第65話 7月26日ー岩屋城北側④
二の丸を巡る戦いで越中が必死に槍を振るっている頃、岩屋城の北側では岩屋城城主の高橋紹運が配下の惣右衛門を引き連れて暴れ回っていた。
引き連れてと言うよりも、引きずり回してと言った方がいいかもしれない。
それ程紹運の動きは激しく、惣右衛門達は付いて行くのがやっとだった。
「がぁあああ!」
「うおっっ」
「こ、こいつさえ討ち取れば!」
「ぬあああ!」
「ぐぎゃっ」
「ひぃ」
島津兵は必死に紹運を討ち取ろうとする。それはそうだ、なにしろ紹運は岩屋城の城主であり、敵の総大将なのだから。
しかし紹運はいつの間にか両手に持った二本の刀を自在に振り回し、獣の様な声を上げながら右に左に走りざまに島津兵達を切りつける。
その度に数人の島津兵が血を流して倒れる。
斬られる人数の割に死人が少ないのは、紹運が敢えて島津兵の命を絶ちにいっていないからだろう。
「くそっ!誰か飛びかかって押さえつけんか!」
島津兵が叫ぶ。だが誰も実行しない。いや、出来ないでいる。
既にしようとして斬られた味方を目の当たりにしているのだ。
島津兵が紹運の背後に回り込もうとしても、紹運は一瞬たりとも同じ場所にいることは無く、どうにかその姿を捕らえて斬りかかっても、その両手に持った刀で防ぎ、同時に切りつけてくる。
そうこうしていると、紹運を必死に追いかける惣右衛門達に背を刺される。
それの繰り返しだった。
「ぬううう!なぜあれしきの人数しかおらんのに奴を倒せんのだ!」
突然の紹運の登場に一度兵を纏めて切岸の入り口まで引いた島津忠長が唸る。
人数差は圧倒的で、疲労も城方が多いはずだ。それなのに一向に紹運を討ち取るどころか、紹運にまとわりつく城兵すら倒せないでいる。
紹運の登場に更なる増援を予想して、念のために引いた自分がまるで愚かに映ってしまう。あのまま留まっていれば、今の醜態は無かったはずだ。
勿論、狭い切岸では人数差は活かされず、疲労の差よりも威迫の差が大きい為に陥っている状況であることは歴戦の忠長にはわかっている。
だとしても、だ。
余りの味方のふがいなさに歯ぎしりを止められない。
「ぬうう・・・やはり儂が行かねば!」
忠長が何度目かの台詞を吐いて前に出ようとする。
しかしその度に、回りを顔囲む島津兵から押しとどめられてしまう。
「行けませぬ!総大将が混戦の場に自ら赴くなど!」
「おやめ下さい!万が一があればこの軍はどうなります!」
回りの島津兵達は必死だ。ここで総大将が討ち死にすれば、後に自分達の首まで飛びかねない。
「ええい、どかんか!」
忠長は体を押さえる兵を振りほどこうともがく。しかし結局振りほどけずに最前線には出て行けない。
いや、もし忠長が本当に望めば、紹運の所まで行けない事はないはずだった。
総大将なのだ。激しく厳命すれば、回りの兵も従うだろう。
だが忠長はそこまでしなかった。
それは自身でも気づかないうちに、紹運に恐れを抱いているからかもしれなかった。
「ううう・・」
だが歯ぎしりしているのは島津忠長だけでは無かった。
忠長に前線を任されていた頴娃久虎も同じように切歯扼腕していた。
久虎は前線の指揮官であり、自ら刀を取る事を止める味方はいない。
久虎の役目は自ら敵を粉砕する事であり、その名前は剛の者として島津軍中に知られているからだ。
だがその久虎を持ってしても、紹運を討ち取れない。
既に2度切り結んでいたが、まるで嵐の様な紹運の繰り出す斬撃を防ぐ事で精一杯だったのだ。
「くそっ このままでは・・」
隣に立つ島津兵が呟く。
そうだ。このままでは、紹運を討ち取れずに逃がしてしまう。
紹運は勇将であり、個人の武力も大した物だが、それ以上に頭が回る。
恐らく、今回もただ暴れ回っているだけでなく、何かの準備が整うまでの時間稼ぎに違いない。でなければあれほどの暴れっぷりは理にかなわない。
だが一体どうやってこの場を逃げだそうというのか・・・
「そうじゃ!盾はどれほどある?」
頭の中で様々な思案を巡らせていた久虎は、思い出した様に声を上げた。
その声に側の島津兵は駆け出し、少しして報告に戻ってくる。
「使える物は30程!半壊している物は50程ございます!」
「そうか・・!」
報告を聞いた久虎は、新たな指令を出す。
思ったよりも壊れているが、まだ30あるなら、上手く行けばこれで紹運が捕らえられるかもしれない。
「紹運様!」
息を切らせながら惣右衛門が紹運の背に声を掛ける。
紹運としては速度を落とせばそれだけ敵の目に映りやすくなる為、出来れば常に全速で走っていたかったが速度を落として振り向いた。そこには青い顔をした惣右衛門がいた。
