第70話 7月26日ー岩屋城ー感謝


これが明日死ぬ男の顔なのか。


忠長は紹運の顔を見て改めてそう思った。


死ぬ覚悟が感じられない無い訳では無い。


だが悲観に暮れている訳でも無い。


ただ、いつも通りに生きている。


そんな印象を受けた。



「しかし紹運殿」


忠長は一息ついて話を変える。


「お主はよかろう。だが残った城兵全てもそうなのか?」


「・・・」


「もし、もう戦いたくない城兵がいるのなら、助けてやってくだされんか」


忠長は諭す様に言う。


「つまり、兵を逃がしてやれと?」


「そうじゃ・・・もう兵も十分戦ったじゃろう。もし今夜城から出る兵がおっても、儂の名で一切手を出させはせぬ」


「・・・」


忠長の言葉に紹運はうつむき、紹運の回りに立っている種速と民部、左京は訝かしむ様に目を細める。


忠長は城兵の命をいたわっているような言葉を出した。


しかし、その魂胆は城兵の数を減らし、戦力を削ぐ事だと直感したからだ。


これを受け入れれば間違いなく城を抜ける兵が出てしまう。


だが紹運はその言葉に返事をせず、考え込んでいる。


「紹運殿・・・皆が皆、最後まで強い訳では無い。そうじゃろう?」


忠長はまるで懇願するように続ける。


立ったままの3人は、無礼を承知で割って入り、忠長の言葉を止めるべきか迷った。


普通ならこれを認める事はあり得ない。


しかし、紹運なら認めてしまいかねないと思ったからだ。


「紹運殿・・・」


忠長は悩む紹運に頭を下げる。


すると紹運は決心したように顔を上げて応じた。


「わかり申した。兵には私から話しましょう。手を出さない事、約束ですぞ」


「うむ。必ず」


忠長は力強く頷く。


「紹運様・・・」


背後で種速が小さく声を上げる。


だが紹運は気づかないのか、そのまま話を続けた。


「城から出たい兵は、今夜中に二の丸から大手門へと出るように致します」


「わかり申した。大手門から出て行った兵は自由じゃ。決して追いかけぬ」


「では・・」


紹運はそう言うと立上がった。もう、これ以上話す事は無いと。


忠長も立上がる。紹運を一目見て、最低限の目的は果たす事が出来た。


これ以上は蛇足だろう。


「それでは」


忠長はそう言って身を返した。


そして戸に手を掛けて一度振り返る。


最後に一言、言葉を掛けたかった。


「ご武運を」


しかし声を出したのは紹運だった。


機先を制された忠長はただ頷いて、自分の陣へと続く暗い坂道に向かうのだった。




「全ての者を二の丸に集めよ」


忠長が本丸から出ると、紹運は種速と民部、左京ら3人に向かってそう命じた。


全員を集めて紹運が何をするか、3人は予想がついた。


しかし最早それに異議を唱えるつもりも無い。


3人はお互い頷いて、小屋から出るのだった。




全員が二の丸に集まったと連絡が来てから、紹運は本丸を出た。


二の丸へは急な坂を下る事になるが、灯りは要らない。


目をつむっても行けるほど、この岩屋城には慣れ親しんでいる。


あと何度、この道を歩くことが出来るだろうか。




「紹運様」


二の丸に着くと、種速が簡易な足場を組み立てて待っていた。


紹運は頷くとその足場に登り、二の丸に集まった者達を見渡す。


ほんの半月前、戦が始まった時には764人がこの城にいた。


だが、今やその数は100人に届かない。


紹運はその事を今一度強く認識して、生き残った者をできる限り逃がそうと誓った。



「 ざわ ざわ 」


紹運の姿に集められた城兵が響めく。


紹運の姿は松明の炎に揺られ、どこか幻想的に映った。



「皆の者。疲れているところすまない。よく集まってくれた」


響めきが小さくなると紹運は口を開いた。


辺りは一瞬で静かになり、ただ風のピューピューという音が二の丸を包む。



「島津軍がこの岩屋城を囲んで早16日。我らは寡兵でもって、堅固とも言えぬ この岩屋城に籠もり、大軍である島津軍を大いに苦しめた。


これはかつて無い功績であり、我らの面目は既に国中に響いておろう。


これもみな、偏にお主らが勇気を持って戦ってくれたおかげじゃ。


改めて礼を言う」


紹運はそう言って頭を下げた。


そして数瞬後に頭を上げた紹運から、思いがけない命令が下される。


「しかし既に多くの者が逝った。城も持って明日が限度じゃろう・・・


故に、皆の者には今日の内に岩屋城からの撤退を申しつける」


「えっ!?」


「撤退?」


途端に静かだった二の丸に喧騒が起こった。


多くの城兵は既に岩屋城と運命を共にする気だったのだ。


その運命を受け入れていた。


それはひとえに、紹運を慕っていたからだ。


だが紹運は城から落ちろと言う。


「紹運様!紹運様はどうされるのです!?」


我慢できずに城兵が叫ぶ様に尋ねる。


「儂はここで最後まで島津を迎え撃つ。それが儂の責務じゃ」


紹運は淡々と答えた。紹運の声は低く二の丸に集まった全員の耳に響く。


「そんな!紹運様を残して逃げ出すなど!」


「そうじゃ!何の為に今まで戦ったのじゃ!」


自身は残ると言う紹運の答えに、城兵からは次々と不満が出る。


死にたい訳では無い。


