第6話 明日、晴れるかな

 緋菜ちゃんと別れ、元来た道を戻る。彼らと別れた小学校が近付くと、まだ男二人の影が見えた。私は深呼吸をしてから、ギュッと顔を窄めて、頬に笑みを戻す。よし。「ごめんなさいね。帰るに帰れなかったわよね」なんて言いながら、私は二人に駆け寄った。


「あぁそれは良いんですけど、緋菜ちゃん大丈夫でした?」

「あぁ、えっとね。大丈夫、よ」


 上手く笑おうとすればするだけ、どこか不自然になる。自分でも、今の笑顔は下手糞だ、と判るほどだ。それでも、私はの為に、上手いことやり通さねばならない。あぁ、知ったこっちゃない。そう一言で言ってしまえればいいが、自分にも非があるのだから、元に戻る為のサポートはしなければいけないと思っている。


「陽さんは、アイツとはどういう関係なんですか」


 硬い表情のショウヘイくんが、私に問う。そもそもの疑問なのだろうが、これを話せば結局、あの件に触れなければいけない。緋菜ちゃんには許可を取った。核心は言わないけれど、彼らがまた笑って会えるように、適度な情報を伝えなければ。


「私たちは今日出会ったのよ。さっき話した通り。声を掛けたのは私」

「え、いや……それは」

「ショウヘイくん。今、私がそんなことするはずないって思ったんでしょ」

「あぁ……えっと。すみません」

「ふふっ、まぁそうよね。それは確かにそうなんだけどね。実はね……カフェでコーヒー飲んでたら、隣の席からヒナ、ヒナって聞こえて来て。ほら、私ヒナタだから。つい、気になっちゃったのよね」


 私はゆっくりと、彼らにその時のことを話し始めた。彼らは喧嘩をしていたこと。どうも彼は、デートの前に別の人に会っていたようだったこと。別れよう、と言い出したのは緋菜ちゃんであること。それから、彼女にとってはとどめのようなことを言われてしまったこと。彼らは、黙って耳を傾けていた。ナルセくんは、時折「そうだったんだ」等と呟いたが、ショウヘイくんはただ黙って拳を握り込んでいる。


「多分。それだけだったら、私は声を掛けなかったと思う。彼女が席を立って、ストールが落ちて。きっとそれも、店員に預けて終わりだったと思うの。でも、それが出来なかった。あの子……今日が誕生日だったのよ」


 彼氏が去り際に呟いた、誕生日おめでとう。あれが寂しくて、冷たくて、苦しかった。私の感情などどうだって良かったが、それも全て伝える。赤の他人である私がそう思ってしまう程だったと、彼らにも知って欲しかったのだ。ショウヘイくんが、また深く拳を握り締めたのが見えた。


「それは、何て、何て言われたんすか。アイツ」

「うぅん、それは、ねぇ。事の成り行きはね、もしもあなた達が居たらお話しするねって、緋菜ちゃんと話をしたけれど。流石にそれは、内緒。きっとあなた達は、あの子の大切な人たちだから」


 え?と驚いた顔をした彼らを置いて、二、三歩前へ跳ねた。振り向いた彼らは、まだキョトンとしたまま。きっと、そこまで思われているとは、考えていなかったのだろう。


「緋菜ちゃんもね。いいお友達だと思ってると思う。だからこそ、これ以上は詮索しないであげて、ね?」

「……そうですね。僕たちは、良い友人です。会社も、どんなことをしてるのかも、互いによく知らない。ただあそこで会って、これが美味いだの、あの酒が良いだの言いながら、一緒に食事をする仲間。深く入り込み過ぎました」


 生真面目にそう答えたナルセくんが、丁寧に頭を下げる。ショウヘイくんもそれに釣られて、ペコっとして見せた。ナルセくんという子は、律儀な子だ。線からはみ出さないようにしている、というか。模範的な人間、というか。あまりの生真面目さに、私はもっと他人よ、なんて言って笑った。


