第32話











「なんなのだ一体全体」


 ユキとイチコはワゴン車に強引に乗せられて手首足首を縛られ後部座席に横たわっている。

 ユキは何故か冷静だが、イチコは恐怖のあまり涙目になって震えていた。


「おい君たち少しは説明するのだ。なんで社会的貢献度が一切ないニート二人が誘拐されてるのだ」


「……」


 車を運転している男と助手席にいる女、後部座席でユキとイチコのことを見張っている女二人はユキが煩く喋っても何も答えない。全員が覆面を被っていることから犯罪を起こしている自覚はあるようだ。


「ま、どうせゆーちゃん狙いなのだ。ユキさんは人質といった所なのだ?」


「……生かしていればいいという命令を受けている。その口を開き続けるのなら少し痛い目を見てもらうことになるわよ」


「おお、怖い怖いなのだ。黙っとくのだ〜」


 ユキはニヤニヤと笑いながら喋るのをやめた。

 自分だけでなくイチコに被害が及ぶ可能性があるのならちょっかいを掛けるのは得策ではない。

 ユキは震えているイチコと目を合わせて笑みを浮かべる。


(怖がってるイチコちゃん可愛い〜)


 が、その頭の中はろくでもないことを考えていた。


 ワゴン車は人気のない街の中を走り抜ける。

 シティ内に超獣が出現したことにより殆どの人が最寄りのシェルターに避難するか、挙って上級都市の防壁前に集まっているのだろう。


 ワゴン車が停車したのは一般街の工業団地にあるとある倉庫。

 数人のスーツにサングラス姿の武装した者達がワゴン車が入ってくるなり倉庫の扉を開き、ワゴン車を倉庫内部に引き入れた。


 運転手がワゴン車を停車されると覆面を取りながら車から降りていく。

 ワゴン車の外では質のいい白いスーツを身にまとった男が護衛に両脇を守られながら立っている。運転手はその男と中国語でなんらかの話をしていた。


『荷物は?』


『問題なく。あの中にあります』


『よろしい。本社へ戻り次第、本国へ輸送する。天啓姫も死んだことだ。東京シティになにかする力はもうないだろう』


 白いスーツの男がクツクツと笑っている。

 予想以上に大掛かりな計画が背後で動いているようだとユキは推察した。

 中国としてもランク一桁は喉から手が出るほど欲しいようだ。


 ただ天啓姫が死んだと言うのはわからない。

 天啓姫はユウヒが。もしかすると影武者を本物だと考え、その上で発言しているのか、ユキはそう考える。

 となるとアルミナが虚偽の報告を入れたのか。アルミナは崩壊主義者に対しても中国に対してもそのような義理はなさそうなので嘘をついていてもおかしくなさそうだ。


『しかし東京シティも馬鹿なものだ。自国の英雄を粗末なマンションに住まわせてるとはな。手間が省けたと捉えるべきだが』


『上級都市に住居を構えていたら我々でも難しい任務でした』


『だが奴らは間違えた。ランク9位の実力を知っていたからかなんなのか知らないが、過信しすぎていたな』


『ええ、我々の手にレッド隊が渡ると考えていなかったのでしょう』


『いいタイミングであったよ。それに、ランク9位の姉をこのシティの者が煙たがるように仕向けたことでランク9位はこの東京シティに未練を持たないだろう。むしろ東京シティを嫌っている。なにせ守るべき相手が自分の大切なものを貶すのだからな』


 なるほど、賢いな。

 ユキは内心そう考えた。


 ユウヒの性格からしてみればユキを第一に行動するのは間違いない。

 ユキがチゥアンシィンに誘拐され中国政府に、例えば「ユキを保護したから」と恩を売られて勧誘されれば、なんの躊躇いもなくユウヒは何も守るべきものがない東京シティから出ていくだろう。