だが紹運を残して逃げ出すなど、考えられなかった。


「静まれ」


ざわめく場を紹運は納めて再び話し出す。


「皆の気持ちは嬉しい。しかし、もう十分じゃ」


紹運はそう言って再び頭を下げた。


「儂の長かった旅はここで終わる。しかし、お前達はまだ旅を続けてくれ。


儂と共に三途の川を渡ることはない」


ゆっくりと言葉を選びながら、心を込めて話す紹運を二の丸全ての兵が見つめる。


「皆の者。今までご苦労じゃった」


紹運はそう言うと、また頭を下げた。


そして足場から降りると、足早に二の丸を出て本丸に向かう。


一度も振り返ろうとしないその背中を、多くの城兵は当惑した目で見送った。




「ヒューーー ヒューーー」


1人本丸の中央にある広場で佇み、月を見上げる紹運の頬を、山の間を吹き抜ける生ぬるい風がなぞる。


普段なら本丸にも城兵が詰めていて、1人になる事は無い。


しかし今は全ての城兵を二の丸に集めていたため、紹運は1人きりだった。


「はぁ・・・」


普段は決してつかないため息を、深呼吸に紛れさせてつく。


逃げる様に二の丸を後にしてきたからだ。


「これで良かったのじゃ・・」


伝えたいことは言った。


だが果たして何人が城から出てくれるのか。


そして果たして何人が、城に残ってくれるのか。


相反する感情に心が揺れる。


勿論、出来れば全員助けたい。


そう出来れば、願った通りだ。


しかし・・しかし・・・だ。


もし明日の朝、岩屋城に自分一人しか残っていなければ・・・


全く、今更くだらない無い感慨だ。虫の良い話しである。


あれ程城から出る様に言ったと言うのに、どこかで自分と運命を共にしてくれる人間が欲しいと思っている。


・・・胸がざわつくのは自己嫌悪だろうか。


「地獄行きじゃな・・」


自分に対する皮肉が口から漏れた。


多くを死に追いやっておいて、まだそんなことを考えているなんて。


紹運は見納めになるであろう欠けた月を、侘しさと共に眺め続けた。





「紹運様、宜しいですか?」


紹運が本丸の自分の小屋に戻ると、直ぐに種速が尋ねてきた。


入るよう促すと、左京と民部も一緒に入ってきた。


「どうかしたか?」


紹運はいつもの通りに尋ねる。


「いえ・・・先程の事ですが」


種速は少々面食らっていた。


明日の朝に城に残っているのは、果たして何人かわからないというのに、


紹運の様子がまるでいつもの通りだったからだ。


さすが我が主君だ。微塵の動揺も無い。


自分では全然及ばない所にいる。


そう思ったのだが・・・


対して、紹運は先程の事と言われて途端に冷や汗を掻いていた。


頭から抜けていたが、自分は全員に城から抜けるように命令したのだ。


ならば勿論、頼りにしている種速、民部、左京にも言った事になる。


3人で連れそって来たのは、最後の挨拶なのだろうか。


「明日、残った人数次第では本丸に最初から籠もった方がいいかと思いまして」


「お、おう。そうじゃな・・」


紹運は動揺を隠して頷いた。


「数えたところ。残っている人数は74人です。このうち半数の兵が抜ければ、二の丸は守り切れませぬ故」


「うむ」


種速は捕捉する。確かにその通りだ。


「紹運様?」


「なんじゃ?」


種速が訝かしむ様に声を掛ける。


何かおかしい。


「なぜ驚いておられるのです?」


「いや、別に驚いてなどおらん」


紹運は否定する。しかし、長年連れ添った種速の目は誤魔化せない。


「紹運様・・もしや我らも城を抜けると思っておられましたか?」


「「なっ!?」」


声が3つ重なる。


民部と左京、おまけに紹運まで声を出していた。


「紹運様!そうなのですか!?」


左京が詰問する様に問う。


「い、いや、そんな事は無い。しかし、出来れば命を永らえて欲しいと・・」


声が尻すぼみに小さくなる。一目瞭然だった。


「紹運様、兵卒はともかく、我らの中に今更主を見捨てて逃げ出す者などおりませぬぞ」


「そうですぞ紹運様!」


左京が怒鳴るように言い、民部も声を張る。


紹運は慌てて


「そ、そうじゃな。いや、わかっておる!」


と言って何度も頷いた。


「全く、そもそも紹運様が城から出ようと思えば、それも不可能ではないのですぞ?」


種速はそう言ってじろりと紹運を見る。


種速としては、紹運にこそ生き延びて欲しいのだ。


「それは・・・出来ん」


しかし紹運は、それだけは出来ぬと頭を下げる。


3人はそれを見て、呆れた様に、しかしそれでこそ紹運だと微笑んだ。



「何人残るかは明日になってみなければ分からぬ故、決めるのは明日になりましょう。島津は夜明けと共に攻め寄せる事も考えられます。準備だけは今のうちにさせてよいですな?」


「うむ。宜しく頼む」


種速の言葉に、顔を上げて紹運は頷いた。


「ではこれで。また明日の朝に参ります」


「わかった」


3人は揃って頭を下げて小屋を出る。


残った紹運はようやく胸をなで下ろすと、自身がどれだけ恵まれているのか振り返り、深く感謝するのだった。

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