第66話 7月26日ー岩屋城北側⑤


「紹運様!」


「うむ!」


「岩じゃ!岩がやっときたぞ!」


「よしっ!間に合ったぞ!」


切岸の上にのっそりと姿を現した丸い大岩を、紹運と城兵達は声を上げて喜び、歓喜した目で見つめる。


対して島津兵は、城兵の喜び様に一瞬戸惑った後、状況を理解して慌てだした。


「ひ、久虎様!」


「なんじゃ!?」


突撃のために直前で盾兵の歩調を揃えさせていた久虎に、盾を持った島津兵が驚愕した声で呼びかける。


「岩が!切岸の上に大岩が!」


「大岩?」


「まずいですぞ!」


島津兵は気が気でない様子で叫ぶ。しかし久虎は逆に兵に対して声を荒げた。


「馬鹿者!あんなもの落とされても注視しておれば避けれよう!何を怯えておる」


「違います!あれで切岸の出口を塞がれれば、ここでの戦が無駄になりますぞ!」


「なに!!?」


自分以上の声で怒鳴り返され、久虎は一瞬目を見開いたが、現れた岩の使われ方を理解して直ぐに新たな命令を出した。


「い、いかん!皆の者!儂に続けーーーー!!」


「なっ!?」


「久虎様!?」


「ひ、久虎様に続けーー!」


整列を待たずに突撃を開始した久虎に驚いた島津兵は、盾を持って三々五々城兵に突撃を開始する。


「紹運様!!」


「うむ!」


惣右衛門に呼びかけられた紹運は力強く頷いた。


切岸の出口は狭く一度には通れない。


故に先に怪我人や体力の残っていない城兵を逃がし、岩が出口を塞ぐ直前に、もう一度だけ島津兵を押し戻し、それから素早く引く。


その意思確認のはずだった。


しかし惣右衛門は先程とは打って変わって動揺した声で言葉を続ける。


「様子が変ですぞ!」


「なに?」


惣右衛門の言葉に、紹運はもう一度切岸の上の岩を見る。


するとそこにいるはずの、岩を押してきた城兵達の姿が無かった。


「なんじゃ?!何が起きた!」


紹運は思わず叫ぶ。ここにきてで岩を運んで来た城兵の体力が尽きたのか?後は落とすだけだというのに。


しかし現実はもっと緊迫した状況だった。



「ぐわっ」


「なっ!?」


切岸の上から城兵の悲鳴が聞こえたかと思うと、投げ出されるように腹を裂かれた城兵が落ちてきたのだ。


「おい!何があった!」


惣右衛門が駆け寄って抱き起こす。だが城兵は既に事切れていた。


「まさか切岸の上に島津兵が!?」


惣右衛門は腕の中で事切れた城兵の腹を見て呟く。その切傷は深く、背中まで達している。


「ぬう・・」


紹運が唸る。


姿は見えないが、間違いなく切岸の上で味方と島津兵がやり合っている。


このままでは岩を落とす事が出来ないばかりか、挟み撃ちに合う可能性まで出て来た。


「紹運様!」


紹運がどうすべきか迷っていると、惣右衛門が大声で呼びかける。


「紹運様!切岸の上に行ってくだされ!」


「なにっ!?しかし・・」


「紹運様であれば駆け上れるでしょう!我らはここで島津兵を足止めします故!」


「・・わかった!」


惣右衛門の叫びに紹運はそう返事をすると、切岸の出口まで走り、壁際に立たせた城兵の背中を借りて壁を駆け上る。


例え疲労困憊していなくとも、そして鎧を着ていなくとも、普通なら登れるはずの無い反り返った土壁を紹運は手だけで駆け上がるように登って行く。


「惣右衛門様!」


「おうっ!」


その姿を見送った惣右衛門と城兵達は安堵の表情で頷くと、迫り来る島津兵に対抗するため、刀を握り直した。



「はあっ はあっ」


切岸を駆け上がった紹運は、そのまま大岩のある場所まで駆ける。


切岸の上部はある程度平らに慣らされているが、それでも足を滑らせれば落下して大怪我では済まない。


しかしそんな事を意識をしている暇も無い。



「きええええ!」


「ぐわあああ」


紹運が岩を目視出来る位置まで来ると、斬り合う声が聞こえた。


そこには数人の島津兵が、大岩を守るように城兵に向けて刀を構えていた。


対面する3人の城兵はどうにか岩を落とそうと島津兵に迫っていたが、既に満身創痍だ。


紹運はそれを見て取り、瞬時に木々に紛れて姿を隠した。



「くそっ!このままでは間に合わぬ!」


「早くせねば紹運様が」


「わかっておる!だがどうする!?」


焦って怒鳴り合っているのは、切岸に来る前に岩を転がしてくるように言った城兵だ。


今この場に居るのが三人なら、先程落ちてきた城兵を合わせても一人足りないが、もう討ち取られてしまったのだろうか。


「いいか!しばらくすれば我らが戻らない事に気づいて種実様が援軍を寄越してくださる!それまでこの岩を落とさなければいい!無理に切り結ぶな!」


「「おおう!」」


反して聞こえてきたのは、島津兵かと思っていたが秋月兵のようだった。


秋月兵は裏手から攻めているはずだが、ここに居るという事はもしや裏手側を守護している大隅は抜かれたのか?