「はあ はあ」
「どうした?」
「そ、そろそろ引き際では?余り時間を掛ければ・・」
惣右衛門はそう言いながら肩で息をしている。気ままに戦場を走り回る紹運より、追いかける惣右衛門達の方がきつかったのだろう。
「ぬう。それはそうなのだが」
紹運がそう言っている間にも、紹運と惣右衛門の回りには島津兵が集まりだす。
紹運は両手に持った刀を構えて惣右衛門の背に自分の背を預けた。
「しかし、ただ引くだけではその後に切岸を突破されよう」
「そ、それはそうですが」
島津兵に向けて刀を振るいながらも息を整える紹運に対し、惣右衛門は未だに息を切らせたままだ。
「し、しかし、今はまず紹運様が無事に二の丸に引かれなければ」
「いや、儂は最後でよい。まずは惣右衛門、お主が引き上げよ」
紹運は惣右衛門の体力が限界に近いことを察して命令した。
しかし紹運の言葉に惣右衛門が激高する。
「馬鹿な!!我らの中に紹運様を置いて先に引き上げる兵などおりませぬ!」
「そ、そうか。すまん」
その言葉の強さに紹運は驚き謝った。
紹運としては、体力の残って無いものを先に引き上げさせ、被害を抑えようとしたのだが、岩屋城の兵達は長年自分や道雪に仕えてきた者が多く、頑なだった。
「では皆で引き上げるとしよう。そろそろ別働隊が岩を押してこようしな」
「別働隊?」
「うむ。二の丸と搦め手の間に置いていた岩をこちらに運ばせておる。儂はそれまでも時間稼ぎよ」
紹運はそう言ってニヤリと笑う。
「そうでしたか・・」
それをきいて惣右衛門は歓喜した。
さすがは紹運様だ。常に一手先を考えておられる。
ならばあとはジリジリと引くだけだ。
「では惣右衛門。一度に引けば敵も怪しもう。じりじりと引くぞ」
「ははっ!」
紹運の命令に惣右衛門は頷き、離れた。そして戦場を駆けながら、一人一人に小声で支持を出す。
やがて暴れ回る紹運を除いて、多くの城兵が前進を止め、じりじりと引き始めた。
「紹運様!」
惣右衛門が城兵の隊列を整えさせて声を掛ける。
すると紹運はちらりと背後を確認すると、大きく声を出して突然目の前に陣を組んだ島津兵に突進した。
「グォオオオ!!!」
「ぐわっ!」
「ぎゃああああ」
その攻撃で島津兵は3人が斬られ、近くの兵は恐怖で足を止める。中には腰を抜かして地面にへたりこむこむ者までいる。
紹運をそれを確認して小さく息を吸うと、あざ笑うかのように背を向けた。
「あっ!?」
島津兵は驚く。
今まで紹運は右に左に走る事はあっても、背を向ける事は無かったからだ。
本来なら千載一遇の好機だった。しかし島津兵は虚を突かれ誰も追いかけない。
そこに盾兵を連れた久虎が現れた。
「ぬう?紹運は何処じゃ?」
先程まで視界に捕らえていた敵将の姿が無い。久虎は辺りを見回しながら尋ねる。
すると地面に座り込んだ島津兵は、震える手で切岸の出口の方を指さした。
「なっ!?」
久虎は驚いて声を上げる。
あれほど縦横無尽に暴れていた紹運がまるで兎のように逃げる背中が見えたからだ。
しかし逃げられては、紹運を押しつぶす為にせっかく用意した盾兵の意味が無い。
「何を座り込んでおる!立たぬか!」
久虎が怒声を上げる。そして連れてきた盾兵に腕を振って命令を出した。
「あそこに情けなく逃げておるのが紹運じゃ!逃がしてはならん!追うぞ!」
「「おおおおお!!」」
盾兵は声を上げて久虎と共に走り出し、紹運を追いかける。
「紹運様!」
走ってくる紹運を援護しようと惣右衛門が島津兵を押しのける。
紹運はそれをめざとく見つけ、上手くすれ違いながら惣右衛門達の組んだ円陣の中に走り込んだ。
「待たせた!岩はまだ来ていないのか!?」
紹運がようやく息を切らせながら尋ねる。
「はっ!何かあったのでしょうか?」
側の城兵が不安そうに尋ねるが、紹運にはわからない。
わかっているのは、これ以上時間を稼ぐのは全滅の危険が伴うと言う事だ。
「紹運様!先にお引き下され!」
一番前に出ている惣右衛門が島津兵と切り結びながら叫ぶ。見れば、先程はいなかった盾を構えた島津兵が30人程迫って来ていた。あれでは刀が身まで届かず、人数差で押されてしまうだろう。
こうなっては切岸の死守は諦めるしかないのか・・・
紹運が悔しそうに唇を噛んだ、その時。
「紹運様!あれを!」
背後の城兵が叫び、切岸の上を指さした。
紹運が振り返りその指先す方を見ると、待ちに待っていた大きな岩が、ゆっくりとその姿を現していた。
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