第69話 7月26日ー岩屋城ー最後の交渉


結局、26日はその後戦闘は起こらなかった。


勿論城方は警戒を崩すことは無かったが、島津方が沈黙を守ったからだ。


城方は攻撃を再開しない島津軍を訝かしんだ。


だが実際の所は島津兵に想像以上に被害が多く、あまつさえ副将である上井覚兼まで生死の境を彷徨っており、とても直ぐに足並みを揃えての攻撃は出来なかった。



そして夜が進み、城方もようやく今日の戦闘は無いと刀を鞘に仕舞った頃、島津忠長の本陣に主立った部将が集められていた。



部将を集めた島津軍の総大将、島津忠長が中央に立ち、その左右を伊集院忠棟と樺山久高が脇を固める。


その前には隈部親永、鍋島直茂、秋月種実が並び立つ。


今日は難航していた岩屋城攻めがようやく大きな進展を見せ、残るは二の丸と本丸、それに付随する腰曲輪だけとなり、3人もの部将を討ち取った日だ。


つまり、もう岩屋城の落城も目睫の間に迫り、場は盛り上がっていて然るべきだった。


だが雰囲気は重苦しいものだった。


それはやはり、いままでいた上井覚兼の姿がない為だ。


最初、秋月種実などは裏手側を突破した事を意気揚々と話しながら乗り込んできた。


しかし忠長の顔と久高を見て直ぐに現状を察し、黙りこくっている。


最も、場の空気が重苦しいのは、忠長が黙ったまま何か思案しているようだった為でもあった。



「忠長殿・・そろそろ・・」


全員が揃ったにも関わらず一言も喋ろうとしない忠長に、伊集院忠棟が声を掛ける。


忠長の心情は理解するが、明日の事を決めねばならない。


「うむ」


忠長は忠棟の声に口を開いた。


しかしその内容は、忠棟の理解を超えたものだった。



「今から紹運に使者を送る」


忠棟は一瞬眉をひそめた。忠長の言っている意味がわからなかったのだ。


代わりに鍋島直茂が問いかける。


「それは・・降伏の勧告にでございますか?」


直茂の問いにようやく忠長の言葉の意味を把握した忠棟は、目を見開いた。


「うむ」


忠長は頷く。


「しかし、今更紹運が降伏するとはとても・・」


頷いた忠長に直茂は首を傾げる。それは紹運と戦ってきた、この場の全ての者が分かっているはずだった。


「そうじゃな」


だが忠長はそれも頷いた。


そして忠棟が吠えるように言う。


「おやめください!とても紹運は降伏などしないでしょう!なにより、これでこちらから使者を送るのはこれで3度目ですぞ!?」


「それがどうしたのじゃ」


「守る側が降伏させてくれと言ってくるならまだしも、なぜ今にも城攻めが成ろうと言う時にこちらから降伏の勧告をせねばならんのです。


ましてや3度もすれば、こちらが降伏してくれと懇願しているようにすら受け取られかねませんぞ!」


「・・・」


場は静まりかえる。


確かに、忠棟の言葉にも一理あった。


降伏して貰わなくとも、どちらにしろ明日には岩屋城が落ちる事はわかっている。


そして勧告が拒否されるのも目に見えていた。


だが忠長は頑として聞かない。


「紹運が降伏しないであろうことはわかっておる。だが兵はもう逃げ出したい者もおろう。落城の際に残った兵は死ぬまで戦う。可能なら兵の数だけでも減らすべきじゃ」


「つまり、兵が逃げ出すのを認めると?」


忠長の言葉に直茂が再び問いかける。


「うむ。紹運も認めるはずじゃ」


「確かに・・」


忠長の読みに直茂は頷いた。


ここまでよく戦った城兵を、紹運も出来れば助けたいと思っているはずだ。


勿論、拒否して落城と命を共にさせる事も考えられるが、紹運がそのような将ならそもそも兵がここまで良く戦うとは思えない。


「どうじゃ、忠棟」


「くっ・・・」


忠長の問いに忠棟は口を歪める。


確かに、これ以上被害は出したくない。だが・・・


「それに、儂が紹運を一目見たいのじゃ」


「・・・はっ?」


忠長の言葉に、今まで黙っていた秋月種実が間抜けな声を出した。


そして直ぐ側に控える樺山久高は驚愕してうわずった声で問いかける。


「ま、まさか忠長様が使者を?」


「うむ。儂が紹運に会いたいのじゃ」


「ば、馬鹿な。総大将が使者を務めるなど聞いた事がありませんぞ!」


「・・そうか?」


「そうか?ではござらん!もし忠長様が紹運に捕らわれでもしたらどうするのです!」


「紹運はそのような事はすまい」


忠長は言い切る。


「なぜわかるのです!」


「誇りを持っておるからじゃ」


「・・・誇り?」


「あやつは恥が何かを知っておる。間違っても今更そのような事はせぬよ」


久高の声とは違い、忠長の声は穏やかなままだった。


久高と一緒に忠長を止めようとした忠棟も、考え込むように無言を貫く。


「しかし・・それでも万が一がありますぞ」


言葉を挟んだのは、鍋島直茂だった。


確かに、絶対と断定出来る事ではない。


だが忠長が、


「万が一の場合は忠棟が総大将じゃ。もし儂が帰ってこなければ、皆で儂に構わず島津の恐ろしさを思い知らせよ」


と言って力を込めた目で忠棟と前に並んだ3人を見る。