 そしてユウヒのことが大好きなティアは間違いなくそれに続き、ニコはわからないが、共に向かう可能性のが高い。


 予想以上にユウヒの性格は調べあげられていたようだ。となるとスレイヤーズ人事にも内通者がいるのかもしれない。


 マッチポンプとも言えるその作戦だが、効果は覿面に違いない。それにユキはユウヒが恩を仇で返すことをしないのは知っていたし、それをやられたら間違いなくユウヒは中国につく。


 ただ残念なことにユキが中国語を理解しているとは男達は考えていなかったようだ。


『荷物はこのまま大陸間弾道輸送システムに積み込む。上海シティで落ち合う予定だ』


『はっ。すぐに手配を』


『…待て。なんだこの霧は?』


 白いスーツの男が怪訝な顔で周囲を見回した。

 倉庫の内部に白い霧が徐々に満ちていく。やがて倉庫の端から端までが見えないほどの濃霧に覆われると護衛達が警戒心を強めていく。

 白いスーツの男は虚空に向かって、そこに誰かがいるのを確信しているかのように言葉を投げた。


「…ファントムか? 何故ここにいる?」


「用事が出来た。ユキは貰っていくよ。抵抗するなら皆殺しにするけど」


 どこからともなく聞こえてくる男なのか女なのかわからない混合音声。

 それにはその場にいる全ての人間に対しての明確な敵意が滲んでいた。


「待て、何故だ? 君は東京シティに復讐を果たし滅ぼしたいと考えている同志だ。何故今になって邪魔をする?」


「ユキが必要になったから。”あいつ”を誘き出すのに持ってこいの人質なの。だから貰ってく」


「…なるほど。利害の一致だけの関係というのはこういう事があるから面倒なのだ。全員熱源探知サーマルを使え! ファントムを殺害せよ!」


 護衛全員が武器を構える。

 頭にゴーグルのような装置を取り付けると周囲を警戒し始めた。恐らくはそれが熱源探知サーマルであり、霧の中に姿を消すアルミナを倒すにはもってこいの装置だ。


「もう遅い」


 が、全員が熱源探知サーマルを装着すると同時に天井から無数の筒状の物体が落下してくる。

 護衛達の足元に落ちたそれは即起爆し、辺りに閃光と強烈な炸裂音を撒き散らした。


 銃声と叫び声。


 閃光が収まると、そこにいた人々は皆一様に地面に倒れ伏していた。白いスーツの男も眉間を撃ち抜かれて死亡しているのが確認できる。

 あの一瞬で全員を殺し去ったアルミナの実力にユキは思わず口端を吊り上げた。


 ワゴン車の後部扉が開かれ一人の少女が姿を現す。

 アルミナだ。

 アルミナはオッドアイの双眸を隠すこともせずにユキのことを見下ろしていた。


「人質になってもらうけど、いいよね」


「この状態じゃ拒否もできねえだろ」


「それもそうだね。そっちは逃がしてあげる」


 アルミナは最早顔面蒼白になっているイチコの方を見た。


「へぇ、人質とる割にぬるいな」


「伝言を頼みたいだけ。マオをゾーン0に連れてくるようにと」


「おっほ、こえーこえー」


 ユキは笑う。

 相変わらずの余裕の態度にアルミナは目を細めた。

 マオの名前を出してもユキは不敵に笑うだけで、動揺すらしていない。


「ユキ、貴方はマオのことを知っていたはず。なのに何故嘘をついた?」


「そりゃお前、話せば殺しに行くだろ? それは俺としては本心じゃない。むしろやめて欲しかったんでね」


「…なんで? 恨んでるんでしょ?」


「恨んでるよ。憎んでる。復讐してやりたい。だがな、俺はそれをしない。お前もあいつに会えばわかるよ」


