第18話 岩屋城攻防戦三日目ー①



7月16日 早朝


「義影はおるか?」


岩屋城の大手門近くに建てられた簡易な小屋に、紹運がひょっこりと現れた。


紹運が尋ねた小屋は、兵士達が寝泊まりするために最近建てられた物で、義影は大手門の守護を受け持つ左衛門の配下となった為、今はここで寝起きしている。


しかし紹運が小屋の中を覗くが義影の姿は無い。どうやら出かけているようだった。


「義影を知らぬか?」


紹運は小屋で体を横にして休んでいる兵に話しかけた。すると兵は、話しかけてきた人物が紹運だと気づいて、慌てて身を起こして立上がった。


「もっ 申し訳ありません」


「よいよい。夜番だったのだろう、聞きたい事があるだけじゃ。寝ててよいぞ」


紹運は親切にそう言って促すが、兵はとんでもないと首を振って直立する。


紹運は苦笑いをしながら、義影の行方を尋ねた。


「はっ!義影殿でしたら恐らくは弓矢の稽古かと!」


兵士は緊張しているのか、ハキハキと答える。


「ほう、稽古?」


「はい!ここに来て以来、毎朝されております!」


「そうか・・。場所はどこじゃ?」


紹運が聞くと、兵は大手門から少し歩いたところにある、倉庫の裏手だと伝えた。


「そうか、すまんかったな。休んでくれ」


しかし紹運にそう声を掛けられても兵士は、はい!と返事をするだけで立ったままだ。紹運はそれを見て少し申し訳無さそうな顔をして、足早に義影の元に向かうのだった。



「ピューーン」


「ピューーン」


義影が放つ弓の音が、森の木々にこだまする。


大手門の付近は既に起きた兵士によって騒がしくなっているが、義影が弓の稽古をしている場所は少し奥に入っているため、義影の他は人影がない。紹運は倉庫を回って直ぐに義影を見つけると、足音を殺して義影の背後に回った。


「ピューーン」


「ピューーン」


「・・・うーん」


義影は持ってきていた十本の矢を全て放つとため息をついた。


ここ数日必死に稽古をしていたが、中々上達しない。今は三十メートル先の剥げた木の幹を狙っているのだが、ようやく半数が当たる程度だ。


しかし半数とは言っても、威力が足りずどうしても山なりの軌道になるために、当たった矢の更に半数も幹に刺さらない。これでは敵を討つのは難しい。


一体どうすれば他の兵士の様に出来るのか、義影は一人悪戦苦闘していた。



「精が出るのう」


「ひゃやあ!」


紹運は稽古を少し見守ってから、義影に話しかけた。しかし義影からすればあまりに突然だった為、奇声のような悲鳴を上げてしまった。挙げ句バランスを崩してひっくり返る。紹運はその驚きようを面白そうに眺めて、もう一度声を掛けた。


「すまんすまん。脅かす気は・・・まぁ少しあったんじゃが。そこまで驚くとはおもっとらんかった」


そう言って紹運は、蛙の様に地面に転けている義影に手を差し出した。


「あ、・・紹運・・様・・」


義影は突然声を掛けられた事と、声を掛けてきたのが紹運だったので、二度驚いた。


そのため中々素早くは起き上がれず、紹運に差し伸べられた手を握って、何とか立上がった。


「す、すいません」


「なんのなんの。元はと言えば儂のせいじゃからな」


そう言って紹運は、ワハハと笑う。全く罪悪感を感じていなさそうな笑い方だ。


しかし戦の最中だと言うのに、この人が笑えば自分まで明るい気分になる。義影は、段々紹運の笑い声が好きになっていた。


「どうしたんですか?こんな所まで」


紹運の笑いが収まると、義影は尋ねた。わざわざ自分を探しに来たとしたら、何か起こったのだろうか?


