第5話壁と尻⑤
まるで山崩れだった。
近くに落ちていた錆びた一斗缶を、崩れてきたブロックが容赦なく押し潰した。
一斗缶がひしゃげる下品な音とともにブロック塀はバラバラに崩れ落ち――後には抱き締め合ったまま呆然とする俺と百百川さんが残された。
「抜けた――」
俺が呆然と呟くと、ぱっと百百川さんも笑顔になった。
「や、やった! 抜けた、抜けたよ――!」
やったぁ! と続きそうな百百川さんの歓声に、俺も嬉しくなった。
思わず百百川さんを見た瞬間――その顔がびっくりするぐらい近くにあった。
「ぅえ――?」
なんて綺麗な鳶色の瞳――。
宝石のようなそれを思わず知らず覗き込んでしまうと、百百川さんの顔が一瞬で真っ赤になった。
「いやっ――ごっ、ごめん――!」
「え?」
俺が間抜けな声を上げると、百百川さんが俺の両手を振り払い、慌てたようにその場からずり下がった。
離れてからよく見れば――そのときの百百川さんは相当に際どい姿になっていた。
引っ張られた時にボタンが引きちぎれたらしく、パンツと揃いの黒い下着がブラウスの裾から大胆に覗いている。
ブロック塀に擦れたのか、ただでさえパツパツのストッキングはあちこち破れ、肉圧によって大胆に引き裂けていた。
まるで力士十人に揉みくちゃにされた直後のような、極めてあられもない己の姿に気づいた百百川さんは、ヤカンが沸騰するような悲鳴を上げた。
百百川さんは頭を掻くやら顔を隠すやら、しばらくフルパワーでパニックを起こすと、やおら真っ赤な顔で俺を睨んだ。
「ふっ、ふじっ、ふじ、藤村君っ!」
「うっ、うん……」
「ごめん、ありがとう! あっ、あの私――あの、その、あうう……もっ、もう帰る! 帰るとも!」
「帰るとも?」
「あっ、ああ……もう! あのっ、もっ、もう会えないと思うけど、このご恩は忘れないから! じゃあね、また明日学校で!」
よくわからない一言ともに、百百川さんは立ち上がって駆け出した。
うぃやあああ! という奇声に長く尾を引かせながら、百百川さんは陸上部のエースとは思えない、凄くだばだばとした走りで去っていってしまった。
しばらくして――。
百百川さんは、ハッ、となにかに気づいた声を発して、それからこちらに戻ってくる足音が近づいてきた。
なんだろう、と思っていると。
バッ! と、百百川さんの顔が崩れたブロック塀から覗いた。
「藤村君!」
「う、うん――?」
「今日見たことは忘れて! また明日から品行方正でクールビューティな私として接してね! いい!? 絶対だよ!?」
「う、うん――」
「よかった! それじゃ!」
それだけ釘を刺して、百百川さんは再びだばだばという下品な足音を立てながら走っていってしまった。
なんだったんだろう――。
俺はしばらく呆然と、百百川さんのケツ圧によって崩れたブロック塀を見ていた。
一人残されると、なんだか妙に冷静になってきた。
そもそも、百百川さんはなんでこんなブロック塀にハマっていたのだろう。
俺はようやくそのことに考えが及んだ。
あの品行方正でクールビューティな百百川さんなのに。
たまたまブロック塀の向こう側が気になって穴を覗き込み、そのままハマってしまった、ということが有り得るのだろうか。
何が何だかわからない気持ちで辺りを見回した俺は――ふと、足元に紺色のバッグが落ちていることに今更気がついた。
俺のはまだ肩にかかったままなので、つまりこれは百百川さんが忘れていったものということになるだろう。
俺は首だけ伸ばしてブロック塀の向こうを覗いた。
もう人の気配はしないし、さっき百百川さんはすごい勢いで走っていった。
ああ見えて百百川さんは陸上部の短距離選手であるから、俺が走って追いかけたとしても追いつけまい。
仕方ない、明日学校で届けるか――。
そう思いながら、俺は埃に塗れたブレザーを羽織り、二人分のバッグを担ぎ上げて立ち上がった。
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