第34話
アルミナは戦争孤児だった。
十年前のあの時からずっと独りだった。
家族は超獣に殺され、行く宛もなく、幼い体を酷使しながらなんとか生き延びていた。
アルミナの唯一の救いが妹のエルシアであった。
エルシアは元気で明るくて、暗い性格のアルミナとは正反対の性格をしていた。
エルシアがいてくれたからアルミナは生きてこれた。
けれどアルミナとエルシアは難民キャンプで生活をしていた時に、突然何者かによって誘拐されることになった。
連れてこられたのは何もないコンクリートの部屋で、そこには自分たちと同じようなみすぼらしい格好をした子供達が押し込められていた。
何も言わずにその部屋に押し込められたアルミナは震えながら毎日を過ごすことになる。
超獣の脅威は感じない空間だったがそれとは別、死の空気が濃厚な部屋であったと記憶している。
ろくに食事も取れずに衰弱していく子供もいれば、僅かに支給される食料を奪い合うような事態も発生した。
何より恐ろしいのは毎日必ず一人の子供が外に連れ出されていくということ。
白衣姿の研究者たちが朝に必ず部屋にやってきて適当な子供を見繕って連れていく。そしてその子供は帰ってくることがない。
外に出られたなどという淡い期待を持っていたこともあったが、研究者たちの冷酷な目がそんな期待を砕けさせていた。
きっとなにかの実験に使われて死んだんだ。
そんなことは幼いアルミナでも容易に理解出来た。
そんな空間であってもエルシアはアルミナの心の支えとなっていた。
「ここを出られたらなにしたい?」
[学校に行きたい! 友達を沢山作って、みんなとおままごとして遊ぶの!]
「学校…私も行ってみたいな」
[お姉ちゃん頭いいからお勉強すごくできそうだね!]
「そうかな…?」
エルシアと他愛のない話をして息の詰まるような部屋の中でもアルミナは耐え抜くことが出来ていた。
エルシアが威嚇してくれていたお陰でアルミナには子供達は寄ってこない。子供達はアルミナから距離を置き、一日に一度だけ支給される食事もエルシアのお陰で必ずありつけていた。
なにもかもエルシアのお陰だった。
エルシアの藍色の瞳に、アルミナは希望を抱いていた。きっとここから出られたら二人で何とかやっていけると。
けれど現実はそんなに甘くなかった。
ある日、エルシアが白衣の研究者たちに連れていかれた。
エルシアは抵抗したが、何もすることが出来ず、結局連れていかれてしまった。
連れていかれた先は手術台の上で、様々な機械が周りに置かれていた。
手術台の上に拘束されたエルシアに麻酔もなしに手術が行われた。
得体の知れない液体を注入された上で、切り開かれた腹部には何らかの管が取り付けられ、人間としての尊厳を奪われながら、死なないように最低限の治療を施されながら想像し難い苦痛を味わった。
「エルシア…! エルシア! 死なないで…!」
[大丈夫…大丈夫だよ。お姉ちゃん。私がお姉ちゃんの身代わりになれば…お姉ちゃんは死なないから]
心音が止まる。
甲高い音が手術室に響いても尚、手術服を着た科学者たちは手を止めずに、もう蘇生も手遅れになった状態になってようやく一言呟いた。
「失敗だ」
エルシアは死んだ。
エルシアの体はハエの集る死体置き場に放置された。死体を燃やす燃料すらない状況だと、死体は放置されるか埋め立てるのが一般的だった。
アルミナはエルシアの亡骸の傍で泣き崩れた。
そんなアルミナを見下ろすのは白衣を着た黒髪の少女。黒髪の隙間から覗く金色の瞳が悲しげにアルミナのことを見下ろしていた。
「私は何でこんなことをしているんだろうな」
少女がアルミナのことを見下ろしながら呟く。
そう呟いた後に、少女は踵を返し歩き出す。
「─────」
少女が最後に呟いた言葉をアルミナは聞き取れなかった。
****
マオは埼玉スタジアムのコート内にやってきた。
元々は選手の入場口だったのだろう通路を通って、荒れた芝を踏みしめる。
スタジアムの中央にはユキと、そしてアルミナが立っている。アルミナは憎悪に染った目でマオのことを見ていた。
ユキは両膝を地面について手首は拘束されている。その口はガムテープで覆われていた。
「やあ、探し人は私だろ。ファントム…いいや、アルミナ」
マオは演技っぽくならないように気をつけながら口を開いた。十分に声が聞こえる距離で、アルミナとの距離は歩けば数十秒とかからない位置。
静かな夜だけあってスタジアムの中にはよく声が響く。
「君が私を恨んでいるのは知っているよ。被検体No,166、五体のカテゴリー5の超獣因子を植え付けられ、君は一度死んだ。私が君を殺したからだ」
「…ノコノコと出てきたと思えば妄想話? 貴方が殺したのは私の妹。貴方がエルシアを殺した」
アルミナの言葉にマオが困惑する。
