第64話 7月26日ー越中の最後



「越中!越中は何処じゃ!」


二の丸に戻った種速が大声で越中を呼ぶ。


辺りを見渡せば、未だ何人もの城兵が命からがら柵をくぐって二の丸に戻ってきている。だがその中に越中の姿は無い。


「くそっ・・!あの馬鹿は一体何をしておる・・」


思わず悪態が口から出る。長年共に戦場を旅した仲だ。


越中の無鉄砲さも、責任感の強さもよく分かっている。


「くそっ・・」


もう一度種速は吐き捨てた。


越中が今何をしているのか、ついた予想を口には出さなかった。




「うおおおおお!」


命を守っていた煙が風に流されて薄くなる中、越中は未だに槍を振るっていた。


「死ねっ!」


「おおうっ!」


孤立し一人となっている越中に、囲んでいる龍造寺兵が次々と斬りかかる。


「ギィン!」


「ガキィン」


鈍い音が響く。


越中は刀と槍の間合いの差で次々と襲い来る龍造寺兵の刃を躱し、反撃していた。


しかし越中の持つ槍は石突までどろりとした血で覆われ、その穂先は既に大きく欠けている。このままでは長く持たない。


いや、殆どの城兵が二の丸に帰還した今となっては、既に退路は龍造寺兵によって絶たれているに違いなかった。


「う゛おおーー!」


しかし越中はそんな現状など知ったことでは無いとばかりに暴れ回る。


「ぐうっ」


「なんじゃこいつ?!」


「ばかやろう!一人で掛かるな!」


「いいから囲め!一気に掛かれば・・ぐわっ」


逃げ出すどころか、かえって暴れる越中に龍造寺兵は戸惑い始める。


それでもどうにか越中を討ち取ろうと、指示を出していた兵を越中はめざとく見つけて駆け寄ると、一刀のもとに切り捨てる。


斬られる寸前に背を向けた兵は首から血を吹き出して崩れ落ちる。


「こ、こいつ・・!」


越中を囲む龍造寺兵は越中を睨み付ける。


しかし斬った龍造寺兵の返り血で、頭から血を被った様になっている越中はまるで血に飢えた獣の様で、龍造寺兵は仕掛ける事が出来ずにいた。


「どうした!掛かってこんか!」


「くっ・・」


越中は龍造寺兵が威圧され掛かってこなくなると怒声を上げた。


まるで全ての龍造寺兵に聞こえるように。


「おう!おう!おう!」


「おわっ」


「逃げるな!」


とうとう越中は掛かってこない龍造寺兵に業を煮やして逆に斬りかかる。


龍造寺兵は自分達が圧倒的人数で囲んでいるにも関わらず、斬り合おうとしなくなっていた。


「どうした龍造寺兵よ!たった一人が怖いのか!」


呆れた越中が再び声を上げる。


するとそこに、黒色の仏胴に蒼糸でまだらの刺繍を施した鎧を纏った武者が現れた。


見れば籠手や兜、面頬まで黒で統一し、その漆黒さが土煙の舞う中でも目立っている。



「いつまで手間取っておる!」


鎧武者はそのまま越中に近づきながら声を荒げた。途端に越中の耳がピクリと動く。


「鍋島直茂か・・・」


越中はその鎧武者の姿を認めると、憎々し目で睨み付ける。


越中が鍋島直茂と呼んだ鎧武者は、かつて大友家に下りながらも裏切った龍造寺の今の総大将だった。


「鍋島直茂ーー!」


越中が叫んだ。鍋島直茂はその声に驚くと、更に足を進めて越中に近づく。


やがて10間(約18m)まで近づくと、驚いて声を上げた。


「越中か?!」


鍋島直茂の顔はまるで死人を見たように驚いている。


「そうじゃ!」


対して越中は、今までとは変わって驚く程低い声で返事をした。


「まだ生きておったとは・・・」


「お主は息災のようじゃな」


驚きを隠せない直茂に越中は皮肉で答える。


直茂はその皮肉を聞き、ため息をつくと語りかけた。


「のう越中。お主はよく戦った。ここらで矛を収めてはどうじゃ?」


直茂はまるで同情しているかのように言う。


「ふん。何を言うかと思えば。儂が命を惜しむような侍と思っておるのか」


「そうは言わん。・・しかしここまで形勢が傾いてしまえばもはや落城は免れまい。

命を粗末にするのは匹夫の勇じゃ」


「馬鹿者!」


直茂の言葉に越中は髪を逆立てて反論する。


「そなたの如き、常に強者についておれば家は保てよう!だがそれのどこが侍じゃ!

