第17話 二日目ー夜
7月15日 夜
「つまり・・大手門、南側、裏手門の全てでやられたということか」
島津忠長は、肩を落として呟く。
7月15日の戦は終り、すでに島津兵は各所から撤退している。
今は、島津忠長と秋月種実、伊集院忠棟が今後の戦略の為に、島津忠長の本陣に集まっていた。
「それで、被害はどうじゃ」
落ち込みながらも、総大将として全体の状況を把握するため、島津忠長は伊集院忠棟と秋月種実に問いかけた。まずは秋月種実が答える。
「死人は百人程で、怪我人が三百人程・・それと本陣に奇襲を受けて士気が下がっております」
「・・南側はどうじゃ?」
「はっ・・死人は同じく百人程ですが、火車と紹運による突撃で、怪我人が五百人程出ました。こちらも、紹運が次に一体何を仕掛けてくるのかと士気が下がっております」
「そうか・・本当に厄介な将じゃな。紹運は」
島津忠長は忌々しそうに吐き捨てる。
「大手門はどうでございました?」
「龍造寺兵と肥後勢に交互に攻めさせたが、鉄砲隊に阻まれておる」
「被害は多く出ましたか?」
「いや、今日は攻め急がないように申しつけたからそれほどではないようじゃ」
「そうですか。それは良かったですな」
「まぁ、被害が多くとも外様勢の勢力が削れるから、それは問題ないんじゃがな」
秋月種実にそう答えて、島津忠長はしまったと思った。
確かに、外様である龍造寺兵と肥後勢の被害が多くとも、それはある意味歓迎するべき事だ。
なぜなら外様は、形勢次第で簡単に裏切るし、そもそも戦いぶりもあまり期待出来ないからだ。しかしそれを同じ外様である秋月種実に言うのはまずかった。これでは秋月種実が、こちらを信用しなくなる。
島津忠長は返事をしない秋月種実をそっと見た。しかし秋月種実はいつもと代わらぬ顔で机の上の地図を見つめている。これでは心中を図るのは難しかった。
「これからの戦法はどうしますか?」
二人が押し黙ったのを見て、伊集院忠棟がそう切り出す。普段は鈍感ながら、さすがに今回のはまずいとわかったようだ。
「うむ。こうなっては積極的に登るのも難しい。一歩一歩進むしかあるまいな」
伊集院忠棟に助けられ、島津忠長はそう告げる。しかし秋月種実はまだ言葉を発しない。
「秋月殿、それでよろしいか?」
島津忠長はたまらず秋月種実に尋ねた。例え怒っていたとしても謝ることは出来ないが、ここで意志の疎通をしておかないと、これからの戦略に関わってくる。
「そうですな」
問われた秋月種実は、変わらず視線を地図から離さずに答える。島津忠長は心の中でため息をついて、これからの戦略について具体的に続けた。
「では各自、明日からもそれぞれの持ち場を攻めて頂く。ただし紹運の奇策に十分注して、被害を抑えながら戦うように」
「はっ」
「わかり申した」
「では、また明日この時刻に集まって下され」
島津忠長はそう言うと、さっさと引き上げた。
残った伊集院忠棟も、未だに地図を見つめる秋月種実になにか言葉をかけようとしたが、結局何も思いつかず、申し訳なさそうな顔をして引き上げた。
一人残った秋月種実はしばらくの間、微動だにせずに何かを思案していた。
岩屋城本丸―紹運の小屋
「火車は上手く行きましたな!あやつら大層驚いておりましたぞ!」
嬉しそうに言うのは、火車を島津兵に向けて放ち混乱させ、その後面頬を付けて紹運と名乗り島津兵を切り伏せて回った大隅だ。以前から準備をしていた作戦が大成功に終り満足しているようだ。
「こちらも上手くいったぞ!逃げ惑う秋月兵どもの顔見せてやりたかったわい」
「全くじゃ!ガハハハ」
裏手門を守護していた入道と了意もそう言って笑う。他の七人も満足そうだ。
