第42話 呂久村深月 vs 一条優

 俺が軽く両手を開きながら持ってるくらいのそこそこ大きなプラスチックの青い箱。その中にガラスでできたフラスコやビーカーなどがわりとギッシリ入っている。

 俺でも重いなと感じる。女の一条にはそりゃ辛いか。


「一条、このデカい装置手に持ってお前の箱この上に置けよ」

「え? ひとりで持つつもり? こんな重い箱をふたつも無理だろう」


 やっぱり重かったんだな。言えばいいのに。


「これくらいなら大丈夫」

 腰をかがめると、一条がためらいながら装置を持って自分の箱を置いた。

 おう、さすがにズシッとくる。さあ、さっさと階段を上がろうか。


「なんか、ボクだけ手持ちぶさたで申し訳ないな」

「気にすんな。一条がそれ持ってくれてるおかげだから」

「それ? これ?」


 一条が手に持つ、重そうに見えたけど実は軽いっぽい装置を見た。

「そう、それ。ありがと」

「あはは! どういたしまして」

 一条が笑った。笑うとさらに明翔によく似ている。


 無事に化学室に箱を運び終え、鍵をかけて教室へと来た道を戻る。


「とにかく、だ。もう俺を使って張り合うことはするな。明翔の父親やじいちゃんのことは明翔には何の非もないだろ」

 そんなの、明翔にだってどうしようもなかったことだ。


「ふーん。呂久村は明翔の味方なんだ」

「味方とかどうとかじゃなくって。俺は自分を明翔と張り合う道具のように使われるのがイヤなだけ」

「ボクはそんなことしてないよ。張り合ってくるのは明翔の方だ」

「え?」

「俺はひとりぼっちだ、寂しかったんだって、明翔が言ったの?」


 半笑いでバカにするような言い方が癇に障る。俺、そう取れるような言い方したかな。


「明翔はそんなこと言わねーよ。ただ、家で待ってたって言っただけ。俺が勝手にいろいろ考えて寂しかったんだろうなって思っただけ」

「まんまと明翔に同情したワケだね」

「まんまとって……」


 明翔に張り合う気持ちからだろうが、いちいち明翔に対してトゲトゲしい。聞いてたらムカついてくる。


「一条、気付いてないかもしんねーけど、お前思いっきり明翔に張り合ってるよ。明翔は俺に同情されようとしてそんな話をしたんじゃない。明翔はひとりでいろんな感情を乗り越えようとしてる」

「それで呂久村の気が引けたなら、明翔にとっては良かったね」

「だから、違うっつーの。明翔はそんな打算が働くようなヤツじゃない。俺のことは関係ない」

「関係ない? 明翔は呂久村が好きなのに?」


 俺を好きだから、明翔は余計につらいんだ。俺が一条を好きだったから、余計に。


「俺のことは関係ないって言ってるだろ」

 だんだん頭に血が上って来るのを感じる。教室へ歩くのをやめて、いつの間にか一条へと足が向く。一条も挑発的に俺を見上げながら、じりじりと後退していく。


「明翔は一条みたいに一条を憎めない。この学校への転校だって、明翔が言いだしたことなんだろ? 明翔は一緒に育ってきた一条をずっと見てきたから、悔しい気持ちがあっても一条に向けられない。気持ちのやり場がなくてひとりで抱え込んで苦しんでるんだよ」

「気付いてないのは呂久村だったね。ほら、まんまと明翔に同情してる」

 一条の冷めた笑顔に、一気に沸点に達した。


「いいかげんにしろ!」

 バン! と一条を見下ろしながら一条の顔の横、背後の壁に大きな音を立てて手を付く。

 強気だった一条の表情が一変して、おびえたような顔になった。


「え?」

 あまりの変化に驚いた。


 あ……一条はDV虐待で母親の元カレから逃げて来てたんだった。虐待を受けるとトラウマが残ることがあるってテレビで見た。何か一条のトラウマを刺激してしまったのかもしれない。


「ごめん、一条。おびえさせるつもりなんてなかったんだけど、虐待のことすっかり忘れてて……あ」

 本人に虐待なんて絶対言っちゃダメだろ。テンパって思わず出てしまった。


 俺が慌てて離れると、一条は冷静さを取り戻したように見えた。

「虐待なんて関係ないよ。そのデカい体で詰め寄られたんじゃ、誰だっておびえるだろう。君のお友達のかわいいショタにこんなことをしたらもはやイジメだ」

 いや、颯太にこんな調子こいたことしたら俺が血祭りにあげられる。


 廊下にチャイムが鳴り響く。あ、化学の授業が終わってしまった。

「終わった終わった。いい感じに授業をサボれたよ。ありがとう、呂久村」

 一条が笑顔で小躍りしている。……え?


「え、ちょ……一条?」

「明翔のためにボクを追い詰める呂久村、良かった! 呂久村におこづかいでもあげたい気分だ。金ないから無理だけど。攻めの知らない所で攻めのために立ち上がる受け、いただきました!」

「はあ?!」

「すごい迫力だった。紙面よりも生だね、やっぱり。ライブって素晴らしい」

「お前、何言ってんの?」

「この学校に転校してきて本当に良かった。それだけは明翔に感謝してる。君となら、ボクの理想のBLが見られそうだよ」

「BL?!」


 ごきげんに笑いながら、一条が階段を上がろうとする。

「違う! 一条! 教室はこっちだ!」

「あれ、そうだっけ」

 結局、化学室の場所も覚えてねえし!


「次の化学の時間も呂久村がボクを連れて行ってよ」

「まあ、いいけど」

「絶対ね!」

 念を押されて、あ、そんな約束したら明翔がまた怒るかも、とちょっと後悔した。

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