マオはエルシアなどという名前を聞いたことがなかったからだ。
マオは自分が実験に使った被検体…子供達全ての名前を覚えていた。当然アルミナの名前も覚えていて、ユウヒがその名前を口にした時はなんとか動揺を押し殺していた。
しかしエルシアという名前には聞き覚えがなく、何かの間違いで自分が被検体の名前を忘れていたのか? そんな考えに至ってしまう。
「…いや、エルシア? すまない、君に妹がいたのか?」
「忘れたと言うの? それもそうか、沢山人を殺したんだから名前くらい忘れてしまうよね。…このろくでなし」
「……私は記憶力には自信がある。君はあの施設に運び込まれた時一人だった。君の身元もある程度調べてあるが……君は、君には姉妹はいないはずだ」
今度はアルミナが困惑する。
何を言っているんだこの女は、と。
もし説得を試みているのなら明らかに方向性がズレている。エルシアの存在をなかったことにしたいのかと。自分の罪を帳消しにしたいのかとアルミナは考えたが、どうにもマオの顔からは嘘の感情が浮かんでいない。
「確かに私にはエルシアがいた。一つ下の妹で、私と似たような顔をしてて…」
「…なるほど。君は…そういうことか。君の妹が誰なのか、私には理解出来たよ。そしてその妹は…そうか。確かに存在したんだ」
マオはしばらく顎を指でつまんで考えるような仕草をしていたが、アルミナの言葉にマオは顔を上げそう口にする。
「アルミナ…君の妹は生きている。そして私は君の妹の居場所を知っている」
「!! ……いいえ、はったりだね。そうやって私を騙してこの場を乗り切ろうと言うのなら」
「違う。君の妹は確かに生きている。…いいや死んでいるのかもしれないね。君はもう一人だから」
「…何が言いたい」
「…エルシアというのは、君自身のことじゃないか? アルミナ」
マオは濁った金色の瞳でアルミナのことを、アルミナの紅と藍色の瞳を見据えてそう話した。
アルミナには訳が分からず、怪訝な顔をマオに向けてしまう。
マオは軽く息を吐き、緊張を解すように深呼吸をすると再度口を開いた。
「人、特に幼い子供は精神に異常を来たすと防衛本能が働くんだ。例えば孤独になって極限環境を生きてきた子供が本来は存在しない幻の、理想の妹を生み出すことだってありえない話じゃない……。つまり、君の妹、エルシアは君が生み出したんだ。君が生み出した、存在しない妹。それがエルシアであり、もう一つの人格だったんだ」
銃声が鳴り響く。
マオの足元に銃弾が着弾し、マオは少し怯んだ。
アルミナは拳銃を片手に目を見開き、マオの言葉をまるで認めていないかのような表情でマオのことを睨みつけている。
「そんな訳ない。エルシアは、私の妹は確かにいた。じゃなかったら私が生きているのがおかしい。エルシアが私だと言うのなら、エルシアが死んだ時点だ私も死んでいた筈」
「…SKBWの実験は様々なものを生み出し、観測した。その中には”魂”の存在もあった。多重人格者には複数の魂が存在する事例もある…もしかすると、エルシアは君を生かすために自ら身代わりになったんじゃないか? ”死の上書き”とでも言おうか…エルシアは君の死を自らの死で上書きしたんだ。そして君が生き残った」
「………」
アルミナはマオが言っていることを理解したくなかった。それでも頭は冷静で、マオの言葉を理解してしまっている。
嘘だと言いたくても、それが事実なのでは? そう疑っている自分がいた。
「だが結局、私が君を、もう一人の君であるエルシアを殺したのは間違いようのない事実だ」
「…そう、そうだよ。どの道貴方がエルシアを殺したことには変わりない」
「ああ、どのような言い訳もしない。君には私を裁く権利がある。だからユキを解放してやってくれ」
マオは最初からアルミナを説得するつもりなどなかった。ユウヒを騙すことになるが、これでいいとさえ考えている。
それにユウヒが見ているこの環境こそ、マオが死ねる最高の舞台でもあった。
「これを着けて」
アルミナがユキの首についているものと同じものをマオの足元に向かって放り投げた。
マオはそれを拾い上げてこれが簡易的な爆弾の取り付けられた首輪であるということはすぐに理解した。
人の首をへし折ったり跳ね飛ばす程度の火力はある。勿論起爆されたら死ぬのは間違いない。
マオはそれに目を落としてからなんの躊躇いもなくそれを自分の首に着けようとした。
しかしその手首を後ろから掴んだ者がいた。
マオが驚いて振り向けば、明らかに苛立った目を浮かべているユウヒがそこにいた。
「…ユウヒ!? 馬鹿野郎なんでここに来た!?」
マオは珍しく声を張り上げた。
しかしユウヒは無言でマオが手に持つ首輪を見ている。
「…マオさん、死のうとしてますよね」
