二度目のさよなら、魂殺し。
赤崎弥生(新アカウント「桜木潮」に移行)
Prologue
Prologue 私が魔眼に目覚めた日。
私のお祖母ちゃんは、世にも珍しい深緑色の瞳をしていました。それはまるで、暗闇でキラリと光るロシアンブルーの猫の瞳みたいに見えて、私はとても気に入っていました。
お母さんたちはその不思議な色をした目は緑内障という病気のせいで、お祖母ちゃんは目が見えないのだと説明していました。だけど、私は知っています。お祖母ちゃんの目は病気なんかじゃないってことを。だってお祖母ちゃんの瞳は、私には宝石か何かと見紛うほど魅力的に思えて、病気なんかでこんなに綺麗な目の色になったとはどうしても信じられないのです。
理由はそれだけではありません。私はお祖母ちゃんが閉じ込められていた座敷牢に向かうとき、足音を殺してこっそりと階段を下りてみたことが何度もありました。物音なんてほんの少しも立てたりはしていなくって、音に敏感な猫や兎だって気づいたかは怪しいくらいです。
だというのにお祖母ちゃんは私が木材でできた格子の前に佇むと、「おや、また来たのかい。あんたも私に負けず劣らず暇なんだねぇ」と、ニヒルに口の端を釣り上げながら言うのです。
その意地悪な物言いに私がむぅ、と唇を尖らせると、今度は人懐っこく相好を崩して。
「悪かった、悪かった。そう拗ねなさんな。可愛い孫が会いに来てくれて嬉しいよ」
「お祖母ちゃん、なんで私が拗ねてるってわかったの? 目、見えないんじゃないの?」
「ああ、見えないよ。でもね、目に映らなくともわかることだってあるんだよ。……あんた、どうしたんだい? 急にひょっとこみたいな顔して。気でも狂ったのかい?」
「やっぱり見えて――」
「見えてないよ」
お祖母ちゃんはずずいと身を乗り出して、念押しするように言いました。明らかに誤魔化してやがります。そんな私の不服気な顔を一瞥すると、お祖母ちゃんはふぅ、とため息を一つ。
「……でもねぇ、見えなくなったってのは、あながち嘘ってわけでもないんだよ。歳のせいかね。最近はもう、巫女としての力もだいぶ衰えてきたのを感じるよ。けど、それでいいのかも知れないねぇ。魂が見える女なんて、今どき三流ワイドショーでも流行りゃしないもの。霊素、とかなんとか言うんだったかね。今の人間にとって魂なんてものは、電気とかガスみたいな物質と何ら変わらなくて、丁重に扱うようなものでもないんだろ」
お祖母ちゃんは静かに両目を細めながら、少し悲しそうな面持ちで言いました。私はなんだか寂しくなって、そんなことないよ、と気休めの言葉を口にしました。でもお祖母ちゃんは、あるよ、と有無を言わさぬ口調でそれを否定します。気休めは所詮、気休めでしかないのです。
「今にそういう時代になるさ。人様の魂を食い物にする時代にね。あんたには、中々に辛い世界が待っているのかも知れないねぇ。いっそのこと、私の代で途絶えてくれればいいのにねぇ」
お祖母ちゃんは立ち上がってこっちに寄ると、格子の隙間から右腕を出して私の頭を乱暴に撫でてきました。大きくてしわしわで、でも温かい、私の大好きだったお祖母ちゃんの手です。
正直に言うと、私にはお祖母ちゃんが口にした言葉の意味が、あまり良くわかりませんでした。だというのに、どうして私がこのときのお祖母ちゃんとのやり取りを一言一句違わずに記憶しているのかというと、これが、私がお祖母ちゃんとした最後の会話となったからです。
次の日の朝、お祖母ちゃんが座敷牢の中で静かに息を引き取っているのが見つかりました。老衰だそうです。その死に顔は苦痛に歪むこともなく、かといって穏やかというわけでもありませんでした。お祖母ちゃんらしい死に方だな、と。不思議と得心がいった気分になりました。
さて、こうして数少ない気の許せる相手だったお祖母ちゃんを失ってしまった私ですが、これで一人ぼっちになってしまったわけではありません。というのも、私にはあと一人だけ、私に優しくしてくれる大切な人がいたからです。お姉ちゃんです。
