタンを押した。しばらくすると鍵の開く音がした。古臭い鉄製の扉が軋んだ音を立てながら、徐々に押し開けられていく。


 チェーンのかかった、十五センチほど開いたドアの隙間から顔を覗かせたのは、肩下まである黒髪を後ろでくくった女の人だ。スラリとした体躯で、身長は私と同じ百六十くらいだろうか。部屋着と思しきTシャツと短パンから覗く四肢にはちゃんと筋肉がついていて、華奢と言うよりも引き締まったといった表現がしっくり来る。凛とした印象を受ける猫のような瞳を胡乱げに眇めつつ、どちら様ですか、と少々ドスの効いた声で問いかけてきた。


「突然のご訪問、失礼します。岸田真澄さんですか?」


「そうですけど……あなた、誰ですか? 私の知り合いには外人もゴスロリ少女もいないし、テレビないから受信料払う義務もないし、幸せかと問われればそれなりに幸せなんですけど」


 カツンッ! と唐突に甲高い音が響いた。何事かと思って足元に目をやると、真澄さんが竹刀の切っ先を床にガンガンぶつけていた。向けられた眼差しの切れ味は凄まじく、不審な動きをしようものなら容赦なくぶった切る、と暗に宣言しているのは明白だった。物騒な人だった。


「予防線張ってもらっておいてなんですが、私達、そういうのじゃないので」


「そういうのじゃない? じゃあ一体、どういうのなんですか?」


「霊魂回収を行っている者です」瞬間、真澄さんの醸す雰囲気が一変した。主に剣呑な方向に。


「霊魂回収? じゃああなた、回収者……って、あれ。その目、人工魔眼じゃない……? まあ、その辺の事情は何だって良いけど、回収者なんかが何しに来たわけ? 誤解なきよう先に言っておくと、私、霊魂回収は大嫌いだから。たとえ私の部屋に霊魂がいるとしても、回収には協力しない。そんなことさせるくらいなら、幽霊と同居してたほうがよっぽどマシ」


 床に向けていた竹刀の切っ先をカナへと向ける真澄さん。私達に対する敵意が明白に滲み出た、キツい物言いだった。でも世間からの霊魂回収に対する評価を考えればこのくらいは妥当、いや、それどころか穏当とさえ言えるかも知れない。


 現代物理学の功績によって科学的メカニズムが解明されているとはいえ、霊魂は多くの人々にとって未だに畏怖の対象だ。それ故、死者の魂を手に掛ける回収者という職業は、一般大衆からは汚らわしい、罰当たりな仕事として忌み嫌われていた。だからこそ回収者たちは、色付きという蔑称で貶められる。社会的に弱い立場の人々が就くことが多いという現実も、回収者差別に拍車をかけていた。特に最近は、今年の三月にあったタタリ事件――帝都大学附属病院で起きた、荒御魂の仕業と思しき停電事故――の影響もあり、回収者に対する風当たりは相当強くなっていた。鴉場グループは回収者の関与を否定しているが、病院の敷地内に不法侵入した回収者が霊魂を荒御魂化させたのではないか、という見方が一般的だった。


 険しい表情でカナのことを睨めつけている真澄さん。でもカナはそれに臆することなく、勘違いしないでください、と毅然として説明を続けた。


「私達はなにも、あなたの部屋に霊魂がいるだなんて話をしに来たんじゃありません」


「はぁ? だとしたらあんた達、本当に何の用があってきたわけ? ……というか、なんで私の名前知ってたの? 悪いけど、いい加減にしないと警察呼ばせて――」


「お姉さんの霊魂を連れてきました」


 苛立たしげに歪められていた真澄さんの相貌が、表情筋の電源がオフになったみたいに、一瞬にして呆けた無表情に様変わりした。え、という間の抜けた声がぼそりと漏れる。ドアの隙間から突き出ていた切っ先が床に落ち、真澄さんはそのまま一歩、後ずさる。