 ユキは不気味に笑ったままそうアルミナの問いに答えた。アルミナにはますます理解出来なかった。


「俺の復讐は現在進行形なんでね。邪魔されたくないんだよ。今回も手を引いてくれれば助かるんだがなぁ?」


「わからない。私はあいつを殺す。私の妹の復讐のために、苦しめて苦しめて、助けを乞うまで痛ぶってから殺す」


「そっか。残念だ。まあいいよ。それも因果なのかもしれないしな」


 ユキは嗤う。

 嗤うだけでアルミナの疑問には一切答えない。

 アルミナはユキに対して相変わらずの不気味さを感じていた。

 なんの力もないはずのただの少女が、不気味な怪物に見えるのだ。


 ユキはタイプ「ビースト」のニューであり、しかし欠陥品。

「ビースト」のニューは動物並みの身体能力を手に入れることもあれば、ただ外見的な特徴に動物的な要素が含まれるだけで身体能力は人並みの場合もある。

 後者の場合、侮蔑的な意味合いで「欠陥品」「出来損ない」などと呼ばれる場合がある。

 ユキもそれに当たるのだが、アルミナはユキと出会った時からずっと得体の知れない感情を抱いていた。


「ただそうだ。一つだけ忠告しておいてやる」


「…なに?」


 アルミナはイチコの拘束を解きながら唐突にそんな事を話すユキの方に横目を向けた。

 ユキは相変わらず三日月のような笑みを浮かべていて、余裕そうな態度を崩していない。


 だが、そのユキの目を見たアルミナは息をひゅっと飲み込み、得体の知れない恐怖感が背中に這い上がってくる感覚を味わっていた。


 その目にはいつも通りの青い瞳が浮かんでいる。

 だがアルミナはユキの目を覗き込んだ時、何故か果てしない深淵を覗いているようなそんな感覚に陥った。


「俺の妹に手を出したら最悪な目に遭うことになるぜ」


 ユキはただ一言、アルミナにそう告げた。














 ****














 ユウヒはスレイヤーズ本部に戻ってきていた。

 シャルルがかなりの重傷……と思いきや実はなんてことない軽傷で、再生治療薬で完治した。

 ニコも大した怪我はなく、すぐに戦線に復帰できた。

 レッド隊に被害はなかったが、最も大きい被害を被ったのはユウヒであった。


 ユウヒは荒んだ目付きでスレイヤーズのラウンジにある椅子に腰かけている。

 近寄り難い雰囲気の中、戻ってきたティアがそんなユウヒをおちょくっていたが、一睨みされてニコが待機している場所に追い返されていた。


「あれはちょっかいかけたら殺されますね。私にはわかりますよー!」


 いやおちょくってたよね? そんなツッコミを入れられるほど和やかな空気でもない。


 ユキが攫われた。

 その報せはユキと関わりのある者達からしてみれば衝撃を受けるには十分だった。

 なにせユウヒが最も大切にしているのが姉のユキであり、ユウヒの根幹的な行動原理には必ずユキの存在があるからだ。


 そんなユキを攫う。

 ユウヒを怒り狂わせるには十分過ぎた。

 今にも上級都市に殴り込みに行きそうだったユウヒを窘めたニコは正しく英雄だろう。


 現在は待機命令がスレイヤーズから出されている。

 スレイヤーズとしてはスレイヤーがシティの敵になるというのは避けたいらしい。元はと言えばスレイヤーズは信頼から成り立っている組織だからだ。


 スレイヤーズ本部、事情を知るシオリが総出でチゥアンシィンに抗議を行っているようだがチゥアンシィンは知らぬ存ぜぬ。寧ろティアの証言を信じるスレイヤーズを非難している始末だった。