紹運は焦る。しかしまずは切岸を死守せねばならない。


幸い、岩を守っている秋月兵の数は少なそうだ。恐らく、斥候部隊だろう。


ならば隙を突いて倒せる。


紹運は切岸を駆け上る際に納めていた二本の刀を音も無くするりと抜くと、気づかれないよう、しかし素早く、岩の影に回り込んだ。



「ドスッ」「ザンッ」


「ぐっっ?」


「がっ・・?」


「?」


運ばれてきた岩を背にして城兵に対して刀を構えていた秋月兵は、後ろから聞こえた鈍い音と味方の声に振り向いた。


しかし視界に映ったのは、自身に迫る獣の様な影と光る刃だった。


「ぎゃっ!」


「なっ?なに!?」


紹運が秋月兵を背後から奇襲し、両手に持った刀で3人を斬り倒した所で、残り6人の秋月は慌てて持っていた刀を紹運に向けた。


しかし、まだ混乱は収まっていない。


「こいつ!どこから!?」


「くそっ!3人も!?」


「お、落ち着け!」


「そうだ、まだ人数はこちらが多い!」


秋月兵がお互いをどうにか落ち着かせようと、紹運に対し刀を構え直して距離を取り、言葉を掛け合う。


しかし先程まで秋月兵と対面していた城兵は、その隙を逃さなかった。


秋月兵の自分達に対する意識が離れた瞬間、背を向けた秋月兵に飛びかかる。


「「おぉぉ!」」


「こ、こいつっ!」


先程まで秋月兵は人数の差を活かして岩を守っていた。しかし紹運の登場により人数差はあっという間に無くなって行く。


気づけば、紹運達4人に対し、秋月兵達も4人となっていた。


「ど、どうする?!このままじゃ全滅だ!」


「ばかやろう!同じ人数だろ、弱音を吐くな!」


「しかし、こいつは・・」


目の前であっという間に3人の城兵を斬り倒した紹運を、秋月兵は怯えた目で見る。


「逃げた方が・・」


「し、しかしこの岩をおとされると」


「そうだ!島津兵が下で戦っているんだぞ」


「で、でも」


じりじりと迫る紹運と城兵に対し、刀は構えているが、秋月兵の声はどんどん小さくなる。やがて1人が


「島津兵の為に俺達が全滅する義理はねえ!」


と叫んで走り出すと、残りの3人も直ぐに逃げ出した。



「紹運様!」


その姿を見た城兵が紹運に問いかける。


間違いなく、そのまま逃がしてしまっていいのか問いかけているのだろう。


しかし今はそれどころではない。紹運は直ぐに次の命令を出した。


「いや、それよりも岩じゃ!3人で押せるか!?」


「ははっ!大丈夫でございます!」


秋月兵を追いかけようとした城兵が直ぐに向き直って返事をする。


「よし!儂が合図を送ったら直ぐに落とせ!」


「「はっ!」」


紹運の切羽詰まった命に、城兵3人は返事をしながら既に走って岩に向かっている。


それを見て紹運も切岸の上に走り、下の状況を確認した。



「くっ・・」


そして思わず苦渋が口から漏れ出る。


紹運が見た光景は、先程よりも更に危機的状況だった。


いや、既に切岸の出口付近で、城兵と島津兵との押し合いが行われていることを鑑みれば、末期的と言った方が正しいだろう。


直ぐにでも岩を落とさなければ、島津兵は切岸を抜けてしまう。