3人は、ただ頷くことしか出来なかった。



「何!?島津忠長が!?」


本丸にある仮組みの小屋の中で、灯りも付けずに身を横たえていた紹運はその知らせに体を跳ね上げた。


「はっ!僅か2人の共を連れて、二の丸の門に来ております。いかが致しましょう!?」


伝えている城兵も困惑を隠せないようで、声が微かに震えている。


「ううむ・・・二の丸では狭いじゃろう。申し訳ないが、ここまでご足労願ってくれ」


「ははっ。ではこちらまでお連れします」


「うむ。それから外の者に言って小屋に灯りと水を。そして種速と民部、左京に忠長殿を迎えに行かせてくれ」


「ははっ」



返事をした城兵の足音が遠のくと、紹運はあぐらをかいて忠長の目的を考えた。


戦の終わりは近い。


お互い総大将同士、この戦の帰着はわかっている筈だ。


そして例え降伏を勧告されても、自分が受け入れないであろう事も・・


では一体何をしに・・・?


紹運は暗闇で目を閉じる。


自分が忠長の立場なら・・・


「ふふっ」


考えて、思わず声に出た。


何のことはない、似た者同士なのだろう。


そして紹運は自分の顎をなぞると、ニヤリと笑う。





「紹運様!島津忠長様が着かれました!」


小屋の前で城兵が声を張り上げる。すでに小屋には松明が灯されていた。


「入って貰え!」


「ははっ!」


城兵の返事の後、すぐにガラガラと小屋の戸を引く音が聞こえ、中に入る足音が続く。



「お待ちしておりました」


忠長が小屋に入ると、中にいた男がぺこりと頭を下げた。


忠長も思わず頭を下げる。


「どうぞ」


男はそう言って床几を優しく手で示すと、自分も床几に腰を掛けた。


自分を守るように小屋についてきた城方の3人の部将は、そのままその男の回りに立つ。



「岩屋城城主、高橋紹運でござる」


忠長が床几に座ると、男は改めてそう言ってニコリと微笑んだ。


ひとかけらの悪意も感じられない、穏やかな顔だ。


「本丸までご足労頂き申し訳ない。何分、二の丸は足の踏み場も無い有様で」


紹運はそう続ける。


確かに、先程通ってきた二の丸は人と物と血の匂いが充満していた。


だがそれだけで本丸を見せる筈が無い。


明日攻められる拠点なのだ。


本丸まで案内したのは、敵将である自分の身を城兵から守る為だろう。


その為に本丸に移動する間も護衛を付けた。


つまり、紹運は自分を害するつもりは毛頭無いのだろう。


忠長は確信していた事ながら、確証を得て心の中で胸をなで下ろした。


回りには大丈夫だと言いながら、やはり少しは不安はあったようだった。



「島津軍総大将、島津忠長でござる」


忠長はそう言って改めて頭を下げた。そして続ける。


「まずはこのような状況にも関わらず、お会いして頂き有り難く存じる」


すると紹運は微笑を浮かべ、


「島津軍の総大将殿がわざわざ来て下さったのです。生きてる内にお会いしなくてはと思いましてな」


と言う。その悪気の無い台詞に忠長は一瞬言葉に詰まるが、どうにか話を続けた。


「かねがね紹運殿の名声は薩摩まで届いておりましが、全く、寡兵にも関わらず見事な戦いぶりでござる。


この忠長感服致しております・・。


しかし、どうでござろう?そろそろ矛を収めては。悪いようにはせぬ故」


忠長は圧倒的に有利にも関わらず、誠意を持って降伏の勧告をした。


しかし紹運も、その回りの部将も表情を一切変えない。


「もう十分でござろう。ここで降伏してもその名を汚すことは無い。


命を無駄にされるな」


忠長は心を込めて言った。


散々煮え湯を飲まされてきたが、やはり殺すには惜しい。


顔を見て余計にそう思った。


だが紹運は微笑を保ったまま、


「有り難く・・・しかし、まだ終わってはおらぬ故」


と言って頭を下げた。


端から見れば奇妙な光景だ。


圧倒的優位な攻め手の総大将がわざわざ危険を冒して敵の本陣に降伏の勧告にやってきて頭を下げ、それを恐らく明日には死ぬ事がわかっている守り手の総大将が微笑みながら拒否する。


「紹運殿・・」


「忠長殿。申し訳ない」


忠長がどうにか紹運を翻意させようと言葉を探す。しかし紹運は忠長の言葉に割り込み、そしてまた頭を下げた。


「・・・・」


忠長はその紹運の下げた頭を見る。


紹運は言い終わっても頭を上げない。


自分が返事をするまで、そうしているつもりなのだろうか。


「・・・」


意地なのだろうか?自分が同じ立場でも恐らく降伏はしないだろう。


だが果たして敵に頭を下げるだろうか・・・?


まだ終わっていない・・・か。



「・・・わかり申した」


結局忠長は、紹運の命を諦めた。


どうやら、自分には考えの及ばない理由があるようだ。


ならば、これ以上降伏を強いても礼を逸する。


「忠長殿のご厚意、忘れませぬ」


紹運はようやく頭を上げてそう言った。

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