第20話 身勝手なあの人

「お疲れ様。遅くなってごめんね」


 30分程して、私達は店に着いた。緋菜ちゃんと成瀬くんは何回目かの酒を飲み、ゆらゆらと手を振りながら迎え入れてくれる。何とか普通で居る私と、強張った顔の昌平くん。おう、と言った無表情さが気になったが、彼にとってあれは今の精一杯だろう。緊張しているのだ。今さっき、店に入る前だって、躊躇って怖気付いて大変だったのだから。


「緋菜、悪かったな。さっき」

「いや、私も悪かったから。ごめん」


 昌平くんが謝れば、緋菜ちゃんも素直に応じる。互いに不器用なのだ。緋菜ちゃんの気持ちは知らないが、何だかぶつかり合ってしまう。意地を張って、ムキになって。そして、素直に向き合えない。似てるのかな。でも一緒に居て気が楽なのだとは思う。ほら結局今だって、気不味そうにしながらも、簡単に仲直り出来てしまう。ただ、意地を張らずに向き合う為に、ちょっと誰かの一声が必要なだけで。


「あぁ、それを言うなら全部僕が悪いんだ。昌平くん、ごめん。この間ね、仕事で分厚い本を読まないといけなかったから。それで余裕がなかったんだよ」

「そっか、そうだったんだ。まぁ、成瀬くんが一大事じゃなくて良かったよ」


 成瀬くんの謝罪に、ホッとしたのは昌平くんだけではない。仕事で分厚い本を読まねばならなかったから、気難しい顔をしていた。それを知って、私は確実に安堵したのだ。もしかしたらそれも、征嗣さんと仕事をする為のものかも知れないが、つまりは私の一件についてではない。まぁあの件だったとしても、今ここで言える訳がないか。

 私と昌平くんのビールが届くと、元気良く緋菜ちゃんが「乾杯」とジョッキを持ち上げる。こうして当たり前に酒を飲んで、ケラケラ笑って。同僚と飲んだりするのとは訳が違う。それがこんなにも楽しいことなのかと、改めて感じ始めている。


「そうだ、緋菜。さっきさ、どこか行きたいって行ってたじゃん。あれ成瀬くんに話した?今話しながら来たんだけど、年末の休みならどうかって」


 事前に話し合って来た通り。昌平くんがそう提案をする。少し緊張した顔だった昌平くんも、落ち着いてきたようだ。私もそれにホッとして、ジョッキを傾ける。


「大晦日と元旦は、私も休み。二日も休みかな。そこなら大丈夫。成瀬くんはどう?皆でどこかに行かない?」

「年末年始は基本休みだから、いいんだけど。年またぎだと、どこそこ混んでない?宿とかも取れないだろうし」

「あぁそっか。俺の家でもいいけど、狭いんだよな」

「でもさぁ。陽さん、温泉に行きたくない?ゆっくり浸かって、美味しいご飯食べてさ。近場の日帰りとかでも良いんだけどなぁ」


 計画した流れに沿って話が進んでいたのに、緋菜ちゃんが温泉なんて言い出した。「いや、温泉はダメ。うん、ダメだよ」と即座にその意見を拒否する。彼女は不満気だったが、ここは押しに負ける訳には絶対にいかない。

 それもこれも、理由を言うことの出来ない事実が私の服の下に眠っている。上手く隠そうと思えばいけるだろうが、色んな憎しみが火照っていて、やっぱりそれを他人に見られたくはなかった。理由も言わないくせに、強く拒否をしてしまったから、皆が不思議そうに私を見る。急にそうしているのだから、不思議に思うことだろう。ただそうしてでも、この意見は食い止めねばならない。私の意地だった。


「ほら、大晦日って。電車は終夜運転してると思うけど、混まない?」

「あぁ、確かに。俺は乗ったことないけど、時間によっては通勤くらいになるかもね。場所にもよるだろうけど」

「そっかぁ。お風呂に入って、初詣も良いかなって思ったんだけどなぁ」


 緋菜ちゃんのがっかりした顔が、胸に刺さった。折角友人だと言ってくれた子に、そんな顔をされるのは本当は嫌だ。皆で年末を過ごすなんて、楽しそうなイベントなのに。それに、私を誘ってくれたというのに。端から躓くようなことを言うなんて。私の中で仕方ないこととは言え、流石に心苦しかった。


