第4話 彼女のお友達
「ちょっと、陽さん。聞いてます?」
勢いの良いペースで飲み進めた彼女は、いつの間にか酔いが回っている。流石に、今日会ったばかりの人間の限界酒量など、私が知る由もない。慎重に様子を見ていたつもりだったが、今日は色々あった。ペースが速かったのかも知れない。これはそろそろ帰さなければ。
「聞いてる、聞いてる。緋菜ちゃん。飲み過ぎたね。そろそろ帰ろう。歩ける?」
「やだぁ。折角、明日もお休み取ってあるのに」
ここは上野、と言うよりも御徒町。彼女の家は近いらしいが、私には皆目見当もつかない。何度か帰宅を促すのも何度目か。それでも、彼女は帰りたくない。理由も分かってしまうから、強くも言えないでいる。だって今日は、彼女の誕生日なのだ。
「あ、じゃあこうしよう。明日、何処かに行こう。美術館じゃなくてもいいし、映画に行ってもいい。付き合うから」
「本当?」
「うん。私もね、明日はお休みなのよ」
彼女はじっと私を見つめてから、ヤッタァ、と声を上げる。今の言い方からして、きっと週末が休みではない仕事なのだろう。誕生日だからと張り切って休んだのに、ということか。それは確かに、この有様では報われない気もした。
「あと一杯だけ飲んでいい?」
「ダメ。今日は終わり。送って行くから」
「えぇ大丈夫だよぉ。あ。でも、トイレ行って来る」
ヘラヘラ笑って歩き出した彼女。軽く手を振り見ているが、徐々に不安が私の中に立ち込めている。あのフラフラとした足取り。きっと本人は、真っ直ぐに歩けていると思っているのだろう。だが、あれはそこそこ酷い千鳥足。絵に描いた酔っ払いのおじさん、のようだった。あぁ家までが、五分、十分くらいの距離なら良いけれど。
「お姉さん。あいつ、大丈夫?何かスゲェ飲んでるけど」
「え?えっと……」
さてどうしようかな、と彼女の背を見つめていた私に、良く日に焼けた若い男が声を掛けた。十一月になったというのに半袖のTシャツ。人懐こそうな笑顔で話し掛けてくれたが、直ぐに苛々した顔を見せる。チラチラとトイレを見ていると言うことは、緋菜ちゃんの知り合いだろうか。ムスッとしたままそこに立って居る彼を、私は呆然と見ていた。トイレの方を気に掛けながら、逞しい腕を組みしている。
「ショウヘイくん、名乗らないとお姉さんに分からないでしょうよ。ごめんなさい。僕たち、あの子とここで良く会うんですよ。それで一緒に飲んだりもしてて」
「あぁ、そうだったんですね」
恐らく知り合いか、と憶測は付けたが、不安そうな顔をしていたのだろう。後ろから来た可愛らしい顔をした男の子が、そう説明してくれる。二人共、まだ若そうな顔つき。緋菜ちゃんと同じくらいだろうか。
「あんなに酔ってるけど、アイツなんかあったんすか」
「え?あぁ、いや。そう言うわけじゃないんだけど」
良く分からぬ相手に、勝手に全てをぶちまける訳にもいかない。私は、通りすがりのような人間である。もし彼らと緋菜ちゃんの関係があるのなら、それを壊すようなことをしてはいけない。ショウヘイと呼ばれた彼は、まだ何度もトイレの方を確認する。苛立ちの中に、心配の色が垣間見えた。
「お前、結構飲んだろ」
フラフラとトイレから出て来た緋菜ちゃん。そこへ、ズカズカと突っ込んでいくショウヘイと呼ばれた青年。またも私は唖然としている。
「ショウヘイじゃん。うっさいなぁ。あ、ナルセくんも」
緋菜ちゃんは笑って、可愛らしい方の青年に手を振る。まるで、ショウヘイくんを無視するように。彼はそれも面白くなかったのだろう。お前な、と緋菜ちゃんに突っかかり始めた。それほど広くない店の中、良く通る声で。彼女はそれをとても煙たそうにしつつも、結局二人はワァワァギャアギャアと言い合いが始まる。まるで、子供の言い合いのように。
「また、あの二人……すみません。いっつもあぁなんですよね。仲が悪い訳じゃないんだけど、何かがカチンと来るようで」
「いや、何となく理解はしたよ」
周りの客も、いつものが始まったぞ、と言わんばかりにクスクスと笑っているのだ。「あ、ですよね」とナルセくんは苦笑いする。
「どうぞ」
「……じゃあ」
あの二人は暫く言い合いをするだろう、とナルセくんを空いた隣の席へ誘った。あれもいつものことであるようだから、慌てて止めに入ることもない。丁寧に一礼して、ナルセくんが私の隣に腰掛ければ、今まで飲んでいたのであろうジョッキを気を利かせた店員が運んで来る。口煩く怒鳴り散らすショウヘイくんと、飽き飽きしている緋菜ちゃん。それを少し笑いながら、二人で並んで見ていた。
