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第1話 不法侵入は乙女の嗜みです。
「――あうふっ⁉」
がくん、と全身を襲った縦揺れで、うつらうつらしていた私は急激に意識が引き戻された。
「ちょっと、大丈夫ですか? この辺、道が悪くて結構揺れるので、注意してください」
噛んでしまった舌先の痛みに顔を歪めていると、運転中のカナがミラー越しに私の顔を一瞥してきた。いくら退屈を持て余しているとは言え、バイクの後ろに乗せてもらっているときに船を漕ぐのは危険だったかも知れない。私はこくん、と首を縦に振って、了解の意を示す。
両脇からせり出す木々の梢に乱反射した強い日差しが、一車線のうねうねした山道にこぼれ落ちる。四方八方から降り注ぐ蝉時雨が喧しい。吹き抜けていく風は、サウナの空気をうちわで送られているみたいに蒸し暑く、あまり心地よいと言えるものではなかった。
瞬く間に通り過ぎていく風景をぼんやりと眺めていると、ヘルメットのシールドに切り取られた視界の中に、金髪の馬の尾っぽみたいなものがバッサバッサと入り込んでくる。カナが後ろで束ねた金髪が、私の眼前で暴れているのだった。揺れる金髪へ目線を移すと、カナの乳白色のうなじに目が行った。艷やかな肌の質感に思わず魅入られてしまうけど、あまり触れてみたいとは思わなかった。不用意に触ったら、折れてしまいそうだったから。
おずおずと腕を回している背中だってモデルみたいに細いし、背丈も小柄。まさに華奢で可憐な印象を煮詰めた金髪美少女。そんな彼女が無骨な大型バイクを運転しているこの状況の異質さを、私は改めて思い知るのだった。
アスファルトに生じた亀裂の上を走るたびに、カナの背中にコツコツとヘルメットをぶつけてしまう。バイクに乗るのは初めてだからよくわからないのだけど、こんなに揺れるものなのだろうか。
「これ、乗り心地はあんまり良くないんですよね。変換炉積んでるから、他の部分に割けるスペースがあんまりなくて」
「え、変換炉? それって、危ないやつでしょ? 大丈夫なの?」
変換炉――霊素を電力へと変換する装置の名前だ。大震災のときに霊素発電所で起きた霊発事故は、十年ほどが経過した今となっても私の記憶には色濃く残っている。
「大丈夫です。問題ありません。活性霊素が漏れ出るとしたら事故ったときですけど、そのときには私達、とっくに死んでるはずですから」
「……それは大丈夫って言わないんじゃないの?」
「うっさいですね。細かいことはどうでもいいじゃないですか。そもそも安全性のことを言い始めたら、そんなフリフリした格好でバイク乗ってる時点で論外ですよ」
ミラーに映った私の制服を、カナがじろりと観察してきた。私も改めて自分の姿を検分してみる。スカートやブラウスには至るところにフリルが取り付けられて、袖口は優美な曲線を描きながら大きく広がっている。胸元の赤いリボンはボリューミーで、シックさと華やかさが上手い具合に同居している。カナの着用しているおろしたてのセーラー服とは比べるまでもなく、本来の制服のデザインからは大きく乖離していた。自分で言うのも何だけど、こんな人間がバイクの後ろに乗せられているのを街中で見かけたら、十中八九、二度見すると思う。
「で、でも、それはしょうがないじゃん。転校生に突然バイクに載せられて連れ去られることを想定して生きてる人間なんて、この世のどこにもいないって」
「想定してようがしてなかろうが、制服を好き勝手に改造するのはどうかと思いますけどね」
「う。……い、いいんだよ。制服の着用は義務付けられていても、改造は禁止されてないから」
「うわ、すげー屁理屈ですね。で、それってゴスロリってやつですよね。趣味なんですか?」
カナからの何気ない質問に、私は一瞬、言葉を詰まらせる。足元へと視線を落とした後、別に、と心なし小さな声で呟いた。
「……そういうわけじゃ、ないけど。単純に、右目の眼帯を目立たないようにしたいだけで」
「ああ、単なる魔眼隠しでしたか。てっきり、その眼帯も含めて好きでやってるのかと」
カナからのその言葉に、私は何も返答しなかった。カナもそれきり口を噤んで、運転に専念するようになる。私は元来口数の多い方ではないので、これはこれでありがたかった。