「うぅん……皆でのんびり出来ればいいんだよね?お酒飲んだり、美味しいのを食べたりしながら……私の家、でどうかしら」

「本当?」


 三人の声が見事に合わさり、私へ視線が向けられる。年末年始など、征嗣さんは来ないし。元々母と住んでいたところだから、多少は広い。あまり人を家にいれるのはしたことがないけれど。今彼らをがっかりさせてしまったから、そのくらいはしても良いような気がしている。


「雑魚寝程度なら大丈夫だと思う。ただ、ちゃんとしたお布団ってなると足らないんだけど。それで良ければ」

「いい、いい。陽さん、大丈夫。俺、寝袋持ってくよ」

「寝袋って。何それ、楽しそうじゃん。私のないの?」

「あぁ?お前のじゃねぇけど、二つある」

「貸してやるよ」


 寝袋、という選択肢があるのか。私の頭の中には、全く思い浮かばなかった品だ。こういう時、色んな人達を関わる利点がある気がする。新しい意見に触れ、自分の刺激になるような、そんな経験なのだ。昌平くんはキャンプだとかするのだろうか。寝袋が嬉しかったのだろう。緋菜ちゃんは、万遍な笑みを浮かべて、幸せそうにイカフライを口に放った。


「何買って行こうかなぁ。甘い物もいるよね」

「ケーキ?俺、作って行こうか?」

「本当?」


 昌平くんが、自発的にそう言った。まぁこれも話をしてきたこと。もしも場所が取れてやれることになったら、彼が一番得意な物を使おう。そう提案して出た答えが、お菓子作りだった訳だ。話を聞けば、本当にそれが得意だということが分かった。こだわりはクリームの泡立て方。けれどこれも楽しんでやっている訳でもなさそうで、深くは問わないが、彼が成長して来た過程で得たのようだった。


「お酒は僕らがしようか。重たいし」

「あぁそうだね。あと重たい物。何かある?」

「ダメ。私はもうローストビーフが食べたい、しか思い浮かばない」

「ローストビーフが良いの?」


 そのくらいなら、私も作れるな。あまりパーティー料理というものを作ったことがないが、要望を出して貰えば作れないこともない。他は何かある?と緋菜ちゃんに問えば、目を輝かせて私を見た。


「陽さん、作ってくれるの?」


 うんうん、と頷くだけで、本当に嬉しそうに笑う。こういう所は、とても素直。食い意地しかねぇのか、なんて憎まれ口を叩く昌平くん。彼らの関係性も、大分戻ったようだった。そして一瞬、緋菜ちゃんが不安そうな顔を見せた。自分の出来ることを考えているのだろう。あの玄関を思い出す。料理も恐らくは得意でない。刺身だとか、家では作れない物を頼むことにした。


「陽さん、年末のお休み分かってたら教えて。あの、ほら……」

「あぁ、そうだね。出来ていないものね。じゃあそれは後でね」

「うん」


 急にモジモジとそう言った緋菜ちゃん。これは、きっと掃除のことだろう。隣から身を寄せて、自分でもやってはいるんだよ、と小声で言って来る。それもまた可愛らしくて、「お仕事もあるのに頑張ってるね。偉い」と答えた時の嬉しそうな顔。あぁ彼女も、誰かに頑張りを認められたい。そういう欲が溜まっているのだろう。


「あぁ楽しみ」

「緋菜、気が早い」

「いいじゃん。楽しみなんだから」


 既に盛り上がり始めた緋菜ちゃんに、昌平くんが呆れ顔でそう言う。口を尖らた緋菜ちゃんが可愛らしくて、いいじゃないねぇ、と私が乗っかれば、彼女はそれを嬉しそうに受け止める。昌平くんに、ベェッと舌を出したりして。素直なのか、素直じゃないのか。彼らの関係性は、いつもこうなのだろう。そのやり取りがあまりに可笑しくて、つい笑ってしまった。そうかぁ、こんな感じ。学生時代に良く友人と飲み明かした時の感覚に、良く似ている。


