第29話
深い霧に包まれたパレード会場。
山車は停止し、人々の喧騒はどこか遠い。
アイト達ブラックエンジェルズ隊は天啓姫を庇いつつ山車からの脱出を図ろうとしていた。天啓姫についているSP達も周囲を警戒しながら霧の中を進んでいる。
「この霧は報告にあった例の殺人犯の能力か…?」
アイトがぼやく。
当然だが殺人犯の情報はナンバーズには共有されている。だが重役が殺害されたという事実は一般人には伏せられていた。
市民に混乱を招くような真似をしたくないという東京シティの方針であり、これは守秘義務。
重役の葬式も細々と合同で行われ、とてもじゃないがこの十年東京シティを支え続けた者達の弔われ方ではなかったとアイトは記憶している。
「となると身を隠せない大通りには出られないな…。どこから攻撃されるかわかったもんじゃない」
アイトは伊達にランク46位の称号を引っ提げている訳ではなく、その実力は本物。
実戦での判断力、生存性、戦闘能力、指揮能力…それらを全て評価された上でカテゴリー3を単独で、カテゴリー4をチームで倒せる者がナンバーズを名乗ることを許される。
「正規軍の装甲車は?」
「残念ですが、通信が途絶してます」
SPの一人が冷や汗を掻きながらアイトの質問に答える。
山車から数十メートル手前に正規軍の装甲車が二台停車しているのだが、エンジンはかかっているのに動く気配は一切ない。それはまるで中にいた人間だけが死亡したかのように思えた。
頼みの綱の装甲車が動けない以上、この場から脱出するのは非常に困難。大人しく山車に籠城するかと考えてはみるが、この山車は見世物の為だけに使われるもので防御力といえば
「…なんで動かない」
アイトはそう呟く。
それは自分達でも、何故か動かない装甲車に対するものでもなく、敵に向けたもの。
この濃霧が発生してからというもの敵の動きは一切ない。一般人が逃げ去る時間すらあった程に。
だがアイトはこの山車から出るのは危険だと考えていた。一歩出た瞬間不可視の攻撃にやられるのは目に見えている。
となると敵側も同じ考えか。
テロリストなら乗り込んで自爆特攻でもしてきそうなものだが、トレーラーを運転する連中が自爆したっきりでその動きはない。
向こうもアイト達の動きを警戒して動けないのでいるのではないか? アイトはそう考えた。
アイトはもう一度濃霧の先に目を凝らす。数十メートル先はもう何も見えないほど深い霧。索敵を行う方が困難だ。
「
アイトはそう判断を下す。
山車は巨大だ。いくら紙のような装甲しかないと言えど、その巨大さはひとつの要塞として成り立つ。
アイトは早速チームメンバーにこの山車の要塞化を指示しようと口を開く。
ガリッ。
それは言葉にするなら固いものを口に入れて歯で噛み砕く音。それはアイトのすぐ後ろ、天啓姫がいる辺から聞こえてきた。
アイトは思わず振り向き、天啓姫の様子を見る。
天啓姫は固まったかのように身動きを取らず、しかし体を小刻みに震えさせていた。顔を上げて、口を結び明らかに恐怖の感情を抱いている。
アイトが何事かと天啓姫に声をかけようとした時、アイトの耳に声が聞こえてくる。
「偽物か。上手く影武者を使ったようだ」
何かを噛み砕く音。
天啓姫の背後に何者かがいる。
しかしそれは視認できない。不可視の存在が天啓姫の背後にいて、刃物のようなものを天啓姫の首に押し当てているのだ。
アイトはそれに気づくと咄嗟に抜刀するが、既に天啓姫は敵の手中にあり、既にアイト達は何も出来ない状況に陥っていた。
「いつからそこに…!?」
「答えてあげるほど暇でもない。本物は未来が見える分余程危機管理能力がしっかりしてる。これも予測していたのかな」
透明な何かは男なのか女なのか分からない声で話していた。それがボイスチェンジャーであることは明白である。余程正体を見破られたくないのだろう。
「雇われただけの影武者を殺す程私の心は狭くない。仕方がないし、今回は帰るよ。レプスの機嫌も良くなさそうだし、無駄な行動は避けるべきだよね」
天啓姫が背後からアイトに向かって突き飛ばされる。
アイトは天啓姫を受け止めて安否を確認してから再度透明な人物に視線を向けようとするが、完全にその場から気配が消えた。
