第24話
「戦う度に強くなってる気がする?」
マオが色黒炭酸飲料から口を離し、また勝手に居座っているユウヒに聞き返した。
天啓姫生誕祭前夜。
東京湾に面するリゾート区では前夜祭を祝う花火が打ち上がっていることか。
ユキと見に行こうと考えていたが、ユウヒはそれを断念し、天啓姫を護衛する任務の前に自分の知らないことさえ知っているマオに確認しておきたいことがあった。
それがマオがユウヒに聞き返したことである。
「ええ…。正直自分でもビビってるんですけど、なんか私以前よりも力が増してきているんですよ」
「自慢か?」
「私がこんな自慢話することありましたっけ」
「ないな。…超獣因子は確かにニューの能力の発達を促す。だが発達を促すだけで止まる。つまり発達した時点でそこがそいつの到達点であって、それ以上ニューとしての能力は高まることはない。……勘違いじゃないんだな?」
マオはユウヒに確認をとった。
それは「超獣因子」の法則。
超獣因子はそもそもニューの進化を促すものではない。”超獣病”を発症させる病原菌だ。
だから自分が適応したと言って過剰に超獣因子を得ても超獣病になるだけ。ただ単に自分の許容量の内に収まっただけなのだ。
ユウヒはこの一ヶ月程度で何度か超獣とも戦闘した。カテゴリー3が最高ではあったものの、超獣との戦闘で負傷したことは一度もない。
つまり追加の超獣因子の獲得はマオの忠告通りしていないのだ。
「勘違いなのかを確認するために貴方の元に来たんですよ」
「…私としても気になるな。お前はあいつの………」
マオが何かを言いかけてひゅっと息を飲んだ。
ユウヒはマオの金の瞳が少しだけ泳いだような気がした。マオの目はユウヒではなく、ユウヒの背後を見て何かに動揺したような気がしたのだ。
ユウヒは何気なく自分の後ろを振り返ってみて、それとほぼ同時にマオの部屋の扉が開く。
「おいーっす」
手を後頭部で組みながら部屋に入ってきたのはユキであった。
「あれ、姉さん?」
「ん? ゆーちゃん? マオちゃんになにか用あったのだ?」
「ええ。姉さんもなにか用があったんですか」
「暇潰しなのだ」
どうやらマオの部屋はユウヒとユキにとって暇潰しの場と化しているようだ。
ユウヒがマオの方に視線を戻すと、マオは妙な汗をかいていた。
室温は至って快適。
汗をかくようなことは何ひとつとして存在しない。
それでもマオは何かに怯えているかのように呼吸を乱している。
「マオさん? 顔色悪いですけど」
「あ、ああ。なんでもない。すまない…」
マオは袖で汗を拭い、何度か深呼吸する。
「…来る前に連絡くらい入れろ。携帯端末買ってもらったんだろ」
「お? アポなしで来ちゃいかんのだ?」
「妹に買ってもらった携帯端末くらい有用に使え」
マオはユキにそう指摘してからユウヒの方に視線を戻した。その金色の瞳にはまだ恐怖心が浮かんでいる。ユウヒは本気でマオが心配になってきていた。
「大丈夫ですか? …本当に」
「大丈夫だ。…大丈夫、気にしないでくれ」
何に怯えている?
この場にはマオとユウヒと途中でやってきたユキしかいない。マオが何かに怯える要因がユウヒには一切わからなかった。
「戦う度に力が強くなってる気がする…だったか。具体的にどんな感覚かわかるか?」
マオは表面上平静を装ってユウヒにそう質問をぶつけてくる。マオがそれでいいのならユウヒには関係のない話で、ユウヒはただマオの質問に答えるだけだ。
「私のタイプって「パワー」と「スピード」じゃないですか。最近はその二つの力がより増してるような気がしてるんですよ。特に「パワー」に関しては著しいですね」
ユウヒは最近ティアと戦っていていくつかの気づきを得ていた。
ティアが弱く感じたのだ。
最初はティアが手を抜いているのかと思った。
しかしティアはとても楽しそうにユウヒのことを殺そうとしてくる。
あれは自分の全力をユウヒにぶつけて楽しんでいる者の顔だ。
それにティアがユウヒに対して手を抜くなんて万が一にも有り得ない話だ。ティアはユウヒのことを殺したくて殺したくて堪らないのである。
だからティアが弱くなったと勘違いしていたが、それは単純に自分の力がいつの間にかティアを上回っていたからだということにユウヒは気づいた。
今となってはチョップ一撃でティアを鎮めることができる。もう武器を抜くまでもなくなったのである。
「はぁ? あいつは相当な実力者だぞ? 下手したらランク7位とかその辺にいてもおかしくないマジモンの強者だ。それを弱いって…」
マオが目に浮かべていた恐怖心をどこかにやって今度は好奇心と呆れたような感情を浮かべている。
マオがいつもの調子に戻ったのに安堵しつつユウヒは話を続ける。
「本当なんですって。今ならティアさんに片手だけでも勝てます」
「…それは単純にお前の技量が高くなったとかではなく、か?」
「ええ、ただ単にパワーとスピードが強化されている気がしてならないんですよ」
