第19話 昌平くんの弱音

 店に入った私を見つけるなり、昌平くんは勢いよく立ち上がった。そして深々と頭を下げ、近付く私を見つめる。それは何だか思い詰めたように、酷く曇った表情だった。


「本当にすみません。こんなことして」

「あぁ、いや。そんなに謝らなくてもいいよ」


 ブレンドを頼み、彼の前に座る。肩にかけて来たストールを膝に乗せ顔を上げると、昌平くんは「すみません」とまた謝った。何か苦しい気持ちがあるのだろう。見ているこちらも共感出来る程に、彼は強張った顔をしている。


「どうしても陽さんに相談したいことがあって……でも連絡先知らなかったから。緋菜に職場を聞いていたので、こんな不躾なことを」

「あぁ、気にしないで。大丈夫だから、ね。ね?」


 不躾、か。そう思っていたのに、そうせざるを得なかった。深刻で、早急に誰かに話をしたいような悩みなのだろう。

 私の言葉に、昌平くんは静かに頷いた。思い詰めたようにした唇を噛み締めて、眉間に皺を寄せる。緋菜ちゃんと喧嘩でもしたのか。いや、彼らの関係性だ。その位では、わざわざ私のところまで来ないだろう。


「陽さんは、成瀬くんから何か聞いてますか?アイツのこと」

「緋菜ちゃんのこと?何も聞いてないよ」

「そっかぁ。その……そうですか」


 私のコーヒーが運ばれて来ると、昌平くんは下を向いた。葛藤しているのだ。今の話からして、言いたいことは『成瀬くんが緋菜ちゃんを好きだということ』だろう。それを企てておいて意地悪だが、話を先に進めなければいけない。黙り込んだ彼に代わって、私が先手を打つことにした。


「昌平くんはさ、緋菜ちゃんのこと好きでしょう?」

「はい……え?どうして知ってるんですか」

「いや、何て言うか。バレバレ、だよ?」


 彼は目を覆いながら、マジかぁ、と天を仰ぐ。私はそれを見ながら、湯気の立つコーヒーをちょっとだけ啜った。ここのブレンドは、ブラジルとグアテマラの豆が入っている。私のちょっとしたお気に入りの店だ。その香ばしい匂いを嗅ぎながら、私は昌平くんの様子を見ている。恥ずかしそうに、それでいて後悔しているような、そんな彼を。


「やっぱり、動物園ですよね……上手くやろうって思ってたのに」


 昌平くんは、その日に思い当たる節があったのだろう。何か意識し始めて、それを表に出ないように過ごした。彼にとってそれが、あの日だったのだ。


「あぁ、いや。何と言うか、初日に分かってました」

「へ?初日?」

「うん。あの私が皆さんに初めて会った、あの日に。あぁ緋菜ちゃんのこと好きなんだなぁって……思いました」


 素直に言い過ぎるのもどうかと思ったが、嘘を吐いても仕方ない。だって出会った日の彼の苛立ち。それから、何としてでも原因を探ろうとしたしつこさ。素直に緋菜ちゃんを心配していたのもあろうが、あれは好きな子が気になって仕方ない表れでしかなかった。気に掛け過ぎて、嫌味を言ってしまう。それでしかなかったのである。


「陽さん。それって成瀬くんも気付いてますか、ね?」

「成瀬くん?」


 これはどう返すのが正解か。いや、でも。昌平くんの中で私は、『成瀬くんが緋菜ちゃんを好きだと言った』ことを知らないことになっている。それならば、今ここは素直に話してもいいか。


「成瀬くんが、昌平くんの気持ちに気付いてるかってことよね?」

「そうです」

「それは気付いてるんじゃない?」


 彼はギョッと目を見開いて、気不味そうにコーヒーに目を落とした。昌平くんのそれからは、もう湯気は上がって来ない。


「昌平くんと別れた帰りにね、二人で話してたんだ。昌平くんは好きだろうねぇって。彼もそう言ってたから、気付いてはいると思うよ」


 私は素直にあったことを話した。昌平くんと成瀬くんの関係性を、壊すようなことは言ってはいけない。それから、嘘を言って、後々面倒になるのも良くない。私の嘘は、成瀬くんと共有しているものだけだ。