透明な人物がいた場所にブラックエンジェルズ隊の隊員が剣を振り抜いていたものの手応えはない。最初からそこに人の存在はなかったかのように、まるで煙のようにその場から完全に存在を消してしまったのだ。
同時に聞こえてくる悍ましい叫び声。
大通りの上、摩天楼の合間の空間が割れる。
継ぎ接ぎを無理矢理開いたかのような空間から大量の粘っこい液体が滴り落ちてくる。
それだけでも異様な光景だが、その空間にできた継ぎ接ぎの穴からまるで赤子が産み落とされるかのように巨大で歪な肉の塊が大通りの上、装甲車を押し潰しながら出現した。
肉塊に無数の腕を付け足して、鋭い爪と牙、無数の眼球を取ってつけたような赤く醜いグロテスクなとち狂った画家が描いたような怪物がアイト達の目の前に突然として現れる。
「う、嘘だろ…!? カテゴリー4!?」
その巨大さからアイトはそれがカテゴリー4超獣であると断定した。実際にアイトの腕についているStecも目の前の超獣をカテゴリー4だとしていた。
東京シティに警報が鳴り響く。
それはシティ内に超獣が出現したことを表す警報。
人類は愚かニューであってもその対処がほぼ不可能に近い厄災に等しい存在が、唐突に東京シティのど真ん中に現れたのであった。
****
ニコはシャルルと共にユキとイチコ、それと一般人の避難誘導を行っていた。
帰ろうとしている矢先にテロが発生し、ニコは足止めを食らったのである。逃げ惑う人々を上手く導く為にもニコはか細い喉で声を張り上げて人々を落ち着かせつつ避難を促した。
「なんてことを…」
ニコは思わず呟く。大通りの方では断続的な爆発が発生して死傷者が数え切れないほど出た。数百人に収まっていればいい方と言えるほどの爆発。ニコが衝撃を受けるには十分だった。
「す、スレイヤーの方…ランク25位ですよね…?」
そんなニコに一人の夫婦が駆け寄ってくる。
それを見たニコはピタリと動きを止めた。そこ夫婦が手に持っているものを見てしまったからだ。
「治療系のマジックを使える人を探してるんです…。お願いです、娘を助けてください…!」
ニコは夫婦になんて声をかければいいのか分からない。夫婦はだいぶ錯乱しているようで、震える手でそれを抱きかかえている。
その父親の腕の中には人間の胴体が収まっている。でもあるのは胴体だけで、首から上は存在せず、左腕もかろうじて繋がっているだけ。
ちぎれた腹部からは腸が無惨にとび出ていて、赤い液体を地面に撒き散らしている。
よく見れば母親がその子供と思われる物体の頭を抱きかかえていて、その頭には無数のガラスの破片が突き刺さっていた。
ニコは青ざめた顔でそんな夫婦達を見つめていた。
どんな顔で、どんな言葉をかければいいのかわからない。
どれだけ優しく夫婦に対して現実を教えられるのかニコには到底わからなかった。
「……ぁ、あ、えっと…」
「に、ニコ先輩! 大通りからはみんな避難したよ!」
シャルルが人混みを飛び越えてニコが立つワゴン車の上にまでやってくる。
ニコはハッとするとシャルルに「ありがとうございます!」と感謝の言葉を述べてから夫婦に向かって言葉を続ける。
「…とりあえず最寄りのシェルターに避難してください。…そしてどうか、その子を安らかな場所で眠らせてあげてください」
「あぁ、…あぁ…わかり、ました…」
夫婦は娘の亡骸を抱きかかえながら走り去っていく。
どの言葉が正解なのかはニコにはわからない。けれどいくつもの死をその目で見てきたニコの精神は強かった。
「シャルルさん、周囲のスレイヤーも駆け付けているので、あとの避難誘導は彼らに任せて私達は大通りのテロリストの鎮圧を行います」
「えーっと…」
『大通りに戻ってこのテロを起こした馬鹿をぶっ飛ばしてください』
シャルルがニコの指示に目をぐるぐるさせているとその話を聞いていたユウヒがStec越しに通信を入れてきた。
「わかった!」
「ユウヒさん! マリ様は送り届けられましたか?」
『こっちは問題ありません。マリさんはシオリさんに預けました。私もすぐにそっちに向かいます』
「頼もしい限りです」
ニコはユウヒが援護に来ることを理解するとワゴン車の上から飛び降りて物陰に隠れているユキとイチコの元に近づいた。
