第11話 今日限りの友人
「今日は有難うございました」
動物園を出ると直ぐに、緋菜ちゃんが私達に頭を下げた。それも、とても丁寧に。晴れ晴れとした笑顔は、彼女の心そのもののようだった。
「何だよ、偉く素直だな」
「うっさいな。昌平に言ったわけじゃないかんね。陽さんと成瀬くんに言ったの。ねぇねぇ、皆で飲みに行こうよ。きっと明日は仕事だろうから、深くならないようにしたら平気でしょ?」
「緋菜が飲み過ぎなきゃな」
緋菜ちゃんの誘いに、ショウヘイ君の憎まれ口。それだけを見れば、微笑ましい。恐らく、彼らのいつもの光景であろうとは思ったが。
「そう言ってますけど、どうっすかね。俺は明日、遅番なんで大丈夫なんすけど」
問題はこれである。
今日は楽しかった。けれど、これ以上彼らと深く関わる気はないのだ。上手いことこれを切り抜けて、私は早く家へ帰らねばならない。あの人が、急に来ると言っても良いように。
「そうだなぁ。僕は深くならなければ良いかな。陽さんはどうです?」
「私は……えぇと」
「陽さんも行きます。大丈夫です」
「いや、緋菜ちゃん。勝手に……」
どう答えようか躊躇いの間を空けてしまった私の代わりに、緋菜ちゃんが参加を宣言する。私の困惑なんて、今の彼女には感じないだろう。成瀬くんとショウヘイくんは、流石に何かを感じたようではあった。
「だって、私のお友達ですから。今日は楽しいお酒が飲みたいです」
「お友達……」
キラキラした瞳でそう言われてしまうと、答えに困る。ただ、お友達と言われたことが、正直嬉しかったのだ。どうしよう……答えを期待された視線。あの人は、今日来ると決まっている訳でもない。何なら、早く帰ったって来ないことだって有り得るのだ。ならば……
「そう、そうね。お友達。よし、あまり深くならないように気を付けて、行きましょうか」
「そう来なくっちゃ」
真っ直ぐにそう向けてくれることは、とても有り難い。色々と深読みするのではなく、単純に一緒に飲みたい、という気持ちを表してくれる。何ならば、私をお友達だと言ってくれた。今日限りだ、と決め付けていた私の気持ちが、薄っすらと恥ずかしさを覚えた。
「よし、じゃあね。今日は、いつもと違うお店探そう。どう?」
成瀬くんの明るい声に、賛同する緋菜ちゃんとショウヘイくん。それから、少し乗り遅れた私。それを確認した成瀬くん。アメ横の方へ行けばあるよね、と歩き始めた。私の躊躇いに気付かない振りをして。そうかからないだろうと思っていた店探しだったが、皆が色々違う意見を言って纏まらない。肉系が良い。イカフライがないとヤダ。そんなことを言っているうちに、結局アメ横を抜けてしまった。面白い訳でもないのに何だかそれが可笑しく思えて、皆ケラケラと笑って、そこにあった赤提灯へ入った。
「あぁ……イカフライない」
最大の目的がなくなった緋菜ちゃんは、落ち込んだ後でプリプリと怒り始める。本当に子供みたい。それが可愛らしくもあって、時に憎らしい。けれど、彼女は皆に愛されるということだけは、良く分かった。そして、そんな彼女を飽き飽きした顔をして見ているショウヘイくん。大分意識をしていることは見て取れたが、果たしてそれが恋愛だということなのかは、まだ分からない。成瀬くんも彼を気にしては、チラチラッと私に目配せをして来る。それもまた、私には新鮮に映っていた。こんな飲み会、学生以来だったから。
同世代――いや、少し下の子たちと、ワイワイ酒を酌み交わす。きっと普通のことなのに、それすらドキドキしてしまって仕方ない。私は、あの人と居ることを選んで、こんなにも社会の刺激を忘れてしまっていたのか。妙にそう実感していた。
「トマトハイって陽さんで良い?」
「あ、うん。ごめん。有難う」
目の前に座った成瀬くんが、テーブルに乗せられた酒を渡してくれる。緋菜ちゃんは、シャンディガフ。成瀬くんがハイボールで、ショウヘイくんはホッピー。それぞれ違う好きな物を頼んで、つまみだってバラバラ。職場の飲み会じゃ、こうはいかない。あぁそうか。友人と飲む時って、こんな風だった。大昔の記憶を引っ張り出して、ようやく結び付ける。そして皆、ニコニコしながら、乾杯、とグラスを合わせた。