「うむ。みな良くやってくれた。今日も島津兵に大きな打撃を与えることが出来た。
大手門も破られておらん。上出来じゃ」
しかしそう言う紹運は、どこか浮かない顔をしている。突撃の際、自分の身代わりとなって、騎馬兵が二人討ち死にしてしまった事が、尾を引いているのかもしれなかった。
「大手門はどうじゃった?」
「はっ。龍造寺と肥後勢が交互に攻めて寄せましたが無事に撃退しております。
ただ、昨日とは違い、盾を持ち槌を使って来ましたが」
紹運の問いに、大手門を守護する左衛門は少しだけ不安を覗かせた。
「うむ。恐らく昨日は一日でこの城を落とそうと考えていたのじゃろうな。失敗して方法を変えたんじゃろう。龍造寺と肥後勢は誰が率いておる?」
「龍造寺は鍋島直茂ですな。肥後勢は恐らく隈部親永かと」
「鍋島直茂は油断出来ん相手じゃな。そして隈部親永か・・」
「どちらも因縁の相手ですな」
忌々しげに言うのは種速だ。実際、鍋島直茂が率いる龍造寺も、隈部親永も、以前は大友家に属していた事がある。
しかし大友家の勢威が衰えると直ぐに大友家を見限って独立し、あまつさえ大友家の領内に侵攻してきた過去がある。そして今は島津の勢力が大きくなった為にその傘下に入り岩屋城を攻撃してきている。
背信離反は戦国の世の常とは言え、ただひたすら大友家を支え続ける紹運を主に持つ家臣からすると、龍造寺や隈部のその腰の軽さは侮蔑の対象なのだった。
「ふっ。全く、鍋島直茂も隈部親永も大変じゃな」
しかし紹運は気にする素振りどころか、気の毒そうな声を出す。十人の家臣はしばしあっけにとられたが、考えてみるとこの時代、紹運の様な侍の方が珍しい。その紹運からすれば、欲や情のために右往左往する事は、哀れむ対象なのかもしれなかった。
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所変わり 安芸 吉田郡山城(広島)
吉田郡山城は中国地方に覇を唱える毛利氏の代々の居城として、山間部に築城された山城である。傾斜が大きく、多くの曲輪郡が造られ防御に向いた城構えであるが、反面城下町は小さく、賑やかな大坂や京と違い落ち着いた風情が見える。
「大殿様!隆景様より使者が!」
普段は静かな吉田郡山城の廊下を、けたたましい足音を出して走る若者がいる。
先代藤兼の代より毛利氏に仕え、毛利両川の一人、吉川元春の娘を妻に迎えた益田元祥である。現在は毛利家当主の毛利輝元の側近として、優柔不断な輝元を陰に日向に補佐している。
「大殿様!失礼致します」
「騒ぐでない!」
慌てた元祥がそのままの勢いで輝元がいる広間に入ると、そこで栗屋元種に怒鳴られた。元種も元祥と同じく輝元の側近として仕えているが、高齢のため相談役といっった役割だ。年齢差もあり、元祥は元種を苦手としているが、若年の元祥は教えを請う事も多い。
「も、申し訳ございません」
「どうしたのじゃ?」
元祥が元種に怒鳴られて静まったのを見て、毛利輝元が穏やかに聞く。
毛利家の当主毛利輝元は、性格は優柔不断ながら、その瓜実顔と鷹揚の効いた声で、周囲を落ち着かせる雰囲気を備えている。元祥は、その声に一度心を落ち着かせ、慌てた原因を話し始めた。
「申し訳ございません。先程隆景様より早馬が参りました。九州出兵についてとの事。書状はこちらに」
元祥はそう言って手に持っていた手紙を輝元に差し出した。輝元は受け取り、直ぐに広げて読み始める。
「・・隆景様はなんと?」
輝元が手紙を読み終わった頃を見計らい、元種が尋ねる。輝元の顔が浮かないのを見ると、あまり良い知らせではないようだ。
