第14話 私はズルい
「はぁ。あ、急がなきゃ」
本当は、今日はもうゆっくり寝たかった。日曜の夜。しかも、滅多に行くことのない動物園に誰かと出掛けた。その事実だけで、体はしっかりと疲れていた。それに、お酒も入っている。断る理由など山ほどあるのに、私はどれもあの人に伝えることは出来ないだろう。面倒だなぁ、と確かに思って居る癖に、その反面ではあの人に会う為の準備を計算している。そう、結局は連絡を貰ったことが嬉しいのだ。
「電話、しておこうかな」
呟く声は、少し弾んでいる。確かに私の中には、嫌気が差している面があるとはずなのに。立ち止まって、携帯を手にする。電話を入れる前にちょっとだけ深呼吸するのは、今日も上手くいきますように、というおまじないみたいなものだ。よし。
「ん、ん?えぇっ」
呼吸を整え、立ち上げた画面。何もない画面が光って、あの人の連絡先をタップする。そうイメージ付けていた私の目に飛び込んできたのは、予想していないものだった。緋菜ちゃんからのメッセージだ。しかも、今後の予定の話などではなく、完全な連絡事項。それは、私を混乱に陥れるには十分だった。
『言い忘れちゃったけどね、今度、昌平と猫カフェに行くことにしたの。黙っておくのも変だから、お知らせでした』
メッセージには、そう書かれている。これから徐々に2人の距離が縮まる物だと思っていたけれど、これは一体、何があったのか。それに、私はこれに何と返せばいいんだ?わぁそうなんだ、とでも返せば良いのか。いや、もう少し突っ込んでみた方が良いのか。あぁ、もう。ここまで首を突っ込むつもりはなかったのに。
「ううう……もう」
私は、踵を返した。成瀬くん、まだ遠くに行ってないかしら。慌てて彼の連絡先を表示し、発信をタップする。
浅いうちに、彼らとは距離を置きたかった。けれど、もう昌平くんの恋の行方が決まるまでは見届けるべきだろうかと悩んでいる。緋菜ちゃんと2人で会うことに抵抗はないが、4人で仲良しこよし、というのは、色んな意味で苦しいのだ。
鳴らした電話に、成瀬くんは直ぐに出た。歩いているから気が付かないかも知れない、と思ったが杞憂だったらしい。
「あ、ごめんなさい。まだ近くに居ますか?」
「ええと、そうですね。どうしたんですか」
「ちょっと緊急事態で。今そっちに向かってるので、そのまま待ってもらっても良いですか」
「え、はい。何か一大事そうですね。大丈夫ですよ。別れたところまで戻りましょうか」
「いえ大丈夫です。もう向かっているので、待ってていただけると」
「分かりました。でも、慌てないでね」
そうやってごく普通に、彼は優しさを加える。少しだけ胸がキュンとするような可愛らしい優しさは、冷え固まった私の心の刺激には十分だった。久しぶりの感覚にホッコリしながら、私はあの人へ連絡を入れる。こういうことは、勢いが大事だ。考え始めてしまったら、きっと私の足は直ぐに止まってしまう。
私からの連絡を待っているあの人。今なら、電話をしたって構わないはずだった。でも、それが出来なかった。私の背景の音、それから声色、話し方。その全てで、あの人は何かを読み取る気がしたからだ。早足になりながらメッセージを打ち込む。
『ごめんなさい』
『今日は友人とまだ一緒で、遅くなりそうなの』
強ち嘘ではない。大丈夫。何度も自分を落ち着かせながら、返信を終えた携帯を直ぐにしまった。返事を見てしまったら、気が変わってしまうのは分かっている。何も気にしないように、成瀬くんの元へただ急いだ。
そう遠くには行っていないだろう、と思い走っていたが、なかなか彼に会えなかった。一本道だ。間違えるはずもない。キョロキョロしながら道なりに進み、五分ほど。少し開けた広場で、彼はポツンと木の周りのベンチに腰掛けていた。
「陽さん、走らなくても大丈夫ですよ」
「あぁ、ごめんなさい。思ってた辺りに居なくて、探しちゃった」
「それは、ごめんなさい。何もない所に突っ立てたら、ほら、不審者になっちゃうから。僕もそろそろおじさんなので」
そう言うと、成瀬くんは恥ずかしそうに頭を掻いた。私の中では、彼は爽やかな青年である。だけれども、暗闇で立ち尽くしていたら、そんな子でもそう判断されてしまうか。そこまでは考えが回らなかったので、申し訳ない気持ちになった。
「それで、どうしたんですか」
「あっ、そうだ。いや、これ……」
携帯を慌てて取り出す。新着のメッセージが目に入るが、今それを見てはいけない。緋菜ちゃんのメッセージを開き、成瀬くんに差し出した。深呼吸をして、乱れた呼吸を整える。それは、走ったからじゃない。今、あの人を無視したからだ。
「いや……流石に急展開で驚きですね。昌平くんが誘ったのかなぁ」
「どうだろう。何て返したらいいのか慌てちゃって、つい成瀬くんに連絡してしまいました」
冷静になれば、答えは簡単だった。そうなんだ、とか、良いなぁ、とか。昌平くんの誘った時間を壊さなければ、返事なんて何でも良かったのだ。あぁ分かっている。私は、緋菜ちゃんのことを相談したかったんじゃない。心のどこかで、あの人から逃げたかったのだ。
「相談して貰えて、僕は嬉しいですよ。作戦会議が早まっただけです。だから、そんな顔しないで」
「え、あぁ。いや……」
え?私、どんな顔をしてた?泣きそうだった?自分の都合だけを押し付けて、他人を利用する。私はズルい。嫌な女だな、と思った。
「さて、どうしましょうね。まずは、聞いてみません?緋菜ちゃんが誘ったのか、昌平くんから誘われたのかって」
「そう、そうよね。結構、そこ大事よね」
「陽さん、そんなに慌てなくたっていいのに」
成瀬くんは私に、ニッコリと微笑んだ。少しだけわざとらしいそれは、きっと私を落ち着かせる為。それなのに、微笑み返す余裕が私にはなかった。そうね、なんて澄まして、画面を見つめて誤魔化す。あぁやっぱり、私はズルい。
『猫カフェかぁ。楽しそう。でも急にどうしたの?』
そう打って、成瀬くんに見せる。確か彼は、今は恋愛はいい、と言っていたが私よりは現役だろう。他人の恋愛に触れなくなって、もう何年も経つ。久しぶりにやろうとすると、それがこんなにも気を遣って、難しいことだとは思いもしなかった。
「人の恋の背中を押すって難しいですね。私、恋愛なんて久々に触れてるから、凄い下手で。もう少し上手くやらないとバレますよね」
「それはお互い様ですよ。僕だって、同じような物です。二人で相談しながらやったら、何とかなりますって」
「知恵袋の出し合いみたいな感じね」
言い方が完全に、長老の話である。彼を一緒くたにしてしまうのは、あまりに申し訳ないか。
「急に老けた感じしますね、その言い方」
「だよね。言ってから、私も思った」
植栽の縁に腰掛けて、私達は目を合わせ、どちらからともなく笑った。それも、声を出して、腹を抱えていた。それはまた、久しぶりの感覚だった。同年代の子と、こんな風に笑い合う。学生の頃に友人達と、ケラケラと腹を抱えていた頃を思い出す位、声を上げて笑っていた。
「お、返って来た。ちょっと待って」
「うんうん。どっちだろうなぁ。昌平くんが誘ったんだろうなぁ」
答えを想像し始めたくせに、成瀬くんは既に答えを出していた。それは私もそう思う。今日の昌平くんは、クッキーも作って、デートにも誘った。随分と頑張ったのだ。彼の気持ちには直接触れていないが、偉いなぁ、凄いなぁ、と感嘆の思いだけは募っていた。
続けて何通か届いた、緋菜ちゃんからのメッセージを開く。
『何でだったけな』
『何か飼ってる?って話になって、昌平が実家で猫飼ってるって言って』
『あぁ、それでだ。猫と戯れたくなって。猫カフェ行こうって誘ったの』
『やっぱり陽さんも行きたかった?』
それを読んで、私は目を丸くしている。私達が予想していた答えとは、まるで違う。だってこれ、つまりは彼女が誘ったということだ。
「なんですって?」
「緋菜ちゃんが誘ったみたい。ほら」
成瀬くんもちょっと驚きながら、私の携帯を覗き込んだ。うぅん。と言うことは、純粋に二人で楽しめれば良い話だ。私達がしゃしゃり出ることでもない。送り返すのは、楽しんでね、の一択である。
『惹かれるところはあるけど、予定合わせるのとか考えたら、ね』
『写真撮ったら、後で見せて。楽しんで来てね』
そう打ち込んで、送信した。一番気を付けなければいけないのは、4人で行こう、と思わせてしまうこと。きっと昌平くんは、デートだって喜んでるだろうから。彼女にそう思わせては、昌平くんに申し訳が立たない。そう気を付けて、ふわりとした返信をした訳である。
「猫カフェって、成瀬くん行ったことある?」
「ないですね。今って色んな動物のカフェってありますよね」
「そうなの?猫とフクロウくらいしか知らない」
「ウサギとかフェレットとかもあったと思う。僕も行ったことはないんですけどね。行ったら、飼いたくなっちゃいそうで」
「あぁ……それは困るね」
顔を見合わせて、直ぐに苦笑した。理由はきっと同じだろう。互いに婚礼期を過ぎた独身。ここにペットを飼ってしまったら、もう引き籠ってしまいそうだ。
あぁでも、もしかしたら、それも良いのかも知れない。だって、私はズルい女だ。絶対に幸せになどなれない。それならばペットを飼って、一人愛でるのも良いような気がした。1人こっそりと、そう暗い方向に浸り始める。そして、また携帯が鳴った。
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