飲み始めた私達は、自然と今日の話をし始める。動物の話ばかりしている4人。可笑しなテーブルだろうな、とは思ったが、初めに緋菜ちゃんがゴリラの熱弁を始めたら、それも気にならなくなっていった。
酒が進むにつれ、それぞれが気になった動物について話した。茶々も入れず、頷きながら3人が聞く。そんなスタイルが出来上がったのは、皆楽しそうに話をしたからだと思う。同じものを見ていたはずなのに、自分とは違う視点が出て来る。それもまた面白いのだ。皆がどう思っているかは、分からない。何もかもが新鮮な私には、そういう時間だったというだけだ。
「陽さんの言う通りに、気の赴くまま歩いてみてね。違った目線で見られるって言うか。面白かったよ」
「そっか。うん、良かった」
緋菜ちゃんはまだ楽しそうに、そう言ってくれる。その言葉に、ホッとした。何も考えずに言い出して、本当はどこかで緊張していたのだ。私は彼らのことを何も知らない。こんな気休めの動物園で、仲直りが出来るのかすら不安だった訳だ。けれど、答えはこの皆の笑顔。緋菜ちゃんだけじゃなく、彼らもとても素直だったから、成り立ったのだと思う。「二人も急にごめんなさいね。有難うね」と、彼らにも礼を言った。
「いえいえ。僕らも誘ってもらえて楽しかったです。ね?」
「そうっすね。子供たちを連れて行くのとはまた違う感じで、面白かったです」
「そっかぁ。それは良かった」
それぞれ2杯目の酒を大事に飲んでいるが、楽しい時間など直ぐに終わりになる。今日だけお友達にして貰えて、本当に嬉しかった。あまりに嬉しくて、あの人にも言ってしまいそう。でも、そんなこと、出来る訳ない。彼らと別れれば、私はまた鳥籠に戻るだけ。あの人だけに、大事に大事にされる鳥籠に。
「じゃあ今日は、これで終わりね。皆さま有難うございました」
名残惜しむ私達に、そう宣言をしたのは緋菜ちゃんだ。明日は月曜日。流石に全員が仕事である。緋菜ちゃんの発声に、私達が同調すると彼女は満足気だった。
「じゃあ、ここはお姉さんが奢りますね。今日は有難う」
確実に年長だし、こんな楽しい時間を過ごせた。年長だから奢るというよりも、単にお礼の気持ちが大きい。こんな時間、また過ごせると良いな。淡い淡い期待を、心の底で温めた。
「何言ってんの。陽さん、ここは割り勘だよ。もう。ショウヘイ、計算して」
「自分でしろよ。まったく」
伝票と壁の短冊を見ながら、ショウヘイくんが計算し始める。「いや、でも良いんだって。私に払わせて」と必死に言うが、皆ニコニコするばかりで、誰も聞き入れてくれない。それでは、勝手に思い付きで誘ってしまった私の気が収まらないというのに。
「陽さん、今日は割り勘にしよう。ほら、僕らお友達でしょ。それなら、年齢関係なく平等だよ」
「そうだよ、陽さん。そもそも俺達が悪かったんだし」
彼らの言葉を聞いて緋菜ちゃんは、そういう事だからね、とだけ私に言った。こういうのに慣れていない。どうしよう。そう思ってはいるけれど、素直に「分かった。有難う」と受け入れる。何だか心がむず痒かった。
「えっと、皆どっち?」
「僕と陽さんはあっち。昌平くんは、ヒナちゃんと一緒の方向だよ」
「えぇ、昌平と一緒か」
「何だよ、仕方ねぇだろ」
店を出て、直ぐに始まる痴話喧嘩。1日程度の付き合いの私でも、流石にもう見慣れた。アメ横から、西へ行くのが私達。東へ帰るのが、あの2人。仲良く帰れるかしら、なんて小学生みたいな心配をしていたりする。
「じゃあ、僕らはここで」
「そうね。緋菜ちゃん、お休み決まったら連絡頂戴ね」
「はぁい。仕方ないから、昌平と帰ります」
微笑む緋菜ちゃんと、それを睨んだショウヘイくん。私達は苦笑し合って、彼らに手を振り背を向けた。背後の二人の様子は気になるけれど、振り向かないでおこう、と2人で決めた。大丈夫かな、と言いながら、私達は広小路の方へ向かって歩き始める。
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