 確かにティアの証言は宛にならない。狂人と呼ばれる指定危険犯罪者。狂人の妄言と取られてもなんら不思議ではない。残念なことにティアの行いは無駄となっている。


「どうするんですかー? この後」


「…スレイヤーズ本部の尽力に頼る他ありません」


「そんな生温い方法ではあいつら強引に行動しますよ〜」


 ティアの言うことは正しい。

 人道を無視したのはチゥアンシィン側であり、ユウヒが怒り狂ってチゥアンシィンに突撃してユキを救い出したらチゥアンシィン側が悪いことになるだろう。


 しかしユキの所在は不明だ。

 こんな方法を摂る連中がユキを馬鹿正直にチゥアンシィン東京シティ支部に隠している訳がない。

 もしユウヒがチゥアンシィン東京シティ支部に突撃してユキの存在を見つけ出すことが出来なければ、今度はユウヒが非難され法律で裁かれることになる。


 ティアの言う事は正しい。

 しかしあまりにも手掛かりがなかった。


「やあユウヒ君」


 そんな手詰まりの状況でラウンジに姿を見せたのは護衛を伴ったシオリであった。

 ユウヒはシオリが来たことに気づくとイライラしているのを全く隠さずにシオリに返事を返す。


「…どうでしたか」


「チゥアンシィン側は君のお姉さんの誘拐の事実を認めないね」


「そうですか。じゃあいってきます」


「まあ落ち着きなさい」


 ユウヒが席を立ってチゥアンシィンに殴り込みに行こうとしたのをシオリが止める。

 シオリが自分の背後に目をやると、そこにはオドオドしたように縮まっているイチコの姿があった。


「イチコさん? 無事だったんですね?」


「……」


 コクコクとイチコが頷く。

 ようやく顔見知りと出会えたことでイチコは程よく緊張が解けたようだ。

 イチコはユキと共に行動していた。ユキが攫われると同時に行方不明になり、ユキと一緒に攫われたと思われていた。

 また迷子になっていたのか…と考えるがどうにも違う。イチコの手にはユキの携帯端末が握られていたからだ。


「あの…ユキちゃん…。と、私…誘拐されたんだけど…その…中国の人に…。でも途中で女の子が…助けてくれて…それでその人は…ユキちゃんだけを…」


「…なるほど。イチコさんだけが見逃されてここまで来た、という事ですか」


「そうだね。だが本題はそこじゃない」


 シオリがイチコからユキの携帯端末を受け取る。

 スリープモードから画面を起動させれば、音声再生画面が映りこんだ。

 シオリはその状態で携帯端末をユウヒに手渡す。


「再生してご覧」


「…」


 ユウヒはシオリからユキの携帯端末を受け取ると再生ボタンをタップする。

 すると混合音声らしき男女の区別がつかない声が携帯端末から流れ始めた。


『ランク9位、貴方の姉は預かった。私が求めるのはただ一つ。ゾーン0、”大穴”にあの女、マオを連れてくること。マオを大穴に連れてきて貴方だけが速やかにシティまで帰れば、貴方の姉は解放しよう。けれど24時間以内に来なかった場合、貴方とマオの他に何者かがいた場合、貴方の姉の命は保証しない』


 ユウヒにはこの音声の主が何者なのか、おおよそ検討がついた。

 アルミナだ。

 マオに固執している時点で、アルミナと断定が出来る。アルミナはマオに対して何らかの恨みを持っているようだった。


 ユウヒがマオの居場所を知っているのを知っていたから、アルミナはチゥアンシィンからユキを強奪し自分の目的を果たすために利用することにしたのだろう。


 少なくとも居場所がわかっただけでもユウヒは安心できた。

 だが、アルミナの要求はとても許容できるものでもない。ユキを返す代わりにマオを差し出せと言っているのだ。


「大穴ってゾーン0北西にある”最初の研究者達”の研究施設があった場所ですよね」


「そうだね。かつてカテゴリー5に襲撃されて大穴だけが残された場所だ」


 大穴は直径が500m程度の巨大な穴で、深さはどれ程か定かではないが無数の超獣が住み着いていてゾーン0にしては危険なエリアとされている。


「…やはりマオさんは…」


「ああ、私は”最初の科学者達”の生き残りだ」


 ユウヒが確信を抱くと同時、見計らったかのようにラウンジに姿を見せたのは相変わらずのヨレヨレの白衣を身にまとった目の下に酷いくまのあるマオであった。





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