「うむ。とうとう九州出兵が決まったようじゃ。羽柴殿は毛利に三万の兵を求めるつもりのようじゃ」
「三万でございますか・・・」
「そして先遣隊を出し、赤間関(下関)及び小倉を押えるようにとの事じゃ」
「うーむ。先遣隊はともかく、三万は難しゅうございますな」
元種はそう言って顔をしかめて顎をしごく。兵三万と言えば、毛利家の総兵力の八割近くに当たり、その兵を食わせる兵糧や武具を考えると、莫大な費用が掛かる。
ましてや、毛利家は兵農分離が進んだ羽柴家とは違い、まだ動員可能な兵の半数は農民で、普段農業に従事している。
つまり、米の刈り入れが終わらなければ大軍を派遣するのは難しく、また兵の被害が多ければ、米の取れる石高に直接響いてくる事となる。
「そうじゃのう。しかし兵を出さねば、羽柴殿の怒りを買おうぞ」
「それはそうですが・・時機は記されているのですか?」
「いや、近々としか書いてないの。しかし先遣隊は先に準備を始めるようにと」
「うーむ。まだ羽柴様から正式に要請が来てはいないので、ではまずは先遣隊の準備をさせて、本隊については隆景様と元春様が集まられてからという事に」
「そうじゃのう・・」
輝元もそう言って渋い顔をする。三万の兵を集める事もだが、羽柴嫌いの叔父、吉川元春を説得する事を想像すると、気が重い。
「まだ時間はあります。隆景様にもご協力して頂きましょう」
輝元の顔を見て、元種がなだめるように言う。元春の羽柴嫌いは、毛利家中では知らぬ者はいないのだ。
「うむ。先遣隊はどうする?」
元種の言葉に、輝元は気を取り直して話を進める。
「赤間関を押えるだけなら三千もあれば出来ましょう」
「わかった。誰に率いらせる?」
「そうですな、やはりここは・・
「私にお任せ下さい!」
今まで黙って輝元と元種の話を聞いていた元祥が勢い良く口を挟んだ。
「何を言う!お主の様な若造には務まらぬわ」
しかし話を中断された元種は反射的に否定する。
だが元祥はその言葉を更に否定した。
「此度の任が重要なもので有ることは重々承知しております!しかし私は以前赤間関を何度も行き来しておりますし、船にも慣れております。必ず赤間関を死守してみせまする!」
身を乗り出してそう言い切った元祥は必死の形相だ。
それは若さ故だけでなく、側近として輝元仕えているために本来武士として戦場で立てるべき戦功を未だに立てられていない事への焦りからだった。
「・・・」
それを見た輝元は何も言わずに元種を見る。元種はそれに気づき、ゴホンと咳をしてから元祥に話しかけた。
「元祥よ、そなたの気持ちはわかる。しかし先遣隊の役目は重大じゃ、そなたではまだ経験不足よ」
「ばかな!私は既に幾つもの戦場を経験してきておりますぞ」
「わかっておる。しかし今回は、今まで散々戦ってきた大友と手を取り合い、協力せねばならん。お主にそれが出来るか?」
「ぐっ・・」
元種も問いに、元祥は答えられない。事実、毛利家は今まで数十年の間、大友家と戦いを繰り返しており、むしろ島津側と良好な関係にあった。
元祥の一本気な性格では、今まで散々戦ってきた大友との意志の疎通には支障をきたしかねない。元種は、そこを心配していた。
「うむ。先遣隊は三浦元忠に任せよう。よいな」
返事が出来ない元祥を見て、輝元が決断する。主君が一度決めれば、それに異議を唱える元祥ではない。内心悔しい思いを抱えながら、元祥は頷いた。
こうして毛利家は、まず先遣隊として三千の兵を、三浦元忠に率いらせる事にしたのだった。
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