ユウヒの戦闘技術は極めて高い。スピードが格上のティアに技量だけで勝るほどにはその技術を極めている。
技術の成長は緩やかで、あまり伸びしろがない現状。徐々に強くなっていく理由がユウヒにはそれしか考えられなかった。
マオは自分の顎を人差し指と親指でつまんでしばらく考え込む。PCを操作してユウヒの生態データなんかも見て唸っていた。
「…そういう事例がないわけではない、が戦う程強くなるなんてデータは過去にはないな。だとすると…モッド? いやでもお前は何も代償を支払っていない……じゃあなんだ?」
マオは興味深そうにキーボードを打ってモニターに映る様々なデータを眺めている。それはユウヒの直近の戦闘データだ。
「……確かにお前の強さは劇的と言っていいほどに成長してる。それはお前が超獣因子を取り込んだ時からずっとだ。明らかに強くなり過ぎだ」
「でしょう?」
ユウヒはようやくマオがユウヒの言いたい事を理解したことに満足したようにそう声を漏らす。
ユウヒは自分のニューとしての能力が異様に強くなっている事実に気づいていて、それが桁違いなことにも気づいていた。
明らかに異質だった。そんな異質な自分の力にユウヒは少し怯えていた。
「………いくつか可能性はあるが、それはあまりにも現実的ではない。答えるに値しない…推測にしか過ぎない」
マオは目をユウヒから背けながらそう話した。
口ではマオはそう言うが、明らかに心当たりのある目している。
あの理知的なマオがここまで下手くそに嘘をつくのも珍しい。いつもマオのジョークを本当だと信じ込まされてしまう程度にはマオは嘘が得意だ。詐欺師の才能があると煽ったことがあるくらいには。
「何故隠そうとしてるんですか」
「隠してはいない…。だけどな、ユウヒ。私はただ……ただ…」
マオはなにか言葉を口にしようとしたが、上手く話せないのか目を細めて「…これもダメか」と呟いている。ユウヒにはマオが何をしているのかサッパリであった。
「ゆーちゃん、マオちゃんが嫌がってるのだ」
ユウヒはマオの不可解な行動に対して質問を口にしようとしたところでユキに口を挟まれた。
ユキはマオの背後に立ち、その両肩に手を置いている。マオは顔を俯かせている為その表情は確認できない。
「姉さん、私は何故重要そうな話を隠そうとしているのかその理由を知りたいんですよ」
「触れてはいけないものもたまにはある。ゆーちゃんは今マオちゃんに自分が普段されたら嫌なことをやったのだ。それはいけないことなのだ」
「……」
ユキの言う通りだ。
ユウヒは普段から自分のことは隠している。隠したい事を根掘り葉掘り聞かれるのはユウヒにとって最悪の行いで、そしてユウヒはまさに今それをマオにしてしまったのだ。
「…すみません。気が回りませんでしたね」
「くひひ、謝れて偉いのだ。流石はユキさんの妹なのだ」
ユキは裏表のなさそうな明るい笑顔を見せる。
ユウヒはマオへの申し訳のなさが高まり、マオの方に視線を落として違和感に気づく。
マオのその目は何かに怯えるように床に固定されていて、膝の上で握られたその手はガクガクと震えている。荒くなる呼吸を必死に抑えようとしている様は、まるで殺人鬼に追われている子供のようだった。
可愛らしい笑顔を浮かべるユキとはあまりにも対極。恐怖に脅えているその顔は何に怯えているのかすらもわからない。
「ゆーちゃんは先に帰っておくのだ。マオちゃん結構昔のトラウマを思い出しちゃってるみたいだし」
ユキが笑顔のままそう告げてくる。
何故かいつものその当たり障りのない可愛らしい笑みに不気味さを感じたユウヒは、「…わかりました」とだけ告げてマオの部屋から退出していく。
残されたマオはそんなユウヒの背中をその濁った金色の瞳で見つめていた。
ユウヒのいなくなったユキとマオだけの部屋。
勝手に部屋の鍵が閉まる。
マオの体が抱きかかえられ、ベッドの上に落とされた。
「おいマオ。お前嘘が下手くそになったんじゃないか?」
笑うのは怪物。
不敵に笑う怪物の言葉をマオは断れない。
伸びてきた手がマオの頬を愛おしげに撫でた。
マオは全てを諦めて怪物に身を任せる。
マオにはもう祈ることしかできない。
自分の過ちを。
後悔を。
懺悔を。
****
ユウヒはベンチに座っていた。
スレイヤーズ本部の目の前には中心に大きな噴水のある広場があり、よくカップルなんかの待ち合わせに利用される。なおその大きな噴水は節水の為に毎日水が出た試しがない。
マオが何に怯えているのかユウヒにはわからなかった。
思えばマオは不思議な人間だ。
そもそもスレイヤーズ本部の人通りが一切ない地下に住み着いているのも謎だし、謎に高い技術を持っているのに影が薄いのも謎だ。
信頼に値する人物だとはユウヒ自身も思っていて、それでも謎な部分が多くて信用しきれない部分もある。
