第15話 見られてはいけないモノ
「そうだ。陽さん、急いでるんじゃなかったでしたっけ?大丈夫ですか」
「あ、うん。大丈夫」
成瀬くんがチラチラと見ているのは、膝の上に置かれた私の手。その中で伏せたままの携帯が、暫く鳴り続けている。さっきあの人に連絡を入れて、音を切った。だから正確には、音が鳴り響ている訳ではない。静寂の中に、振動音がもの悲しく聞こえているだけだ。緋菜ちゃんはメッセージでやり取りをしたところ。出なくとも相手は分かっている。絶対に、あの人だ。静かに目を閉じて、口を固く結ぶ。早く切って、と祈りながら。
「大丈夫、ですか?具合悪いですか?」
「あ、ううん。違うの。大丈夫、大丈夫」
「本当に?僕、大丈夫を二回言う人、信用してないんですよね」
「なにそれ」
笑って誤魔化すが、成瀬くんの真っ直ぐな瞳が見られない。見透かされている気がしてしまうのだ。純粋に心配されていることも、私には心苦しい。私のことなんて、放って置いてくれたらいいのに。
成瀬くんはなかなか切れない電話に目をやって、また心配そうに覗き込む。そんなにじっと見られても、彼に話せるはずがない。昨日や今日、会ったばかりの人だ。まだ私は彼のことを何も知らない。文具メーカーに勤務している成瀬、という情報程度なのだ。同様に、彼も私のことを知りはしない。ただ彼は、私も友人だと言ってくれた。その言葉は、本当は嬉しかった。真正面から受け止めることが出来なかった、というだけで。
そしてようやく、電話が切れた。今まで、こんなことをしたことがない。この後のことを考えれば、憂鬱は募る。あの人はどうするだろうか。その時、また短いバイブレーション。恐る恐る見たそれは、緋菜ちゃんからだった。
「あ、ほら。緋菜ちゃんだ。見て見て」
何とかこれで、私から視線を逃して欲しい。『分かったぁ。また連絡入れるね』って、終いのメッセージでしかないが。突き出して見せる程でもないそれを、私は祈るような気持ちで彼に見せていた。
「あとは、彼らが行った後の様子を見てってとこかしらね」
そう無理矢理と頬を持ち上げた。笑みがぎこちないのだろう。成瀬くんが苦笑している。ごめんなさい、と思いながら、突き出していた携帯を引こうとすると、また短く震えた。緋菜ちゃんのメッセージは、さっきので終いだろう。あぁ嫌な予感しかしない。慌てて引っ込め、出来るだけ普通の表情を作った。見られた……かも知れない。
「陽さん、ねぇ?……本当に大丈夫?」
「ん、何が?大丈夫だって」
平気な顔をしている私に、「だって、それ……」と成瀬くんは微妙な顔をする。彼の指さすのは、私の手元にある携帯電話。誰がどんなメッセージが送ってきたのか、私は知らない。けれどきっと、あの人から。そしてそう言うのだから、酷い言葉が並んでいたのだろうか。
「ごめん。見るつもりは勿論なかったんだけれど、通知が見えちゃたんだ」
「通知……」
あぁプレビュー表示を切っておけば良かった、と後悔しても遅い。携帯なんて、誰に見せる訳でもない。そう思っていたが、こんなことがあろうとは。
何も見なかった事にしてくれればいいのに。成瀬くんは、そうはしてくれないようだ。申し訳なさそうな顔をして、また少し困った顔をする。頭を掻いてから、穏やかに静かに口を開いた。
「何か困ってることない?力になるよ。僕なんかで役立つか分かんないけど……」
「いや、そんなに酷い文面だった?やだ、誰だろう」
何が『誰だろう』だ。そう馬鹿馬鹿しく思いながら、シレッと携帯を確認する。開いたメッセージは、当然あの人から。とっても短いメッセージだ。
『お前なんかにも友達がいたんだな』
あの人らしい。高圧的な言い方。そんなもの私は、もう慣れてしまったけれど。
「陽さん。あのね。何て言って良いか分かんないけどさ。ちょっと嬉しかったんだ。だって、その人に『友達と会う』とかって説明して、ここに来てくれたんでしょ?それはね、僕は嬉しかったな」