私より六つ年上のお姉ちゃんは、人見知りする性格のせいで友達もいなかった私とよく遊んでくれました。艷やかな黒髪は腰まで届く長さで、仕草や表情にはあどけなさの中にどこか大人びた魅力が潜んでいて、そんなお姉ちゃんに私は憧れていました。
でもお姉ちゃんはお祖母ちゃんが亡くなった後、不幸にも病気を患ってしまいます。私の両親は、お祖母ちゃんが息を引き取ったときには悲しむどころか安堵する様子さえ見せていたのに、このときばかりは次の日に地球が滅亡すると聞かされた人みたいな、悲壮感あふれる反応をしていました。お父さんは夜見塚の呪いだ、と嘆くように吐き捨てて、お酒ばかり飲むようになりました。お母さんはこの子は贄なんかじゃない、と狂信するように口走り、お姉ちゃんを全国の大病院に連れ回し始めます。
だけど何度検査しても原因がわかることはなく、そうしている間にもお姉ちゃんの身体はどんどんと衰弱しています。そのうちお母さんも現実を受け入れたのか、お姉ちゃんを連れ回すことはやめました。お姉ちゃんは、我が家の自室で療養をするようになります。
私はよく、お姉ちゃんの部屋に面した庭で、一人遊びに興じていました。昔みたいに一緒に体を動かすことはできなくとも、お姉ちゃんに遊ぶところを見ていてほしかったのです。
「ねえお姉ちゃん。私、今から一人キャッチボールするから。見てて!」
「うん。わかった、わかった。見ててあげるから、やってみて」
お姉ちゃんは読んでいた本を布団の上に伏せると、黒曜石から削り出したみたいな気品のある黒色の眼で、私のことを優しげに見やります。私はふんす、と鼻息を荒くして、塀を相手にしたキャッチボールに挑みます。うわぼっち、とか言ってはいけません。別に寂しくなんかありません。友達なんかいなくとも、優しいお姉ちゃんさえいてくれればそれで良かったのです。
「ね、どうだった⁉ 私、上手にできてたかな⁉」
つっかけていた下駄を脱ぎ捨てて、私がとっとっと、と小走りで近づくと、お姉ちゃんは藤の花のように淑やかな微笑を湛えながら、「よくできたね、すごいね」と私の頭を撫でてくれました。お祖母ちゃんの手のひらとはまた違う、たおやかでほっそりとした指先。乳白色の柔らかな手のひら。私がえへへ、とだらしなく口元を緩めると、しょうがないな、とでも言いたげに苦笑を浮かべて、お姉ちゃんは私のことを抱きしめてくれました。薔薇の茎のように細い両腕に抱かれつつ、お姉ちゃんの胸に顔をうずめるその瞬間が、そのときの私には何よりもお気に入りでした。
だけど、そんなお姉ちゃんも、それから二年で亡くなってしまいました。
そして私は、目覚めることになるのです。霊魂を視認することのできる、不思議な力に。
お姉ちゃんが亡くなった数日後の夜、私は目玉に焼けた鉄を押し付けられているみたいな激痛を味わいました。あまりの痛みに耐えかねた私は、水で冷やせば少しはマシになるかと思い、足早に洗面所へと向かいました。
だけど鏡に映る自分の姿を見て、私は息を呑みました。
だって、黒色だった私の両目は、プリズムを通した光のような虹色に輝いていて――
そこまで書けたところで、原稿用紙を真っ二つに引き裂いて、ゴミ箱に放り込んだのを覚えている。小六のときに国語の宿題で書かされた作文だ。最終的にどんな内容のものを提出したのかは覚えていない。多分、私の家族は皆優しくていい人で、毎日とても幸せです、とか。そういった誰でも書ける当たり障りのない内容を書き連ねて、終わりにしたのだと思う。
――ねえ、お祖母ちゃん。お祖母ちゃんの言いたかったこと、今ならわかるよ。
だってこの世界は私にとって、ゴミ溜めみたいなものだったから。
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