「成瀬くんって何か作れるの?」

「料理ってこと?」

「そう。得意料理」


 緋菜ちゃんが成瀬くんに話を向ける。彼はちょっと気まずそうな顔をして、僕は食べる専門、と苦笑いを浮かべた。


「辛うじてフライパンとレンジは持っているけど、炊飯器もない。まぁ潔いくらいの男の一人暮らしだよ」

「えぇ、意外」

「緋菜、そんなもんだって。俺だってほとんど面倒だから飯は作らねぇよ」

「そうだよね、って共感したいところだけど、僕はお菓子も作れないからなぁ。いざ作れって言われたら、昌平くんよりも勘は悪いよ」


 そう言って直ぐにトイレに立った成瀬くん。そういう面は、あまり見せて来なかったのだろう。居心地の悪そうな顔をしてから、私にチラッと視線を寄越す。あれは、『仲直りして良かったね』だろうか。それを見た緋菜ちゃんが、不思議そうな顔をする。敏感に感じ取ったのだろうか。さり気なく、「そうだ、緋菜ちゃん。唐揚げも買って来てもらえる?」と、一瞬の間を空け表情が元に戻った。緋菜ちゃんは、自分の知らないところで図られることは嫌いだろう。だから、絶対に気付かれてはいけなかった。


「分かった。何となくマストだもんね」

「うん。揚げ物買ってもらえると楽なんだ。よろしくお願いします」」

「はぁい。じゃあお勧めのお肉屋さんのを買ってく。美味しいんだよ」

「そうなの。それは楽しみ」


 自分で提案しておいてなんだが、もしかしたら私が一番楽しみにしているかも知れない。あまり唐揚げだとか、惣菜を買って帰ることがない。たまには、と思って買っても、一人だと食べ切れないのだ。少量と思っても、つい買ってしまうのが、美味しそうな惣菜の罪である。


「あれ?陽さん、携帯鳴ってない?」


 そう緋菜ちゃんが、テーブルに伏せてあった携帯のバイブレーションに気付く。こういうものには、若い子の方が敏感だなぁ。呑気にそう思って裏返せば、『せいじさん』と表示された画面。楽しいと思っていた気持ちが、一瞬で引っ込んだ。それくらいこの画面は、私にとって気軽に出られないような証だったのだ。


「えっ、あっ……本当だ。ちょっと出て来るね」


 名前を見ただけなのに。ピリッとした空気が纏わり付く。深呼吸をしながら慌てて店を出て、通話ボタンをタップした。


「はい。ごめんなさい、出るのが遅くなって。お疲れ様です」

「今どこだ」

「御徒町、ですね。友人とお酒を飲んでいて」

「今から行く」

「え?」


 今、私の話聞いてた?友人と居るって言ったよね?全然私の意見など、聞き入れるつもりはないのだ。昔はもっと優しかった征嗣さん。年々、仕事も思うようにいかないのか、私に苛立ちがぶつけられる。


「今から行く」

「分かったよ……でも、直ぐに出ても30分くらいはかかるからね」

「あぁ」


 冷たく短い返事をして、電話は直ぐに切れた。全く気分は乗らない。一気に谷底に落ちたような気がしてしまう。それならば、今日は無理だ、と言えば良い。分かっているけれど……私はそれが出来ない。あの人の肌に甘えて来た。それが消えてしまうのが、怖くて仕方ないのだ。まるで父親にでも甘えるみたいに。

 どっちつかずの自分に大きな溜息を吐いて、店の戸を開ける。直ぐに目が合ったのは、心配そうな顔をしていた成瀬くんだった。絶対に気付かれてはいけない。


「ごめんなさい。明日の資料が用意されてないとかで、学校に戻らないと行けなくなっちゃって」

「えっ、大変じゃん。大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫。緋菜ちゃん。これ、足りなかったら請求してくれる?また連絡するね」


 仕事を言い訳にするしか思いつかなかった。昌平くんが頭を下げたのは、今日の礼だろう。普通に手を振った緋菜ちゃんと、さっきよりも深刻そうな顔をした成瀬くん。一応手は振ってくれたけれど、あれは絶対に何かを言いたい顔。あぁ明日会う約束をしてしまったが、無かったことには出来ないだろうか。

 早足で、御徒町、広小路の駅を過ぎる。タクシーに乗れば直ぐだが、今は忙しくていないと余計なことを考えそうだから。湯島の駅まで歩き、一駅、電車に乗るのだ。征嗣さんはどこに居るだろう。あんなに苛々していたのに、会えるのが近くなると嬉しいのだから、本当に馬鹿な女である。あぁ鞄の中で携帯がしつこいくらいに震えている。征嗣さんで無いことは確かだ。きっと、成瀬くんだろう。私は出ることが出来ないまま、改札を駆け抜けた。

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