成瀬くんは、爽やかな顔をしてそう微笑んだ。深く追及はせず、私の状況を心配してくれているようだ。それは嬉しかった、と言うのだから。
ただそのことが、あの人は面白くなかったのだ。友人などいないはずの私がそう言った。電話を鳴らしても出ない。だから『お前なんかにも』と書いたんだと思う。プライドの高いあの人は、自分の思うようにいかないことが気に入らない。あぁ、今度会う時どんな顔をされるだろう。そう思うと気が重いし、面倒になる。ならば会わなければいいだけだが、それもそうはいかない。
「それとさ、僕ちょっとイラッとしたんだよね」
「え?成瀬くんが?」
「そう。だってさ、お前なんか、って言い方ないでしょ?誰からかは分からないけれど、何かムカついちゃって」
変なことを言う子だな。ちょっとだけ笑いが込み上げた。
「多分ね、面白くなかったのよ。そういう風に言う人でね。でも悪い人じゃないの」
「本当に?殴られたりとか……その、してない?」
「殴る?え、あぁ。そういうことか。そう言う人じゃないよ。ご心配おかけしました」
冗談ではなく、成瀬くんは本当に心配しているようだった。大丈夫、あの人はそんな人じゃない。どちらかと言うと、見栄っ張りな寂しがり屋。暴力なんて、とてもじゃないけれど出来ない人。気が弱いのに、自分を大きく見せようとしてしまう、そんな人だから。
「そっか。良かった。そうだ、陽さん。さっきちょっと、嘘吐いた」
「う、そ?」
「うん。力になるよって言ったけど。その前に僕は未だ、陽さんに何でも話して貰えるほど、信頼をされていないと思う。あぁ、力になりたいって言う気持ちは、嘘じゃないよ」
成瀬くんは愁眉を寄せ、力なく微笑んだ。あぁこの人は、とても優しい人。彼には、幸せになって欲しい。たかだか知り合って二日目で、そう思わせてくれる。そんな人だった。
「有難う。優しいね」
「優しくはないよ。自分だったらどうかなぁって思ってさ。昨日会ったばかりの人に、本当に悩んでることとか話せないよなって。例え、相手が意見の合うような人だとしてもね」
「うぅん、まぁ確かにそう、だね」
成瀬くんは、両手を伸ばして背伸びをしながら立ち上がる。薄手のジャケットとカットソー。引き留めてしまっているけれど、寒くなって来た。本題は落ち着いたのだから、そろそろ帰らないと。風邪をひかれては困る。
「じゃあ、今日は帰ります。心配し過ぎちゃって、ごめんなさい」
「いえいえ。心配していただいて、有難うございます。次は、作戦会議ね」
自分からそう言っていた。今の彼の優しさが嬉しかった。他人のそんなところに触れて、私もまた日の当たる人生を羨み始めたのかも知れない。
「はい。僕は基本的に土日休みなので、週末に予定が空いたら教えてくれると助かります。あ、早めに」
「分かりました。風邪ひかないようにね。おやすみなさい」
またね、と言って私達は別れた。次に会う予定があることが、何だかちょっと擽ったい。冷たくなった夜風を浴びながら、私は家路を急いだ。帰ったら、メッセージだけは送っておこう。もう家路に着いたろうから、電話をすることは叶わない。野心家のくせに、寂しがり屋。今日中に連絡を入れて置かねば、もっと面倒になるだろう。あぁ何だか、年々と面倒臭いと思うことが増えている気がする。この関係が本当に必要なのか。もしかしたら、考えなければいけないところに来たのかも知れない。
そう思えど。私はきっと、あの人を突き放せないだろう。もう止めてしまいたいのに、そう強く主張する勇気がない。一人ぼっちになるのが、怖いんだ。結局は私もあの人も、互いを利用し合っている。私はただの、ズルい女。
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