第10話 今日を楽しむ
「動物園なんて久しぶり」
「本当。私もよ。成瀬くんと昌平くんは来たりするの?彼女とかと」
「僕は、来ないですね。子供の時に行った記憶はあるけれど、女の子と行ったとかないなぁ」
「そうなんだ。俺は、年一以上は来てるんで」
「え、意外」
ショウヘイ君の発言に、緋菜ちゃんが驚きの声を上げる。私もそれに同意してしまって、2人でウンウンと頷き合った。彼は、一見普通の青年。動物が好きだとしたら、近くに直ぐ行ける動物園でもあれば、一人でも行くだろうか。
「昌平くんは、動物が好き?それだったら、天気のいい日とかにフラッと来たりもするわよね」
ちょっと慌ててそう言ってみるが、あまり上手でなかったな。人付き合いが、年々下手になっている気がする。それもこれも、まぁ自分が悪いのだが。
「いや、俺。保育士なんで」
「は、昌平が?保育士?」
「あ?何か文句あんのかよ。そんなに驚く話でもねぇだろ」
そうか。その手があるのか。考えも付かなかった答えを聞いて、驚きつつも、なるほどな、と納得する。でも、緋菜ちゃんは疑っているようだし、成瀬くんは狐に摘ままれたようだった。私はそんな反応が出来る程、彼を良く知らない。風貌だけで判断してはいけないが、そこまで驚くことでもない気がする。あまり男性の保育士と私生活で会うことがないから、驚きはするけれど。
「成瀬くんまで疑うの?」
「いや、ちょっと意外だったから。でも言われて見れば、スーツとか着てるの見たことなかったなって。納得、というか」
成瀬くんが正直に答える。それを聞いて、私も少し納得をしていた。ショウヘイくんがスーツを着ている様が、想像出来なかったのだ。体を動かすのが好きそうで、ジムで働いている、と言われれば容易に納得が出来るのである。ショウヘイくんは、そういう男の子だった。
「意外だけどさ。昌平は子供に人気なんじゃない?」
「あ、そう。そう見えるだろ?」
「うん。子供っぽいから。いつも同じ目線で遊んでそう」
そうからかった緋菜ちゃんは、ベェッとして見せる。あぁ?と苛ついたショウヘイくんは、ズンズンと緋菜ちゃんに詰め寄った。成瀬くんと見合って、クスッとしてしまう。何だかお似合い。彼もそう思ったろうな、と思った。
「昌平、トラ見たい。トラ。どっち?」
「トラ?あっちだよ。ゴリラとかいる方」
「陽さん、行こう。やっぱ、トラ見ないと」
「じゃあ、まずはそっちに行こう。でもヒナちゃん、パンダはいいの?」
「えぇ、動物園って言ったら、トラとゴリラじゃないの?いいよ。今日は赴くままに、でしょ?」
緋菜ちゃんは、少し前にいじけていたのもすっかり忘れたように、楽しそうに私の手を引く。ショウヘイくんは一瞬難しい顔をして、成瀬くんの脇に並んだ。夕べのこと、気に掛けているのかな。彼は、成瀬くんが緋菜ちゃんを好きだと思っている。意地悪なことをし続けるつもりはないが、せめて自分の気持ちに気付いてくれればいいな。そう願っていた。
そんなことも露知らず、ズンズン、グイグイと先に進む緋菜ちゃん。動物の慰霊碑もキジも、彼女の目には止まっていない。
「緋菜ちゃん。カワウソいるって。ほら、フクロウも」
「うんうん。そうだね。ねぇトラって何匹いるんだろう」
私の指さす方に目もくれず、彼女にはトラだけが頭の中にいるようだ。正確に言えばトラは何頭と数えるものだが、今それを指摘したところで、彼女の心には留まらないだろう。今日は、緋菜ちゃんの思うがままに動いて良い。私は何も言わずお付き合いをしよう、と決めた。
「陽さん。ほら、見て。トラ、トラ」
「うん、カッコいいねぇ。ほら、緋菜ちゃん。手とか凄く大きいよ」
キリッとした顔をしたトラの前で、私達は立ち止まる。キャッキャと緋菜ちゃんははしゃいでいるけれど、時折、シュンとした表情が見え隠れした。こういう場所にも、彼氏との思い出があったかも知れない。泣いてしまう程ではないけれど、寂しそうに、勇ましいトラを見つめている。
「陽さん。トラは寂しくないのかなぁ」
「そうねぇ。寂しいかもしれないね。トラの幸せって分からないけれど、世界を狭めてしまっているような気がするものね」
「うん」
ボソッと返事をして、緋菜ちゃんはトラに見入っていた。何か感ずるものがあるのか。ただ優雅にノシノシ歩く様を、じっと見つめていた。無理にここを離れるような誘いはしない。こうやって一つの動物しか見ない時だってある。それも、その時の感性のままに、仕方のないことなのだ。成瀬くん達も追い付いて、でけぇなぁ、と呟く。そうだねぇ、と誰かが応じたが、誰も無理と話を進めることはしなかった。
「よし、次はゴリラ見たい」
「待って、緋菜ちゃん。成瀬くんやショウヘイくんは、見たいものない?」
自分の意見だけで動こうとした緋菜ちゃんに、待ったをかけた。2人ならそれでもいいけれど、4人で来ているのだから、互いに尊重せねばならない。緋菜ちゃんはやっぱり、そういう部分が欠けている。今まではそれで良かったのだろうが、この機会だから、きちんと気付かせてあげたいと思った。
「あ、そうか。ごめん」
「ううん、いいよ。緋菜ちゃん。今日は緋菜ちゃんの見たい順番で行こう。僕らが見たい物があったら、その都度声を掛けるから。ね」
私の意見を素直に受け入れた緋菜ちゃんに、成瀬くんが優しく応答する。ショウヘイくんは表情を変えずに、ゴリラはそこだ、と指差した。
「よし、行こう」
珍しく、そんな先導をしてみた。私が彼らを良く知らないように、彼らも私を知らない。それならば、私だっていつもと違う私で居ても許されるはずだ。まぁこんなことをして一番落ち着かないのは、私だったりもするけれど。
その後は、もう緋菜ちゃんは寂しい顔をしなかった。今を楽しんでいる。そんな風に、私には映っていた。いつの間にかショウヘイくんとも、普通に並んで笑いながら歩いたりして。私は成瀬くんと、良い感じだね、ってコソコソと囁き合った。
今日限りの友人だとしても、私を受け入れてくれた彼ら。有難いな、嬉しいな。久しぶりに心がほこほこしている。こんな気持ちを誰にも伝えられないのが、ちょっともどかしい。それくらい、私だって今を楽しもうと思い始めていた。
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