「何だか揉めてるけれど、楽しそうね。緋菜ちゃんも、あんな一面があるのね。ちょっと私、ホッとしてるかも」
「そうですか?あぁでも僕は逆に、あの二人しか知らないので何とも」
互いに目を見合わせてから、私たちは小さく乾杯をする。そしてまた二人に目をやって、薄くなったハイボールを流し込む。
「僕、ナルセと言います。彼は、ショウヘイくん。名字何だっけな。ふふ。そのくらいの関係です」
「なるほど。私は、小川と申します」
二人静かに自己紹介をして、私たちはクスッと笑う。クリッとした目が印象的な彼は、可愛らしくキュッと口元を綻ばせた。何とも爽やかで、好青年としか例えようのない人。こういう子は『可愛い可愛い』とおばさまたちが放っておかなそうだ。
あぁそう思う私も、つい親戚のおばさんのような感覚でいることに気付く。私も三十五歳か。いつの間にか、そんな年になったんだな。
「あの、申し訳ないんですけど……一緒に彼女を送ってもらえませんか。多分一人で帰るって言うとは思うんですけど、ちょっと心配なので」
「そうですね。僕は構いませんよ。多分、ショウヘイくんも大丈夫」
ナルセくんは勝手にそう決めると、ニコッと微笑んで酒を飲み込んだ。彼らは名字を知らない関係。ここで会うだけのような、常連客同士という所だろうか。それくらいの関係の人に、家を知られるのは良くないか。言ってしまった後で、迷いが生じる。千鳥足の彼女を抱えて、一人で送っていく自信はない。かと言って、婚前の女子を若い男二人だけには託せない。タクシーに大人しく乗るとも思えない。全て並べてしまうと、結局その手しか見当たらなかった。
「だから、何があったんだよ」
「うっさいな。ショウヘイには関係じゃん」
言い合いを続けながら、二人がテーブルへ戻って来た。ナルセくんは、何かショウヘイくんに目配せをしている。席へ誘導しているのだろう。だが、緋菜ちゃんはそれが気に入らないようだった。
「もう、何でここに座んのよ」
「緋菜ちゃん。私がどうぞって言ったの。いいじゃない。帰りも一緒に送ってねってお願いしたところよ」
「ショウヘイくん、大丈夫だよね?ね?」
「あ?おぉ……」
「もう陽さん……ナルセくんはいいけど、こいつは嫌なの」
緋菜ちゃんの言葉に、ショウヘイくんはカチンと来たようだ。その感情が隠しきれていない。いや、隠すつもりもないのか。
「お前なぁ。こっちは心配してんだぞ」
「兄貴みたいなこと言わないでよ」
「合ってんじゃん。俺の方が年上なんだから」
「一つだけね」
互いにふんッと外方を向いて飲み始めた二人。最後だよ、と告げたジョッキの中身がぐんぐんと減った。
その黄金色を見つめながら、私はホッしている。緋菜ちゃんに、こんな風に接せられる友人が居たからだ。どちらかと言うと、何時でも澄ましていて、こういう男の子達は相手にしないと思っていたのだ。どうやら、こういう関係の方が背伸びをしないで済んでいるように見えた。この関係は、きっと居心地が良いんだろうな。何故だか、そう思った。
「二人は仲良しなのねぇ」
「は?何言ってんの。陽さん、これ仲良しに見えます?」
ニコッと笑ってから「うん」と頷いた。その答えに不満気に、背を向き合わせたままの二人。仲が良いのか、悪いのか。全く分からない。それでも、ナルセくんもウンウンと頷くのだから、強ち間違いではないだろう。
多分だけれど。彼女のような子は、新しい恋をしたらあっという間に変わる。一つの恋は、それだけ力を持っているのだ。チヤホヤ甘やかし過ぎないような相手だと、成長が出来るだろう。それと、一緒に居て着飾らない相手というのも大事。自然体の緋菜ちゃんで居られるような相手。何だか彼は、そういう存在なんじゃないかと思った。
「何よ、二人して」
「こっちだって願い下げだわ」
そしてまた、顔を背ける二人を見ていたら、ナルセくんと笑ってしまった。似た者同士。きっと彼も同じことを思ったのだろう。何よもう、と剥れる緋菜ちゃんが、ちょっと可愛い。さっきまでは懸命に、大人になろうと背伸びをしているようだった緋菜ちゃん。きっと今の姿が、素の彼女なのだろう。
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