「なに、城の見回りをしておってな。お主がどうしておるかと思ってのう。戦場は初めてじゃろう」


「えっ・・あ、ありがとうございます。そうですね、最初は何も出来なかったですけど・・」


義影は驚いてどもってしまった。まさか、偶然助けただけの、戦力にすらならない自分の事を気に掛けてくれているなんて。


「でも今は、矢だけでもなんとか放てるようにしようと思って」


義影はそう言うと、手に持った弓を胸の辺りに持ち上げる。他の高橋兵が使っている物と同じだが、自分だけ上手く放てないことに焦りを覚えていた。


「ふむ。しかし中々当たらんようじゃな」


先程まで義影の稽古を見ていた紹運は、半ばからかうように言う。それを聞いた義影は、恥ずかしさで少し顔が赤くなった。


「はい・・やっぱりいきなり当てようなんて、無茶ですよね」


「そんな事はないぞ。勿論練習は必要じゃが、大事な事はどうすれば当たるかじゃ」


義影の弱音に紹運はそう言い放つ。しかし義影は、その意味がよく分からなかった。


「どうすれば・・?」


「うむ。弓に限らず、戦場ではわかりきった正解などない。今までの正解が突然不正解になり、馬鹿らしい事が突然正解になる。あまり固く考えず、柔軟に考えてみよ」


紹運の言葉を、義影は頭の中で反芻する。


やっぱり意味がよくわからなかったが、その言葉だけでも覚えておこうと思った。


「ありがとうございます」


「うむ。今日も島津は攻めて来るぞ。準備は出来ておるか?」


「はい。矢を・・沢山用意しておきます」


「そうか。では、期待しておる。次は弓を見てやろう」


紹運はそう言うと、優しい顔で頷いた。




 大手門 島津方


「よいか、なんとしても攻め落とすのじゃ!」


大手門の前で青筋を立てながら拳を握り締めて雄叫びを上げるのは、肥後勢を纏める隈部親永である。


隈部親永は数年前まで龍造寺の傘下に入っており、更にその前は大友家の傘下であった。龍造寺とは、今では同じく島津の傘下で肩を並べて戦う仲であるが、次々と主家を変えてきた隈部親永はどこか居心地の悪さを感じていた。


また島津からの信頼が無い事も肌で感じており、どうにか手柄を立てて見返したい思いを抱いている。


「しかし父上、力攻めではまた被害が多くなりますぞ」


難しい顔で反論するのは、隈部親永の息子、隈部親泰である。親泰は昨日肥後勢の副将として大手門を力攻めして、多数の死傷者を出していた。


「だからなんじゃ!城攻めに多少の被害が出るのは当たり前じゃ!」


しかし親永は息子を怒鳴りつける。どうもこの父親は、物事を緻密に考える方では無いようだ。出来れば早く代替わりしたい親泰だが、本人に一線を退く気はまだまだ無いようだった。


「ここで手柄を上げねば、島津に何を言われるか分からぬ。もし龍造寺が大手門を突破してみろ、儂らは笑いものじゃぞ!?よいか、ハシゴでも縄でも何でもいい。各自用意して突撃じゃ!」


鼻息荒くそう言った親永は、今すぐ大手門に走らんばかりの勢いだ。しかし父親に任せれば更に被害が多くなり、本人も討たれてしまうかもしれない。そうさせない為に、親泰は昨日と同じように、ため息をつきながら大手門に向かうのだった。



「よいか、今日は無理攻めはせぬ。ハシゴや縄は直ぐには用意出来ぬからな。故に、

身を守りながら、門では無く城兵を狙うのじゃ」


攻撃前に親泰は、部下を集めてそう話す。しかし、言っている内容は大将である親永の真逆である。当然、そこに疑問を持つ部下が問いかける。


「親永様は力攻めせよとの事でしたが、よろしいので?」


その問いかけに、回りの部下数人も頷いた。


「今、力攻めをして、大手門を突破出来ると思うか?」


質問した部下は、質問を質問で返され、困惑する。しかし確かに、出来る。とは言えなかった。


「そうであろう。物事には時機がある。しばらくは敵の戦力を削るしかあるまい」


「・・・はっ」


親泰の説得に、部下は不承不承頷いた。大将の命令とは逆だが、確かに昨日力攻めをして痛い目に遭っているからだ。他の部下も思いは同じだった様で、誰もこれ以上、戦略に反対しなかった。


「よし。では中央を薄くして左右に振り分ける。弓兵や鉄砲兵を狙え」


「ははっ」


「それと敵が大手門から飛び出して攻撃を仕掛けてくるやもしれん。落ち着いて行動するように兵達に伝えよ」


「はっ」


「よし。では向かうぞ」


こうして大手門では、昨日とは戦略を変えた肥後勢四千による攻撃が始まった。




変わって岩屋城南側では・・


「そうか・・・」


「申し訳ございません」


伊集院忠棟の前で深く頭を下げるのは、昨日岩屋城の北側に向かった久虎である。


昨日は一躍北側に向かった久虎だったが、結局抜け道は見つからないどころか、多くの兵が沼に嵌まり、その救助で手一杯になってしまった。


あげくその間に紹運によって本陣に攻撃を仕掛けられていた。もし北側に向かわなければ、紹運を討ち取れていたかもしれない。そう思うと、久虎は悔しさでいっぱいだった。


「よい。紹運はいつどこから湧いてくるかわからん。それより、北側はどうじゃった?」


「はっ。沼の大きさはそれほどではないのですが、深さがあり、船を用意せねば渡れませぬ。また要所要所には少数ですが城兵がおり、恐らく沼を渡れば途端に兵が集まってくるかと」


「ううぬ。こんな場所で船じゃと・・・」


伊集院忠棟は悔しそうに呟く。元より薩摩から陸路で来た島津兵に船の用意など無い。木を切り倒し一から作る事は出来るが、数を作るには盾とは違いかなりの時間と労力を要する。