「そうでしたか。……実は」


 昌平くんは言い淀むと、コーヒーを一口啜る。ミルクは入っていない褐色のそれを飲み込むと、小さく細い息を吐いた。


「俺が言ったらいけないと思うんですけど。その……成瀬くんもアイツのこと好きらしいんです」

「えっ、そうなの?」

「あの夜、俺にそう言ったんです。成瀬くん。僕は緋菜ちゃんのことが好きだよって」


 昌平くんは、また唇を噛んだ。苦しそうな、重たい表情。あの日、成瀬くんが訂正しようとしたのを止めたのは私だ。彼の今の苦しみは、そのせいでそこに存在している。申し訳なくて、見ているのが辛くて。「ごめん。あれは嘘なの」と正直に話してしまいそうになった。


「だから俺は、今日のことも彼に言えなかったんです。緋菜から話したみたいだから、知ってはいると思うんですけど」

「うんうん。そっか。楽しかった?」

「はい、それは」

「それは良かった。でも……それだとしたら、一体何があったの?」


 とても普通にそう聞いたつもりだ。だが、それによって彼は、また表情を曇らせる。実は、と話し始めるまで数秒。口にはしたくないことなのか。何度も、何度も、唇を噛み直している。


「緋菜が言うんです。何度も。成瀬くんは大丈夫かな?成瀬くんは、って。何だか先月会った時に、疲れてたとか、気難しい顔をしてた、とかで心配になったらしくて」

「もしかして、今日ずっと言われちゃった……とか?」


 下を向いたままで、昌平くんが頷く。余程悔しかったのだ。グッと肩に力が入ったのが分かった。


「猫を可愛いって言ったと思えば、直ぐに成瀬くんがどうのって」

「そっか。折角二人で出掛けたのにね。何か悔しいね」

「そうなんです。それで……どうにも解消出来なくて」


 成瀬くんが気難しい顔をしていたのは、いつのことだろうか。もしかするとそれは、私が原因かも知れない。暫く彼の連絡をのらりくらりと躱し続け、無視していたようなものだ。それが連鎖するように、彼らにまで伝播してしまうのは心苦しい。明日、成瀬くんときちんと向き合おう。それが今、私が出来る一番大事なことだと思った。


「俺は、今日のことも成瀬くんに言えなかった。でも緋菜は話してて。何だかちょっと悔しいなって」


 緋菜ちゃんにしてみたら、特別な意味などなかったのだろう。無意識にそうしていることがまた、昌平くんにとっては、そう感じてしまう要因なのかも知れない。


「そっか。緋菜ちゃんは楽しみにしてたからね。嬉しかったんじゃない?私にも、昌平くんと猫カフェ行くのってメッセージくれたよ。昨日だって、何着て行けば良いんだろう?って相談が送られてきたくらい。楽しみにしてたんだと思うな」

「本当ですか」


 分かり易く瞳を輝かせ、彼の表情が明るくなった。うん、と私が頷くと、思わず笑みが零れるのである。あぁ本当に緋菜ちゃんのことが好きなんだな。その感覚が羨ましかった。彼が、キラキラしていて眩しい。きっと私は、そんな恋をすることは二度とない。溜息を吐きそうになって、カラン、と入り口が開く音にハッとした。


「それで、ちょっと聞きたいことがあって」

「私に?」

「はい。陽さんは、緋菜と成瀬くんのことどう思いますか」

「どう、か。そうねぇ。私はね、どちらからもそんな話は聞いてないの。今分かっていることって、昌平くんの気持ちだけ」


 昌平くんは、味方が欲しいのだろう。恋に悩んでも、成瀬くんには相談が出来ない。そうなると、まぁ、消去法だ。分かっているけれど、こんな私を頼ってくれたことが正直嬉しかった。