「あっ、いけない。今何時?」

「もう少しで日付が変わるくらいですかね。えっと二十三時五十九分」

「あ。あぁ……乗り遅れた、きっと」

「え?終電?」


 ウンウン頷きながら、検索をする。まぁ電車がなくとも帰れる距離ではあるが、そんなことよりも、私の気掛かりは一つだけ。あの人に夜遊びを知られること、にあった。タクシーを捕まえるか心配してくれる彼ら。こんなところを見られたら、あの人は何と言うだろう。今までこんな日はなかったと思う。私には友達が居ない。あの人はそれを、一つの安心材料にしている。


「よし、じゃあ歩こう。最近、運動不足だったし。うん、そうだ」

「凄い、納得させてる感ありますね」

「こうでもしないと面倒になって、直ぐにタクシー呼んじゃうから」

「なるほど」


 私のくだらない宣言も、適当に流さないナルセくん。窮屈じゃないのかな。なんて、誰よりも他人の私が心配しているなんて、ちょっと可笑しい。他愛もない話をしながら、並んで歩く。ショウヘイくんは、眉間に皺を寄せて、爪先をワザと蹴り上げていた。聞けば、彼の家はもう直ぐらしい。ナルセくんは、広小路。上野まで、二人で歩くことになるのか。それに気付いてしまうと、少しだけ緊張する。


「そうだ。二人共、明日はお休み?」


 余計なことを考えないようにした私は、また突拍子もないことを思い付く。二人共、何を言ってんだコイツ、とでも思っただろうか。でも、彼らが今後も仲良くして行ける方法を、一つ思い付いてしまったのだ。


「よし、じゃあ。皆で動物園に行こう」


 は?と、間髪入れずに彼らから疑問符が投げ込まれた。まぁそれはそうだ。私だって、そう言われたのならそう返すだろう。


「これは完全に私のお節介なんだけれどね。きっとあなたたち、今まで通りに会いにくいでしょう?だから、どうかしら?また飲みながら再会したら、きっと言わなくていいことも言っちゃうだろうし、気不味いでしょうから」


 さも、ちゃんと考えて提案ました、というような顔をしてしまった。私の言葉を飲み込んで、ナルセくんが納得をして見せる。同意を求められたショウヘイくんも、かなり渋々了解した。何かを頭の中で張り巡らせて、この答えが正しいのか考えているようだった。


「じゃあ動物園の表門に十三時。どう?」


 言ってしまえば、もう後戻りはしない。彼らは私の勢いに押され、引っ掛かるように頷いた。

 あの人には、どうせバレないだろう。ならば、一瞬でも触れてしまった彼らの人生を元に戻す為の努力は、しても良いはずだ。私は、自分にそう言い聞かせた。


「ヒナちゃんには、直前まで黙っておく。私が彼女と上野駅で待ち合わせて、それで連れて行くわね。だからそこまでは、上手く会わないようにやってくれる?その前に喧嘩になったらいけないからね」


 二人に言ったつもりが、ついショウヘイくんを見てしまった。彼は何だか少し強張った顔をして、私をじっと見ている。きっと仲直り出来るよ。声にはしなかったけれど、私はそう見つめ返した。


「あ、じゃあ。俺こっちなんで」


 落ち込んだ顔をしたまま昌平くんが、清洲橋通りを指差した。また明日ね、なんてやり取りをする彼らを見て、私は澄ました顔をしている。酷く久しぶりに、男の子同士のそんなやり取りを目にした気がした。それだけ自分が、他人と深く変わらないように生きているのだ、と思い知らされる。何とかな顔を作った。


「おやすみなさい。急にお誘いして、ごめんなさいね」

「いえ。おやすみなさい」


 彼に手を振って、私とナルセくんは歩き始める。未だ車の通る大通りを、上野駅の方へ向かって真っすぐに。こんなしんみりしている感情など、表に出さないようにして。「明日、晴れるかな」なんて言いながら。

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