時間を掛ける事が出来ない岩屋城攻めでその手を使うのか、かなり難しい判断だった。


「総大将はなんと?」


「被害を抑えながら戦えと」


「それは・・難しいですな。兵糧攻めが出来るほど食糧はないですし」


「無論じゃ。九州統一するにはなるべく早く落とさねばいかん」


「しかし力攻めが出来ないとなると・・・」


「ううぬ・・」


二人して腕を組んでこれからの戦略を悩む。しかしこの二人、好戦的で野戦的な性格な為に、元より城攻めが得意では無い。


結局、戦略らしい戦略は思いつかず、兵達に総大将の言葉をそのまま伝え、無理しないように攻めさせるのだった。




そして裏手門・・


「種実様、あれで良いのですか?」


秋月種実の本陣で、小声で尋ねるのは秋月家の家老、内田実久である。


「あれとはなんじゃ」


尋ねられた秋月種実は、不機嫌そうに問い返した。


「攻め方でございます。ほどほどにとは何とも・・兵士達も戸惑っておりますぞ」


「よい。昨日の戦で怪我人も多く出たのじゃ。無理責めしてもつまらん」


「しかし、士気も下がっておりますし、このままでは長引きまずぞ」


「ふん。これは島津の戦よ、秋月家が率先して血を流すのは馬鹿らしいわ」


秋月種実はそう言うとそっぽを向いた。


「殿・・」


実久は心の中でため息をついた。攻め方の指示が昨日とは真逆と言って良い。これでは兵が戸惑うのも無理はない。せめて理由でもわかればと思ったのだが、どうやら話す気はないようだった。


「とかく、被害が少なくなるようにせよ。声だけだしておればよい」


「はぁ・・」


結局、実久は兵に無理をしない様にとだけ伝えて、秋月兵を岩屋城に向かわせたのだった。



**************************************



摂津国 大坂城



かつて織田信長と十年もの長い間、渡り戦った石山本願寺。


その勢力の強大さは、織田信長をして最大の敵と言わしめた。


その石山本願寺の難攻不落の居城として、最後まで落とされる事が無かった石山城の跡地に、羽柴秀吉が己の威信を懸けて築城したのが大坂城だ。


最も築城は現在も続いており、城下町や治水を含めればいつ終わるともわからない程の規模である。しかし勿論、本丸は既に完成しており、羽柴秀吉はそこで政務を執っていた。


「戦じゃあ!急がにゃならんぞ!」


「ははっ」


「九州まで治めたら、あとは関東だけでよ!これで天下統一じゃ!」


今や天下の中心、大坂城の本丸で大声を出すのは、その主人である羽柴秀吉だ。


秀吉は先日、大友宗麟に援軍を確約して以来、心がはやり気持ちは既に行軍中のようだった。


そして羽柴秀吉の前で幾つもの書類を持ち話し相手をしているのは、羽柴家の内政を司る石田三成だ。まだ若年ながら、その才を秀吉に愛され、全幅の信頼を得ている。


「いつ兵は集まる?」


「殿自らとなれば十万は必要ですので、やはり半年はかかるかと」


浮かれた秀吉に対し、常に冷静に答える石田三成である。


「そんなに掛かったら島津が九州を統一しちまうでよ!」


「はっ。ですので、まずは毛利に先遣隊を出すように要請しております」


「言っておったのう。しかし先遣隊だけじゃ数が足るまいが?」


「はい。ですのでこちらからも先遣隊を出すべきかと」


「ふーむ。となれば、宇喜多、前田当たりになるかのう?」


「いえ、大身の大名は時間がかかりますし、地理から考えても長宗我部や機内の武将が良いかと」


「成程のう。誰がよいか・・」


「それよりも殿、徳川殿はいかがされます?このままでは殿が大坂を離れるには不安が残るかと」


「ううむ・・家康からは相変わらず文も無しか?」


「はっ」


「信雄も役にたたんのう・・」


秀吉は苦々しげに呟く。


遡る事二年前に秀吉は、徳川家康と織田信雄との連合軍と大規模な戦を行っていた。


いわゆる小牧長久手の戦いだ。そこで羽柴軍は、兵力で圧倒的に勝りながら、徳川軍の精強さと強固な陣に手こずり完全な勝利を得ることは出来なかった。


結局、織田信雄を切り崩す事に成功して戦は終結したが、徳川家康は未だに羽柴秀吉に臣従していない。


しかしそのままにはしておけず、秀吉は徳川家康を臣従させるために、様々な手を打っていた。


「全く、あのタヌキだきゃあ!妹までくれてやったのによ!」


秀吉はそう言って地団駄を踏む。秀吉は人質の意味を込めて、妹を夫と分かれさせてまで家康に差し出していたのだった。


「やはり敵対するつもりなのでしょうか?」


「いや、それなら縁組みを受けまい。恐らく家臣どもが反対しておるのよ」


「徳川の家臣が・・・」


「あそこは代々他家に臣従を強いられてきたからのう。信長様との同盟も臣従のようなものじゃったしな」


「しかし、何かしら敵対しない意志を表して頂かねば。やはり殿自ら九州に赴かれるのは危ないかと」


「うむ・・・。そうじゃ、官兵衛を呼べ」


「はっ。官兵衛殿ですか」


「うむ。困ったときの官兵衛よ」


秀吉はそう言ってニヤついた顔をする。石田三成はその顔を見て、苦手な愛想笑いしながら席を立つのだった。

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