青々と葉を茂らせた木々に彩られる初夏の山道を、更に走り続けること三十分。灰色の路面と濃い緑色の植物だけに彩られていた視界が、急速に開けた。
「……わ、すごい」
私は思わず声を漏らした。そこは、一言で形容するならゴーストタウンという言葉のしっくりくる、廃村だった。人の出入りが途絶えて久しいことは疑うまでもなく、点在する建物群はどれも生命力旺盛の蔦植物に覆われている。立ち並ぶ一軒家も、奥の方に見える役所と思しき建物も、廃墟と言うほど荒れているわけではない。だけど、主たる人間の姿が消え失せているせいで、そこはかとなく寂寞とした雰囲気が漂っていた。
カナは適当なところでバイクを止めると颯爽と降車して、頭を覆っていたヘルメットを取った。首元に手を回してヘアゴムを取ると、瀟洒なサテンのような金色の長髪がふわりと広がる。
あーあっつ、と言いながら襟元をバサバサやっているけど、その外見は高級なフランス人形の如き気高さに満ちていた。顔立ちは整いすぎていると言っても過言ではないほどの精緻さで、くるっと反り返った黄金の長い睫毛は繊細な飴細工を思わせる。細い眉は高名な画家がスッと小筆を走らせたかのようで、鮮やかなサファイア色の瞳は湖面のように玲瓏と輝いていた。私はカナの湛える類稀なる端麗な容姿に、改めて胸が高鳴るのを感じた。
カナは身をかがめると、バイクを貫くような形で格納されていた細長い棒状の機械を手に取った。先端は本物の槍のように鋭利に尖り、その手前には玉ねぎのような球状の膨らみがある。手を握っている辺りには、バッテリーの容量じみた表示が簡素なスクリーンに浮かび上がっている。霊魂を霊素へと還元し、回収するための装置――霊槍だ。
ここ数年で一躍日本を代表する巨大財団へと急成長した鴉場グループが、霊魂回収事業を開始したのは、今からおよそ二年前のことだ。現在の日本では回収者たちの手によって、死者の霊魂を霊素へと分解、回収し、それを新たなエネルギー源として活用する試みが行われている。
霊魂というのはその名の通り人間の魂のことで、霊素という数十年前に発見された新元素によって構成されている。通常、人が死ねばその魂は速やかに霊素へと崩壊して大気中に霧散するものなのだけど、何らかの強い未練や心残りを残していると、極稀に形を留めたままこの世に残留することがある。早い話が、幽霊だ。回収者たちはそうした幽霊を霊素へと還元し、私達はそれをエネルギーとして利用している、というわけである。
「さ、それじゃ行きましょうか。ついてきてください」
「あ、うん。でも、ここってどこなの? なんか、どこかで見た覚えはあるんだけど……」
「あれ、言ってませんでしたっけ。霊素村ですよ」
あまりに平然とその単語を出すものだから、私は一瞬、聞き間違いかと疑ってしまった。
「え、ま、待って⁉ 霊素村って、あの霊素村⁉」
「そうです、その霊素村です。九年前の大震災のとき、霊発事故が起きた、あの霊素村。逆にそれ以外にどんな霊素村があるってんですか? あ、あれが例の霊素発電所ですね。火事になったって話ですけど、周辺の森林はすっかり回復してるみたい。植物って逞しいな」
愕然とする私とは対照的に、呑気に自然の力強さを称揚しているカナ。半ば強制的にバイクに乗せてきた時点で倫理観が正常じゃないのはわかってたけど、まさかここまで狂ってるとは。
「別に心配はいりませんよ。活性霊素の洗浄はとっくに済んでるので、健康被害はない筈です」
「いや、そういう問題じゃなくて……。この辺りって、立ち入り禁止区域じゃないの?」
「気にしないでください。関係者なので」
「平然と嘘吐かないで」
「それより、早く行きましょう。ここ、茨城の山奥ですからね。あんまりぼさっとしてると、千葉に帰るときには日が暮れます」
私のもう帰ろうよオーラには一切斟酌することなく、スタスタと歩き出すカナ。え、本当に行くわけ……? 心の中で文句を垂れ流しながらも、私は仕方なしにカナの後ろについていく。
坂道をしばらく上ると、例の霊素発電所の正門が見えてきた。といっても大型の発電所ではないので、広さは学校のグラウンド程度。刑務所を彷彿とさせる背の高い塀からは真新しい印象を受けたけど、中の施設の多くは霊発事故時の火災の爪痕を色濃く残していた。きっと、外側の塀だけ後から新設されたのだろう。門には当然ながら南京錠が掛けられていて、その下には立入禁止の四文字がでかでかと書かれた看板が。