しかし、今岩を落とせば、必死に戦っている味方の城兵をその岩で押しつぶす事になる。


「ギリ・・ギリ・・」


紹運は音がする程に歯を噛みしめた。


もし切岸を島津兵に抜けられれば、そのまま二の丸に攻めかかるだろう。


そうさせない為に、切岸を封鎖する為に、既に多くの命が失われている。


その失われた命を無駄にさせるわけにはいかない。


だがその為には・・




紹運が血の出るような目で戦っている城兵を見つめる。


瞬間、僅かに上を見上げた惣右衛門と視線が重なった。


「惣右衛門・・」


紹運は惣右衛門が間違いなく自分と目が合った瞬間に頷くのを見た。


そして紹運は、それで全てを理解したかのように歯を食いしばったまま、一度こめかみに力を思い切り入れて立上がる。


そして声を飛ばすように叫んだ。


「岩を落とせーーー!!」


紹運の声が切岸全体に響き渡る。


瞬間、時が止まる。


そして至る所から声が発せられた。


「なにっ?」


「岩じゃ!岩が来るぞ!」


その声に最初に反応したのは、紹運が立つ切岸の下にいた島津兵達だ。島津兵達は一様に慌て始めた。


それはそうだ。すでに切岸の上には大きな岩が見えており、それが自分の頭上に落とされれば大怪我でも済まない事は分かっている。


それでも必死に切岸の突破を試みているのは、城兵と切り結んでいる間は岩は落とせないという確信があったからだ。


15日間も戦い、紹運がどういう将かわかっている。


味方を見捨てるはずが無い。島津兵は皆そう確信していた。それなのに・・


「ば、ばかな!紹運がそのような事言うはずがない!」


久虎は信じられないとその場を動こうとしない。


だが回りの混乱した兵の中には、陣を崩して勝手に下がる兵も出始めた。そしてそれを止めようとする兵との間で混乱が起きる。


「いかん!下がれ!」


「下がるな!城兵と離れなければ岩を落とせるはずがない!」


「ばかやろう!岩を城兵が押しているのが見えねえのか!?」


「ここで下がれば本当に落とされるぞ!」


大混乱だ。半数は勝手に引き始め、半数は鈍い矛先で城兵と切り結ぶ。


だが混乱しているのは島津兵だけでは無かった。


「紹運様!?」


「儂らは・・!?」


紹運の号令に、城兵も不安そうな目で刀を振るう。


勿論、紹運が自分達を見捨てるとは思っていない。


しかし、このままでは岩の下敷きだ。指示が出ていないのは何かの間違いか?


不安を胸に宿している為、城兵も先程より切っ先が鈍くなる。


結果、残った島津兵に押され始めた。


そこに紹運の声が響いた。


「惣右衛門ーーーー!!!」


その声は今までとは違い、場を圧すること無く、むしろ悲しげに戦場に響いた。


「う゛おおーー!」


そしてその声に惣右衛門が野太い怒号で答える。


その迫力に島津兵は体をびくつかせた。


「紹運様?」


「惣右衛門様!?」


場の城兵は思わず呆気にとられる。そこに惣右衛門から最後の命令が下った。

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