「私はね、まさか昌平くんが頼ってくれるなんて思わなかったから、凄く嬉しかったよ。力になれるかは分からないけれど、応援する。何かあったら、相談に乗るよ」


 有難うございます、と大きく頭を下げた昌平くんに、私は携帯を差し出した。連絡先を交換する為だ。嬉しそうな彼は、何だか指先まで跳ねているように見えた。


「陽さん、有難う。情けないことを言って、ごめんなさい」

「何言ってんの。この間、友達だって言ってくれたじゃない」


 今になってようやく、あの時の彼らの気持ちを受け止める。自分の口から出て行くその言葉に、何だかむず痒いものを感じた。返って来た携帯を何となく見る。未読のメッセージが一つ。成瀬くんから数分前に届いていた。『こっちはヒナちゃんと合流したよ』というメッセージ。彼は彼で、もう一方の様子を見に行ってくれたのだ。


「陽さん、それで早速なんですけど。年末年始って時間ありますか」

「年末年始?多分あると思うけど」

「実は緋菜が、皆で何処かに行きたいって言い出して。多分休み合わせるの大変だから、大型連休ならと思って」

「あぁなるほど。それなら成瀬くんもお休みだろうから、いいんじゃない?何しようか」


 嬉しそうな顔で、彼は私を見る。いいなぁ。真っ直ぐに誰かを好きって。心から羨ましくなってしまう。そうですねぇ、と腕を組む昌平くん。ブツブツと呟きながら、何かを考えている。アクティブな物を提案されたらどうしよう。そう不安になった私の膝の上で、携帯がブブブと揺れた。成瀬くんからだ。


『緋菜ちゃん、陽さんも昌平くんも、今呼びたいみたい。多分連絡行く』


 緋菜ちゃんらしい。成瀬くんを心配していた彼女は、彼に会うことでそれが解消されたのだろう。恋だとかではなく、純粋に彼を心配していたのだろうと思っている。


「緋菜が、今から店に来ないかって」

「あ、うん。私にも今着た」


 成瀬くんのメッセージの後、確かに直ぐ緋菜ちゃんからもメッセージが届いた。『陽さんも来ない?あの店にいるから。成瀬くんと飲んでるの』と。昌平くんは話をして、それからこうして連絡が着て、落ち着いたのだろう。自然な表情がフッと戻る。明日は休みだし、征嗣さんに会う予定もない。それに、今成瀬くんに会った方がきっと良い。明日二人で会う前に、ワンクッションあった方が良いはずだ。


「よし、じゃあ行こう。私たちが一緒に居るのも変だから、たまたま私と駅で会ったことにしましょう。向かいながら年末年始の作戦を練ろうか」

「うん。陽さん、本当に有難うございます。あと、よろしくお願いします」

「はい。上手く出来るか分からないけれど、頑張ります」


 こうして、誰かの恋を応援するのなんて久しぶり。何だか学生の頃を思い出してしまう。私と成瀬くんは、あくまで彼らの恋の引き立て役。邪魔をしてはいけない。


「緋菜ちゃんに勘付かれないようにしないとね。御徒町の駅で会った、とかにしようか」

「そうですね。駅降りたタイミングで、緋菜にそう送っておきます」

「よし、じゃあそうしよう」


 何だかもう、何かのミッションをしている気になった。上手くやろう、と言い合って会計を済ませる。あれ?何か、どこかから視線を感じる。静かな店だ。少し煩かったかも知れない。良く見えなかった相手をぼんやりと捉えながら、ペコっと小さく頭を下げた。

 『上手くまとまったから、今から行くね』と成瀬くんにメッセージを送って、私達は店を出た。昌平くんの背をポンと叩くと、ようやく安堵の笑みを見せる。私に出来ることは、そっと背を押すこと。それだけだ。きっと、それくらいなら出来るだろう。友人だと言ってくれた彼らの為に、私は少しだけ胸を張った。

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