「お二人はその…とても申し訳ないのですが、お二人だけで家まで行けますか?」
「大丈夫なのだ。土地勘はばっちりなのだ〜」
「ごめんなさい、私達は少々忙しくなりそうなので…」
ニコが謝るとユキはにんまりと笑い、イチコは自分より背が低いユキの後ろに隠れる。
「行ってきな」
ユキとイチコは二人でその場を立ち去り、ニコはそれを見送る。
ユキは何かと不思議な人間だ、というのがニコの感想であった。
かれこれ交流をしているが、ユウヒよりも背が低くて幼く見えるのに、精神はかなり成熟している。
その喋り方や性格からは考えられないほどに妙に勘が鋭く、時折見せる全てを見抜いているかのような聡い目はユウヒにそっくりだ。
あの姉にしてあの妹。
巷で流れる妙な噂を聞いた人々は一度でもユキと会話をすればその考えは変わりそうなものなのに、とニコは悲しげな目を浮かべた。
「…ん? これは…霧?」
逃げ惑う人々の姿も途切れ途切れになってくると、ニコは周囲に霧が徐々に現れてきたのに気づいた。
大通りから流されてきているのだろうその霧はとても深く、いつの間にか大通りの方は視認できない程に霧が濃くなっている。
「…これは、例の殺人犯のものと同じようですね」
「んぇ? ニコ先輩何の話?」
「えーっと…この霧を出しているニューの方がいるので、その人が敵です。倒しますけど、透明なので中々難しい戦いになると思います」
「倒せばいいのね!」
シャルルは当然だがあの巨大なASWを持ってきていない。背中に背負っているのは野球のバットに似た形状をした棍棒型のASWである。
「テロリストは複数人いると思います。狙いは山車の中にいる天啓姫様で間違いないと思いますので、……守りに行きましょう」
「おっけー!」
単純な命令って難しいなとニコは考えつつ、シャルルに対して単純な命令を出せるユウヒを心の底から尊敬していた。
ニコとシャルルが大通りに向かうと、大通りは深く白い霧に包まれていた。
視野は数メートル先の地面が見える程度。ぼんやりとだけ見える巨大な山車を頼りにニコとシャルルは霧の中を突き進んでいく。
「屋上の正規軍の方は…間に合わなかったようですね…」
ニコはStecを通して味方の位置を確認して苦い顔を浮かべていた。
Stecは優秀な端末であり、作戦行動中同じくStecを身につけている者の正確な位置情報を表示してくれる。
Stecはその人物の生体反応も記録していて、心拍数が停止した人物の位置情報はグレーに表示される。
大通りに面する高層ビルの屋上で防衛任務についていた正規軍兵士やスレイヤーの反応のほとんどがグレーに染っていた。
それはなにか攻撃を受けて既に死亡したあとであり、ただのテロリストだと見て行動すると痛い目を見るのはこちらだとニコは推測する。
「でも、これだけ霧が濃いんだし、あっちからも見えないんじゃないかな…?」
「私達の存在を認知する方法はいくらでもありますよ。熱源、音、ニューのなんらかの能力…それらで私達の位置は既に気づかれていてもおかしくありません」
シャルルの頑丈さなら狙撃程度なら防げるだろう。ニコの能力のような特殊な銃弾は防げるか怪しいが、少なくともシャルルの情報を知らない相手は油断しているはず。
注意すべきなのはニコの方だ。
ニコは「パワー」を保有しているとはいえ、ユウヒやシャルルのようなずば抜けた頑丈さはない。
「パワー」「センス」「モッド」といった能力を三つも保有している関係上、ニューとしての法則から比較的個々のタイプの性能は落ちている。
自分のようなニューがいた場合、それはニコにとっての天敵でもある。またニコは近接戦闘をあまり得意としていないため、近寄られればその時は一貫の終わりでもあった。
ニコとシャルルは物陰に隠れている。
山車が鎮座している場所にまで辿り着くにはどうしても遮蔽の存在しない道路の上を移動することになる。
そのようなリスクは犯せない。せめてこの濃霧がなければ索敵もできるのだが、霧が晴れる様子は今のところない。
こんなことなら
そんな脳内反省会をしていたニコは咄嗟に手に持っていたモシンナガン狙撃銃を構えると歩道の先に銃口を向けた。
「…どちら様ですか」
「ニコ先輩…敵?」
「この状況で隠れ潜んでるのなら敵か逃げ遅れた一般人でしょう」