「今はそれが最善の解だろうが! お前がここに来てしまったんじゃユキが死ぬんだぞ!?」
マオが慌ててアルミナの方を向けば、アルミナは足元に置いてあった対物ライフルを拾い上げて、その銃口をユウヒに向けている。
「ランク9位…いいや、ユウヒ。来るのはわかってた。貴方が友人の死を見過ごせない人間だということは、ね」
「……アルミナさん。やめませんか? 貴方の妹さん…と言っていいのかわかりませんが、残念だったと思いますよ。私にも大切な姉がいるので貴方の気持ちはよくわかります」
ユウヒはマオから首輪を取り上げ、それを地面に放り捨てながらそう話す。
マオは放り捨てられた首輪を悔しそうに見つめていた。
「気持ちがわかるならそいつがやったことが如何に罪深いことかを理解してるはずだよ、ユウヒ。貴方の姉もそいつに体を弄られたんだから」
「…私に姉さんの気持ちはわかりませんが、私はこの人を許してますので。友人として」
「妹はそう言ってるよ、ユキ」
アルミナはユキの口からガムテープを引き剥がす。
ガムテープを強引に剥がされたユキは「いったぁ…」と呟いて涙目になりながらアルミナのことを少し睨んだ。
「優しく剥がすのだ」
「貴方が言ってたことをユウヒに聞かせてやりなよ。マオのことを恨んでるんでしょ?」
「うん、恨んでるのだ。最初の頃はぶっ殺してやりたいとも思ってたのだ」
ケロッと答えたユキの言葉にアルミナは少しだけ笑みを浮かべた。
「でもマオちゃんは殺さないのだ」
しかし続いた言葉にアルミナの顔が曇る。まだ考えを改めていないのかと。
そんなアルミナの顔に呆れたユキはやれやれと言った態度で言葉を続ける。
「さっきヒントをくれてやったのに、まだわからねえのか?」
「マオは生きていてはいけない人間だから殺すべき。私の考えは変わらない」
「だめだゆーちゃん、こいつ石頭なのだ」
「そうみたいですね」
ユウヒには何の話なのかわからなかったが、ユキが囚われてる間にもユキとアルミナは何かしらの会話をしていたのだろうとは推測できた。
「それでも邪魔をするというのならユウヒ、貴方を殺すしかない。今手を引けば姉諸共見逃してあげる。東京シティもどうでもいい。私の目的は果たされるのだから」
「……引くつもりはないですよ。全員助ければ解決なので」
アルミナの顔が露骨に不機嫌になる。
わからず屋が多い。ユキとユウヒはずっとアルミナの行動を否定してくる。アルミナの言葉に納得したのが自分が憎悪を抱くマオだけというのはなんという皮肉だろうか。
「なら、死んで」
アルミナは複雑な感情で頭の中を支配され、もう何もかもがどうでも良くなった。殺すつもりはなかったがユウヒは脅威でしかない。ここで始末しなければ遺恨を残すことになる。
アルミナの指が引き金にかかったのを見て、ユウヒは一か八か地面を蹴った。音速よりも速い動きでアルミナに肉薄し、アルミナを無力化してユキを救出する。
博打のような、正気ではない判断だったがユウヒはそれに賭けるしかなかった。
アルミナが引き金を引く。
12.7mmの弾丸はユウヒには通用しない。当たってもちょっと痛い程度。わざと受けて動揺を誘い、隙を見せたところで無力化。
ユウヒの頭の中ではそんな力技としか思えない作戦が即席で組まれた。
だが、そこでユウヒの甘さが露呈した。
アルミナが本気でユウヒを殺しに来ていたと考えていなかったユウヒの失策だった。
「………ごホッ」
ユウヒは自分の胸に衝撃を受けて地面に膝を着いていた。胸に手を当てればおびただしい量の赤い液体が付着している。
呼吸しようとすると代わりに血液が口から吐き出され、何が起きたのか理解するとユウヒは顔を上げアルミナのことを見た。
「…カテゴリー5の骨格から削り出して作られた弾丸と特殊火薬を用いた超獣骨貫徹弾。貴方の頑丈さは知っていたから用意しておいた」
アルミナはユウヒの額に銃口を押し当てている。
超獣骨貫徹弾。元々は戦車などに利用される正規軍の兵装の一つだったはず。それを対物ライフルで再現するなど、…いや、可能だ。
超獣の骨を用いた合金というのは地球上に存在するありとあらゆる金属よりも頑丈で重い。それは貫徹力を必要とする砲弾には相応しい素材であった。
本来はカテゴリー3程度の骨などが利用されるのだが、アルミナが用いたのはカテゴリー5の骨。入手困難な貴重な骨格をわざわざ対物ライフルでユウヒを殺す為に利用するなど、ユウヒには想像のつかない話だった。
ユウヒは見誤っていたのだ。
アルミナの本気を。
アルミナは本気でマオに復讐しようとしていたのだ。
「…ごめんね」
アルミナはそう呟くとユウヒの頭を対物ライフルで撃ち抜いた。
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