「ちょっと、それ……どういう、こと? 連れてきた? お姉……ちゃんを?」


「はい、そうです。霊素村に留まり続けていた岸田恵美さんの霊魂を、手鏡に憑依させて。あなたとお話がしたいと言ったので住所を調べて訪ねさせてもらった、という次第です」


「う、嘘。ちょっと……ちょっと、待ってよ。急にそんなこと言われても、わけわからな――」


「真澄」胸元に抱いていた手鏡から、声がした。私は手鏡を裏返して、鏡面を真澄さんに見せつける。「真澄、久しぶり。……会いたかった」


 震える声で戸惑いの言葉を漏らしていた真澄さんが、口をぽかんと半開きにして固まった。


「う、そ。本当に、お姉ちゃん、なの……? そんなの……そんなの、聞いてない……っ!」


 真澄さんが勢いよく扉を閉める。激しく鳴り響いたドアの音に、私はビクリと肩を震わす。


 ややあって、ガチャリという施錠音。それきり扉の向こうからは一切の音声が消え失せた。


 私達の間に沈黙が落ちる。なんとなく声を出すのが憚られる雰囲気だったので、どうしよう、とカナに目線だけでさり気なく問いかける。カナは小さく肩を竦めた。どうやら流石のカナも門前払いを食らっては、手の打ちようがないらしい。


 いや、それよりも。問題は、拒絶された張本人である恵美さんの方だ。もし今の仕打ちの影響で荒御魂化でもしようものなら、タタリ事件のような大事になりかねない。私は恐る恐る、手鏡の中の恵美さんの顔色を窺った……のだけれど。


「あっはは! ねえ見た⁉ 真澄のあの驚ききった表情! 凄い良いリアクションじゃない⁉」


 沈みこむでも怒るでもなく、メチャクチャ愉快と言わんばかりに抱腹絶倒していた。ひどい幽霊もいたものである。心配が杞憂に終わったことに安堵しつつも、若干引いている私がいた。


「あの、笑ってる場合なんですか? 思いっきり拒絶されてましたけど」


 私が訊ねると、あーいいのいいの、と恵美さんはお気楽そうな声音で返す。


「あの子のことだし、恥ずかしがってるだけでしょ。あ、そうだ。確か、ベランダの窓開いてたよね? あそこから私のこと投げ入れちゃってくれない? 後はこっちでなんとかするから」


「は? いや流石にそれは強引じゃ」


「妙案ですね、それでいきましょう」


「マジで言ってる?」


 愕然とする私を他所に、私から手鏡をひったくってスタスタと歩き出すカナ。マジらしい。


 アパートの裏側に回ると、カナはやはり微塵も逡巡したりはせずに、えーい、と窓に向かって手鏡をぶん投げた。恵美さんの魂を乗せた手鏡は、強い日差しを反射してギラギラと輝きながら、洗濯物という障害を辛うじて突破して、真澄さんの部屋の中に吸い込まれていった。


 しばしの静寂の後、「……お、お姉ちゃん⁉ はぁ⁉ なんで部屋に……って、窓から⁉ 馬鹿じゃないの⁉」真澄さんの悲鳴にも似た驚きの声が聞こえてきた。まあそりゃそうなる。


 でも、私が呆れ顔でいられたのも、ほんの短い間だけだった。部屋から漏れ聞こえてくる声はいつの間にか、驚愕の悲鳴からすすり泣くような震えたものに変わってしまったから。


「……っ、ごめ、……ごめん。私、お姉ちゃんに助けて、もらって。お姉ちゃんのこと犠牲にして、自分だけ、生き残っちゃって……。ずっと……ずっと、謝りたくて……」


「ん、いいのいいの。あれは、私がしたくてやったことなんだから。あー、もう泣かないでよ。本当、すぐ泣くのは昔から変わってないなぁ」


「だって……私、また会えるだなんて思ってなくて……。こんなの……こんなの、誰だって泣いちゃうに、決まってるじゃん……!」


 私とカナは顔を見合わせると、互いに小さく頷いた。無言のまま歩き出し、部屋の扉の前で待っていることにした。盗み聞きするのも悪いと思ったから。

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