命を惜しむならとっとと髷を落としてしまえ!」


「・・・命を惜しむ訳ではない。お主にはわからんじゃろう!大勢の命を預かった立場の重さが」


直茂は必死に言葉を紡ぐ。


「今や九州は島津に統一される寸前じゃ!逆らえばこの岩屋城の様になる!儂は主家を滅ぼす訳にはいかんのじゃ!」


「ふん・・ならば精々励むがよい。どちらが正解か、いずれわかろう」


直茂の言葉を聞いた越中は、どこか呆れた様な、そして達観したかのような言葉を吐いた。


「そうじゃな・・じゃが、降伏せぬならお主はここで死ぬ事になるぞ」


直茂はそう言って刀を抜いた。


すると越中は「ふふふ。儂はとっくに死んでおる!」と叫ぶと走り出した。


「なっ!?」


直茂は虚を突かれた。距離は10歩程しか離れていない。もう越中は手に持った槍を投げれば届く所まで迫っている。


「直茂様!」


「直茂様!」


周囲の龍造寺兵が慌てて直茂の前に出る。


越中と直茂との間に3人の龍造寺兵が割り込んだ。


そのおかげで直茂は、辛うじて越中一人に背中を見せずにすんだ。


だが越中は叫びながら加速すると、槍を振り回して直茂の前に出た龍造寺兵に突っ込んだ。


「直茂ーー!」


「ぬうっ」


「ガキィン」


越中が振り回した槍が構えた刀で抑えようとした龍造寺兵の頭にその刀ごと当たり、槍と共に投げ出される。


するとすかさず越中は脇差しを抜いて残った2人の龍造寺兵の間をすり抜けた。


「ま、待て!」


「覚悟ーーー!!」


「おおお!!」


直茂は突っ込んでくる越中に向けて、振りかぶった刀を垂直に振り下ろした。


「バキンッ」


噛み合った刀と脇差しが音を立てる。


越中は先に脇差しを刺すつもりだった。しかし振り下ろされた刀が鋭く、避けきれずに脇差しで受けてしまった。


「終りじゃ!」


「ぬう・・」


二人は渾身の力を込める。すると直茂の刀が鈍い音を立てて割れた。


「ボキンッ」


「っ!」


直茂の体中に冷や汗が吹き出る。まずい!


しかし次の瞬間、間を抜かれた龍造寺兵が追いすがりながら刀を越中の背中に突き刺した。


「うおおお!」

「ドスッ」

「ドスッ」


越中は自分の背中から腹に抜ける刀を感じながら、目の前にいる直茂に向けて言葉を絞りだそうとする。


「ゴハッ」


しかしそれは口から血を吹き出す鈍い音にしかならなかった。


やがて越中は視線を直茂に合わせたまま、その場に座り込む。


「はっ はっ はっ」


直茂はその様を見て、ようやく息を吸い込んだ。


「越中・・」


思わず名前を口にする。こいつを動かしていたものは一体・・・


「「死ねえ!」」


すると刀を越中の背中から引き抜いた龍造寺兵が、座り込んだ越中めがけて刀を振り上げた。


「やめろ!」


「!?」


直茂はその行為を一括した。


刀を振り上げた龍造寺兵は思わずその場に固まる。


周囲の兵達も直茂を凝視した。


「もう・・死んでおる」


直茂はその疑問に答えるようにそう言ってもう一度越中の顔を睨み付けると、折れた刀を握り締めたまま憮然として自分の陣地に帰っていった。


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