「ねえ、カナ。ここ、立入禁止って書いてるけど。まさか入るつもりじゃないよね……?」
「おおっと、手が滑ったー」
右手に持っていた霊槍の鋭利な先端を、全力で南京錠に叩きつけるカナ。ガキンッ! という金属音とともに、錠前は見るも無残にぶっ壊れた。私が唖然としていると、今度は立入禁止の看板を、こんなもの視界に入らねぇ、と言わんばかりにガツンッ! と豪快に蹴り飛ばす。
……うわー。この人、目的のためには手段を選ばないタイプだー。
「ちょ、ちょっと! この辺、監視カメラとかあるんじゃないの? 警察とかに通報されたら、どうするつもりなの? 私、高一にして前科持ちとか嫌なんだけど……」
「そのときは他人の空似で誤魔化してください」
「いや、絶対無理でしょ。金髪美少女とゴスロリ女のコンビとか、ここにしかいないって……」
「……チッ、ああもうごちゃごちゃうるさいなぁ。それより、さっさと眼帯外してください。多分この辺にいると思うので」
ギロリ、と鋭い眼光を向けられて、夏なのにもかかわらず私はブルリと身体を震わした。
うう……。もうやだ。この子怖い……。私はいい歳こいて泣き出しそうな気分になりながらも、逆らったら何されるかわかったもんじゃないので、渋々右目の眼帯に手をかけた。
お風呂と寝るとき以外に眼帯を外すのは、何年ぶりだろう。鴉羽研に左目を売ったのが小六だから、かれこれ四年ぶりなのかな。そんなことをぼんやりと考えながら、ゆっくりと眼帯を取っていく。黒色の布で覆われ続けていた瞳には夏場の日差しは強烈で、私は右手で目の上に庇を作った。目が光に慣れてきたところで、ゆっくりと手のひらをおでこから離した。
「――その目、本当に綺麗ですよね。宝石みたい」
と、カナがいきなり、背伸びしながら私の右目を覗き込んできた。何の前触れもなく眉目秀麗な美顔を目と鼻の距離で突きつけられて、心臓がトクンと大きく飛び跳ねる。
「七色に光る魔眼だなんて、天然物は見た目からして人工魔眼とは格が違いますね。流石です」
「ちょ、ちょっと。急に何……? それより、早く行こう。日が暮れちゃう」
私はわざとらしく咳払いをして誤魔化すと、さっさと敷地の中へと足を踏み入れた。さっきまで怖気づいていたのも忘れて、キョロキョロと周囲を見回してみる。
「あ、いた。あそこにいる。あの、円形の建物のそばに」
敷地の中央に佇む、焼け焦げて変色した円筒状の建物。その付近に、ぼんやりとした青色の靄のようなものが浮いている。霊魂だ。
「それじゃ、場所は私が指差すから、カナはさっさと回収しちゃって」
私が霊魂の方へスタスタと歩み寄ると、待ってください、とカナが服の裾をつまんできた。
「いえ、回収はまだしません」
「え、どういうこと? だって私たち、それが目的だったんじゃ……」
「それは最終目的であって、回収するのはまだ先です。夜見塚さんには、これにあの霊魂を憑依させてもらいます」
カナが制服のポケットから何かを取り出す。古びた手鏡だった。取り敢えず受け取ったけど、カナの言っていることの意味は依然としてよくわからない。
私が小首を傾げているとカナは、はぁ、とわざとらしくため息を吐いてきた。
「この私が問答無用で霊魂をぶっ殺して回収する、冷酷無慈悲な人間に見えました?」
「バリバリ見えましたけど」
「察しの悪い夜見塚さんのために説明するとですね。心優しい私は彷徨える霊魂の話を聞いて、この世に未練がなくなったところで回収させてもらおう、と言ってるんです」
「霊魂の話を聞くって……え、えぇ⁉」
あまりにも前代未聞の宣言に、私はつい大声が出た。深閑とした山々に、私の悲痛な叫びがこだまする。いやいや待って! 霊魂と話をするだなんて、そんなのは聞いてない!
これから凄まじく面倒くさそうな事態に巻き込まれるのでは、という的中率九十九パーくらいであろう嫌な予感に襲われて、私は目眩がしそうになった。というか、した。
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