第36話 成瀬くんの提案

「これでどうだろう」


 そう言って彼は、私にメールの作成画面を見せた。相手は小山田征嗣。あの征嗣さんである。

 彼の計画は、征嗣さんに恋愛相談を持ち掛ける、という突拍子もないことだった。征嗣さんは彼の純粋さが怖いとは思う。ただそれを真正面からぶつけていくのは、流石に私では考えられなかったことだ。あのクリクリした可愛らしい瞳。私でも真っ直ぐに見られない程、怖いことがある。




『小山田征嗣様


 新年おめでとうございます。

 ご家族でお寛ぎのところ、申し訳ありません。先日お話した件で、また相談にのっていただきたく連絡しました。お言葉に甘えてしまって、すみません。


 実はあの日、何とか連絡先は聞けたのですが、何度誘っても会っては貰えないのです。他の友人が居る場で会うことはあるのですが、二人きりだと返事を曖昧にされてしまうばかりです。あまり言い過ぎてもしつこく思われるでしょうし、途方に暮れておりました。厚かましいことは重々承知しておりますが、何分、こういった事が久しぶりで策に行き詰ってしまい、こうして相談を送らせていただいている次第です。彼女の好きな物等、何かご存じないでしょうか。


 新年早々に厚かましいお願いをして、本当に申し訳ありません。最後になりましたが、本年も宜しくお願い致します。


成瀬文人』




 その長い文章は、征嗣さんを下手に挑発しないように書かれている。これを読んだら、征嗣さんは先ず私に確認に来るだろう。あの人はそういう人。私の目を見て、この件に絡んでいるのかを確認に来るはずだ。


「多分、大丈夫だと思う。征嗣さんは、頼って来る子は可愛がるから。それにあの人の立場を知っている人ならば、強くは出ない。自分の体裁を気にするからね」

「うん。でも僕がこの計画で一番心配なのは、その後なんだよね。僕とあの人が二人で会って話すとしても、何にしても。彼は多分、自分の本心は見せないと思うんだ。だからそれが、陽さんに降りかかるのが怖い」


 それはもう、どうでも良かった。痛みを受けるのは好きではないが、彼をそうさせてしまったのは、きっと私なんだと思う。それを許し、慰めて来てしまった。今更、突っ撥ねることは出来ない。ここまで来たら最後まで、あの痛みを受け続けなければいけないのだ。


「とりあえずは、いつも通りにするよ」

「え?それじゃあ、ま……」


 また噛まれるかも知れない、と言いたかったのだろう。彼は口にするのを躊躇った。


「噛まれる、って思ったよね」

「う、うん」

「成瀬くんからこんな連絡がいった時に、私が急に彼を拒絶してしまったら、絶対に征嗣さんはこの企みに気が付く。もしこの方法を試すならば、私は暫くは今のままで居なければいけないと思うの。このメールはあくまで、成瀬くんが考えて、一人でしたこと。そう思わせないといけないと思うの」


 空笑みを作った。きっと、今以上になることは目に見えている。でも別れるのなら、そう覚悟を決めなければいけなかった。


「危ない時は僕の家に逃げておいでね」


 何だか真剣にそう言うから、少し恥ずかしくなる。助けて、と言えたとしても、彼の家に逃げ込むことはしたくない。それは、女のプライドだと思う。


「有難う。耐えられなくなったら、居留守を使ってでも出ないから。だから大丈夫よ」

「そ、そうだよね。でも危ない時は、連絡だけはして。お願い」

「分かった。私は、自分の人生なんて諦めていたけれど、幸せね。こうして心配して、支えてくれる友人が出来たんだもの。有難うね」


 彼は心強い味方だ。どうなるかは分からないけれど、もう前を見て進むしかないんだ。


「このメールは今送っても平気?」

「あぁ、大丈夫だと思う。公のメールは毎日チェックするだろうけれど、緊急でなければ、返答は学校が始まってから。征嗣さんは毎年そうしてるから、送るのは問題ないよ」

「分かった。じゃあ、送るね」


 成瀬くんの指が、躊躇いなく『送信』をタップする。握り込む拳に爪が刺さる。もう始まってしまった。後戻りは出来ないんだ。


「成瀬くん。お腹空かない?」


 そう彼に言った。下を向いていては、延々と考えてしまうから。携帯を見つめて、征嗣さんの反応を待ってしまう。それならば、美味しい物でも食べていたかった。成瀬くんと。


「熱燗。いや、おでんとかかな?」

「あぁ、おでんあるといいね。成瀬くんは、おでんの具は何が好き?」

「そうだなぁ。結局、大根かな」

「美味しいよねぇ」


 そうやって楽しいことを考えていたい。美味しい物を食べて、顔を綻ばせたい。私はきっと、生きている実感を得たいんだ。成瀬くんには言わないけれど、多分そうだと思った。

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