シャルルが背負っていた棍棒型ASWを手に持つとニコを守るように、しかし射線を塞がないような立ち位置をとった。
「バレタ? エヘ、ワタシ、隠レルノ、苦手ナンダ」
霧の向こうから声が聞こえてくると、ひたひたと歩く音が聞こえニコとシャルルの目の前に一人の少女が姿を現した。
黄色いレインコートを着た中学生程度の少女だ。
フードを深く被っているが辛うじて見える口元は口端から耳ほどに掛けて縫い跡が存在していて、首にも縫い跡がある。よくみれば露出している体の部位全てに生々しい縫い跡が残っていた。
「ランク25位ト、ソッチハ知ラナイ。コノ距離ナラ、ワタシ、戦エル」
「…その話し方。その姿。知ってます。指定危険犯罪者のコードネーム”コネクター”さんですね?」
ニコは生真面目だ。真面目だからこそ政府やスレイヤーズから発表されている指定危険犯罪者の特徴を覚えていた。
指定危険犯罪者はティアのような危険極まりない犯罪者のことを総じてそう呼ぶ。見かけ次第攻撃が許されている人間版の超獣とも言える存在だ。
コネクターという少女は指定危険犯罪者に名を連ねている。本名は不明。コネクターというコードネームもスレイヤーズによって名付けられたもの。
「質問、答エル、暇、ナシ。トリアエズ、ワタシ、役目、果タス」
コネクターはそう言うと天に向かって指を翳した。
ニコは嫌な予感を感じとりシャルルに向かって指示を出す。
「シャルルさん! 彼女を倒します! 取り敢えず殴ってください!」
「任せて!」
シャルルが棍棒を片手に地面を蹴る。シャルルの蹴った地面はシャルルの脚力に耐えきれず、軽く抉れ吹き飛んだ。
シャルルの渾身のフルスイングがコネクターの胴体に向かって放たれた。
常人ならば視認することも出来ない高速かつ強烈な一撃。
コネクターはやや驚いたように表情を歪めて、咄嗟に何かを呟いた。
シャルルの攻撃はコネクターに命中することなく、コネクターの背後にあった石製の花壇を粉々に粉砕するだけに留まった。
「うぇえ!? なんでぇ!?」
「無名、ナノニ、パワー、ダケハ、ランク9位並カソレ以上。東京シティ、弱イヤツ、シカ、イナイ、思ッテタ」
シャルルの足元にはポッカリと縫い目が開いてで出来たような穴が出来ていた。少し離れた場所に同じような穴が出来ている。そしてそこにコネクターが佇んでいた。
「モッド「縫合」…。彼女のモッドは全ての物質に”縫い目”を作ることが出来る能力です。何ができるかといえば今みたいな瞬間的な移動などが可能になります」
ニコは知る限りのコネクターの能力を思い出す。
コネクターの持つモッド「縫合」は攻撃、移動に特化したモッドだ。様々な物質に触れることで「縫い目」を生み出し、それを開いたり閉じたりすることを可能としている。
また「縫い目」の内部は不可解なことに別の「縫い目」と繋がっていて、先程コネクターがやって見せたような移動を可能としていた。
なにより凶悪なのはその「縫い目」を攻撃に転用できるということ。コネクターに触れられると体に「縫い目」が出来てしまい、それが開かれた状態で体を縫い止めている「糸」を切られると部位を欠損したり大量出血を引き起こしてしまうことになる。
「ジャア、用、済ンダ、帰ル」
「! 逃がしません!」
「ジャア、コウスル」
コネクターが指を鳴らすとシャルルの足元の地面に穴が開き、シャルルはその穴に落下してしまう。
辛うじてその豊満過ぎるバストのお陰で落下は免れていたが、縫い目が閉じたことによりシャルルは脱出出来なくなっていた。
「んぎゃあああ! 助けてぇ!」
「シャルルさん!?」
「ジャアネ。ガンバッテ、抜ケダシテ」
コネクターはケラケラと笑いながら生み出した縫い目の中に消えていった。
残されたのはニコと、地面に埋まったシャルルと、ビルの壁でじたばたと暴れているシャルルの下半身のみ。
ニコは歯噛みしつつも取り敢えずシャルルを助け出そうとするが、ニコが動こうとしたと同時に悍ましい叫び声が聞こえてくる。
見上げれば空に出来た巨大な「縫い目」から悍ましい怪物が大通りに降ってくる景色が、ニコの青瞳に映っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます