第13話 彼の気持ち
「あっ……、緋菜ちゃんだ」
あの人のメッセージで固まってしまっていた私。成瀬くんが心配し、気不味い空気が流れていたところ。タイミング良く携帯がまた受信したのは、緋菜ちゃんからメッセージだった。今日は有難う、とかそういうお礼かな。家に着いたってことかな。自分の気持ちを切り替えるように、そんなことを思いながら開く。はぁ、と心の重たさを少し吐き出してから。
「えっ、え?見て、これ」
「なになに?」
届いたメッセージに驚きながら、私はそれを成瀬くんに見せた。少しの文と共に、綺麗にラッピングされた小袋の写った写真が付いている。成瀬くんは、メッセージ部分を読んでいなかったのだろう。「これが送られて来たんですか?何ですかね」と、不思議そうに私を見た。
「うん。
「え?」
彼が見ていなかった短いメッセージ。『昌平から貰った』と書かれている。中身が何なのか。何で貰ったのか。これは昨夜の詫び、若しくは誕生日プレゼントということだろうか。
「緋菜ちゃん、昨日お誕生日だったから。それでかしらね?」
「あぁ、それでかなぁ。彼の中で僕は、緋菜ちゃんを好きなことになってる。だから、僕と別れた後に渡した、ってことかな?」
「そっか。そうかも知れない」
私も成瀬くんも、この短い文面をじっと見つめた。何とか本質を探ろうとしているのだ。その時の彼ら、いやそこにある昌平くんの気持ちを。けれど、見ていた訳でもない私達が考えられることなど、ほぼないに等しい。私と同じように成瀬くんも、2人首を傾げながら、うぅん、と唸った。
「これってさぁ……昌平くんは、私達に知られたくないんじゃないかな」
「そう、ですよね……多分、特に僕には知られたくないと思う」
「だよね。見せてしまってからで申し訳ないけれど、成瀬くんは何も見なかった事にしてもらっていい?」
「あ、うん」
「ごめんなさい。ちょっと緋菜ちゃんに連絡するね。昌平くんの気持ちを踏みにじらないようにしないと」
池之端門を過ぎた辺り。私達は立ち止まり、並んで動物園の塀にもたれ掛かる。緋菜ちゃん返事を打つことにしたが、どう伝えれば良いだろう。通り過ぎる車を目で追いながら、何とか頭をフル回転させる。昌平くんの気持ちには、気付かれる訳にはいかない。
それでも、正直に言わねばならないこともある。昌平くんの気持ちを考えなければならないこと。好意があるからとか、そんなことは二の次。ただ、私達と別れてから渡したということを考えて欲しいのだ。先ずは、『良かったね』と送る。それから、『2人の時に渡したのだから、内緒にしておいた方が良いかもよ』と付け足した。緋菜ちゃんには、この意見がどう映るだろう。
『え、でもさ。陽さんにだったら教えたって良いでしょ?』
『さっきまで一緒に居たんだし』
そう返って来たメッセージ。分かっているようで、分かっていない。昌平くんにしてみれば、私達に告げられるのは嫌だと思うのだ。寧ろ、自分のことを知らないような友人と話をしていてくれた方が、大分マシな気がしている。
では、緋菜ちゃんはどう思ったのか。いつも小競り合いをするような相手から、それに昨日喧嘩になった相手から図らずもクッキーを貰った。あぁもしかしたら、嬉しかったのかも知れない。それをちょっと自慢したくなって、教えてくれたのかも知れない。それならば、その気持ちを損なわないようにしなければ。出来るだけ丁寧な言い方で、もう一度やり取りをする。そして分かった事は、あのクッキーが手作りだったということだった。
「何と、あれ。昌平くんの手作りクッキーなんだって。だからつい、お知らせしたくなっちゃったみたい」
ようやく理解してくれた緋菜ちゃん。ただ自分の為に作って来てくれたことが、とても嬉しかったらしい。それをどうしても言いたくなってしまった、と。だから彼女の気持ちに寄り添いはしたが、私はこの話は聞かなかったことにした。何で?と聞き返されたけれど、そういうものよ、で誤魔化した。それ以上、言えることがなかったのだ。
「今、昌平くんの手作りって言った?」
「そう。手作りだって」
酷く間が空いてから、成瀬くんが急に驚いた顔をした。男の子がクッキーを作ることなんて、そんなに変なことでもないと思うけれど。
「そうなるとさ、尚更私達は知っててはいけないよね。緋菜ちゃんには、聞かなかったことにするからね、とは言ったけれど。何で?って聞き返されて困っちゃった」
「難しいですね、それ。でも、僕らが知っても良いことだったら、堂々と渡しますからね。きっと」
「そうよね」
もたれ掛かったまま、私達は何となく小さな天を仰いだ。昌平くんが、そこまで準備をしていたとは。二人共、流石に驚いているのである。ただ私が困惑しているのは、それではなかった。昌平くんの思いに触れて、彼の恋を応援したいと思い始めた私の心に、だ。出来るだけ、彼らとは距離を置きたいと言うのに。
「あのさ……でも、凄いねよね?クッキー」
「そうだなぁ。中身は分からないから一概には言えないけれど、二時間弱でいけるかな……」
「でもそれって、材料とかが揃ってて、ってことですよね」
「うん、そう。少なからず、バターと小麦粉と卵あたりの常備があって、更には作り方でもたつかない。これが条件かも。もう少し楽する方法はいくらでもあるけど……この手のプレゼントにするなら、やらないでしょうね」
謝りたい時に、何かを作って渡す。それも翌日に。多分、昌平くんは手慣れているのだと思う。失敗なく作れるからこそ、そういう時の手土産にしているのだ。
「何か、私。今日は昌平くんに驚いてばかりだなぁ。人を見た目で判断したらいけないって、夕べ話したばかりなのに」
「ですよね。僕も、今日は反省しました。なかなか難しいものですね」
人付き合いを避けて生きて来た私は、今日、色んなことを失っていると気付かされた。他者への思いやり等という面ではなく、単純に気持ちだとか行動だとか、そういうものを考える力が弱っている。あの人さえ居てくれればいい。そう思っていたのは、間違いだったのかも知れない。
「昌平くんは、自覚したのかも知れないね。緋菜ちゃんのこと、好きだって」
「僕もそう思います。多分、夕べ考えたんじゃないのかなぁ」
「うん、だよね。ということは、昨夜訂正しなくて良かったってことだ」
「確かに。訂正しちゃってたら、こうはならなかったのかも。良かったぁ。指切りして、正解でしたね」
指切り。改めて言われると、何故だか恥ずかしい。直ぐに忘れたって良いことだけれど、成瀬くんの記憶には記録されたようだった。
「そうだね。あとは昌平くんの様子を見て、成瀬くんがごめんなさいをしないとね。あまり彼を苦しめても、可哀相だから」
「そうですね。一先ず、次に四人で会うまでは、このままでいます。その時の様子を見て、話しをしようかな」
「あぁ……えっと、そうね」
大分、不自然な間が空いた。次に4人で会うことなどあるのか。拒絶と不安と期待。私の一番の気持ちはどれだろう。チラッと腕時計を確認する。あの人からは、電話もきていない。早く家に帰って、待ってるよ、と返さなければ。直ぐに送れば良いが、それだと近くに居た場合鉢合わせしてしまう。嫉妬などするタイプではないが、成瀬くんとの関係を説明するのはちょっと面倒だった。
「急いでますか?時間、大丈夫です?」
「あぁ、えっと。ちょっと、急ごうかなと。送っていただいて、有難うございました。根津からは電車?」
「いえ。またこのまま戻ります。公園の方、歩いて行こうかなぁ」
「そう?じゃあ、こっちから行くと良いよ」
不忍通りから、動物園通りの方へ指差した。一つ目の角を右に曲がって、と説明しながら、結局同じ方向に帰ることに気付く。彼はあまり、この辺は知らないようだ。
「私もその突き当りまで行くから、一緒に行こうか」
自ら、彼と並んで歩くことを選んだ。あの人が何も返事のないままに、マンションの前に居ることは有り得ない。仮に近くに来ていたとしても、どこかで飲んでいるだろう。それに、道案内をするのだから、男の子と並んで歩いていたっておかしくはない。そう自分に言い聞かせた。こんなことにも結局、言い訳を探してしまう。嘘を見破るのが上手いあの人に、自然に言うことが出来るように。
「陽さんって、週末休みですか」
「うぅん、基本的には。土曜が出勤のこともあるけれど。日曜はお休みですね」
「分かりました。じゃあ、また連絡します」
「作戦会議ね。うん、ちょっといい感じかも知れないしね。あとは、緋菜ちゃん側から押す感じかなぁ。よし。頑張らないと」
あ……私、笑ってた。それに気付くと、ちょっと恥ずかしくなる。一体、何に期待しているの?あの人との生活はどこかで終えなければならないけれど、彼らと会っただけで変わるわけがない。今までだって、そうだったじゃない。
「緋菜ちゃんは、昌平くんが嫌いって訳ではないと思うのね。ただ、恋愛対象としては全く考えていないだけで」
まるで、自分の内面から目を逸らすようだった。即座に緋菜ちゃんの話題で一杯にしようとする。何かを取り戻そうとしている自分の心が、サラッと顔を出すのが怖いのだ。
「そうですよね……それって結構難題ですよ。彼らは本当に兄妹のように接して来ましたから。それを格上げするのって、どうしたらいいんだろう」
「でもさ、クッキー貰ったりして、少し印象は変わるんじゃない?」
「あぁ、確かに。そうですね」
動揺する心は、成瀬くんの優しい笑顔に救われる。彼は純粋に、友人の恋を応援しているのだ。今まで緋菜ちゃん達を傍で見て来た成瀬くん。彼にしてみれば、弟と妹のようなものなのかな。もしかしたら、じれったくて仕方がないのかも知れないけれど。それでも懸命に、面白がっている訳では無く、他者の恋を応援する成瀬くん。彼の真っ直ぐさは、私には持っていない何かだった。
「陽さんは、同じようにされたらどう思います?」
「ん?クッキー貰ったら、ってこと?」
「そう」
「うぅん……どうだろうなぁ。相手にもよるかしら。苦手だなって思ってる人だと、急に何?って、裏があるんじゃないかって考えちゃうだろうし。好意を持っていれば、嬉しいなぁって思うよね」
一般的には、そうだろうなと思う。自分がどうだろう、と聞かれると難しい。先ずは、友人だと思っている男の子が居ない。前提が整わないのである。
「緋菜ちゃんは、嬉しかったのかな」
「少なからず、前者ではなかったよね。私に知らせて来たんだもの」
「ということは、進展もありえますよね」
「そうねぇ。直ぐに、とは言わないだろうけれどね」
緋菜ちゃんが、彼氏と別れたのは昨日のこと。しかも、誕生日当日。あれだけケラケラ笑っていたって、簡単に傷は癒えないだろう。一人になった時不意に、涙が出てしまうことだってあると思うのだ。
そしてふと、隣を歩く成瀬くんを見つめる。いつも1人で歩く道を、男の子と歩いている不思議な感じ。これが全て幻のような、フワフワとしてパチンと急に弾けて消えるような、そんな感じがしている。成瀬くんは、こういうのは普通なんだろう。変に気遣ったりしないところが、今はとても心地良かった。
「じゃあ、私こっちなので。今日は送ってくれて有難う」
「いえいえ。動物園も楽しかったですし、仲直りも出来ました。彼らの進展もあったみたいだし……」
「そうだね、色々あったね。今日は」
「本当。とにかく作戦会議を早いうちに。何かいい案があったら教えてくださいね」
道はあっという間に突き当り、彼は右へ、私は左へ。おやすみなさい、ときちんと言ってくれる成瀬くん。そう言い合うのが少し恥ずかしくて、バカみたいに小さな声で「おやすみなさい」と告げた。
私達は、思い合うような仲ではない。互いにスッと背を向けて、反対方向へ歩み出せるのだ。ただ、昨日とは違う気持ちが、私の中に現れ始めた気がしている。それが何なのかは、今すぐには見えないだろう。送って貰って申し訳なかったな。チラッと目をやった彼の背中に、思わず口元が緩んだ。今からあの人が来るというのに。
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