ユウヒ自身もマオには親しさを覚えていて恩もある。なにか手助けをしたいと思っていたが、マオの謎の怯えをユウヒは理解できなかった。
ユキは「トラウマ」だと言っていたが過去に何かあったのか。
「なんでそんなに深刻そうな顔してるの」
「そりゃもう大変で……なんですか貴方」
ユウヒはハッとしたように視線を横に向ける。
なんかいた。
左目に医療用眼帯をつけた黒いセーラー服の少女だ。だらしなくダウンコートを着ていて白みの強いブロンズの髪にはドクロの髪飾りをつけている。
藍色の瞳を眠気かなにかで重たそうなを瞼で細めながら少女はホットドッグを手に持ち、ポケットから取り出した箱の蓋を器用に開けて調味料と言わんばかりに茶色の錠剤をホットドッグに振りかけている。その茶色の錠剤はカフェイン錠剤であると丸い箱に書いてある。
唐突に現れるなりツッコミどころしかない行為をしている少女にユウヒは思いっきり引き気味になっていた。
「悩み事でもあるなら聞くよ」
「いきなり隣に現れた女がホットドッグにカフェイン錠剤トッピングして食べてるんですよね。しかも悩み事相談までしてきてほんとに怖くて…」
「え、怖い。そんな人どこにいるの?」
少女はカフェインがトッピングされたホットドッグを頬張りながら周囲をキョロキョロとしている。
「何者ですか貴方」
「しがない女子高生だよ」
「しがない女子高生がカフェイン錠剤をホットドッグにかけて食べる訳がないんですが」
「最近の流行だけど知らないの」
んな流行あるか。
ユウヒは口から出かけた言葉を止めてなんで初対面の相手のペースに乗せられているんだとギロりと少女を睨み付ける。
少女は何食わぬ顔でホットドッグを噛み砕き、明らかにホットドッグの咀嚼音ではないいかつい音を立てながらそれを胃に押し込んでいた。
カフェイン錠剤を大量に摂取していても少女は相変わらず眠そうである。
「ランク9位、英雄であっても悩みを抱えるんだね。てっきり冷酷な化け物かなにかかと思ってた」
少女はホットドッグを飲み込むとそう口にした。
ユウヒは一瞬虚をつかれたような顔を浮かべる。
「ヒーローはいつも遅れてやってきて、いつもいてほしい時にいない。この時代の人々は幸せなんじゃない? この腐りきった東京シティには長らく英雄がいなかった」
「何が言いたいんですか」
「何も。ただ話してるだけ」
「…」
「貴方も話せばいいよ。話すだけで楽になることも少しはあるし」
少女は眠そうにそう告げてきて、マオの謎の怯えを思い出したユウヒはマオの名前を伏せて少女の言う通りに吐き出してみる。
「…友人が何かに怖がっていたのに私には何も理解できなかっただけですよ」
「それはその友達が怖がってたことに苛立ってたの? それとも自分に?」
「……私自身にですかね」
ユウヒは短くそう言って、ああそうかと勝手に納得する。ユウヒはマオのことを理解してあげることが出来なかった自分自身に苛立っていたのだ。
マオはずっと何かに怯えていて、その目にはずっと諦めや後悔が浮かんでいるのにユウヒは気づいていた。
ユウヒはそのことを聞けずにいた。なにせユウヒは今まで他人のパーソナルスペースに踏み込んだこともなければ、他人に自分のパーソナルスペースを踏ませたことすらない。
友達。
そんなものは長らく作ろうとは思わなかった。
けれどマオは…良くも悪くも友人であり、ユウヒはマオを救ってあげたかった。
しかしユウヒには何をすればいいのかわからなかった。だから姉に投げて逃げ帰ってしまったのである。
「友達を想う悩みか。英雄様は、思った以上に人間なんだね」
「友達なんて作りたくなかったですよ。私は仲間がいる程弱くなる。完璧ではなくなる。独りが良かった。でも周りの人々は私を放っておかない。放っておいて欲しいだけなのに」
ユウヒはいつの間にか少女にボロボロと愚痴を零し始めていた。
愚痴を言わないようにしていた。姉にも、ニコにも、マオにさえも心配されたくなかったから。けれど赤の他人の少女には愚痴を吐き出せた。
なんとなくスッキリした気がする。言いたい放題愚痴を零し、それが吐き出し終えた頃には少女はホットドッグを完食していた。デザート代わりなのか知らないが大量のカフェイン錠剤を水で流し込んでいる。
「…名前はなんて言うんですか」
「アルミナ」
「そうですか…私は英雄様ではなくユウヒです」
「わかったよ。今度からはただの人間ユウヒと接しようかな」
アルミナと名乗った少女はベンチを立つ。
「会えて、話せてよかった」
「こちらこそ。また会えたら話でもしましょうか」
「うん。近いうちにまた会えると思うけど」
アルミナはそう言いながら立ち去っていく。
ユウヒはアルミナの言っていた言葉の意味をよく理解していなかったが、まあ会えるのならいいかと適当に考えておいた。
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